救済の方法 21
俯いていたアーリィがそう言って顔を上げると、彼女は何かに気づいたのか、視線をあるものに集中させる。それは今自分の髪を撫でるユーリの左手とは反対の、右手。
「……ユーリ、その……手……」
またひどく恥ずかしそうに声をか細く震わせるアーリィに、ユーリは「手?」と首を傾げて見せる。本当に気づいて無いのかアーリィには不明だが、ユーリがわかってない顔をするので、アーリィはか細い声のまま「ちゃんと洗うか、タオルで拭くとかしてね」と呟いた。
「え? あぁ、これ?」
「み、見せないでいいよっ」
「そう? ってか、なに? なんで突然そんなこと……」
「だってこの前舐めたじゃん! 信じられない!」
顔を真っ赤にさせてそう叫ぶアーリィに、ユーリは「そうだった?」とすっとぼけた笑顔で返事する。それに対して、アーリィは泣きそうな顔で「そうだよ!」と言った。
「えー? でもアーリィだって、さっきも俺の飲んで……」
「そそ、それはっ……ユーリがしろって言うからしてるの!」
「ほぉ……じゃあアーリィ」
「な、なに……?」
ユーリは自分の右手をアーリィの口の前に持って行き、嫌な予感を感じているアーリィに爽やかな笑顔でこう言い放つ。
「アーリィが嫌がるなら俺はしないから、代わりにアーリィが舐めてきれいにしてっ」
「……」
一瞬の沈黙。
アーリィはどう返事をすれば最善なのかをその一瞬で考えたが、結局は『そういう命令』という事で判断され処理される。勿論ユーリはそんなつもりで言ったわけではないだろうが、しかしコアが”命令”と判断すると、アーリィはそれをやらざるを得なくなる。
アーリィは恥ずかしそうに目を伏せ、自分の目の前に出されたユーリの指をおずおずと口に含んだ。
「……ふっ……ぅ……んんっ……」
丁寧に一本ずつに舌を這わせ、指と指の間も舌先でなぞりながら自分による汚れを舐め取る。嫌悪感は不思議と無い。それどころか……
(なんか……ドキドキする……)
ユーリが見守る中で、アーリィはこうしている自分が興奮を感じている事実にひどく戸惑いながら、言われたとおりに彼の指の汚れを綺麗に舐め取った。
「っ……はい」
「ん、サンキュー」
口に含んでいた指を離したアーリィに、ユーリは満足そうに笑みながらそう言葉を返す。ユーリが満足してくれた事は素直に嬉しいのか、アーリィも顔を上げて微笑んだ。
「さて……すっごく残念だけど、これ以上はマジで無理だな。この先は家帰ってからのお楽しみってことで……」
部屋の壁にかかっている時計で時間を確認したユーリは、そう言いながら乱れたアーリィの衣服を整え始める。
「そろそろマヤたち帰ってくるかもしんねーし。……これがあいつにバレたら俺はひき肉にされちまうからな」
「……これ、全然『途中まで』じゃない気がする」
下着を穿かせてもらいながらそうぽつりと呟くアーリィに、ユーリは「そうか?」と笑いながら返事した。
「いやいや、途中までだって。……窓は先に開けといたから換気は大丈夫として、あとは……あぁ、俺の着替えだな」
何かを疑いたくなるほどに手馴れた動作でサクサクと事後処理を進めるユーリの傍で、アーリィはベッドに腰掛けて疲れた様子で一休みする。しかし疲労した一方で、心はだいぶ落ち着いたと彼女は思った。
結局はイリスの言ってたとおりなのだろう。
自分は”愛”を選んでしまったのだ。やがて来る痛みを伴う”愛”を。だけど後悔はしないし、したくない。今更にこの気持ちを失いたくは無いのだから。
ならばやはり、愛する人といられる時間をめいっぱい使い、後悔無い程に愛し合うのが答えなのだろう。愛し合った分だけ別れは辛いだろうけど、後悔は少なくなるはずだから。
(家帰ったら……この、続き……)
それを想像し、アーリィは一人また顔を赤くさせる。そのまま体を反転させてベッドにうつ伏せに倒れ、無駄に足をばたばたと動かし暴れるアーリィに、ユーリは「何事?!」と驚く視線を向けた。
