増殖1体目「増殖」その2
「お前は、誰だ?」
「見ればわかるだろ、俺はお前だよ」
何を言っているのかが分からない。いや、違う。理解はできるのだ。目の前の男は寸分たがわず僕と同じ姿かたちをしている。これはもう間違いなく僕だ。なんか姿をまねるとかそういう類の化け物でない限りは確実に。そう確信出来る程に僕と瓜二つだった。しいて違いを上げるとするなら、この凶悪な表情と、左目の下に走る二本の入れ墨、そして何よりあの蝗の化け物と同じ緑色の目だろうか。
だが、問題はそこじゃない。仮にこいつがこいつの言う通り僕であったとして、何で僕がもう一人いるんだという話になる。そもそも僕はこんな風な話し方はしない。
「まあ今の俺は、どうしてもお前に伝えておかなきゃいけないことがあるんで、無理して出てきてるだけだ。それが済めば、多分お前も自分だってわかるような人格にもどるだろうよ」
「い、いや、だからお前は何を」
「まあまあまあ。逸る気持ちはわかるがいいから落ち着けよ。実のところそう悪い話ってわけでもないんだぜ?」
そうにやにやと笑いながら言う「僕」は、ぐいと僕の胸ぐらをつかんで引き寄せる。
「いいか? 俺はお前だとさっき言ったが、厳密に言やあ微妙に違う。俺は、お前と同化したさっきの怪物、【蝗の王】だ」
【蝗の王】は、そう言ってより一層口角を釣り上げた。
◆ ◆ ◆
「待ってくれ、それは本当なのか」
僕は震える声で【蝗の王】に尋ねる。「ああ、そうだ」と【蝗の王】は不愉快そうにそれを肯定した。
「お前らの言うところのチートスキル——————【獣の力】っていうのは、自らの中に【獣】を棲まわせる下法。悪魔の業だ。自らに宿した【獣】に何かを代償としてささげる事でそれぞれの【獣】に応じた異能を手にする。それを宿したものは【獣宿し】と呼ばれるわけだが、恐らくお前の言うところの神とやらは、どうやらお前の級友全員に【獣】を植え付けたみたいだな」
まだ、こいつの言うことを信用したわけではないが、それでもし本当だとしたらクラスのみんなは訳の分からない洗脳じみたことをされたうえでそんなものを植え付けられたってことなのか?
「ど、どうにかして皆に知らせないと。早く!」
「……何言ってんだお前」
呆れたように【蝗の王】は僕を見た。
「お前とは同化したおかげでもうあらかた記憶を共有してるから知ってるが、あいつらはお前をいじめてた奴らと見捨てた奴らだろ? なんでそこまで焦って伝えようとするんだ」
「記憶を共有してるってんならもう分かってるだろ。もしそれでも分からないってんなら、それは僕とお前の価値観の違いだ」
僕がそう言い返すと、【蝗の王】は信じられないといった顔をして聞き返す。
「……待て、するとお前はあれだけの事で? そんな理由でお前はこの生き方を選んだのか?」
「「あれだけの事」じゃない。僕はあの人との約束を果たすだけだ」
いくら同じ顔をして、僕の記憶を持っているとかいけしゃあしゃあと抜かしても、やっぱり本質はあの蝗の化け物らしい。僕とこいつは分かり合えそうになかった。
「……まあいい。兎も角、チートステータス云々についてはよく分からないが、どうせ体を改造するとかそういうのだろ。まあほぼ確実にお前の級友は【獣】を植え付けられているだろうが、適応できなきゃ死ぬだけだし、生きてたところで【獣宿し】だ。だがまあお前、仲間外れにされなくてよかったな」
「仲間はずれが嫌ってわけでもないんだけど……って、待て。仲間はずれじゃないって事はまさか」
【蝗の王】はここに来て先ほどまでの渋面が嘘のように憎たらしい笑顔で言った。
「ああ、俺はお前の内に巣くう【獣】、【獣の力:蝗の王】の主。つまり晴れてお前もチートスキルを手に入れたってわけだ」
◆ ◆ ◆
「本当に、消えちまったな」
