旧時代の遺産 37
「そういうこと。古代呪語は人に理解しやすいように、ギリギリまで人寄りにして作った魔術用の言葉なのよ。だからマナはよっぽど上手に伝えてあげないと、術者が何を望んでいるか理解できなくて魔法が発動できないの」
「じゃあレイスタングはそういう心配は無いってことだよね」
「そう。マナに願いは伝わりやすいから、後は魔力を魔法の動力として使うことに集中出来れば簡単な魔法ならすぐ使えるようになるのよ」
答えたマヤは、「でも、だからってどっちの方が簡単に魔法が使えるかなんて一概に決めることは出来ないけどね」と言う。
「……そうだね。レイスタングは一度覚えれば簡単かもしれないけど、覚えるまではすっごい苦労したからね。発音もややこしいし……共通語に馴れてるととくにそれを感じるよ。頭切り替えないと口に出せないもの」
「でしょ? で、古代呪語は覚えるのはレイスタングよりは簡単だし、発音も人語に近いから口には出しやすいけど、それをマナに伝えられるように調整するのが難しいからねー」
マヤは再び本へと視線を向けながら、「あんたの場合は、その難しい過程を習得済みだったのが幸いだったようね」と言った。
「変身術だって古代呪語じゃなくて、レイスタングで使ってるんでしょ?」
「まぁ、そっちの方が自信あったからね。ハルファスも、そっちを知ってるならその方が教えやすいって言うから」
「お姉さまは魔人だから、魔術はレイスタング使うもんねー。アタシも一度そっち系統の言葉、お姉さまに教わってみようかなー」
「? 古代呪語で魔法使えてるんだし、わざわざ難しい方覚えなくてもいいんじゃないの?」
疑問を問うイリスに、マヤは「言ったでしょ、精度が違うって」と返した。
「同じ魔術用言語なら、レイスタングの方が優秀なのよ。レイスタングの方がマナに早く願いを伝えられるし、より正確な魔術発動も可能なんだから。身に付けるのが大変でも、それだけの価値があるものなのよ、レイスタングってのは」
マヤの話を聞いて、イリスは納得したように「そうなんだ」と頷く。マヤは「だからちょっとあんたが羨ましいわねー」と独り言のように呟いた。
「羨ましく思われても、私自身には魔力は無いからあまり意味は無いからな……魔道具があってもここに込めておける魔力量には限度があるから、変身以外の魔法を覚えても無駄遣いできないし」
「そういえばあの腕輪に魔力はまだ残ってるの?」
マヤに問われ、イリスは右手につけた腕輪に視線を向ける。腕輪に付いた黄色い宝珠は、弱く金色に輝いていた。その輝きを見て、マヤは考えるように呟く。
「んー……輝きが弱いわね。あまり量、残ってないかな?」
「一応、出発前にラプラに頼んで魔力の補充をしたんだけどね。毎日一回は変身分消費しちゃうから、減るのは仕方ないよね」
イリスはそう答え、「また誰かに頼んで、魔力補充しないとダメかな」と呟く。そして彼はどこか疲れたように、深い溜息を吐いた。
「私、これからずっとこうなんだよね……誰かに魔力分けてもらって、変身して……なんだかなー……」
魔物化してしまったことはもう受け入れたとイリス自身思っていたが、時々やりきれない思いがぶり返すことがある。
幸い今の自分の周りにはローズやラプラなど魔力保持者が多く居る。しかしこれから先そんな彼らに頼らないと、まともに生活できない現状となってしまったことは辛い。
軽い言葉で言えば『面倒』な自分の今に、イリスはまた気分が沈むのを感じた。
「……ごめんなさい」
「え?」
再度大きく溜息を吐くと、不意にマヤが謝罪を呟く。驚いたイリスがマヤへ視線を向けると、彼女は真剣な眼差しでイリスを見つめていた。
「あなたが魔物化したのはアタシのマナが原因よ。魔物化だけじゃなく、”禍憑き”として長く苦しんだのも……ううん、あなただけじゃない。リリンちゃんや、他の”禍憑き”の人も全て……」
普段は明るく元気に振舞っているマヤだが、やはり自分が各地で起きている異変の元凶であったということを気にしていたのだと、イリスは今のマヤの言葉と様子から知る。
当然だろう、誰だってこんな大きな異変の原因が自分だったとわかれば、平常ではいられない。通常の心を持っていれば、重い罪悪感に苛まれて苦しむだろう。今のマヤはただ罪悪感を隠して、普通に振舞っているだけなんだろう。
彼は辛そうに眼差しを伏せるマヤを見つめ、そして微笑んで首を横に振った。
