もう一人の探求者 16
語り合う二人の足が、一つの部屋の前で止まる。廊下の突き当たりに位置する部屋の扉の前で立ち止まった二人は、そこで会話を打ち切った。
「リリン、入るよ」
そうユエが小さく扉に語りかけ、握ったドアノブを回す。部屋の中から返事は無く、ドアを開けると薄暗い部屋の奥のベッドで、少女が小さく寝息を立てて眠っているのが見えた。
「やっぱりまだ寝てるみたい」
「だな」
少女を起こさぬよう小声で囁きあいながら、二人は彼女へそっと近づく。ベッドでは小柄な少女が一人、顔色悪いながらも穏やかな表情で寝息を立てて眠っていた。
ユエは愛しいものを見る眼差しで彼女を見つめ、そっと手を伸ばす。青銀という珍しい色に輝く彼女の髪に優しく手を絡め、彼女は「リリン……」と眠る少女の名を呟いた。
しばらくそうしてユエが少女を見つめていると、少女が僅かに身じろぎし、そして小さく唇を動かす。
「……おに、ぃ、ちゃん」
「……」
少女は幸せな夢でも見ているのか、微かに微笑む。反対にユエの表情は、やり場の無い憤る感情を持て余し歪められた。
「本当に……こんな時にこの子を置いてどこ行ってんだ、あの馬鹿は……」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……あぁ、すっかり話し込んでしまったな。もう夕方じゃないか」
ローズが一息ついて、冷めた紅茶に口を付けながら窓の外の黄昏空を見つつそう呟く。ジュラードに自身の知る”パンドラ”の全てを語り終えた彼女は、体を動かした時とはまた別の疲労を感じながら、再び目の前のジュラードに視線を戻した。
「……以上が、私が三年前に体験したことの全てなんだ。だから残念だけど、パンドラはあなたが思うようなものではなく……いや、それを信じる大衆全てが思うような万能の奇跡では無いんだ」
「……」
ジュラードは何処か茫然自失とした表情で視線を落とし、テーブルを見つめるようにして沈黙する。
ローズがたった今彼に話したことは、パンドラの真実やこの世界にあった二度目の危機、そして彼女が持つ”魔法”という現代では失われた力のことなど信じられないようなことばかりで、それを一気に語られても全てを理解するには時間が必要だった。それ以上に、受け入れる事の方が時間が必要かもしれない。
「パンドラなんて奇跡は、無い……」
ジュラードは何処か虚ろな眼差しのまま、そう力ない声で呟く。ローズが今語った事の全てをそのまま信じる程諦めの早い彼ではなかったが、それでも彼女の話は彼の希望に縋る心に大きなダメージを与えた。
病に苦しむ妹を助けたいと希望に縋って一人飛び出して来たというのに、それなのにその希望は奇跡なんかではなかったと思わぬ形で知らされてジュラードはどうしたらいいのかわからなくなる。どうするか考えても何も案は出ず、ただただ胸には不安ばかりが増す。そうして虚ろに戸惑う彼を、ローズはただ気遣う眼差しで見る ことしか出来なかった。
すると気落ちするジュラードに、マヤが声をかける。
「何そんな腑抜けた顔してんのよ。何よ、そんながっくりしちゃってさぁ。元々パンドラなんてあるかもわかんない眉唾モンのお宝話なんだから、それを真に受けるのが悪いんじゃないのー?」
「ま、マヤ! それは言い過ぎだ!」
「なによぉ、ローズってばまたこいつの味方しちゃってぇ。確かに妹さんのことは気の毒だけど、でも本当に妹さんのこと助けたいんならこれくらいのことでへこたれてる場合じゃないでしょう?」
マヤはマヤなりに気落ちしたジュラードを励まそうとしているのか、「辛気臭い顔してる暇あったら、何か次の手考えなさいよ」と彼に言う。
「……そんなこと言われても、医者も原因不明だって言う病気だぞ。奇跡に頼る以外、他にどうすれば……」
ジュラードが顔を上げて、不安げな眼差しでそうマヤに言葉を返す。マヤは苛々した様子で「なっさけない男ねぇ」と吐き捨てた。
「ったく、こういう情けない男は大っ嫌いで付き合う義理も無いけど、仕方ないからアタシも何かいい案考えてやるわよ」
「何だかんだでやっぱりマヤも困ってる人はほっとけないんだな」
マヤの態度に、ローズがちょっと笑う。マヤはちょっと恥ずかしそうに顔を背けた。
そうしてローズも「そうだなぁ~」と言いながら、ジュラードの妹の奇病を治す為に何をするべきかを考える。
「高名な医者に診てもらうとかどうだ?」
「……どこの医者も、今のところ原因不明でお手上げだそうだ」
「それじゃあ呪いの方向で解決法を考えよう! お払いしてくれる人を探すとか!」
「正直俺は呪いなんてものじゃないと思ってる……呪いだったら、なぜ俺の妹がそんなことにならなきゃいけないかわからない」
「う、う~ん……じゃあ……」
腕を組み、ローズは真剣な表情で考え続ける。するとしばらくしてマヤがポツリと、こんなことを呟いた。
「案外本当に呪いなんじゃない?」
「え?」
何か考えがある様子のマヤの呟きに、ローズは「どういうことだ?」と聞く。ジュラードも疑問の眼差しを小さい彼女に向けた。
「ん~……正確には、何か魔法的要素が関係しているとか? ほら、封印術とかああいう魔法よ。あれ系統の魔法の一部を”呪い”と呼ぶ場合があるから」
「まほう……」
たった今ローズたちに説明してもらったので、ジュラードも魔法という力がどういうものなのかはわかっていた。その力でローズは出合った時に自分の命を助けてくれたらしい。だから魔法がどれほど凄いものかは、想像できる程度にそれについて今のジュラードにも知識がある。
「……その魔法自体、俺には奇跡のもののように思える」
死に掛けていた自分の怪我を綺麗さっぱり癒す力なんて、たった今その力に触れた彼にはまさにパンドラに等しい奇跡に思える。そしてふと彼は思った。
「そうだ、ローズ、お前その魔法で妹の病気は治せないのか?!」
「え?」