いや、あいつの話が本当なのだとすると、「消えた」のではなく、「眠った」のか。僕は何とも言えない表情で目の前の僕達を見た。さっきまで左目の下に走っていた入れ墨はきれいさっぱりなくなり、表情も普通に戻っている。
「アバドンが動いてないときは本当に僕の人格そのままなんだな」
「そりゃ同一人物だしな」
「そんな感想を言い合うよりも、あいつから聞いた情報を、もう一度整理した方がいいんじゃないのか?」
それもそうだと全員が頷いた。一緒になってやってる僕が言うのも何だが、流石に頭が痛くなる。全員が全員全く同一の「僕」であるため、大抵の行動選択は同じで、今みたいにとんとん拍子で会話が進む。というか否定の言葉が出てこない。まあ全部僕がしゃべらせているわけだから仕方ないのだろうがなんとも気持ち悪い。というか頭が痛い。
あいつの話だと、僕の【獣の力】を解放すればもう少しまともな感じにはなるらしいのだが。
僕は額に手を当てて「ふっ」と小さく息を吐いた。するとぼんやりと視界が白く染まり、僕は小さなマンホールほどの大きさの丸い石板を抱えていた。
石板は真ん中に青色に淡く輝く瓶のようなものがはめ込んであり、それを中心に大まかに三つに枝分かれして、ちょうど三角形のような形になるように六角形が連なっている。この六角形の一つ一つが【技能】と呼ばれるもので、これを解放することで【技能】を習得できるのだとか。
これらの【技能】についていくつか話を聞いたが、どうやらこの石板の内容は人によって異なるらしい。というかそもそも普通の人間の場合は瓶がはめ込んであるだけの代物だそうだ。【技能】を持つものはかなり限られているらしい。
さて、これにはいくつかの系統樹とやらが存在し、僕の場合は【献身】【代償技能:蝗の王】【???】の三つだ。正直【???】とやらがよく分からないのだが、【蝗の王】の話によると、習得条件を満たしていないものは詳細が表示されないという話だったので、どうやらこの【技能】に関しては系統樹そのものがいまだ習得不可という事らしい。どういうことだよと突っ込みたいが、そういうものらしいのでどうしようもなかった。
気を取り直して【献身】だが、何というのだろう、【技能】はその人間性が色濃く出ると言われたのだが。というよりは、その言葉を体現するに値するものが【技能】を持つことになる、という方が正しいらしい。
ただ、僕の人間性が後付けの【獣の力:災厄の終焉】を除けば正体不明なのと献身って僕は一体どういうやつなんだろうか。……ちょっと自分を見失いそうになったが、ぐっとこらえて覚えられるスキルを解放する。
解放というのもまた妙な方法で行う。真ん中にはめ込んだ瓶を取り出して右手で握り、瓶の上の部分を親指でぐっと押す。瓶というよりは注射器じみた構造をしているが、こうすると中に入っている【ソウル】が瓶の先から滴り落ちる。この【ソウル】とか言う奴が石板の六角形のパネルに浸み込んで解放されるのだ。
僕は、石板の真ん中から【献身】の系統樹へと繋がる一つ目の【技能】、【初級治癒】を習得した。これで初級回復魔法が使用可能になるらしい。【初級治癒】のパネルを指でなぞると、使えるようになった魔法の情報がぼんやりと脳内に浮かんできた。
僕が使えるのは、傷ついた組織を治療できる【シューツ】と、軽度の非致死の自然毒を解毒できる【リドル】の二つだった。なんとなくだが、それほど魔力を使わなくていいような気がする魔法だ。パネルに触れるとある程度のことはわかるのだが、魔法に使う魔力的なアレはどれくらい必要なのかとかは「たぶんこのくらい」程度の認識でしかとらえられないのがつらい。
確か僕の魔力は、と僕は石板の真ん中、ソウル瓶のはまり込んでいた部分を指でなぞる。すると、頭の中にぼんやりとしたイメージが伝わってきた。【シューツ】を一とするなら僕のオドは五。詰まる所傷を治せるのは五かいくらいだろうか。だが、【シューツ】は込める魔力の量が大きく上下する【技能】のようで、僕のオドだと重い傷を治そうとすれば一発で干からびてしまうかもしれない。ひとまず、治療すべき傷は右腕に受けた物だけだが、恐らくこれを治療するので精一杯だろう。オドは大切に使っていきたい。
