増殖2体目「ビルド村」その1
「な、なんだこいつ」
思わずそう口走るが、答えてくれる者などいない。先程人里に出たり誰かと鉢合わせるなりしたときに驚かれないようにと思い、【融合】を使って既に増殖体は元に戻してあった。【蝗の王】も、まだ眠っているのかろくに返事をしてくれない。
目の前のそれは、【蝗の王】とはまた違った感覚を僕に与えていた。確かに【蝗の王】も恐ろしかった。肉食昆虫の群れが音を立てて迫って来るのだから、恐怖を感じるのは仕方もないだろう。だが、これに抱く感情は恐怖とは少しばかり違う気がした。
違和感、だろうか、これは。
フンコロガシ———スカラベは、動物の糞を転がして巣へと持ち帰る習性があり、古代エジプトではこの姿は太陽を動かしているのだとされ、神聖視されたという。だが、目の前のこいつは転がして持ち帰っているのではない。懇切丁寧に地面を掘り返して、それを丸く叩きつけるように団子を作りそれを転がしているのだ。まるで子供が雪だるまを作るために雪を丸めているかのように。根こそぎすべてを掘り返しながら進んでいる。
姿かたちは僕の知っているそれと全く同じなのに、サイズと行動が既知のものとあまりにもかけ離れている。ズレているのだ。違うのだ。僕は今更になってここが異世界なんだということを痛感した。
ここにいてはマズい。あいつが僕をどのように認識しているかは知らないが、あの無駄に壮大な泥団子づくりに巻き込まれたらほぼ間違いなく死ぬ。まあ、こんなでかいのがすさまじい音を立ててやってきて、逃げ損ねて巻き込まれる馬鹿なんているはずもないが。見た目のインパクトこそやばい感じだが、移動スピード自体はかなり遅いから多分子供でも走って逃げられるだろう。実際あたりにいた獣たちは皆逃げ出している。僕もこの流れに乗じて逃げ出せば。
そこまで考えて、逃げ出そうと踵を返し———
「う、うぅ」
……今、何か上の方から呻き声がしたような。い、いやいや、さっきこれに巻き込まれるような馬鹿はいないって言ったばかりじゃないか。だから多分これは人恋しくなった僕の幻聴で……、そう言い聞かせながら、念のため、そう念の為に、ゆっくりと顔を上げた。
「うっそだー……」
僕から見て五メートルほど前方、高さ三メートルほどの位置に、土塊に挟まれて呻く老人の姿があった。
◆ ◆ ◆
「っはあ、はあ……ここまでくれば大丈夫か?」
僕は【増殖】の力を振り絞ってなんとか老人を土塊から引きずり出し、そのまま逃げるように森中を駆けずりまわりようやくたどり着いたスポットに腰を下ろした。あまり知られていないが、スポットというのは森の中で木々が倒壊するなどの理由で木が生えていない開けた場所のことだ。地理の授業で習ったのだが、こういった場所で【増殖】で増やした自分で陣を組めば一晩やり過ごせるのではないかと考えたのである。……まあ思いついたのは辿り着いてからだが。
「こんな開けたところ一人二人なら自殺行為だけどこの数ならそうそう襲うやつはいないだろ」
言い聞かせるようにそう呟いて、今の僕に増やせる限界数の僕たちと目くばせをする。老人———ばあさんを含めて七人。少なくとも僕のいた世界にいる森の獣は基本単独でいるか取り逃がさない程度の数の獲物を狙う。これだけいればまあ襲われない……かもしれない。うん。さっきの地面えぐるフンコロガシとか見たせいで確信が持てないが、藁にもすがる思いなので良しとしよう。
そう意気込んで、スキルパネルで【初級治癒】をアクティブ化した時に覚えた回復魔法【シューツ】をあのブローカーにやられた傷にかける。僕のオドがそれほど無い上に、傷もかなり深いため仕方なくゆっくりと魔力を流し込み、オドの自然回復を待ちながらじわじわと治していたのだが、どうにも傷の治りが悪い、かれこれ一時間ほど経って痛みこそなくなってある程度動きはするものの、まだ傷口は開いたままだ。パネルから伝わってきたイメージからすると、もう完治している筈なのだが。
