君を助けたいから 58
そうしてイリスが攻撃を受け止めてくれている間に、ラプラはイグニス・ファトスを捕らえる為の術の準備を進めた。
『CARECPTUAGELGEBARINGE』
呪文詠唱が始まり、ラプラが唱えるレイスタングが低く周囲に響く。するとイグニス・ファトスの攻撃が一層激しくなり、イリスたちを狙って放たれる炎は四方八方から彼らに襲い掛かった。
しかしイリスも相手の猛攻に全力で対抗する。彼は炎を個々に対処することを止め、ラプラと自分を中心に全方位に術防御壁を展開させた。
そうしてイリスが完璧にラプラを守っていると、ふと彼は何かを忘れていることに気がつく。
「……あっ! エルミラ!」
うっかり忘れていたエルミラの存在を思い出し、イリスは彼の無事を確認する為に、彼が寝転がっていた場所へと視線を向ける。すると幸いなことにまだ彼は丸焦げにはされていなかったが、しかし今まさに無防備な彼を狙って無数の炎が放たれようとしていた。
「やば……っ」
咄嗟にイリスはラプラの元から離れ、エルミラの元へとかける。安全地帯に寝かせておいたつもりだったが、しかし敵の数が多すぎて、自分たちの対応に集中している隙に敵の一部にそちらを狙われてしまったようだった。
「っ……!」
イリスは飛ぶように駆け、間一髪エルミラを燃やそうと迫っていた炎を、彼に届く前に自身の背中で庇うように受け止める。
イリス自身が受けた炎は一瞬彼を燃やそうと炎を大きくしたが、イリスが魔法に対する防御能力を全開にすると、あっさりと炎は霧のような細かい光の粒となって霧散し消えた。
「……私一人で二人守らなきゃいけないってのは面倒だな……」
イリス自身、誰かを守るということは苦手だと自負している。守るという事は、それ相応の強さを持っていなくては行えない行為なのだ。だから自分にそれだけの力があるかと言えば、イリスは『無い』と考えている。謙遜や自虐では無く、経験から言える客観的な判断でそう思うのだ。
だが、それでもやらなくてはならない。少なくとも今の自分は、皮肉な事に魔物となったことで多少は強化されているのだから。
とりあえずラプラの術が完成するまで、どうにかして自分が二人を守らなくては。
「ぐっ……」
「ラプラ!」
考えてる傍からラプラの呪文詠唱の声が途切れ、彼の苦しげな声にイリスが視線をそちらに向けると、イグニス・ファトスの攻撃を受けてしまったラプラが膝を折っているのが見えた。
幸いラプラは自力で自分を襲った炎は消したようで、多少の火傷を肌に負った程度の負傷のようだった。そして今は本来準備しなくてはならない結界術を中断し、防御術で自分に襲い掛かる炎を防いでいる。
イグニス・ファトスの攻撃は、ラプラも防御に集中すれば簡単に防げる程度のものだが、しかしそれに集中すると結界術の準備が出来なくなってしまう。早く自分が彼を守る役に戻らなくてはと思い、イリスはラプラに「ラプラ、こっち来て!」と叫んだ。
「あなたとエルミラ、バラバラだと一度に守れないから!」
寝ているエルミラを動かすのは少々骨が折れる仕事なのでラプラにこちらへと来てもらい、イリスはまとめて二人を守る事にしたようだった。
そしてラプラも彼の指示に従い、防御したままそちらへと駆ける。
「ラプラ、大丈夫?」
ラプラが傍に来て、イリスは火傷を負っている彼にそう問いかける。外套を着ている部分の被害は無いようだったが、手や首や顔などの肌が露出している部分は僅かに火傷で爛れていた。
「えぇ、平気ですよ。魔族は治癒能力も高いですし、この程度なら直ぐ治りますよ」
防御術を維持したままそう笑って答えたラプラに、イリスは一瞬考えるように沈黙した後、彼にこう声をかける。
「それでもせっかくの男前な顔にこれ以上傷が残ったら可哀想。……ねぇ、私が治してあげる」
「え?」
イリスはそう言うと、戸惑う表情のラプラにどこか妖しく微笑む。そして彼はおもむろにレイスタングを唱えた。
『HELIMAPTAORNT.』
「なっ……」
驚くラプラの目の前で、イリスの唱えた呪文がマナを呼応させて魔法を紡ぐ。そしてそれは正しく発動され、治癒の光がラプラの怪我をゆっくりと癒した。
やがてラプラの傷が完全に癒えると、淡い白の光は止む。
「……イリス、どうしてあなたが呪術を……」
防御術でイグニス・ファトスの攻撃を防ぎ続けながら、ラプラは自分の体の傷が癒えた事に驚きながらそうイリスへ問う。するとイリスは笑いながらこう答えた。
「どうしてって……これはあなたが私にくれた力だよ?」
「え……」
不可解な答えに疑問の眼差しを返すラプラに、イリスは魔性を宿した瞳を細めた。
「魔法は魔力が無きゃ使えないものだから、確かに本来は私にはそれは使えない。けど私はあなたの力をずっと食べてたんだよ? 今の治癒術に私が使った魔力は、私があなたから精気と一緒に奪った分の魔力……これでわかった?」
そう答えたイリスの淫靡な表情に、ラプラは一瞬動揺したような表情を見せる。しかし彼は直ぐに「そういうことですか」と、落ち着いた態度を取り繕って返事をした。
「なるほど。夢魔は力を奪い、それを自分のものとして使用できる……確かにそうでしたね」
「そういうこと」
ラプラの返事に頷き、今度はイリスはいつもの妖しさの無い普通の笑顔を返した。
元々イリスはレイスタングを始めとした精霊語には詳しいし、魔法の使い方自体はハルファスに教えてもらっていたので使い方はわかっているのだ。
そして治癒の呪文もそれ自体を元から知っていたわけではないが、しかし魔法というのはマナに願いを伝えて発動させる”奇跡”だ。だからレイスタングで『誰かを癒したい』という願いを正確にマナに伝えさえすれば、使用したい魔法は呪文を知らずとも発動出来る。
むしろそれこそが呪文の正しい使い方で、例えばローズのように古代呪語を詳しく知らずに魔法を使用する術者は大半の呪文を暗記して魔法を使っているが、マヤなどの精霊語の意味を知っている術者は、呪文はマナに願いを伝える言葉として使用して魔法を使っているのだ。当然後者の方が呪文の種類に縛られずに自由な発想で魔法を紡げる為に、術者としては優秀といえる。
しかし精霊語に詳しく、さらに魔法の使い方を知っているからと言って、イリスがいきなり使ったことの無い術を使用し成功させたことには、やはりラプラも驚いてしまう。
「素晴らしいですよ、イリス。あなたは呪術の才能があると私は思います。なのでどうでしょう、本格的に術を学びませんか? よろしければ基礎から私が教えますよ。そうすればもっとあなたは自由に術が使えるでしょう」
「本業の術者様にそんなこと言ってもらえるのは嬉しいな。でもダメ、私は奪った魔力分しか魔法は使えないから。だってやっぱり私自身に魔力は無いんだし」
「ならば……いくらでも私の魔力を使ってください。魔力ならばどうせ直ぐに回復しますので、遠慮なく……」