増殖0体目「クラスみんなで異世界勇者」その1
「命を張れとも、俺のようになれとも言わないさ」
僕の記憶の中の彼は、いつだって血に塗れている。
「ただ、皆を笑顔にできる、優しい人であってくれ」
そんな彼に守られるだけの僕は、いつだって泣いているばかりで。
「だから、お前がもし俺に感謝するっていうんなら、あれだな。もし困ってるやつがいたら助けてやるんだ」
そんな中で彼ときたら、今にも死にそうな体なのに。
「俺はスーツアクターになりたかったんだけどな。ほら、ヒーロードラマとかの、な。たとえ悪役でも、見てる子供たちが笑顔になってくれるだけで凄い幸せなんだろうなって、そう思うんだ」
何でこんなにも優しい笑顔で笑うんだろう。
「だからお前は、そうだな」
でも、それでも、僕は。
「俺の分まで生きてくれ」
彼と共に生きたかった。
◆ ◆ ◆
「———い増田、増田玲汰!」
公民の岸和田の声に、僕は重い瞼を上げた。ここは僕の通う高校の教室で、今は四時間目の授業だ。どうやら眠ってしまっていたらしい。
「すみません先生、昨日もバイトで……」
目頭を押さえながら岸和田にそう伝えると、彼は何とも言えないような表情でため息をついた。
「増田君、確かに君は色々と働かなければならない理由があるのは重々承知しているがね、せめて寝るのなら休憩時間にしてくれ。ほら、24ページの五行目だ、読んでくれ」
「はい……」
僕はそう言われて公民の教科書をぱらぱらとめくった。
「今から十六年前に鳥取県南部にて初めて観測された【次元接触】はその発生場所にも関わらず、我が国に甚大な被害を及ぼしました———」
【次元接触】。この忌々しい言葉がすっかり周知のものとなってしまうまでに、どれ程の人たちがこの現象の犠牲になったのだろう。十六年前の今日———七月七日、【七夕の悲劇】を皮切りに、この地球ではこれまで数百を超える大小の【次元接触】が観測されている。
【次元接触】というのは、異なる位相に存在し、本来であれば決して交わることの無い二つの世界が何らかの理由によって接触することで発生する過去に類の無い【災害】である。
接触した二つの世界の内、どちらかからもう片方へと不可逆的に物質がなだれ込むというこの現象は、送る側、受け取る側に関わらず、未曽有の大災害を引き起こした。その代表的な例が【七夕の悲劇】である。
十六年前の七月七日午前九時二十四分、突如として岡山県北部上空五百メートル地点に今尚観測史上最大の規模である【亀裂】が出現した。鳥取県氷の山山頂付近から複雑に蛇行し広島県庄原市上空まで続いたこの【亀裂】から、代償無数の瓦礫が一斉に降り注いだのである。降り注いだ瓦礫の総重量は数万トンとも、数億トンとも言われているが、地震や津波などとは比べ物にならない数の人命が失われた。
死者行方不明者は概算でおよそ三万人と言われている。直下にいた人々は九十七パーセントが死亡、または行方不明となり都市機能に致命的な打撃を与えた。だが、【次元接触】の真の脅威が明らかになったのは【七夕の悲劇】から一週間後の七月十四日、生き残った人々が次々と謎の病を発症し倒れ始めたのである。【七夕の悲劇】の数十倍ともいわれる死者を出したこの奇病は、異世界から飛来した未知のウイルスが原因であった。
それから十六年、様々な【次元接触】が観測されたが、いずれも人類に多大な被害をもたらした。ある時は異世界の凶悪な怪物が大都市へとなだれ込み、ある時は逆に街一つが向こう側へと消えたこともある。
既存のあらゆる災害を超える被害をもたらすこの事象に対抗するため、主に異世界の危険生物の処理のために、十二年前に国連主導で特殊対策組織【ガード】が結成された。今尚地球を襲う異世界の脅威から人民を護るため今日も彼らは戦っているのだ。
教科書を読み終えた僕は、ふいに窓の外に視線をやった。ここは広島県福山市、ぎりぎりで【七夕の悲劇】を逃れた都市であり、その外れに位置するこの校舎からは、十六年前の惨劇の跡が生々しく残る隣県の様相が嫌でも目についた。
