禍の病 9
「しんどいぃ~オレが一体何をしたって言うんだ……もう楽にして欲しい……」
「赤毛うるさい。こんじょうなしめ」
ミレイが蔑んだ眼差しでエルミラを見ながら、また辛辣な言葉を向ける。
レイチェルは弱音を吐きながら歩くエルミラの様子に、無駄に喋ってるから尚更疲れるんじゃないかなぁと思った。
「……」
不意に先頭を歩いていたアゲハが足を止める。彼女は薄闇の中、漆黒の眼差しを警戒するように周囲に向けた。
「アゲハさん?」
立ち止まったアゲハを不思議に思いレイチェルが声をかけると、アゲハは周囲を警戒したまま小さな声でこう答える。
「駅を降りてから気になっていたんですが……やっぱり私たち、何かにつけられていますよ。ずっと見られてます」
自分たちを遠巻きに監視する気配に、アゲハは険しい表情でそう告げる。
他の人々から遅れを取り周囲に人気が無くなったことで、アゲハはずっと感じていたその違和感に確信が持てたらしい。アゲハの一言にレイチェルたちは緊張した。
「エル兄……」
「ん~……きっとオレの熱狂的追っかけ……だろーね……」
エルミラはおどけた態度で不安げなレイチェルに返事をすると、若干苛立った様子で小さく「しつけぇな」と呟く。そうして彼は護身用に常に携帯している、腰にベルトで吊った回転式の拳銃に手をかけた。
「あーやだやだ。レイチェルたちいるのに……オレがここ来るって、どうしてバレちゃったんだろーな。ま、可能性が無くはないからアゲハについて来てもらったんだけどさ」
「……おい赤毛、てき? さーちする?」
ミレイがエルミラの服の裾を引っ張りながら聞くと、エルミラは彼女の頭を撫でながら「お願いしまーす」と答える。ミレイは「まかせろ」と張り切った様子で返事をした。
「はんけいひゃくめーとるいないのてきせいたいしょうのたんさくとちょうさかいし」
舌足らずにそう合図を告げ、ミレイは薄闇と周囲に生い茂る木々にまぎれているであろう不審な存在を探す。右目の青が真紅の色に変わり、彼女はその眼差しで周囲を一周するように見渡した。そしてエルミラたちに告げる。
「けっかほうこく、てきせいはんのうすうは……6。 えっと、せいたいはんのう5。かいせきけっか、ちゅうがたのまじゅうが4でにんげん1……のこりひとつはかいせきふのう、ふめいなえねみー”あんのうん”とはんてい。あんのうんにせいたいはんのうなし、ねつげんのみかくにん……んー、とにかくへんだからきをつけて 」
舌足らずながらも早口にそう報告したミレイのサーチ結果の直後に、不穏な陰は動き出す。静寂の闇に紛れていたそれらは、解き放たれる合図を待っていたかのように一斉に飛び出し、エルミラたちの前に姿を現した。
「来ますよ!」
アゲハが叫び、彼女はいつの間にか腰の鞘から抜き放っていた短刀を構える。空に輝き始めた月光を受けて、美しく波打つ銀の刃が閃いた。
『ギュアオオォォオォォォッ!』
最初に木々の闇から飛び出してきたのは、俊足の獣型の魔物だ。雄叫びと共に、銀の毛並みを靡かせながら大型の狼のような魔獣が四匹、一斉にエルミラたちに飛び掛る。それを迎撃する為にアゲハとミレイが同時に前に出た。
「おにいちゃんはみれいがまもるんだから!」
自分とレイチェルに向かってきた二匹の魔獣を前にミレイはそう叫び、現在武器の無いレイチェルを庇うように果敢にも前に出た彼女はその本領を発揮する。見た目は幼い少女でしかない彼女は、しかし大の大人を凌ぐほどの強力な力を秘めていた。
「えーい!」
