もう一人の探求者 13
「じゃあアップルパイもう一個おごる!」
「話そう!」
今度はローズが嬉しそうに即答の返事を返す。アップルパイでほいほい釣られた彼女に、マヤが「コラー!」とお叱りを叫んだ。
「ローズぅ! どーしてあなたはそうなのぉー! アップルパイでころっと騙されちゃうんだから! もう、これだからアタシはあなたの貞操が常に心配なのよ!」
「て、貞操は関係ないだろ……それにアップルパイ奢ってくれるなんてすごくいい人じゃないか。いい人なんだから信用できるだろ」
「だめ、ぜんっぜんダメ。その考えが甘い、っつーか危険なの。ねぇ、あなたもそう思わない?」
急に話を振られて、ジュラードは思わず「お、思う」とか答えてしまう。マヤは「でしょう?」と言い、大きく溜息を吐いた。
「ローズってば常にこんな調子だから、アタシやお姉様は気が抜けないのよ。ちょっと優しくされればころっと信用して簡単に男んとこ付いて行って、それで何度ケダモノに襲われかけたか……もう、本当にしっかりしてほしいわよ」
「……そんなことあったか?」
マヤの溜息混じりの言葉に、ローズは本気で記憶にないといった様子で首を傾げる。するとマヤは「覚えてないわよ、あなたは」と言った。
「そういう時は緊急事態って判断でお姉様があなたの体完全に乗っ取って、ケダモノ共を徹底的に蹴散らして再起不能に追いやってるんだから。記憶に残るわけないでしょう」
「は、ハルファスが……?」
そういえば時々記憶は無いけど、気づいたら血まみれで街中に立っていたなんてことが何度かあったかもしれないとローズは思い出す。その度にマヤが『寝ぼけて野犬に殴りかかってたわよ』と説明するので、自分は深刻な夢遊病なんだと悩んでいたローズだったが、今やっと彼女は真実を知る事が出来て安堵した。
「よ、よかった……あれは夢遊病で、罪無い犬を苛めていたわけじゃないんだな! 最近犬を見るたびに心が痛んでいたから、本当によかった!」
「……あの適当な言い訳をマジに信じちゃうところも不安の種なのよね。全く、やっぱりローズって根本は彼女とそっくりなんだから……」
呟き、マヤはもう一度深く溜息を吐く。そうして彼女は改めてジュラードにこう言った。
「とーにかく、アタシは物でも金でも釣られないわよ。アタシが欲しいのは信頼するに値するあなたの情報。パンドラについて確かに知っているけども、これはそこらの人にホイホイ話せるような情報では無いの。わかるでしょう?」
マヤの真剣な眼差しに気づいて、ジュラードも誤魔化しは通用しないと悟る。彼は小さく溜息を吐くと、観念したように口を開いた。
「……妹を助けたいんだ」
「妹?」
繰り返すローズの言葉に、ジュラードは「あぁ」と頷く。
「そういえばさっき妹がいると話していたな。何か……病気とか、か?」
「わからない。……俺の妹は、原因不明の呪いとも病気とも言われてる”禍憑き”ってのにかかってる」
ジュラードの言葉に、ローズは「わざわいつき?」と困惑したように呟く。マヤも耳にした事が無い単語で、ジュラードは「最近、そういうふうに呼ばれる状態になる人がちょっとずつ増えてるようだ」と二人に説明をした。
「ある日突然体の何処かに不可解な模様みたいなものが浮かんで、高熱を出したり頭痛や嘔吐に苦しんだりして衰弱していくのがそれだ……体に妙な模様が出ることから呪いだって言われているし、病気だって言う人もいる。どっちにしろ、今その”禍憑き”になった人を治せる人はいないらしい……」
「それであなたはパンドラを探しているわけね……神の奇跡ならば、妹さんは助かるんじゃないかと思って」
マヤの呟きに、ジュラードは肯定する代わりに「そうするしか、今の自分に出来る事は無いんだ」と言う。
「奇跡だろうと何だろうと、妹が助かる可能性があるなら……妹を助ける為だったら、俺はなんでもする!」
