増殖0体目「クラスみんなで異世界勇者」その2
「異世界⁉ まじで⁉」
教室の中、いや、厳密にはかつて教室であったはずの物の中は、異様なまでの興奮に包まれていた。ちょっとこいつらの見込み早すぎんよーとかなんでこんなに異世界に対しての抵抗ないんですかねとか言いたいことは山ほどあったが、どうせ僕が何を言ったところで意味をなさないので、僕は静かに口をつぐんで目の前に荘厳な光を湛えて立つ一人の女を睨んだ。
こいつは、なんというかその、神様とか言うやつらしい。怪しいとかいうレベルではないし、実際僕もついに宗教の勧誘が学校にまで乗り込んできてのかと戦慄したが、流石に瞬間移動したり一瞬で窓の外の景色を変えたりと色々やられるとこちらとしても信じざるを得ない。
それで、この神とやらの話をかいつまんで説明すると、つまりこういうことだ。
異世界サージュラに4人の魔王がいるのだが、いがみ合っていたこの4人のうち1人が突然平和条約を締結していた王国に侵攻し、その王国を滅ぼしたのち他の国にも戦争を仕掛け出したらしい。
で、その危機を神としては放っておくわけにもいかないが、決まりとして神は自分の管轄の世界に直接手出しができないため、自分の世界の国々の王たちの要請を受け、わざわざこうして異世界の僕たちを教室ごと召喚したということらしい。
しかも、僕たち一人一人にチート能力や化け物ステータスもプレゼントしてくれるらしい。まさに至れり尽くせりだ。行き過ぎて逆に怪しいくらいには。
『サージュラではあなたたちの情報はステータスウィンドウで表されます。詳しい話は転移先の国王が説明してくれるはずです』
おおー、面白そうだ、と皆口々に感想を言い合う。正直こいつらの頭の中はお花畑でも詰まってんじゃないかというくらいの楽観的思考だ。こいつらまさか気づいて無い訳じゃないよな? これはどう見たって【次元接触】による世界移動、災害だ。毎年これで帰らぬ人となる人たちがたくさんいるというのに、どうして誰も不思議に思わないんだ。おかしいだろ。僕は気になって辺りを見渡す。
「ひっ」
そしてすぐにその選択を後悔した。……こいつら、目の焦点がまるであっていない。あらぬ方向を見つめながら、「すげー」等とうわごとのように口を動かしていたのだ。クラスのほぼ全員がそうやって狂気じみた様相で騒いでいる。他にまともな奴はいないのか、僕はもう一度クラスの中を見渡す。……いた。
「お、おいお前らどうしちまったんだよ! これどう見ても【次元接触】だろ!?」
「横野君、落ち着いた方がいいわ。下手に動じると目をつけられるわよ」
「そ、それもそうだけどよぉ……! さっきから靖大の奴の様子がおかしいんだよ、俺が話しかけてるのに、まるで気づいてないみたいに」
「……」
3人、いじめっ子の高山君と横野君、それとさっきまで話をしていた天霧さんだ。僕はそっと彼らに近づいた。
「良かった、他にもまともな人がいて」
「増田……!」
「増田君?」
「……」
ここはもう教室の形を保ってはいなかった。当たり前だ、【次元接触】が発生する際の余波で物質が元の形状を保てるのは稀だ。空間そのものが歪むので、柔軟性のある生物はともかく、ある程度の大きさの建築物は軒並み潰れる。だが、これはもうそういう次元じゃあない。
僕たちは今、真っ白で何もない空間にいる。
「無事でよかった」
「ま、増田! 聞いてくれ! 靖大が、靖大がおかしいんだよぉ!」
情けなく涙目になりながら、横野が縋り付いてくる。ああ、これだ。これが正常な反応のハズなんだ。
「落ち着けって、おかしいのはクラスの連中皆だよ」
「え、ああ! うそだろ……!」
横野は僕の言葉でようやく気付いたのか、辺りを見渡してただでさえ青かった顔をさらに青ざめさせた。
「なんだか分からないがこれはマズい。あいつの言うことが正しいとすると、これは人為的に引き起こされた【次元接触】だ」
『まさか、精神干渉を受け付けない奴がいるとはねえ』
「「「「!?」」」」
いつの間にそこにいたのか、自称女神は、僕らのすぐ近くに立っていた。
「盗み聞きなんて趣味の悪い神様がいたもんだ」
『いいえ? 全能の神だからこそあらゆる声が聞こえるだけですよ?』
一か八か挑発してみるが、スルーされてしまった。明らかに他の連中と様子の違う———おそらくはこいつにとってイレギュラーであろう僕たちを前にしてここまでの余裕、僕たちがどうしようが痛くもかゆくもないという事だろう。僕は奥歯をかみしめた。
「この【次元接触】を起こしたのはお前だな……みんながおかしいのも、きっと」
『ええ、それはもう』
当然でしょう? と人間味を感じない無機質な笑顔でからからと笑う。その姿に、3人は小さく悲鳴を上げて後ずさるが、何故か高山君だけはまるで動じていなかった。
「都合よく認識を捻じ曲げて、従順な駒にして。ブローカーってのも大変だな、こんなとこまで商品を仕入れに来なきゃならないなんて」
『あれれれれ、なんだ。分かってる奴までいるのか』
何だ? 高山君は何か知っているのか?
