1
第二章 日記帳
6月〇日
私は、子供の頃の傷が癒えないままに、二十代も十に過ぎ去り、気が付けば三十代。
結婚はしたいけれど、その思いが強くなるほどに、出会いは遠ざかるようでした。
小学生中学生の頃、酷い虐めを受けてきました。
その頃の私のあだ名は「バイキン」でした。
私の実家は貧乏で、今にも崩れそうな木の壁で出来たオンボロの一戸建てでした。
そして、ごみ屋敷でした。
教師をしていた母は、ストレスから体調を崩し、余儀なく教師の仕事をやめさせられました。
自宅で療養し、その甲斐あって体調は良くなりました。
けれど教師の仕事という生き甲斐を失ってしまった母は次第に家を片付けなくなり、ゴミを溜め込むようになってしまいました。
そのうち、部屋の中にゴミで埋め尽くされて置き場所がなくなり、次第に庭にもゴミが散乱していくようになり、そこから腐敗臭がするものだから、近所や学校での風当たりも次第に強くなっていきました。
最初は父も片付けたりしていたのだけれど、私たちから見ればガラクタのような物でも母からすれば宝物に見えるかのようで、ガラクタを勝手に廃棄する父に対してヒステリックを起こしたのです。
母のあまりの剣幕に圧倒された父は、そのうち諦めてしまったようで、瞬く間に足の踏み場がないほどに、立派なごみ屋敷が誕生しました。
近所のガキから「あいつのうちクセーよな」なんて言われるようになり、その噂はすぐに広がり、バイキン扱いされ私が触っただけで腐るとまで言われるようになりました。