ジュラードは青い眼差しを寂しげに伏せ、「このまま何もしなければ、妹は衰弱し果てて死んでしまう」と呟く。
「そんな……」
「……だから、俺はパンドラを探してるんだ。あるかわからない奇跡でも、頼らざるを得ない……妹を助けたいから……っ!」
テーブルの下で握り締めた拳を小さく震わせ、ジュラードは苦痛を吐き出すようにそうローズたちに訴える。彼の話を聞いたローズは、マヤと顔を見合わせた後、もう一度ジュラードと向き合った。
「……ジュラード、私の知っているパンドラのことを話すよ。でも……きっとこれを聞いても、あなたの望みは叶わないと思う……残念、だけども……」
ジュラードが真摯に願う、たった一人の肉親を助けたいという強い想いはローズたちにも痛いくらいに伝わった。しかし、だからこそローズはひどく申し訳無さそうな眼差しとなってジュラードに自分の知る”パンドラ”の正体を語る。
「確かに私は……過去にパンドラを手にした。……そう思う」
「……お前は、パンドラを……」
衝撃に大きく目を見開くジュラードに、ローズは険しい表情で「でもそれは、万能の奇跡なんかではなかった」と強い口調で告げる。
「どういうことだ……じゃあ一体……一体パンドラって何なんだ?!」
声を荒げるジュラードに、店の周囲の客が何事かと注目する。しかしジュラードは気にせず、ローズからの答えを待った。
ローズは険しい面持ちに少しの痛みを滲ませて、小さく疲れたような声音で真実を彼に告げる。
「パンドラは神の奇跡でもなく……神、そのものだったんだ」
「な、に……?」
ジュラードの理解の範疇を超える話がローズの口から語られる。それも当然だろう。”パンドラ”という宝の存在そのものが奇跡と形容されるほどに、常識を超えているものなのだから。
「神だと……?」
「……そうだ。パンドラは神に選ばれる事で、神の持つ力を手にすることが出来ると……そういうカラクリのお宝だったんだよ。でも、そうして手にした力で人は万能になることなんて出来ない。得られるのは、破壊の力だけだった」
かつてこの世界は、人の造りし神によって二度の審判を受けた。
一度目は滅びを。二度目は再生を。
「信じてもらえないかもしれないけど、それがパンドラの真実なんだ。そして私は、今はもうその力を持ってはいない。三年前にこの世界から、神は消えたんだ」
ローズ自身が言うとおり、彼女の話は信じられないような突飛な内容の話だ。しかしそれを不思議と無条件に信じてしまうのは、彼女が現に様々な不思議を所有しているからだろう。
真紅の瞳から連想する神秘性や自分を助けた謎の力、それに小さな”マヤ”という不可思議な存在……それら全てが、彼女がパンドラを見つけたという言葉に信用性を与える要因になる。
そしてそんな彼女の口から語られる”神”という存在も、今は何となくすんなりと受け入れられてしまう。
「……」
神が本当に存在するかどうかなんて、ジュラードにはどうでもいい話だった。いないならいない、いるならいるで、ただそれを事実と認識するくらいの興味しかなかった。しかしそれでもパンドラを信じたのは、謎の奇病に苦しむ妹を助けるには、奇跡に頼るしかないと思ったからだ。
それでも、神に祈るのもパンドラに頼るのもどちらも同じことかもしれないとジュラードはふと思う。結局自分はどうでもいいと思っていた存在の神を、根本では欲していたのだろうか。
「三年前……なぜ三年前なのだ? その時に一体何があったんだ? お前はどうしてパンドラを手にした? お前の、俺を助けたと言う力やそのマヤという存在はパンドラに関係するのか?」
一つ疑問を口にすれば、次々に聞きたいことが口から溢れる。ローズは小さく苦笑しながら、「一つずつ話していくよ」と彼に言った。
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