君を助けたいから 35
「炎に関しては私が術で、皆さんの火の属性に対しての耐性を上げておきましょう。幻術に関しては、そうですね……私やあなたはおそらくそこまで恐れることもないでしょうが、エルミラは引っかかる恐れがあるので彼は何らかの対策が必要でしょうね」
ラプラのその言葉を聞き、イリスは気になった疑問をまた彼に問うた。
「? どうして私やあなたは大丈夫なの?」
「それはですね、私たち呪術師というのは元々呪術そのものに対して耐性を持っているのです。そして高位の術を操れるようになるほど、自分より格下の相手の術にどうこうされることは少なくなります。たとえば攻撃の術でしたら、ダメージは大きく減らせるということです」
そこまで説明して、ラプラは苦い顔をする。
「えぇと……あなたが魔物化した時は私はあなたの術にかかってしまいましたが、本来はそういうことは無いはずなので……」
「なんで私のときはそうなったの?」
「それは勿論、私があなたを愛しているからです。その心の隙をあなたは的確に突き、私を支配したのですよ。全くあなたと言う人は……ふふっ、いつでも私の心を惑わせる困った人だ」
「……イグニス・ファトゥスには恋しないようにね」
一応そう突っ込んでおいて、イリスは「じゃあ私はどうして大丈夫だって言えるの?」と聞く。するとラプラはその理由をこう説明した。
「あなたの方がおそらくは、その能力が上であると思うからです。同能力ならば一般的に力の強いものに弱いものの能力が効く事はありません」
「ふぅん……そういうものなんだ」
ラプラの説明に理解を示し、しかしイリスは「でも私、能力上かなぁ……?」と首を傾げた。
「おや、心配ですか?」
「だって私って魔物だっていってもなったばっかりだし……そういう能力に関してはなんでか知らないけど、不思議と魔物になった時から使い方はわかるようになったけどさぁ……それでもアレでしょ? 初心者じゃん」
「ふふ……自信がありませんのでしたら、私と夢魔としての能力を高める訓練を致しましょうか?」
「え、そんなこと出来るの?!」
思わぬラプラの言葉に、イリスが驚いたように声を上げる。そんな訓練が出来るのならやって、自分を少しでも強めたいと思ったイリスは、彼に「出来るならしたい」と素直に返事をした。そして直ぐにその向上心はきれいさっぱり無くなる。
「えぇ、出来ますよ。イリスがそこまでしたいというのなら仕方ありません、早速今夜にでも私の部屋で朝まであんなことこんなことを……ハァハァ……イリスってば積極的ですねふふふっ。あれこれしたいことを全部試したいですけど、そうしたら私の体がもつか心配ですねっ」
「……ちょっと待って、訓練って何?」
「勿論夢魔としての能力を高めるためのれっきとした訓練ですよ。夢魔は対象の精気を吸い取って自分の糧とし成長する魔物ですから、私が体を張ってあなたの糧になろうとハァハァ……」
『それで吸うのは精気じゃなくて精液じゃね?』と下品な突っ込みをしそうになりつつ、イリスは「やっぱり訓練は結構です」とお断りする。
「そんな……遠慮はいりませんよ? 私はあなたに根こそぎ精気を奪われて死んでも本望です!」
「いや、力強く怖いこと言わないで。それともっと自分の体を大切にした方がいいよ、本当に」
呆れ顔でそう言いながら、イリスは視線を電子画面に移す。すると唐突に背後からラプラの腕が伸ばされ、椅子に座るイリスをその腕が抱きすくめた。
「ちょ……なんの冗談?」
端末室には自分たち以外いないとはいえ、こんなところで襲われてたまるかと、イリスは不機嫌にもう一度背後を振り返る。だが振り返った先に見たのは、ひどく真剣な眼差しで自分の耳元に唇を寄せるラプラの姿だった。
「ラプラ?」
「……冗談ではありませんよ?」
耳元でそう囁かれた言葉に、イリスの体が強張る。確かに冗談では無さそうな雰囲気を彼から感じ、イリスは目を細めた。
「なら尚更……こういうふうには近づかないでほしいんだけど」
イリスの言葉にラプラは小さく笑い、彼はイリスをその腕に捕らえたままこう口を開いた。
「イリスは知っていますか? 夢魔の本能が何なのかを」
「え?」
「淫らな誘惑で相手を篭絡し、甘美な夢の代償にその精気を吸い取り成長する……それが夢魔ですよ」
ひどく妖しい声音でそう囁かれたラプラの言葉に、イリスは僅かに目を見開く。
「……何が言いたいの?」
「そろそろ……お辛いのではないかと思いまして」
囁く声音が誘いの言葉のように、イリスの頭の中に響く。それだけで……彼の言うとおり、ずっと意識して抑えてきた恐ろしい夢魔の本能が溢れ出てしまいそうだった。
時々脳裏を過ぎる、醜い自分の欲求。愛しい人をめちゃくちゃに犯し、自分の欲望で汚したいと思う劣情。そして感じることが出来る甘美な快楽と支配欲。
彼女の傍を離れてやがて気づいたこの最低な自分に、だけどイリスは気づかないふりをして自分を誤魔化してきた。でも、誤魔化していただけだ。
誤魔化して、それに気づかないふりをして、だからそれに気づいている矛盾。
彼女の傍を離れている現状に、日が経つにつれて寂しい感情よりも安堵の気持ちが勝る意味を知り、自分の下劣さに嫌悪感を覚えたのは一度や二度ではなかった。
「自我を取り戻して自制が効くようになったと言っても、それは本能なのですから押さえ続けることは難しいんじゃありませんか? 我々魔族が本質に闘争本能を有している為に、時に戦いへの欲求を抑えることが出来なくなるように……」
「やめ、て……くれないかな……」
拒否する声が微かに震える。
自制してきた欲情する感情は、それが今の自分の本能なのかと……それに気づき、イリスは――
「イリス、あなたはユエさんを愛しているのでしょう。愛しているからこそ彼女を汚したくなくてその本能を抑えてる……」
「っ……」
「ねぇイリス……私を使ってくださってかまわないのですよ? 私はあなたを愛している……たとえあなたに想われなくとも、私はあなたのお役に立てれば幸せなのですから」
まるで呪いか暗示のような、恐ろしい誘惑の言葉だった。
ずっと誰にも気づかれぬよう自分を慰め抑えてきた淫らな欲望が、本能のままに暴走しようとしている。
いや、もうすでに暴走を始めていたのだ。突然に抗うのが難しい誘惑の言葉を告げてきたラプラを、自分の潜在意識が操っていることに、イリス自身は気づいてはいなかった。
「我々の中に宿る魔の血の本能は恐ろしく凶暴なんですよ。私もウネも、時々苦しめられますからね。ずっと抑えきることは難しい……いえ、抑えれば抑え続けるほどに欲求は深まる。……イリス、暴走して彼女を汚して傷つけるくらいなら……その方が、ずっと誰も傷つきませんよ?」




