光の裏側 14
「……アタシは”禍憑き”が彼を魔物にしたというよりは、彼を”禍憑き”にしたものと同じ原因が彼を魔物に変えたと思うわ。……いえ、”禍憑き”もきっかけの一つになっているのかもしれないけど……」
「どういうこと?」
不可解なマヤの言葉に、ウネは疑問の様子を彼女へと返す。だがマヤは自分の考えにまだ何か確信が持てないようで、「そう思うだけ」と、説明ではない一言を返した。
「だけど、彼は魔族じゃないだろう?」
「ゲシュが魔物化した例は聞いたことが無いし、私も初めてそれに遭遇した……でも魔族の血を体に持っているのだから、可能性がゼロというわけではない」
ローズの疑問に、ウネは冷静にそう答えを返す。きっとこんな最悪の可能性が起きてしまったのは”禍憑き”のせいだろうと、ウネの答えを聞いた皆がそれを頭に考えた。
「とにかく彼は魔物になってしまったんだよな? 元に……元に戻す方法はあるのか?」
ローズがその方法を求めるようにウネに問うと、しかしウネは彼女に残酷な返事を返す。
「無い。少なくとも、私たち魔族はまだ魔物化した同胞を元に戻す方法を見つけてはいない。だから唯一、魔物化した存在を救う方法は……」
ウネが一瞬躊躇った『救う唯一の方法』を予想して、ユエは「そんなの、許さないよ」と震える声で呟く。蒼白な顔色の彼女は、普段の気丈で頼れる”母”の姿ではなくなっていた。
「イリスを……あいつを殺すつもりかい……?」
「……そうしないと、私たちが襲われる。彼だってあなたや子どもたちを傷つけたくは無いはずよ。でも一度魔物化してしまうと、自分の意識は魔物の凶暴な本能に飲まれて消えてしまう……そうなると目に映ったものは何でも”獲物”と認識し、自分の大切な人も無差別に襲ってしまうようになるのよ」
ウネは魔物化した存在に会ったのは初めてではないのだろう。強い口調の中にどこか悲痛な感情の宿る彼女の言葉は、強い説得力があった。だがそれでもユエは、そう簡単に諦める事は出来ない。
「彼はあたしらの家族なんだ! 殺させなんてしない……何か、何か方法があるはずだよ!」
「無理よ……正気を取り戻させれば、少なくとも人を襲わなくなる。それが魔物化した者を助ける可能性だった。だけど誰一人として正気を取り戻せた者はいなかった……愛する人、家族、友人、多くの者が呼びかけてみても、誰一人ね……」
悲痛な感情を内面に抑えこみ、ウネは非情だが今一番正しい判断をユエに迫った。
「だから殺すしかない。彼があなたを襲い、そしてあなたが傷つけば……それこそ彼は救われなくなる」
「でも……っ」
たとえそうだとしても、大切な”家族”を失いたくは無い……。
「……マヤ、本当にそれしか……イリスを助ける方法は無いのか……?」
言葉を無くして茫然と立ち尽くすユエを見つめながら、ローズは祈る気持ちでマヤにそう問う。しかしマヤは「今はまだわからないわ」と答えるだけだった。
「お、おいっ! 壁が壊れるぞ!」
ジュラードの焦りを滲ませた叫びが聞え、ローズたちの意識はそちらへ向かう。彼の視線の先では、アーリィがイリスを閉じ込めていた氷の壁が壊れかかっている様子が窺えた。
「ジュラード、お前も丸腰なら下がってろ。それかローズを守ってくれ。あの野郎は俺とアーリィで始末するから」
徐々に亀裂が入り、亀裂の隙間から青白い光が漏れ出す氷の壁を見つめながら、ジュラードたちの元に駆けつけていたユーリがそう彼に声をかける。
「始末って……あの人を殺す気なのか?!」
ジュラードの叫びに、ユーリは「そうするしかねぇだろ!」と返す。アーリィは彼の言葉に従うようで、無言で魔法発動の為の精神集中を始めた。
「だ、だけどあの人は……俺たちには、優しくて……すごくいい人だったんだ! 皆も慕ってて……」
「……あれはもう、まともな人じゃねぇだろ。諦めろ……あいつはもう、お前らの知る”イリス”じゃねぇよ」
ユーリはそう言うと、何かを思い出すような眼差しで崩れゆく氷の壁を見つめる。
「人じゃなくなったモンは、殺してやるしかねぇんだよ……そいつの為にもな」
まだ時々心を痛める過去の思い出をその言葉に込め、ユーリはジュラードに言った。
「下がってろ、ジュラード。……てめぇにあいつを殺せなんて残酷なことは言わねぇよ。それは俺たちがやるから……」
「ユーリ……」
険しいユーリの横顔に対して、ジュラードが何か言葉を向けようとした時、彼らの後ろでアーリィが「来る」と小さく呟く。ジュラードもその気配を感じ、ユーリは彼にもう一度「下がってろ!」と強く叫んだ。
「っ……!」
ジュラードは辛い表情で、ユーリの言葉に従う。確かに武器の無い今の自分は何も出来ないどころか足手まといだと、彼は理解したのだろう。彼は無力さに苛まれながら、ローズの元に向かった。
「アーリィ、やるぞ」
ジュラードが離れた事を確認し、ユーリは戦闘態勢で氷の壁の前に立ちながら、後ろに立つアーリィにそう声をかける。アーリィも覚悟した表情で、「うん」と頷いた。
そしてイリスを閉じ込めていた氷の壁がついに崩壊する。青白い光が闇を突きぬけて周囲を眩く照らし、魔物へと堕ちたイリスは再びその姿を現した。
「!? ……あれが、あの野郎、なのか……?」
一度氷の檻に閉じ込められていたイリスは、自力でそれを破壊して再び皆の前にその姿を現すと、姿をさらに人ならざる者へ変貌させていた。
腰まで伸びる涼やかな水色の髪が靡く頭部には黒色の角が二本生え、臀部にはドラゴンの尻尾のような同色の尻尾も出現していた。その変化は、イリスがヒトではないものに変化したことを決定付けているように見える。
さらに多くはまだかろうじて人の原型を留めているように思える体は、手先が異質な赤黒い鋭利な爪を備えた獣の手のように変化し、足の先もまた同じような獣の足に変わる。魔物の中には人の形に比較的近い種類が存在するが、彼はおそらくそれなのだろう。
そして何よりユーリを驚かせたのは、妖艶に微笑みながらこちらを見つめるイリスが、華奢だが肉感的で淫靡な雰囲気を纏った女性の姿に変わっていたことだった。
イリスは妖しい笑みを口元に湛えながら、豊満な胸を揺らし一歩前へと出る。
「お、おん、な……?」
「え?」
ユーリの呟きに、アーリィが不思議そうな反応を返した。
「あれは……おそらく、夢魔」
「夢魔?」
いつの間にか武器を構えてユーリたちの傍に立っていたウネが、イリスの姿から変化した魔物を予測する。
「彼は厄介な魔物に姿を変えたわ。心を惑わして操るのがあの魔物の特技、私は目が見えないから幻覚になど惑わされないけども、あなたは気をつけたほうがいい」




