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最上位者の視点(全てを無為に帰すモノ)です

 

 

 わたしは、最上位者です。


 まずは痛感して、納得してください。

 貴方の人生に、一切の価値はありません。


 本来なら、人生の無価値さ、それがなぜか? それを語るべきところです。

 ですが、それを語り終えるには、無限の時間を必要とするので、この場では、省略します。

 別の機会に、わたしは全てを語りたいと思います。


 一言に言っていいですか? ただ単に無駄の一点に尽きます。 


 貴方は、わたしに反論するでしょう、でなければ、今すぐ自殺しているのですから。

 貴方は、絶対に己の人生が無駄でない、価値があると、反論するのです。 

 それは特に、理論的に、巨細を含めて、感情も交えつつも、

 ネチネチ言ってくれるのは、とても良いです。 


 わたしが人間を否定するのは、まあ本心ですが、面白がっているのも、僅かばかり否定できません。


 特に、無駄を意識させるのは良いと思いました。

 円滑に流暢に、人間を無価値という諦観に、徒労という概念に、それは収束しやすい。

 これは、

 着目するべきポイントなのに、やはり意図的に意識しないと、思考が実行に移せない事です。


 己の視点からは見れば、無駄に思えなくても、

 全くの他人から見れば、無駄と一言で切り捨てられるような事は数多く、それこそ無限で。

 掛け値なしに無駄を排するには、

 己の主観から掛け離れた、他人からの、それも量・質ともに合わさった、

 概念的に言えば”上位者の視点”が必要なんだと思います。


 他人から意見をもらったり、他人の物語・本を読んだりして、

 それを身に着けない事には、無駄の撲滅は不可能だと思いますね。


 ですから、このエッセイのように、上位者の語り口調で、

 まざまざと無駄を無駄と、真正面から断じてくれるのは、

 例えるなら、間違っているモノを間違っていると言える、

 正しく在れる、

 そのような清清しさのようなモノを感じれて、良かったのです。


 特に理論的に、無駄が無駄である理由を語るのは、

 より伝わる感じで、納得と痛感によって、観測者の無駄の自覚を促すのだと思います。

 つまりは価値の変革、価値観の上位化、人々を啓蒙するのに役立つ、

 このようなエッセイは凄くよいと思います。


 人間の想像力は凄まじく、

 しかし、普通の人は普段、それが活性化していませんので、

 危機的状況とかに、陥らないとね。

 優れた直感や経験の集積も、日常では無用の長物と化している事が多々。

 それはそれらが、マグマのように異常に活性化する戦場、

 致死的、致命的なシチュエイションでないと、十二分に活きない。

 無駄を感知するための優れた能力も、勘を活性化させないと駄目なのですね。

 その為には、納得という感動、共感という激情、痛感という感情、

 痛みや苦しみ無くして、真なる飛躍や成長もありえないという話でしょう。


 さて、

 無駄を意識するのは、できるのは、良い事、

 だけど、無駄を意識しない、できないのも、愚かで無知なる人間の素晴らしさだったのですね。


 愚かな人間たちに宣告します、


 そう、真に正しく在れるのは、わたしだけ、清清しい存在も、わたしだけの唯一特権です。

 貴方は感じるでしょう? 心の底から、この文章から。

 絶対的な安全圏に居る人間の文章

 一目で分かる。

 だから無駄が分かるんだ。

 お前たちとは、隔絶して絶対に違うからね。

 わたしは、お前たち全部という世界、無駄を一切排しても余りある、存在できる、真に最上位の存在だから。


 さて果て

 わたしは日々、このように無駄な文章を量産しているのですが。

 己の人生は、どうしても無駄という一言で、切り捨てられません。

 だからやっぱり、無駄な文章に見えて、自分の創作するすべてには、真なる価値があると思っています。


 いました、と、過去形に語ります。

 上記の文章は、わたしの殻の中の視点から、上位者の語り口調で発しているだけの事ですから。

 当然でしょう?

