君を助けたいから 54
魔法陣の輝きの消失と共に、魔獣の足元が強固な地盤から底なし沼へと変わる。そして魔獣は脱出しようともがくような動作を見せながらも、底の無い泥の沼の中に徐々に体が引きずり込まれて、やがて大地は完全に魔獣をその中に飲み込んで何事も無かったかのように硬い地盤へと戻った。
そうして魔物を退けたラプラに、恐る恐るといった様子でエルミラが声をかける。
「ねぇラプラ、杖の使いかたって今ので合ってるの?」
「……まぁ、時と場合によりけりではないでしょうか? 臨機応変に対応しないと、戦場は生き残れませんよ」
杖に付いた魔獣の血をハンカチで拭いながらそう答えるラプラに、エルミラは納得できるようなそうでないような……そんな複雑な表情を返した。
そしてラプラが術者らしくないアグレッシブな動きで魔獣を倒していた間に、イリスも残りの魔物を始末し終えた様子で彼らの元にやって来る。
イリスはラプラたちが無事なのを確認し、「とりあえず終わったね」と彼らに言った。
「よかった、倒せる敵で」
そう安堵の息を吐くイリスに、ラプラが「そうですね」と返す。そして彼は直後に「あぁっ!」と、なんだがこの世の終りのような大袈裟なリアクションでショックを受けた表情となった。
「イリス、肩に怪我を! なんということだ!」
「え? あぁ、これ? 別にたいした怪我じゃないよ」
ラプラが自分に向かって来た魔獣を対処している間に、イリスは別の魔獣の攻撃を受けて怪我をしたのだろう。本人はたいした事無いとは言うが、服が破れて肌が向き出しになった肩部分は、血が滴って朱に染まっていた。
「いやいや、それはたいした怪我だよ、レイリス。だいじょぶ?」
エルミラも心配した様子でイリスを見つめ、イリスは「でももっと痛いことされたことあるし、それに比べたら痛くない」と笑って答える。それを聞き、エルミラはドン引きした表情を返した。
「やめてよそういうリアクションに困る返事……ホント困るから」
「えぇ~、冗談なんだから笑って適当にツッコミ入れてもらいたいんだけど」
「レイリスだと冗談に聞えないから!」
「とにかくイリス、手当てを……あぁ、治癒術を使いますね」
「あ、うん、ありがと」
ラプラが素早くロッドを構え持ち、イリスの肩の傷にクリスタルの装飾部分を近づける。そうして彼は治癒術の呪文を唱え、イリスの傷を治した。
傷を治してもらったイリスはもう一度「ありがと」とラプラに礼を言い、ふと思った疑問を彼に問う。
「そういや治癒術は普通に私に効くよね……魔法なのに」
「あぁ、治癒等は攻撃の意思の無い術ですからね。術に対する抵抗というのは、悪意や攻撃の意思のある術に対する自己防衛機能ですから、そうでない術に対しては効果を発揮しません」
ラプラの答えにイリスは「そういうもんなんだ」と納得した表情を浮かべ、一方でラプラは「それで、肩は大丈夫ですか?」と彼に問いを向ける。イリスは軽く肩を動かし、「大丈夫」と彼に返した。
「じゃ、先に進もっか」
切り替えの早いイリスの言葉に、エルミラが「もう行くの?」と聞く。
「怖い思いしたんだし、レイリスは怪我もしたし、とにかく一休みとかしてもいいんじゃない? つかオレ、箱重くてちょっと手が痛い……一休みしたい」
「だってゆっくりしてる暇は無いよ? あなたはこの気味悪い森を長時間さ迷っていたいわけ?」
「うぅ……それはそのとおりだけど」
イリスは「とにかく行くよ」と言い、荷物を持って再び歩き出す。それにラプラも続き、エルミラは「待ってよー」と情けなく言いながら慌てて後を追った。
その後エルミラたちはなるべく魔物の気配の気配を避けて不要な戦闘を回避しつつ、樹海の奥深くにあるパンテラ湖へと進んでいく。
そして彼らは歩く事三時間近く、やっとパンテラ湖付近にまでたどり着いた。
「うぅ~……レイリス、まだ着かないのぉ? オレもう歩けない……しんじゃう……オレ疲れたよぉ……もぉ歩くの無理ぃ~……」
「もうすぐ着くよ、水の音聞えるし。っていうかさっきから疲れた疲れたってうるさいなぁ。私だって疲れてるんだから」
体力の無いエルミラが駄々を捏ね、それに対して心底ウザそうな態度を返しながら、イリスは前へと進む。その進むべき方向には、風に揺れる水面の微かな音が聞え、湖が近いということを彼らに教えていた。
そして生い茂る黒いシルエットの木々の先を抜け、ついに彼らはパンテラ湖へとたどり着く。
「おぉ、湖! やった、やっとたどり着いた……」
月明かりを暗い水面に反射させる大きな湖が視界の先に広がり、エルミラが感極まったように声を上げる。そして彼は箱を持ったまま「やったー!」と嬉しそうに叫んだ。
「オレたちたどり着いたんだねー! あぁもうホントにしんどかったー!」
「喜んでるとこ悪いけど、別に湖に着くのが最終目的じゃないからね?」
湖に着いたことだけで満足しているエルミラにイリスはそう一応ツッコミを入れ、彼は湖の周囲を見渡してこう呟いた。
「この辺りにイグニス・ファトゥスが出るんだよね……」
イリスは周囲に視線を向けながら、「少し湖の周りを歩いてみようか」と提案する。すると疲れきっているらしいエルミラが、あからさまに嫌そうな顔をして叫んだ。
「げぇー! まだ歩くの?! 信じらんない!」
「だってここでじっとしてても、魔物出るかわからないじゃん。だったら探しに行ったほうが早いよ」
イリスはこれ以上歩く事に大反対するエルミラに、「それともあなたはここで一人残ってる?」と聞く。
「いいよ、別にそれでも。でも何かあっても、私もラプラもあなたのこと助けられないからね。その時は自分でなんとか対処してね」
「そんな冷たいこと言わないでよー。わかったよ、オレも行くよ……うぅ、みんなしてオレにキビシーんだから……」
イリスの厳しい態度に、エルミラは渋々歩くことを了承する。そうして彼らはしばらく湖の周辺を歩き、捕獲対象となるイグニス・ファトゥスを探すことにした。
冷たい夜風に木々の葉が囁くように音を鳴らし、黒い湖面は月明かりを歪めて映す。そして限られた音しか聞えない静かな樹海の奥地に、時折響く魔物の遠吠え。
「うううぅ~……やっぱ怖いっつの……誰だよこんな肝試し企画したヤツ……」
湖に着いた安心感と同時に、再び肝試しの恐怖の感情がよみがえったらしく、エルミラは先頭を行くイリスの後を着いて行きながら覚えた様子でそう呟く。
「誰も企画なんてしてないよ。しいて言うなら、こうなったそもそもはあなたの提案だよね?」
「うぅ……そうだけど」
イリスにばっさりと正論を言われ、エルミラは悲しそうな表情で肩をすくめる。そうして彼はイリスにこんなことを聞いた。
「レイリス、怖いからレイリスの髪の毛掴んでてもいい? なんか長くて掴むのに丁度よさそうだし」