大きく口を開けて迫ってきた魔獣と真正面からぶつかり、ミレイは視界を奪う闇を無視して正確に魔獣の急所を捉えて手刀を放つ。小さな少女の手は、大きく口を開けた魔獣のその口腔に突き刺さり喉をぶち抜いた。
濁った悲鳴とともに魔獣は黒い血を零し、喉を突き抜けたミレイの腕をその色に染めながら魔獣は息絶える。すると今度は横からもう一匹の魔獣が飛び出し、ミレイの頭を食いちぎろうとまた大きく口を開けて飛び出した。
「ミレイっ!」
ミレイを捕食しようとする魔獣を暗い影で目撃し、レイチェルが叫ぶ。見開いた彼の瞳に、頭から食いつかれる少女のシルエットが映った。
魔獣が少女の頭を食らったと同時に、金属音が弾ける。凶悪な獣の牙は、しかしミレイの細い首を食いちぎる事は愚か皮膚を食い破る事さえ出来なかった。むしろ魔獣の牙の方が、甲高い金属音と共に欠ける有様だ。
「みれいのこと、たべれるとおもったの?」
頭を丸呑みされた姿勢から、ミレイはどこか楽しげにそう言葉を呟く。その声音には残酷な子どもの無邪気さが宿っていた。
少女の首を食いちぎって頭を飲み込もうとした魔獣は、しかしそれが叶わず頭を食らった姿勢のまま困惑したような唸り声を発した。
「ばかね、みれいはきかいなんだからたべれるわけないでしょ! おなかこわすよ!」
魔獣に頭を丸々食われた状態のままミレイはそう叫び、獣の口腔内でミレイの瞳がまた青以外の色に変わる。今度は彼女の両目が、白に輝き出した。
「えねるぎーちゃーじ……30……60……90……」
ミレイはむしろ獣が自分の頭を吐き出さないように両手で首を押さえながら、謎のカウントを始める。そしてカウントが進むごとに彼女の瞳に宿る光が強さを増し、そこに周囲のマナを吸収し変換した高エネルギーが高速で充填されていく。
少女は人では無かった。しかし限りなく人に近い存在だ。
人と同じように考え、語り、聞き、感情を表現する。自分の意思があり、今この時も自分が守りたい存在を守る為に彼女は行動していた。
この体は人と違う無機質な機械で、人に限りなく似せてあるが温もりは無い。しかしその内に宿す自分の魂とも言える”核”は、熱の無い無機質な体の代わりに感情に熱く燃えていた。
イェソド・コアと繋がった内部のマナ変換機関が、大気に漂うマナを糧に敵となる存在を消す為の力を高速で紡ぎ出す。
「100、ちゃーじかんりょう! しゅーとっ!」
掛け声と共に、ミレイの瞳から光線が発射される。常識外れたその攻撃は、しかし圧倒的だった。
ゼロ距離から発射された二本の光線は、魔獣の口内から脳天を貫くどころか、一瞬にして魔獣を蒸発させて消滅させる。回避も防御も許さない、それは絶対的な攻撃だった。
「む~……かみのけぐちゃぐちゃ……むかつくっ!」
とりあえず自分に向かってきた魔獣を始末し終えたミレイは、ぐちゃぐちゃになった自分の髪の毛に対して怒った様子でそう文句を言う。しかしレイチェルが「ミレイ、大丈夫?」と声をかけると、ミレイは通常通りの青い瞳を彼に向けて、ころっと表情を変えて「だいじょーぶ!」と笑顔で答えた。
「おにいちゃんこそだいじょーぶ?」
「うん、僕は平気。……こんなことなら僕も武器、何か持ってくればよかったな」
「いいのいいの、おにいちゃんはみれいがまもるから!」
申し訳無さそうに呟くレイチェルに、ミレイはそう告げる。
”アンゲリクス”と、そう名付けられて二度目の生を生きる機械の天使は、「ありがとう、ミレイ」と返す大切な人にもう一度嬉しそうな笑顔を返した。