となるとあのブローカーは何かしらの呪い的なあれを付加した攻撃を仕掛けてきたのだろうか。まあいくら都合よく認識を捻じ曲げて言うことを聞かせやすくするためとはいえ自分の事を女神だなんていうようなやつだから呪いをかけられても何もおかしくはない。となるとほぼ確実にあいつは痛い奴な上にメンタルもいい感じにヘラっているという中々にやばい奴だったというわけだ。リアルで見かけたら「うわ・・・」ってなる奴である。本当怖いを通り越してキモイ。なんだか傷口もむずがゆくなってきたし。呪いですね呪い。えんがちょえんがちょ。
「お前何馬鹿なこと考えてんだ……」
隣にいた僕の体の感覚がなくなり、左目の下にすっと二本の線が入り僕の物ではない何かに代わる。緑色の目の【蝗の王】、アバドンだ。
「お前こそ、何勝手に人の身体乗っ取ってんだ……」
訝しげにこちらを覗き込むアバドンにそう言い返すと、「乗っ取られる方が悪ぃや」とケラケラ笑った。
「お前こそなんで俺が眠って早々【掃除屋】なんかと鉢合わせてんだ。あいつのソウルに中てられて予想よりずいぶんと早く目覚めちまったぜ」
「【掃除屋】って、もしかしてあのバカでかい虫のことか? あいつそんなけったいな名前してたのかよ」
そりゃ確かにぴったりな名前だが。ものの見事に地面を掘り返して回ってたし、掃除屋とはずいぶんと気の利いたネーミングセンスをしてるじゃないか。実に皮肉、是非とも命名した奴をぶん殴って【掃除屋】の進路に縛って放り出したい。どこが掃除だ滅茶苦茶に荒らしてんじゃねえか。
「あいつ、やっぱりやばい奴なのか?」
「やばいもなにも、あれはこの辺りの長みたいなもんだぞ。一番強くて、一番やばい奴だ。まともに相手出来んのは先代ユスティア王くらいだろうな。あのレベルのバケモンじゃなきゃ戦いに入る前に死ぬな。お前が助かったのはあいつに敵だとすら認識されなかったからだぞ?」
さいですか。そりゃ滅茶苦茶に強い奴なら足元をうろつく蟻なんて無視して当然だろうね。弱くて良かった。
「とはいえ辺りも暗くなってきやがったな。どうする? 野営か? 火を焚く準備もできちゃいないが」
アバドンが気だるげにそう言う。野営、出来るかなー……。さっきまではいけるかなって思ってたけどそうもいきそうにない。正直なところ、野営で一番大事なのは火だ。一部に例外はあれど、獣は火を恐れる。アバドンの様子からしてこちらの世界でもそれは同じらしいのだが、僕は火を起こす手段を持っていない。火が起こせないとなると野営の難易度は著しく上がる。何しろ火がないと僕は夜に何も見えなくなるのに対し、夜に活動する獣にとってこれから日が昇るまでは完全にあちらの独壇場だ。ただでさえ僕は前の世界のままの力しか持たない。数が増えただけじゃどうしようもない。どうにもならない。
今は獣たちが【掃除屋】から逃げ出してるから辺りに何もいないが、じきに各々の縄張りに戻り始めるだろう。そうなるとまず間違いなく助からないか。
「あー、今のうちに辞世の句でも詠んどくかな」
「儂の村に来られるとよい」
びっくりした。
「な、なんだばあさん。意識戻ったのか?」
「かっか、何、ほんの少しばかり気をやっていただけ。この通りぴんぴんじゃよ」
そう老獪に笑いながらばあさんはぴょんぴょんと飛び跳ねて見せた。ていうかこのばあさん、さっき【掃除屋】の奴の信じられない怪力で叩いて丸められてた土塊の中にいたんだよな? その割には外傷らしい外傷も無いってどういうことだ? 今になって思うがこれってもしかして信じられないくらいやばい事なのでは?
そう思って隣を見やると、アバドンは青い顔をして唇をかんでいた。
「おい、どうしたアバドン———」
「相手が悪い俺は眠るぞ」
「え、ちょまて」
アバドンは逃げるように眠ってしまった。残されたのは六人の僕とばあさんだけである。
「さあ行きましょうぞ、儂の村、ビルド村へ!」