君を助けたいから 57
虚しい気持ちのまま起き上がり、イリスはエルミラやラプラを探す。すると今度は二人の姿は、自分の傍で見つけることが出来た。
しかし彼らもまた突然姿を現した多くのイグニス・ファトスに不意打ちで幻術をかけられ、先ほどのイリス同様にその幻に捕らわれてしまっているらしい。二人はイリスの傍で、今もまだ目を閉じ地面に倒れていた。
そしてそんな自分たちを取り囲むように、周囲にはぼんやりとした輝きを見せながらゆらゆらと浮かぶ無数のイグニス・ファトスの光がある。
おそらく一度幻術を破った自分には、もうあの死者の魂のような光が見せる幻は効かないのだろう。イリスはそれを確信し、とりあえず二人をどうにかしなくてはと考えた。
「……いや、エルミラはこのままでいいか。うるさいし」
数秒考えた結果に、起きたらまた色んな意味で面倒なエルミラは、可哀想だがこのまま寝かせておいた方が都合がいいと判断する。
そうしてイリスはラプラだけを目覚めさせる事にした。
「ごめんねラプラ、ちょっと夢覗かせてね」
イリスはそう小さく呟くと、仰向けに倒れるラプラに覆いかぶさって顔を近づける。ラプラをイグニス・ファトスの幻が見せる夢から覚ますために、イリスは自分が彼の夢を支配することにしたのだ。
目を細め、イリスは魔物となり得た能力を解放させた。
そして彼はラプラの見ている幻覚を共有し、その一端を垣間見た。
「!?」
ラプラの見ている夢の一部を覗いて、イリスは一瞬 驚いたように目を見開いて硬直する。しかし直ぐに彼はラプラを起こすことに意識を集中させた。
どう相手の心を支配すればいいのかは、不思議と魔物に変わった時からわかるようになった。例えば息をしたり手を動かしたりを誰に教わるでもなく行えるように、今のイリスには相手の夢や心の隙間に入り込んで、相手を支配することが感覚的に行えた。
そしてその対象がラプラならば尚更簡単だ。彼には申し訳ないが、一度完全に支配したことがある彼の心を操ったり、その夢を支配するのは容易だった。
そうしてラプラの夢見る”何者かの幻”を、イリスは自分の紡いだ夢で消し去る。
「ラプラ、起きて」
彼の夢の中と現実で同時にそう呼びかけると、ラプラは直後にゆっくりと 目を開けた。
「……イリス、ですか?」
目を開け、ラプラは何かに怯えるように小さくそう問いを向ける。その彼らしくない動揺した様子に、イリスは「そうだよ」と答えながら、先ほど自分が覗き見た彼の夢を思い出した。
「そうですか……」
「どうやらエルミラだけじゃなく、私もあなたもまんまとイグニス・ファトスの術に引っかかっちゃったみたい」
「そのようですね。しかしあなたが助けてくださった……」
ラプラは起き上がり、「ありがとうございます」とイリスに言う。そう礼を言う彼の顔色が少し青ざめていることに気づきながら、イリスはこう言葉を続けた。
「恐ろしい夢の幻を見させられたよ……もう居ない人に許される夢」
夢や幻でなく、本当のその人に許しを乞うことは出来ない現実を突きつける幻は、ひどく恐ろしいと感じる。
「……」
イリスの言葉に一瞬沈黙した後、ラプラは「それがあの魔物なのです」と答えた。
「その者の心に干渉し、強く影響する存在を記憶から呼び起こして幻を見せる……だからあなたにとって印象深い存在であれば、死者の幻を見ることもあります」
ラプラの言葉を聞き、イリスは静かに問う。
「ラプラ、あなたは何を見ていたの?」
一瞬だけ垣間見えた幻は、彼にとってどういう意味を持つのだろうか。
それが気になったのはきっと、それがあまりにも自分に似ていたからだろう。
そう、自分に似ていた。だけどそれは自分ではない。
「……私はあなたの夢をみていました」
そう自分の問いに疲れたような笑みを見せて答えるラプラに、イリスは何も言えずに沈黙した。
「……さて、それでは本来の目的を遂行いたしましょうか」
「え? あ、そうだね」
頭を切り替えたラプラの発言に、イリスも本来の目的を思い出して立ち上がる。彼は隣に立ったラプラに、作戦を確認するようにこう声をかけた。
「それでラプラ、あなたがアレを捕まえてくれるんだよね」
「えぇ、術で捕縛します」
「で、私はあなたがそれに集中できるようにサポートっと……」
イリスは「それでいいんだよね」とラプラに聞き、ラプラはロッドを構え持ちながら「はい」と頷く。そして彼はイリスに聞いた。
「ところで……そこに転がっている男はそのままでいいんでしょうか?」
ラプラの言う『そこに転がっている男』とはエルミラだ。イリスはそこに転がっている男を見もせず、「うん、起こすと多分うるさいから放置しとく」と答えた。
「それに今の私を彼に見られると……説明が面倒くさそうだし」
魔物の姿のままで立つイリスに、ラプラは「そうですか」と返事をする。おそらく彼はこの捕獲作戦の為に、あえて身体能力が向上して能力も全力で使える魔物の姿のままでいるのだろうとラプラは理解した。
「それでは準備を始めますね」
ラプラはそう呟き、小さく呪文詠唱を始める。
するとそれに反応したのか、ずっと二人を遠巻きに見るようにして周囲でじっとしていたイグニス・ファトスが、急に行動を始めた。
イリスたちの様子を伺うようにして待機していたイグニス・ファトスの一部が、緩慢な動作で彼らに向けて白い炎の玉をを無数発射させる。幻術系が効かないということが判明したので、別の攻撃で攻める方法に切り替えたのだろう。
イリスは自分やラプラに向けられた炎による攻撃に、しかし焦る表情は見せず、それどころか余裕の笑みを顔に浮かべた。
「あなたたちは私が存分に相手してあげる」
術の準備に集中するラプラを庇うように彼の前に出たイリスは、炎の玉を受け止めるように右手を前に突き出す。するとその突き出した手の正面に魔法陣のような蒼い円形の紋様が浮かび上がり、イリスやラプラを狙い放たれた炎は次々にそれにぶつかって瞬時に消失した。
「自分でやっといてなんだけど、こんなことできちゃうなんてホント今の私って……人じゃないな」
魔の血に蝕まれた体はもう元には戻らない。ならばその力を存分に使ってやろうとそうある意味で開き直っているイリスは、自嘲気味に笑いながら別方向から放たれた炎も、突き出した左手で同じように受け止める。