もう一人の探求者 15
「じゃあ先生も危ないもん投げるなよ」
「うん、あの、もうしないからユエには内緒にしておいてくれると嬉しいんだけど……なんかさ、今度は私がユエに怒られる気がしてきた」
段々自分が不安になってきたらしく、青年は小声で少年たちに呟く。それを聞いて彼らが笑うと、年上の少女が「あ、ユエ先生たち帰ってきた」と声を上げた。
少女の言葉に、皆が一斉に彼女の視線と同じ方向へ眼差しを向ける。彼らの目に、大変に大柄な女性と青年になりかけた体格の少年の姿が映った。
「ユエ先生とトウマ兄ちゃんだ!」
「おかえりー!」
子どもたちが口々に彼らの帰還を喜び、帰ってきた二人も笑顔でこちらへと手を振る。
「ただいま、皆」
燃えるような真紅の長髪と灰色の瞳がどこか勇ましい雰囲気を示す大柄な女性が、そう声をかけながら子どもたちに近づく。皆に『ユエ先生』と呼ばれた彼女は、ここで数少ない大人の一人だった。そして巨人族という古代種族の血を引く為に身長が二メートを優に越す、若干筋肉質な体格の逞しい彼女こそが、この古い教会を改造して造った孤児院の院長でもある。見た目どおり性格と行動も豪快な彼女は、たった一人でこの場所を孤児院にした女性でもあった。
「おかえりなさい、ユエ」
「おぉ、イリスただいま」
青年が女性に声をかけると、女性は「皆は喧嘩しないで、ちゃんといい子でいたか?」と彼に聞く。イリスと呼ばれた彼は、「うん、まぁ大丈夫」と笑顔で答えた。
「ね、みんな」
「……うん、喧嘩してない。全然してない」
イリスが子どもたちに問うと、先ほど短剣の取り合いをしていた一人であるギースがイリスの考えを察してか、若干引きつった笑顔で彼の問いに頷く。イリスは危険物を投げたことを、やはりユエには内緒にしておきたいらしい。他もわりと賢い子どもたちだったので、ギース同様にイリスの笑顔の訴えを察して真実は語らず黙っていた。
「そうか? 珍しいな、ギースとフォルトが喧嘩してないなんて」
「そういう日もあるよ、ユエ。それよりユエもトウマもお疲れ様。すぐ夕食用意するからね。お腹すいたでしょ?」
イリスがそう言うと、ユエと共に帰ってきたトウマという名の少年が、期待した表情で「今日のご飯なんですか?」と彼に聞く。イリスはにっこり微笑んで、「昨日お芋いっぱいもらったから、芋のシチュー作る予定」と答えた。
「本当ですか、俺シチュー大好きです!」
「うん、だから作ろうと思って。お仕事ご苦労様の意味でね。いっぱい食べてね」
イリスはそう答えた後、「じゃあ私は夕食作りに戻るね」と言って踵を返す。ユエは彼のその後姿を見送った後、年上の少女に声をかけた。
「エリ、リリンの様子はどうだ?」
エリはユエのその問いに、「大丈夫」と答える。
「二時間くらい前にお姉ちゃんが薬飲ませて、で、さっき寝たから。今は熱も無いって」
「そうか……」
エリの報告に、一先ず今はユエも安堵の息を吐く。しかし直ぐに彼女の表情は、不安に歪んだ。
「早く、何とかしないと……」
イリスの作った夕食を食べ終え、ユエは彼と共に孤児院内の廊下を歩く。
「はぁー、いやぁ美味しかった。イリスの作る料理はホント何でも美味いな!」
空腹が満たされたお腹を摩りながら、ユエは満足そうな笑顔でそう言う。彼女のその言葉に、隣でイリスは嬉しそうに微笑んだ。
「そうかな? そう言ってもらえると作りがいあるよ」
「本当にイリスがウチに来てくれてよかったよ。あたしの作ったメシじゃ、あの子達『まずい』とか『これ食べ物じゃない』とか文句ばっかり言うんだもん」
ユエが「失礼な奴らだよ」とぼやくと、イリスは可笑しそうに笑う。そんなイリスを横目で眺めながら、ユエも小さく笑んだ。