ところで、アバドンの話だとどうやらこのオドというのが僕の魔力らしい。孤児院の弟妹たちには中二病を若くして患った子がいたので散々聞かされて知っているのだが、何でも魔法の世界には大気中に存在する魔力、マナと、生物が体内に保有する魔力、オドが存在するらしい。魔法を使うときは基本的にオドを起爆剤というか迎え水のように使い、大気中のマナに働きかけるのだとか。オドは一度使うと体を休めるか集中を高め瞑想することで回復できるらしいが、それでもオドの最大値を超える量の魔力を必要とする魔法は扱えないとか何とか。そのために魔力をためた魔石があるんやで云々と、彼女は語っていたのだが、異世界だけど同じ考え方でいいのだろうか。まあアバドンからの説明も同じようなものだったし、ここは彼女の顔を立てるつもりでしばらくこの考え方で行くとしよう。
さて、僕のオドは今のところこの腕の傷を治療するのでやっと。つまるところ、流石にアバドンクラスのはもう出ないだろうが、なにか敵と戦うことになった場合、もう回復には期待できないということだ。
まあ、何もなく戦うよりは幾分かましだろうか。問題はそれよりも【獣の力】の方だ。
僕は石板の右上、アバドンにより勝手にアクティブ化されていたパネルに触れる。
【増殖】
自らを増殖させる。
【融合】
増殖させた自分を融合させ一人に戻す。
【交信】
増殖した自分と意識を同一化させ交信する。他人の言おうとすることが理解できる。
この三つが、僕のチートスキル―――獣の力という事らしい。ぱっと見全然チートっぽくないのですがそれは。特に【交信】の他人の言おうとするところが理解できるとはなんなのか。まあ使えば使うほど【蝗の王】に僕の心の何かを奪われているらしいし、使わないで済みそうなスキルならそれはそれでいいのだが。
そして、これらの【技能】を手に入れるのには【ソウル】と呼ばれる力が必要だ。【ソウル】は全ての生き物が宿しているエネルギーのようなもので、これは何か他の生き物を殺すたびにソウル瓶に吸い込まれる。これを使って【技能】を習得するのだが、これを石板のパネルではなく自らの体に打ち込むことで、【ソウルの器】を強化できるらしく、これを強化することで身体能力を無理矢理伸ばすこともできるらしい。というより普通は【技能】なんて持っていないので、通常【ソウルの器】を強化するらしい。
何をするにしろ、必要なのは【ソウル】で、それを手に入れるには何かを殺さなくてはならない。
嫌な世界だな。と、僕はそう思った。
◆ ◆ ◆
「ひとまずここで夜を明かせるだけの準備に移った方がいいかな」
僕はそう独り言ちて立ち上がる。森の出口はまだ見えない。これ以上やみくもに動き回っても魔物たちの胃袋に収まるだけだ。ならば万全とは言えなくともある程度の防壁やなんかを作って一夜を過ごさなければならない。長い夜になりそうだ。そう思って手ごろな木の棒を拾おうとしたところで、遠くからバキバキと何かをへし折る音が聞こえた。
「な、何の音だ?」
しかも、心なしかだんだん近づいてきている気がする。
「に、逃げよう。何かやばい」
そう言って振りむこうとした瞬間、「それ」は僕の眼前に現れた。
「で」
最初、暗さとあまりの巨大さで何なのかよくわからなかった。
「で」
けれど、妙に黒光りするそのボディと、全体的なシルエットは見覚えがあった。
「で」
そう、こいつは。
「でっかいフンコロガシだああああああああああ!?」
木々をなぎ倒しながら現れたのは、高さ十五メートルはあろうかという強大な土の塊を転がす巨大フンコロガシだった。