「……どうにか、ならないもんかねぇ」
僕の口から漏れ出たその言葉は授業終了を知らせるチャイムにかき消されたが、この暗鬱たる気持ちは消えてはくれなかった。
◆ ◆ ◆
「ねえ、ちょっと来てくれるかな?」
一人で便所飯でも食べに行こうと教室のドアを開けた僕、増田玲汰の行く手を阻んだのは、ここ2-Dのリーダー格である高山健一だった。この高山という男は、見てくれだけで判別するのであれば、俗にいう「男の娘」とやらにカテゴライズされる類の顔だちをしているが、その実、このように僕をいじめるいじめっ子である。こんな恵まれた容姿でなぜ僕なんかをいたぶる必要があるのかなんて僕にはわかりもしなかったが、まあいじめなんてものはそういうものだろう。
「高山君が来いって言ってんだ」
「早くしろよな~」
どうやら今日は取り巻きを連れているらしく、高山の周りにはおっかない顔をした、いかにも不良という顔をした横野宗太と中西靖大がじっとりとした嫌な作り笑いをしながらこちらを見ている。
まるで、「わかっているよね?」と、僕の首を絞めるように。後ろにいる生徒を見るが、みんなこちらに興味を持っていない…いや、興味のないふりをしているのだろう。
触らぬ神に祟りなし。かかわりたくないという意思が見て取れた。みんな自分が大事なんだ。
まあ、これは仕方のないことだろう。こういうものだ。僕だって逆の立場なら――いや、逆の立場でも、みんなみたいにしなかったから、今の僕のこの状況があるわけか。僕はどうにもおさまりのつかない心持で、教室を後にする。その時、ふいに視線を感じて振り向くと、なぜか、今日転校してきた天霧玲が、感情の読み取れない顔でこちらをじっと見ていた。
案の定、つれていかれたのはこの時間誰も立ち寄ることのない特別教室棟裏だった。
「なあ増田くぅーん。実は俺ら今月小遣いちょーきびしーんだよねー?」
わざとらしく語尾を伸ばしながら中西が僕の肩に手を置く。
「金の類は無いって何度も言ってるだろ。こちとら孤児院暮らしだぞ」
「――その態度はなんだよ増田ぁ!」
払えない理由を丁寧に説明したというのに、横野は僕のシャツをつかんで怒鳴りつけ、結果として僕は思わず弁当を落としてしまった。べしゃ、と嫌な音を立てて中身が土の上に飛び散る。
「あ、くそ、もったいない」
「何よそ見してんだよ!」
ガッ、と腹を殴られる。流石に鳩尾に直撃するとエセチンピラのへなちょこパンチでも少しは痛い。ていうか弁当。まだ一口も食べてないのに。
「は、ざまあみろ」
「フッ!」
ドガッ、と僕はノーモーションで横野のどてっぱらを蹴り上げる。なんだか「ぐふ」とかどこぞのモビルスーツみたいなうめき声をあげたが気にしない。こいつら、殴る蹴るくらいは寛大な心で許してやってきたが、弁当を台無しにするとは許せん。ここで決着をつけてやる。いじめっ子が何だ。食い物の恨みというものの恐ろしさを脳髄に刻み込んでやる。僕は渾身の力を込めて拳を振りかぶり—―
「ふざけんな!」
「かっひゅ」
捕まって袋叩きにされた。そうだった、普通に考えて三人に勝てるわけがなかった。くそ、一人ずつなら確実に勝てるのに。いくら歯噛みしても捕まってしまったという現状からは逃れられない。僕の顔面に何発かいいのをもらってしまった。
くそ、どうにかしてこの場を切り抜けなくては――。
「あら、何をやっているのかしらね」
僕が身をよじり拘束を振りほどこうとしたとき、僕の視界に入って来たのは転校生の天霧玲だった。
◆ ◆ ◆
「あなたは、あれだけ啖呵を切れるのに何でいじめられているわけ?」
「ろくすっぽ空気も読まずに色々やらかしまくってたらな、いつのまにかこんな感じだ」
ここは先ほどの現場から少し離れた位置にあるベンチである。ペンキはすっかり剝げ、古臭くはあるが丈夫なのでいまだにろくに補習もされていないベンチだ。そこに気だるげに頬杖をついて座る僕は、やるせない笑顔を浮かべた。
