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魔女の子たちと義理の子たち  作者: 佐藤裕樹
1/3

第一幕:「昔には帰れない」

【常式的ナヒト】:それなりに運動ができる。


 常式的ナヒトの目が大きく見開かれた。


 友人である森助船出が撃たれたからだ。


 森助船出は頭から血を流して動かなくなった。


 最初に「パンッ」と銃声が聞こえた。


 コンマ数秒遅れて「あっ」と小さな声が聞こえた。それは森助船出の口から漏れた音だった。直後に彼の身体は痙攣した。二、三回小さく跳ねた。そして動かなくなった。


 森助船出の目はうつろに、口は半開きになった。額には赤黒い孔が空いていた。ワイン樽からコルクの栓を抜いたかのように、トクトクと血が流れ始めた。


 常式的ナヒトは「船出?」とつぶやいた。


 声は裏返っていた。動悸が激しくなった。


 車内がざわつき、悲鳴があがった。


--------------------------------


 バスジャック犯がバスに乗り込んできたのは三〇秒ほど前のことだ。


 森助船出はバスの最後部座席の中央に座っていた。


 その両脇には、常式的ナヒトと幼馴染の段停府あんが座っていた。


 バスの中は静かだった。朝にしては人が少なかった。乗員全員が座って、さらに二、三席は余っていた。


「『間もなく、旧こなくり邸宅前。旧こなくり邸宅前でございます。お降りの方はお近くの降車ボタンを押して、お待ちください―――』」


 バスは静かに止まった。バスジャック犯はバス停から乗りこんできた。変わった様子はなかった。若い男だった。成人すらしていないのかもしれない。幼い顔立ちだった。黒いブルゾンを羽織り、ジーンズを履いていた。靴は白いスニーカーだった。髪はツーブロックの短髪で明るい茶色に染まっていた。


 その男のことを「不審者」であると考えた者は誰一人としていなかった。


 格好だけではどんな人物であるかなどわかるはずがない。その男はただの若者にしか見えなかった。


 のちに常式的ナヒトは警察で証言することになる。


「キツネみたいな顔だった」


 バスジャックの男はバスに乗り込むなり、迷いなく、スタスタと歩き、後部座席に向かい、森助船出の目の前に立った。


 森助船出は座ったまま、彼を見上げた。


「知ってる人?」


 そう聞こうとして常式的ナヒトは森助船出の方を向いた。そこで固まった。


 森助船出が銃を頭に突き付けられていたからだ。


 森助船出自身も、常式的ナヒトも、時間が止まったように感じた。

 

 森助船出は目の前のことが信じられないような面持ちでバスジャック犯を見上げていた。


「すべては魔女のために」


 バスジャック犯は誰にも聞こえない大きさでつぶやいた。


 間もなく、「パンッ」と、短い破裂音が鳴った。


【三人】:全員部活には入っていない。


「知らない人に急にほうじ茶を出されたらさ、飲む?」

 バスジャック犯がバスに乗り込んでくる少し前、段停府あんは、二人の友人に聞いた。意図があるものだった。


 それでも二人にとっては突拍子もない質問にしか思えなかった。首をひねった。


「ほうじ茶?」

「ほうじ茶?」


 常式的ナヒトと森助船出は、ほぼ同時にオウム返しをした。一体何の話だ、と思った。


 森助船出は「意味が分からない」と一蹴することはなかった。


 いつものことだった。とりあえずは受け止めた。間をおいて答えた。


「時と場合と。それから相手によるんじゃないか?」


 森助船出は段停府あんとの付き合いが長かった。


 彼らの家は同じ区域にあった。近所だった。小さな頃はよく遊んでいた。


 幼稚園・小学校・中学校も一緒だった。


 合縁奇縁か、腐れ縁ゆえか、小学一年生から現在に至るまで、常にクラスが同じだった。


 毎日、顔を突き合わせていた。

 

