もう一人の探求者 10
「レイチェルとミレイちゃんは、私が責任持ってユーリさんたちの元にお届け致します!」
「アゲハは頼もしいなー。あの二人のとこならしばらくは安全だろうし……よしよし、これで一先ずレイチェルたちは大丈夫だな」
一人納得したように頷くエルミラを見て、レイチェルは気になることを彼に問う。
「エル兄は一緒に行かないの?」
自分たちが一時避難をしている間エルミラは一体どうするのかと、レイチェルは当然の疑問を口にする。するとエルミラはレイチェルにこう言葉を返した。
「オレはここの片付けとか色々しないといけないから、お前たちとは一緒に行かないよ。片付けた後もちょっと別のところ行く予定だしな。そういう訳だからしばらくまたお別れだけど、寂しいからって泣くんじゃないぞ」
「な、泣かないよ……」
昔から変わらないエルミラの子ども使いに、ちょっとだけ安心してしまう自分がいることにレイチェルは戸惑う。そうすることで必要以上に心配させないと、エルミラも理解しているのだろう。しかし、やはり彼はエルミラのことが心配だった。
本当に大丈夫なのだろうかと、レイチェルは不安な心のままエルミラの提案を受け入れざるを得ない。今はエルミラを信じるしかないのだと、そう自分に言い聞かせてレイチェルは「わかった」と言った。
「しばらく僕らはユーリさんのお世話になればいいんだね。でも、しばらくってどれくらい?」
「んー、長くて一年くらい? 大丈夫、そのうち迎えに行くから。とにかく何も心配しないで、あの二人のお店手伝ってこいよ」
エルミラはレイチェルにそう言うと、ミレイにも視線を向けて「ミレイもわかったか?」と聞く。ミレイは物凄い挑戦的な目つきでエルミラを見返し、「わかった」と言った。
「赤毛はなにかわるいのにねらわれてるんだな。ふうんなやつめ。せいぜいよみちとはいごにきをつけてあるけよ、赤毛やろう」
「相変わらずミレイはオレに優しいのか厳しいのかわからん態度だね。まぁいいよ、ミレイの言うとおり夜道と背後に気をつけますよ」
苦笑したエルミラは、レイチェルに向き直る。そうして彼は「それじゃあほら、早速だけど荷造りを始めなよ」と言った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
心地よい日差しと風が眠気を誘う日の午後、彼は窓際の机で昨晩の徹夜の睡魔と闘いながら医学書に視線を落としていた。
医師として志したのは、救える命を救う事。ただそれだけだ。
しかし救える命には限りがある。それでも自分の努力で救えるのならばその努力を続けると、その決意を遥か昔に心に刻んだ彼は今、自分の前に立ちはだかる怪奇とも噂される奇病についてを調べていた。
「……さっぱりわからんな」
先日取り寄せたばかりの最新の医学書にも、最近発表されたいくつかの論文の中にも、今彼が調べている奇病についての手がかりとなるものは載っていない。あったとしても、そういう症状の患者が各地で僅かながら増え始めているという情報に留まっている。おそらく、本当に最近になって現れ始めた病気なのだろう。
まるで手がかりがないことに彼が小さく溜息を吐くと、彼の元に少女が飲み物を運んでやって来た。
「ヒス、顔が随分とお疲れですね。その歳で徹夜は辛いんじゃないですか?」
そう言って微笑みながら飲み物を運んできたのは、努力し過ぎてしまう彼が倒れてしまわないように今日までずっとサポートしてきたカナリティアだった。彼女はヒスに「コーヒー持って来ましたよ」と言って、濃い黒の液体が揺れるカップを彼の机に置いた。
「あぁ、ありがとう。……って、歳は余計だぞ」
「すみません、つい本音が」
クスクスと楽しそうに笑うカナリティアに苦い顔を向けるが、しかし飲み物はありがたいとヒスは早速カップを手に取る。そして口をつけて一口飲むと、彼は盛大に口に含んだものを吐き出した。
「なっ、なななっ、なんだこれ! コーヒーの味じゃないぞ!」
口に含んだ瞬間コーヒーとかけ離れた強烈なしょっぱさを感じ、ヒスはカナリティアに怯えた視線を向ける。一体彼女は自分に何を飲ませようとしたのかと、ヒスは視線でカナリティアに問うた。すると彼女は愛らしく微笑んだまま、彼にこう答える。
「えぇ、だってそれコーヒーじゃなくて醤油っていう東方の調味料ですから」
「おま、だって今コーヒー持ってきたって言ったじゃないか!」
「嘘ですよ」
さらりとそう答えるカナリティアに、ヒスは絶句する。カナリティアは愛らしい少女の笑顔のまま、ヒスにこう言葉を続けた。
「ヒスが眠そうだったので、目が覚めるかと思って気を利かせた悪戯をしてみたんですよ。というか、普通飲む前に匂いで気づくと思ったんですけどね……ヒス、相当疲れてるみたいですね」
確かにカナリティアの言うとおり相当疲れているし、頭を鈍器で殴られたような衝撃の悪戯で目も覚めたヒスは、物凄い複雑な表情と心境で「お気遣いどうも」と言った。
「ふふっ、怒らないでくださいよヒス。ちゃんと本物のコーヒーも用意してあるんですから」
カナリティアはそう言うと、一旦部屋を出て行ってから、またカップを持って部屋に戻ってくる。再び手渡された飲み物を、ヒスは今度はちゃんと匂いをかいでコーヒーと確認してから口を付けた。
「しかし醤油なんて一体どこで手に入れたんだよ。この辺じゃ手に入らないだろ、アレ」
美味しい普通のコーヒーを味わいながらヒスが聞くと、カナリティアは「この前いただいたんです」と答える。
「誰から?」
「それは……あの……カイナからです」
「あぁ、あのお前に夢中の……」
「ひ、ヒス!」
今度はカナリティアが慌てだし、ヒスがニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべて彼女を見る。




