君を助けたいから 10
なんでもないといったふうにそう話すエルミラだが、しかし実際はそう楽観視出来るような事態ではないことは誰の目にも明らかだ。
彼自身が色々なところから色々な事情で、時には乱暴な方法でもって誘いを受ける事態そのものも大問題だが、何より彼には守るべき人たちがいるのだ。そして内面が孤独だった彼を変えてくれた大切な存在それが、彼の弱点でもある。その弱点がだしに使われれば、それこそ『協力せざるを得ない状況』になるのだ。
「……とりあえずエルミラ、こいつどうする?」
痛みに呻く男を見下ろしながら、イリスがそうエルミラに問う。それはこのまま男を解放すれば、エルミラにとって面倒なことになることは確実だと、誰もがそれを理解している中の問いだった。
「っ……クソ……」
荒く息を吐きながら自分を見上げるように睨み付ける男を見つめ、エルミラは静かな声で「どうしようか」と呟いた。
「わかってると思うけど……あんたが本当に大切な人たちを守りたいって思ってるなら、甘い判断は後悔の元だよ?」
「……うん、わかってるよ」
イリスの重い現実の言葉に、エルミラはそう静かな声で返事をする。そして彼は男の所持していた銃の銃口を男へ向けた。
「エルミラ……」
男を始末する為に銃口を男に向けたエルミラの行動を見て、彼がそういう行動に出たことに驚くようにイリスが目を見開く。そしてそれはラプラも同じだったようで、彼は顔を隠した頭巾の下で意外そうな表情をしてエルミラを見ていた。
そんな彼らの視線の中で、エルミラはどこか自嘲気味に笑いながら口を開く。
「オレの問題だからね。ちゃんとオレ自身がケジメつけるよ」
大切な人を守る為なら手を汚す事も構わない。そうしなきゃ守れないものもあるのだから。
だからそうやって、自分の中の正義と罪を天秤にかけて生きてく覚悟をした。
「だから」
引き金にかける指に力を入れる。すると直後に「待ってください」と言うラプラの制止の声が、エルミラの指をギリギリのタイミングで止めた。
「な、なに? 驚いたー」
目を丸くしてラプラを見るエルミラに、ラプラは表情見えないままにこう告げる。
「ここでこの男を殺したら、多少なりとも厄介なことになるのではないでしょうか? 直ぐ傍が駅ですし、ここで死体が見つかると面倒かと」
そんな冷静な意見を告げるラプラに、エルミラは「あぁ、まぁそれは……」と困った様子で頷く。
「でも、だからって見逃すことは出来ないし……」
確かに今エルミラたちがいるこの国は法治国家で、不審な死体が見つかれば直ちに警察による調査が行われる。
エルミラたちはこの国には一時的な滞在をしているにすぎないし、男もこんなことを仕事にしている以上身分の証明が容易に出来る身元というわけではないだろうから、このまま目撃者さえなければエルミラたちが捕まる可能性は無いに等しいだろう。
しかしそれでもラプラの言うとおり、厄介なことになることにかわりはない。
「仕方ないよラプラ、このまま見逃す方が彼にとっては危険なんだし」
イリスがそうラプラに言うと、ラプラは彼に薄く微笑みを向けながらこう言葉を返した。
「いえ、何もこのまま見逃せと言っているわけではありません。エルミラの情報がこの男の口から漏れる事態が危険なのだとすれば、この男には口止めをして解放すればいいんではないでしょうか?」
「口止め?」
ラプラの提案に、イリスが怪訝な表情を返す、エルミラも疑問の眼差しでラプラを見やり、「どゆこと?」と言った。
「口止めなんて出来るのー?」
「出来ますよ。私ならばね」
そう言ってラプラは不敵な笑みを湛えたまま、そっと頭巾を下ろして容姿を男にも晒す。長く尖った耳に派手な頭髪、そして瞳孔の細い瞳という一目で『異種族』とわかる容姿を晒したラプラに、男はここで初めて恐怖の感情を明確に示した。
「ひっ……ま、魔族……っ」
「おや、魔族は初めてお目にかかりますか?」
男の怯えた反応に、ラプラは底冷えする眼差しを向けて微笑む。
「やはりこちらでは物珍しい存在ですかねぇ」
ラプラはそんなことを言いながら、先端の水晶に布を撒きつけて持っていたロッドの、その布を取り始める。彼が一体何をする気なのかはっきりとはわからないが、しかし何となくはわかってしまったイリスは、若干不安げな表情を彼に向けて聞いた。
「ねぇラプラ……何する気? まさか何か術使うつもり……だよね?」
「えぇ。大丈夫ですよ、派手なことは致しませんからね」
イリスの問いに対して、そうラプラはにっこり微笑んで返事を返す。
何かラプラが『大丈夫』と言うと逆にすごい不安になるイリスは、やはり心配そうな表情でラプラを見つめる。しかしとくにそれ以上彼を止めるような素振りは見せなかった。
「な、何するつもりだ……っ」
今度は男が怯えた表情のまま、先ほどのイリスと同じ意味の言葉を繰り返す。
するとラプラはやはり微笑んで、男の問いに答えた。ただし今度の笑みは、優しいそれではない。
「ちょっとした呪いをね……あなたにかけようかと思いまして」
「の、呪いだと……?」
不安と恐怖に目を見開く男に、ラプラは冷たい笑みのまま「えぇ」と頷く。そして彼はロッドの先端を男に向けて、唇を開き”呪い”を呟いた。
『СCERЯSЭKIЫGOUNOТRИOЯI』
ラプラがレイスタングを唱えた直後、男が倒れる地面の上に闇色の複雑に線の絡み合った呪術の陣が浮かび上がる。その陣が発する暗く赤黒い光に全身を照らされながら、男は怯えたように「ヒッ」と短く声を発した。
『OЯMAEЫKAИNIИWOСHAЭI』
男を踏みつけて逃げられないようにしているイリスは、男と共に陣の中にいる状態となってしまった為に、ひどく困惑した様子でどうしようかとラプラに目で確認をする。するとラプラは詠唱を続けたまま、彼の視線に気づいて微笑を返した。おそらくは『大丈夫』と言う意味なのだろう。
やがて詠唱が終わり、狼狽しイリスの下で逃げようともがき始めた男の体に、発生した闇色の陣から生まれた同じ色の光が絡みつくように吸い込まれ始める。いや、吸い込まれると言うよりそれは、まるで絡みつく蛇のように何十、何百もの暗い光が線となって男の体の皮膚の上を這っているような光景だった。
「うわ、ああぁぁっ……!」
おそらくは精霊語だろうか。
男に吸い込まれる闇色の光は、男の体の表面に文字や図形となって刻まれ浮かび上がる。たしかに”呪い”だと、不気味な闇を纏った今の男の姿を見たエルミラやイリスはそう思った。
そして男が自分の異様な姿に怯えている中で、ラプラは何故か突然にエルミラを呼んだ。
「さて……ではちょっとエルミラ、こっちに来てください」
「え! 何で!?」
ラプラの突然の指名にエルミラがあからさまに男に近づきたくなさそうな感じで嫌そうな顔をすると、ラプラは「いいから」と催促する。
仕方なくエルミラは彼らの元に近づいた。
「うえぇ~、何何なの? オレをどうしようって言うの~」