「違う、私は誰かを責めたい訳じゃないよ。それにあなたが原因ではあるかもしれないけど、私はあなたのせいではないと思う。そして皆それはわかってるよ」
多分、罪悪感に苛まれる彼女にこういう言葉を伝えてあげるのに一番効果があるのは自分なんだろうなと、それを思いながらイリスはそうマヤに告げた。
そしてマヤもしばらくして再び顔を上げ、僅かに笑んだ表情をイリスへ返して「ありがと」と告げる。それに対してイリスは、「礼を言うのはこっちの方だよ」と返した。
「あなたたちには、命がけで助けてもらったからね。あのまま……魔物になって、心を失って……ユエや子どもたちを襲ってたらって思うと……凄く怖いよ……」
今度はイリスの表情から笑みが消える。彼は深刻な眼差しでマヤを見つめ、「だから、あなたたちには感謝してる」と告げた。
「正直私なんて、あなたたちに見捨てられても責められないことを今までしてきたんだから……あなたが自分の責任だと言う負い目があったからだとしても、それでも私を見捨てないで助けてくれた事には心から礼を言いたい。こうして魔物化した後も、そのフォローを色々としてくれることも含めてね」
イリスのその真剣な言葉を聞いた後、マヤは一瞬意外そうな表情を見せてから彼にこう言う。
「……う~ん、あなたって変わったの? それともアタシが誤解してただけ? なんか改めて思うけど、随分丸い性格になったよね~」
そのマヤの言葉に、イリスの表情が苦く変わる。
「だから……確かに昔は嫌な奴だったろうけどさ。あの頃はなんて言うか、そうでもしないとあの場所でやってけなかったってゆーか……あれが私の本質だって受け止めないでくれたら嬉しいんだけど……あれは私の黒歴史なんだってば」
「ふ~ん……まぁいいわ。それじゃ今回はお互いにこれで貸し借り無しってことで。さて、本の解読作業に戻りましょうか」
マヤはそう言って再び本へと意識を集中させる。イリスは「了解」と返事をして、彼もマヤに習って視線を開いたページへと移した。
そうしてしばらくまた医学書を解読していると、イリスが「あっ」と声を上げる。
「何々、何か見つけた?」
マヤがイリスの肩の上から身を乗り出して聞くと、イリスは「これじゃない?」と言って開いたページ のある一箇所を指差した。
「ほら、ここ。”LEMOVAISYNREDREOM”って書かれてるけど、この病気の名前の後に書かれている記述があなたの説明に合うよ。『ゲシュにのみ稀に起こるマナが原因の病、体内にマナを溜め込む体質の場合に起きやすく、ゲシュが体内に持つアトラメノク・ドゥエラの細胞がウルズのマナに拒絶反応を起こす為に様々な症状が起きる』って、そんな感じの意味のことが書かれてる。これがレーヴァ・ミラ症候群のことじゃない?」
イリスがそう言うと、マヤは「どうやらビンゴみたいね」と笑みを浮かべる。イリスはやっと目的とする病気の記述を見つけられたことに安堵の溜息を吐いた。
「よかった……本当にそういう病気があったんだ……」
「何よ、アタシを信じてなかったの? それにしてもあんた、なかなか役に立つわね。正直うちのパーティーって頭脳担当が不足気味だからあんたが居てくれて助かったわ」
「あー……そうだね。あなたも大変だね」
確かに彼らには頭脳担当が不足していると、イリスは思う。例えばジュラードは勉強があまり好きじゃなかった子だし、ローズはまとめ役としては頼れるが賢いわけではないようだし、ユーリは論外だし、アーリィは知識は多いだろうがあの自由で不思議な性格だし……。
そんな中できっと彼女は一人で頑張ってたんだろうなーと、それを考えてちょっと同情した。
「で、どう? 病気の治療法は書いてない?」
マヤに問われ、イリスは「ちょっと待ってね」と言って解読が困難なアトラメノク語の文章を読み進め始めた。
「えーっと……ここは症状だな……んー……えー……ちょっと待ってね、なんか専門用語っぽいのが多すぎて、私もよくわからない部分が……」
散々悩んだ後、イリスは「あ、ここだ」と言ってまたページの一箇所を指差した。
「んで、なんて書いてある? アタシより読むの早そうだから、あんたが訳してちょうだい」
「わかったよ……えっとね……あぁ、やっぱり薬を作ればいいみたいだよ。ここに薬の作り方も書いてある」
答えたイリスは、「これでリリンを助けられる」と嬉しそうな表情となる。しかしマヤはまだ手放しでは喜べないようで、笑顔は無い表情で「だといいんだけど」と呟いた。
【旧時代の遺産・了】