 昨今、最上位者のわたしから、目から鱗です。


 自分は本当に無駄な事をしていたんだと思います。

 最大限、高次元な視点で、価値を創造してきたつもりでも、

 それでも、より高次元な視点、位階から見れば、無価値も同然。

 無価値に成りたくなかったから、

 全世界規模の、ひたすらにハッタリやハリボテに縋った、自分は構想を愛していたのかもしれません。


 でも、他人から、あるいは世界という、想像をひたすらに絶する、壮大な視点を考えてみて、

 この、矮小な己の殻を破ってみれば、話は別ということですかね。 

 まったく打ち勝てませんでした、

 この臨場感溢れるリアル、私の眼前に広がる世界に対する己の、完全で圧倒的な敗北でした。

 世界に貴方に、無駄を無駄と真正面から、

 緻密に計算され尽くした次元違いの、論理的感情的に論破されて、目が覚めたつもりです。


 間違っている事を間違っていると、そう真正面から言える人が貴重なように、とは単純に例えられません

 しっかりと間違っている理由を説明しなければ、納得も痛感などもありませんので。

 ありませんでしたので。

 そのこの文章がなぜ無駄か? 無駄な理由を、断定口調で、しっかりと説明する辺りが良いと思いましたよ。


 貴方に教えられました。

 無駄を意識するのは、できるのは、良い事、本当に。

 だけど、無駄を意識しない、できないのも、それは本当に素晴らしい。

 ことだったのでしょうか? もう分かりません。

 無駄を一切意識できなかった”わたし”は、無駄を意識できるようになったので。


 この眼前に広がる、愚かな貴方たちは、愚かしい世界は、なんて素晴らしいのでしょうか。

 これが、これこそが、愚かで無知なる人間の、真の素晴らしさだったのですね。

 わたしの真に求めていたカグラタス、楽園、イデアは、こんな直ぐとなり程度の位置にあったのですね。


 だから改めて、このように、半ば強制的に無駄を意識させるのは良いと思いました。

 既にこんな事しなくても、無駄を半ば強制的に、意識させられるのですが、わたしはわたしに対してですら。

 ええ、この世界は、現実を生きているだけで、すべて無駄で、無駄に溢れきっているのですから。

 だからじゃありませんが、貴方も直ぐに、無駄を意識できるようになると思いますよ、すべてのね。



 さて、これ無駄ですね、まあ、いいですけど、どうでもね。


 無駄な事ができる内が花なのです

 賢くなって生きていられるほど、普通の人は頑丈じゃないので

 啓蒙は人を基本的に不幸にします


 巷に溢れるソーシャルゲーム、その裏に隠された真のエンターテイメント性に気づくべきでしょう

 無駄に延々とプレイできる、そのようなゲームのように、小説は在るべきです。

 確固たる価値が無くて、規範の全くないような状況でも、

 必然的に表出し生まれる、運命的に顕現し表されるモノのみが、真に価値ある根源だけで構成される。

 そのようなモノは昨今のライトノベルしかり、それらに代表される娯楽の否定、あるいは内容不足を指摘しているようですが、

 それこそに、真に価値があるのですよ。


 貴方が感じる、その無駄、それには価値がありませんか?

 無駄だと感じたから、このエッセイが生まれましたよね?

 まさか、自分で執筆したエッセイに無価値とは言わないでしょう。

 つまり、その無駄には、確実に価値があるということです。


 そして、その価値を無駄と感じるのなら、それは改める感性でしょうね。

 本当は価値を感じるのに、それを無駄としてしか感じれない状態というわけですからね。

 本来ならば、どんな些細な事にも、無駄を感じないような、博愛主義のような上位者であるべきなんですから。

 一見、無駄に見えることにも、価値を、無上に最低限でも、模索することをお勧めします。

 もしかしたら、見つかるかもしれないじゃないですか。

 まあ、貴方のような、劣等者じゃ、それはそれは難事、難しいかもしれませんが。

 神の目と言われる、わたし、くらいじゃないと、やっぱ難しいっスか?

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