『ま、分かってるなら分かってるで余計に抵抗なんてできないでしょうけどね』
「……」
だめだ。何が起きているのかまるで理解できていない。どうやら高山君は何かを知っているみたいだが、この渋い顔からして、少なくともこの状況がどうしようもないものであることだけは理解した。一先ずここはこの自称女神を様子を探って———
「靖大を元に戻せ!」
何やってんだあいつ。横野君はいきり立って自称女神に食いついていた。まさかさっきまでの話で何も理解していなかったのか? 普通に手を出したらマズいって気づくだろうに。
「お願いだ! 頼むよぉ……! あいつは、あいつは俺の友達なんだ……!」
「横野君……」
いつも弱気なところを一切見せない横野君が、涙をボロボロとこぼしながら嘆願していた。いつだって自分勝手で自己中心的な彼が、友達の為に涙を見せる熱い男だったとは。できればその一面をもっと僕とか僕とか僕とかにも向けてほしかったものである。
だが状況はあまりよろしくない。今の横野君の行動が余程気に入らなかったのか、自称女神の笑顔が引きつっている。
『……残念です。私の精神干渉が効かないような上物でしたから、きっと上手くいけばかなりいい商品になったでしょうに』
そうかぶりを振ったブローカーの女は、すっと横野君を指さした。
『貴方はここで廃棄します』
「――――――っ危ない!」
僕はすんでのところで横野君を突き飛ばした。二人一緒にごろごろと見えない地面を転がる。
「何すんだ増田―――っ、おい、お前、それ」
僕に突き飛ばされた横野君が怒鳴り声をあげるが、その視線が僕の右腕に移ったとたんにその表情は一変した。
「腕、血が、何で」
「ぼさっと……してるなよな……ぐぅっ」
僕の右腕、具体的には上腕部に、五円玉程度の大きさの風穴があいていた。やはり、あれは横野君を殺そうとしての行動だったのだろう。ブローカーが横野君を指した指先を軽く動かしたときに何だか嫌な気配がしたのだが、当ての無い勘でも動いてよかった。この威力が狙った位置に命中していたとしたら、僕は今頃クラスメイトの死体を眺める羽目になっていただろう。いくらこいつがいけ好かないとはいえ、なんというか、それは、嫌だった。
「お前、なんで、何で俺なんかを」
「誰だろうと目の前で死なれたら寝覚めが悪くなるだろ、いっつ……」
いくら普段から生傷絶えないバイトをしていたとしても、これは流石に痛い。今はアドレナリンドバドバで多少はマシだが、こういった傷は時間がたってから本格的に痛み始める。痛みの浅い今のうちに止血しておきたいところだが、目の前にさらに不機嫌そうな顔で立つブローカーがそんなことをさせてくれるとは思えなかった。
『不愉快なんですよね』
ブローカーはすっと無表情になり呟いた。
『今、ここは、私の世界なんですよ』
ぎり、と歯を噛み締める。
『私が、私の【獣の力】で造り出した、私の世界』
かくかくと瞳孔が細かく揺れる。
『じゃあ私の思い通りになって然るべきじゃないですか』
声が震え初め、明らかに正気でないと理解できた。
『私の思い通りにならないなら、貴方みたいなのはいらない。商品価値もない』
まずい。何を言っているのかはいまいちわからないが、この感覚はまずい。さっきのと違い、今度は肌を刺すような殺意が僕自身に向けられていた。確実に横野君の時よりもヤバイ。僕は何とかこの場から逃げ出そうとするが、なぜか体は指先すら動いてはくれなかった。
『消えろ』
ぱきぱき、と、嫌な音がした。今でも僕の耳にこびりついて離れない、『次元接触』が発生するときの空間が割れる音だ。
かろうじて動く眼球で足元を見やる。そこにはあの忌まわしい亀裂が走り始めていた。そんな、まさか、本当に人為的に『次元接触』を起こしているのか? なら、それなら「あの時」の『次元接触』も―――
「うあああ!」
そんなことを考える間もなく、亀裂は音を立てて広がり、動けない僕の体は底無し沼に沈むようにずぶずぶと亀裂の中にのみ込まれていく。ま、まずい。このままじゃあ本当に異世界に放り出されてしまう。【G.U.A.R.D】に入隊するために色々と勉強したから知っているが、基本的に『次元接触』で放り出されるのは空中だ。それも大抵が上空数十から数百メートル、ある程度の訓練は受けているから五体満足ならまだ分からなかったが、この怪我じゃまず助からない。
「くそ、これまでか……」
もう首まで亀裂にのみ込まれた、ここまでくるともう駄目だろう。他の三人も僕と同じ事をされたのかそれぞれ別々の亀裂に呑まれようとしている。催眠だか何だか知らないが、自分の思い通りにいかなかったから消すというわけか。
「―――れいちゃん!」
僕の体が完全に消えてしまう前、一瞬だけだけど、なんだか、懐かしい呼び名を聞いた気がした。