 高校生になっても偶然は続いた。


 二人は私立モハヤ巨大都市学園の普通科に入学した。普通科は一五クラスあった。一クラス四〇人。一学年だけで六〇〇人もいる。それでようやくバラけるかと思った。


 しかし、クラス分けの張り紙を見て二人はうなった。


「また同じクラスかよ」

「また同じクラスだね」


 それでも一〇年近くも偶然が続けば慣れてしまうもので、「これは奇跡だ」ではなく、「まあ。そうなるよな」という気持ちがあった。


 常式的ナヒトは森助船出と中学からの友人で、同高校に入学したが、クラスは別だった。


「時と場合って例えば?」段停府あんは聞いた。


「例えば、メシ屋でじいちゃん、ばあちゃんに出されたら飲もうと思えるけど、道端でお姉ちゃんに差し出されても飲まないだろ。美人だったとしても。怪しいし」


「その美人さんは、一〇中八、九、キャッチセールスだろうね」


 森助船出と段停府あんのやりとりを見て、常式的ナヒトは苦笑した。


 二人が真面目くさった顔で話しているのが、ひどくシュールなものに思えたからだ。


「段停府さん。いきなりどうしたの? 突拍子もないことを言ったりして」


 常式的ナヒトは聞いた。


「そういうことがね、最近あったのよ」


「知らない人にほうじ茶を差し出されたってこと?」


「うん」


「いつ、どこで、だよ?」


「昨日の学校帰り。バス停でバスを持ってるとき」


「相手はどんな奴だったんだ?」


「おじさん―――とまではいかないくらいの男の人。二〇代半ばくらいかな。小奇麗なスーツを着てたよ。それで笑顔で『よろしければ、ほうじ茶をどうぞ』って湯呑みを差し出されたの。湯気が立っていたね」


 段停府あんには冗談で言っている様子はなかった。


「きっと淹れたてだったんだろうな」


「なんだか新しいタイプの不審者だね」


「でしょ。斬新だよね」


「斬新って不審者に使われる言葉なのかな?」


「さあ?」


「それで。あんはどうしたんだよ。飲んだのか?」


「反射的に『どうも』って受け取って、飲んじゃった」


「段停府さん。小学生の頃、先生に『知らない人に飴とかお菓子をもらっちゃいけません』って教わらなかったの?」


 常式的ナヒトはうえんな言い回しで彼女をやんわり非難した。「飲むべきじゃないでしょ。そこは」


「いや、でも、お茶じゃん。しかも、ほうじ茶」


「貰うものの種類は関係ないって。飴もお茶も一緒だよ。釣り餌だよ」


「ナヒト。言っても無駄だよ。飲み食いが絡むと馬鹿だもん。こいつ」


「馬鹿とかひどいなあ」


「ほうじ茶は美味しかったのか?」


「船出も聞くポイントがおかしくない?」


「普通に美味しかったよ」


「美味しかったんだ」


「うん。屋敷市のほうにある『じんばる通り』のお茶屋さんで買ったものだって言ってた。気がする」


「ああ、わかる。信濃屋だ」


 森助船出は視線を遠くへ向けた。

 彼は信濃屋のことを思い出していた。


「あそこのバアちゃんとうちの母親が知り合いなんだ。オレも昔はよく連れていかれたな。桃色饅頭をよく食わされた。死ぬほど甘くて苦手だったよ」


「へえ。あたし全然知らない」


「僕も知らないな」


「一五〇年くらい続いてる店らしいぜ。火事とか、老朽化で、何回か建物は立て直すはめになってるんだけど、店は畳まない。すぐに改築してオープンする。何度も復活してるんだ」


「長生きだね」


「ゾンビみたい」


「老舗なんだよ」


「それより、段停府さん。身体には何ともないの? 怪しいほうじ茶なんて飲んだりしてさ」


「うん。ない。平気。おそらく多分。健康体だよ」


「不審者には他に何かされなかったのか?」


 森助船出が聞くと、段停府あんは考え込むような仕草を見せた。


 それからうんと頷いた。


「何もされなかったね」


「本当かよ?」

「本当だよ」


「ほうじ茶を飲まされただけ?」

「ほうじ茶を飲まされただけ」


 常式的ナヒトは想像した。


「お店の試食とか、宣伝とかだったのかな?」


「信濃屋がそんなことするとは思えないけど」



「僕は信濃屋さんのことを知らないからなあ」


「飲み物の中に睡眠薬を入れられていたってパターンなら映画でありがちだよな。誘拐して、身代金の請求だ」森助船出は言った。


 段停府あんはイヤイヤと首を振った。


「睡眠薬なんて仕込んでも、道端で湯呑を差し出して来たら、普通は怪しまれて、飲むのを拒否されちゃうでしょ。駅前で『お兄さん。うまい話がありますぜ』なんて言われても、話に乗らないでしょう。それと同じだよ」


「でも、あんは飲んでるじゃん」


「だってどういう味か気になるじゃん」


「たかがほうじ茶だろ。気にするなよ」

「されどほうじ茶だよ。気にしなきゃ」


 森助船出が軽く笑い、そこで会話が切れた。

 

 まったくどうでもいい話だった。よくわからない話でもあった。

 

 常式的ナヒトは、話は嘘ではないと思った。


 段停府あんは作り話をするような人間ではなかった。それを知っていた。


「少し話を盛っているのかな」とは感じたが、気にするほどのことではなかった。


 三人は無言になった。車内は静かだった。


 森助船出は腕を組み、目を閉じた。

 常式的ナヒトはイヤホンを耳に付けた。

 段停府あんは窓の外に視線を移した。


 三人はバスが学校近くのバス停に泊まるのを待った。

 

 三分後、森助船出は頭を撃ち抜かれた。

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