「私こそ、ここに居させてもらって幸せだよ。大変なことも多いけど、でも充実してる。料理するのも掃除するのも、それがこんなに楽しいなんて以前は気づかなかったよ」
「そうかい? しっかし羨ましいよ。あたしの苦手な料理も洗濯も掃除も、パパッとあんたはこなしちまう。同じ人なのに、どうしてこうも違うんだろうねぇ」
「同じ人、か……人それぞれ得意なこと、不得意なことはあるよ。私はユエほど力持ちじゃないから、力仕事は苦手だもの。私はユエの逞しさ、憧れるなぁ」
「羨ましく思ってくれるのはいいけど、仮にも乙女に『逞しい』って、あんたねぇ……」
ユエが苦い顔でイリスを睨むと、イリスはハッとした様子で「ご、ごめんね」と謝る。そうしてイリスに上目遣いに申し訳ない表情で見つめられ、ユエはちょっと照れた様子となった。
「や、やめてくれよ、どうしてあんたはそう可愛いの。そんな目で見つめられたら……ど、ドキドキしちゃうだろうが!」
「……ユエこそ、男に可愛いって……なんかちょっと複雑。子どもたちも『お姉ちゃん』って言うの止めないし……私、そんなに男らしさが無いかなぁ……ちょっとへこむな」
今度はイリスがユエに向かって不満げな表情を返す。彼のその言葉にユエは苦笑し、今度は彼女が「ごめん」と謝った。
「でもま、あんたの言うとおりだな。人それぞれ、得手不得手があるってことだ。あたしももう少し女らしい特技を身に付けたいとも思うけど、これが個性だよな」
「うん。だから私は喧嘩とか力仕事とかそういうの苦手だけど、その分料理とかでユエや子どもたちの為に頑張るよ」
「あたしが苦手なことの全部をあんたはやってくれるからね。感謝してる、イリス。あんたがいて支えてくれるから、あたしはますますあの子達の為に頑張れるよ」
ユエの言葉に、イリスは彼女から表情を逸らして「うん」と小さく頷く。そうして少しだけ泣きそうになった眼差しを隠した。
「それでイリス、リリンのことなんだが」
「あ、えっと……うん、彼女ね。ここ最近はひどい発作も無いから安定してる」
真剣な声音が降りてきて、イリスは慌てて顔を上げる。
「レイヴン先生に昼前に診てもらったけど、先生も落ち着いてるって言ってた。あと解熱剤が無くなりそうだったからもらっておいたよ」
「そうか……しかし、根本的な解決の薬が無いのが厄介だね」
イリスの話を聞きながら、ユエは苦い顔で呟く。イリスも表情を落とし、「そうだね」と頷いた。
「今は熱や吐き気など、個々の症状をそれぞれの薬で抑えるしか無いからね……それでも不十分だし、症状は進行していってる……」
「あの病気が移るんじゃないかって心配も町のほうでは囁かれてるから、それも悩みの種だよ。一応先生たちが感染症では無いとは言っているけれども、それで完全に皆安心できるって訳じゃない。色々わかんない事が多い病気だからだろう、安心なんて出来ないんだよ。ここは国の補助もあるけど、街の人たちの善意の協力もあって成り立っている場所だからね……このまま不安が大きくなれば、協力してくれる人がいなくなってしまうかもしれない。そうなると、いよいよここも苦しくなるよ」
ユエは苦々しい感情を吐き出すように、「本当に厄介な病気だよ」と呟く。彼女のその言葉にイリスは、「病気かどうかもはっきりしていないからね」と疲れたように言葉を吐き出した。
「呪いかい? 馬鹿馬鹿しい。祈祷師の連中に頼る奴もいるって話だけど、呪いなんてねぇ……もし仮にそうだとしても、あの子が呪いなんてものを受ける謂れは無いだろう」
「そう、だよね……」
「大体名前がね……”禍憑き”なって馬鹿らしい名前、一体誰が付けたんだか」
「わざわい……原因がわからないから、そう名づけるしかなかったんだろうね」