「うううぅああぁなんでもないっ!」
「いや、そんな奇声上げながら暴れて『なんでもない』ってのはおかしいと思うけど。あと暴れすぎてパンツ見えてるよ、アーリィちゃん。そんなミニスカ衣装で暴れないでー」
「この服選んだのはユーリだよっ! とにかくホントになんでもないからっ! ……あっ」
「ん?」
急に動きを止めたアーリィは、また体を起こしてユーリの方を見つめる。ユーリが「どうした?」と彼女に聞くと、アーリィは彼にこう言った。
「家で思い出したけど、そろそろ一旦お店に戻らないといけない気がする。レイチェルたち、大丈夫か心配だから」
アーリィのその言葉を聞き、着替え終えたユーリは「あ、そうだな」と頷く。
「レイチェルたちに任せっぱなしだもんな」
「うん……薬の材料探しに行く前に一回戻れないか、マヤたちに相談した方がいいと思う」
お店の事は周囲の人にもレイチェルたちのサポートを頼むと言ってあるが、そろそろ様子を見に戻らないと心配だ。それに魔法薬の在庫もなくなっていたら困る。
「あぁ。どうもまだ店には戻れそうもねぇしな……薬の材料、手に入れなきゃなんねーし」
乱れた髪の毛を手櫛で整えながらユーリがそうアーリィに返事をすると、玄関の開く音が聞えてくる。誰か帰って来たのだ。
ギリギリセーフだったな……とユーリが密かに冷や汗を掻くと、足音がこの部屋に近づいてきて、直ぐに部屋のドアがノックも無く開けられた。
「あ、なんだユーリ、いたんだ。っと、アーリィも」
ドアが開けられると同時に、部屋の中にいたユーリたちはそう声をかけられる。
帰って来たのは一人で街に繰り出していたイリスで、彼は両手に土産屋の紙袋をぶら下げて立っている。おそらくユエや孤児院の子どもたちへ、お土産を買いに行っていたのだろう。
「玄関に俺とアーリィの靴、あっただろ」
「そういやそうだね」
ユーリの言葉に頷きながら、イリスは部屋の中に一歩足を踏み入れる。そして彼は「ん?」と、何かに気づいたように怪訝な表情を見せた。
「……」
イリスは床に紙袋を置き、何か気になる様子で部屋の匂いを嗅ぐ。そのイリスの様子に、ユーリはひどく焦った表情となった。
「ちょ、なんだよイリスっ。やめろ、お前は犬かっ」
「……ユーリ、あんたさぁ……」
何かに気づいてしまったらしいイリスは、焦りまくるユーリに非難の眼差しを向ける。
ユーリがやたら手際よく事後処理をしたのと同様に、”こういうこと”に敏感なのはイリスも同じだ。むしろ経験上、彼のほうが鋭いかもしれない。
「フツー人ん家でやるかな……」
「な、なんのことだ! 俺は知らねぇぞ!」
「だって匂い消えてないし……」
「うそ、マジかよ!?」
うっかり白状してしまったユーリに、イリスは呆れた表情で溜息を吐く。そんな彼に、ユーリは慌てて「待て、最後まではやってないから誤解すんな!」と言い訳した。
「ほんと! それはマジだから!」
そう言い訳後、ユーリはかなり困った様子でイリスにこう相談する。
「でも匂い消えてないってマジか? ちょっといちゃっとしただけだし、窓開けといたから大丈夫だと思ったんだけど……」
「あんたは詰めが甘いんだって。…ったく、仕方ないなぁ」
呆れた様子のまま、イリスはおもむろに部屋に置いてあった自分の荷物の中を漁る。ユーリとアーリィが怪訝そうに見守る中、彼は中から何か瓶状のものを取り出した。
「なにそれ、香水?」
「惜しい。消臭液」
ユーリのさらに上をいく証拠隠しのプロは、そう言って小瓶をユーリに投げて渡す。イリスは「それ貸すから自分で何とかして」と彼に言った。
「おぉ、さすがプロは持ってるものが違うなっ!」
「プロとか言うな」
イリスから素晴らしいものを借りて安心するユーリは、しかしふと気になってこうイリスに問う。