君を助けたいから 53
そうして歩き続けること数十分、そろそろエルミラも肝試しの恐怖に馴れ始めた頃に、彼を再び恐怖に陥れる事態が発生する。だがそれは予め予想された事態でもあった。
「イリス」
突然、ラプラの呼び止める声が闇に響く。イリスは無言で足を止め、一方でエルミラは「うわっ、びっくりした!」と声を上げた。
「急に喋らないでよ、ラプラ。びっくりして箱落としそうになったじゃん」
エルミラのそんな訴えは無視して、ラプラはイリスに語りかける。
「イリス、魔物の気配を感じます……おそらくは近くに」
「……うん、だね。私も今、それ感じたよ」
ラプラの言葉にイリスも返事をし、二人のそのやり取りを聞いたエルミラは箱を抱えたまま「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。
「あわあわわわ……魔物って、それ例の……?」
あわあわ言いながら震えるエルミラの疑問に、ラプラは「それはまだわかりませんが」と冷静に答える。
「うああぁなんでもいいけどさ、オレマジで戦いとか無理だから二人でどうにかしてね? オレは箱を全力で守る役でいいんでしょ?」
「大丈夫、わかってるよ。初めからあんたを戦力としては数えてないし」
イリスは怯えるエルミラに「戦いの時はあんたは下がってて、邪魔だから」と言い、周囲の気配を探るように目を細めて辺りを見渡した。
やがてエルミラの耳にも魔物の息遣いの声と、忍び寄る足音が聞えるようになる。足音が聞えるという事は、残念ながら魔物はイグニス・ファトゥスでは無いということだ。
ただの無駄な足止めの戦闘を予感し、イリスは暗い中で不機嫌そうに目を細めた。だがこの闇の森の中、目が利く自分はともかくエルミラやラプラが魔物から逃げ切れる保障は無いのでやるしかない。
「っ……」
緊張と恐怖で泣きそうな顔をしたエルミラがじりじりと後ろに下がり、イリスたちの背中が見える位置で彼の足が止まる。その時、彼は闇に浮かび上がった光景に思わず悲鳴を上げそうになった。
見開かれたエルミラの目に映るのは、闇の中に浮かび上がる無数の紅い輝き。それが闇の中で獲物に飢えて光る魔物の瞳なのだと、そうエルミラが気づいた時に魔物は彼らに襲いかかってきた。
『オオォ、オ……オオォ……』
くぐもった声と共に、闇の中にさらに暗い影が姿を現す。それはイリスは勿論、ラプラの背丈も優に越す巨大な影だった。
「はわあわわ……でかい魔獣……?」
木々の間から出てきた巨大な影に、エルミラが泣きそうな声でそう呟く。彼の言うとおり、彼らに襲い掛かってきた魔物は、見た目は非常に熊に近い大きな魔獣だった。
そしてあわわわと震えるエルミラの前でラプラが冷静に呪文詠唱を始め、照明器具を足元に置いて戦闘体勢に入っていたイリスは果敢にもその懐へと飛び込んでいく。暗闇、そして森という条件の悪い中で、戦いは始まった。
あまり魔物相手の戦闘は得意ではないと自負しているイリスは、しかしだからといって魔物と全く戦えないわけではないし、戦わないわけにはいかないので、彼は魔物へと向かって素早く駆けていく。
イリスにとって幸いなことに、相手は大きいといってもドラゴンほどに規格外に大きい相手ではない。それにパワーは圧倒的に相手に分があれど、スピードでは確実に自分の方が上だと、そうイリスは判断する。ならば相手の攻撃は冷静に判断すれば十分に回避できるし、この程度の大きさの魔獣ならば自分の攻撃でもダメージは十分に与えられる。
『IROONDTSTCECKLAERULBRFAK.』
ラプラの呪文詠唱を背後に聞きながら、イリスは身を屈めながら魔獣の一体に向けて足払いの蹴りを放つ。
二足歩行で接近するその弱点を付かれ、その魔獣はバランスを崩してよろめいた。そうして体勢を崩した後から、イリスは素早く追撃をかける。
身を屈めた姿勢から彼は、よろめいた魔獣の顔面目掛けて突き上げる蹴りを叩き込む。パワーでは勝らない代わりに、スピードで相手に攻撃の暇を与えずに攻めるつもりのイリスは、その通りの俊敏な動きで魔獣を一方的に攻めた。
『グルアアァ……ッ』
ふらりと倒れそうになる魔獣の呻き声が闇に聞え、なるべく安全な場所で待機していることにしたエルミラは、イリスの様子を闇の中で何となく見ながら「おぉ、レイリスすげぇじゃん」と感想を呟く。
「正直オレ、レイリスが戦ってるとこ見たことなかったけど……けっこー強いんだー」
猫のようなしなやかな動きと速さで確実に相手にダメージを与えるイリスの攻撃に魔獣は翻弄され、最後にイリスは魔獣の顎目掛けて靴裏を叩きつけるように蹴りを喰らわす。すると魔獣は重い音を立てて、仰向けに地に倒れた。
そうして一匹動けなくさせたイリスに、しかし別の魔獣が背後から襲いかかる。それを闇の中でシルエットとして目撃し、エルミラは思わず「危ない!」と声を上げた。
「イリスは私が傷つけさせませんよ」
エルミラが叫んだと同時に、魔獣の足元で魔法陣が黄金色に輝き、その光は一瞬で消えて呪術が発動する。イリスの背後に迫っていた魔獣に、ラプラが紡いだ術が攻撃の意思を持ち襲いかかった。
魔獣の足元の地面が岩のように強固なものになり、細長く鋭利な槍の矛先となって一直線に天へと突き伸びる。それが無数と天へ伸び、イリスの背後に居た魔獣は大地の槍に串刺しにされて絶命した。
「おぉ、やるじゃんラプラ」
「フッ……当然ですよ」
そうしてイリスを救い、内心で『決まった』と密かに喜んでいたラプラにも、直接魔獣の魔の手が迫る。
それで引っかかれでもしたらひとたまりも無くなってしまうような凶悪な爪を持った魔獣が両手を振り上げ、ラプラの肉を抉り取ろうと雄叫びを上げながらへと接近した。そしてそんな光景を目の当たりにして、エル ミラが「わああぁぁ」と情けなく叫ぶ。だが狙われた張本人のラプラは、ひどく冷静に魔獣に対処した。
「ハッ!」
ラプラは呪文詠唱は行わず、なんと持っていたロッドのクリスタルの装飾具が付いている方の反対、銀の装飾がされている鋭利な部分で襲ってきた魔獣の胸を懇親の力で突く。その意外と痛そうな攻撃に、魔獣はくぐもった呻き声を発して怯んだ。
そうして敵が怯んだ隙を突き、さらにラプラはアグレッシブな行動に出る。彼はイリス同様に魔獣の胴に蹴りを入れ、魔獣をさらに突き放してから再度ロッドの鋭利な箇所を突き出し、暗闇の中に光る真紅色の魔獣の目の片方を打ち据えた。
『ギャシャアアァッ!』
『STIRDTCEOONCKLLBRFAERUAK.』
鈍い悲鳴が聞える中で、ラプラは素早くレイスタングを唱える。やっと再び術者らしく呪文詠唱した彼の術は即座に発動し、目を潰して悶える魔獣の足元に魔法陣が輝いた。