例のずっこけ三人組は天霧さんが来たことに気付くと、大事にされたくないのか足早に逃げ出してしまったようだ。
「でもさ、目の前でいじめられてるやつがいたらふつう助けるだろ」
「そうね、でもそれは理想論だわ。言うは易し行うは難しの典型ね。仮にそうして助けても新しいいじめの標的になるだけ――ってあなた、もしかして」
天霧さんは信じられないといった風に目を見開いた。
「昔からそういうのはほっとけなくてなぁ。小坊のころも似たようなことがあった気がするしなあ。学ばないなあ、僕」
「……救いようのない馬鹿ね」
そりゃどうも。僕はひらひらと手を振って、壁の外を眺めた。
「それにあれだ。僕はこう見えて我慢強いしね。僕がこうしていじめられてる間は他の奴はいじめられないで済むんだ、そう考えりゃ安いもんだ」
「あなた……」
「あとあれだ、高山君は見てくれだけならアイドルグループだって目じゃないくらい可愛い男の娘だぞ。いじめられるのもこれはこれで逆にご褒美という考え方も」
「本当に救いようのない馬鹿ね」
あ、だめだ。暗くなりそうだった場の空気を換えようとしたら失敗した。天霧さんの視線が痛い。話を変えよう。
「うん、あと僕がいじめられっぱなしってのはだね、流石にいくら喧嘩が強くても数の暴力には敵わないっていうか、そんな感じのアレで」
「あなたは個人戦でも負けると思うわ」
「うん今そういう指摘は良いから」
何でこの人は僕の話の腰をへし折りに来るのか。いや、まあ確かに勝てるかどうかって言われたら個人的には絶対勝てるって言いたいけど実際はわかんないし、仕方ないちゃあ仕方ないが。
「いや、でもそれだけじゃなくってな」
僕はそばに落ちていた空き缶を拾い上げて近くのゴミ箱へと投げ込んだ。
「あいつは、高山君は、哀しそうな顔して僕をいじめるんだ。普通いじめってのは自分よりも下の人間を作るためだったり、ストレスを発散させるためだったり、兎角そういう理由でするもんだろ? なのに、あいつは僕のことをいじめているとき本当につらそうな顔をするんだ。僕にはそれが分からない。理解できない」
「……」
だから少し、ほんの少しだけ、高山健一という人間が知りたくなったんだ。
「あなたは、そんな理由でいじめを受け入れているの?」
「受け入れちゃいないさ抵抗してるもの。ただ数の力に勝ててないってだけでさ」
「不思議な人ね」
そう言って天霧さんは微笑んだ。
「そ、そういえばさ」
なんだか気恥しくなってきたので話を変える。
「何で僕みたいなやつを助けてくれたんだ?」
「助けてなどいないのだけれど」
「あ、そうですか」
そうかー、そうだよなーとうなだれる。よく考えてみればクラスメイトとはいえ、初日で目をつけられるようなことは避けたいはずだ。
「ただ、気に食わなかったから。それ以外に理由がいるのかしら」
かっこいいこの人。僕は思わず言葉を失った。こんな芯の通った人間にあったのは初めtいや前言撤回この人かっこよくない。かっこいい人はこの真面目な会話中に突然鼻眼鏡かけてあの吹いたら紙部分がピロピロ伸びる変な奴吹いたりしないもん。
「私の顔に何かついているかしら」
「色々ついてるよね」
というか何処から出したんだろうアレ。さっきまで手ぶらだったのに、凄い気になる。
「ところであなた、随分と身のこなしが軽いのね。少しは感心したわ」
ふと、天霧さんが僕のことをほめてきた。正直ぎょっとしたが、まあ確かにさっきの僕はいじめられっ子の動きはしていなかっただろう。多分二体一くらいなら勝てたと思うし。
「元々スーツアクター志望でね。ガキの頃から体は鍛えてるし独学だけど動画とか本とか読んである程度は戦えるよ」
「スーツアクター……って、あの特撮とかヒーローショーの?」
天霧さんは意外そうにこちらに聞き返してきた。
「そうだよ。まあ、孤児院暮らしだし、お金ないから。もうそれに関してはあきらめたけどね。今は高校を出てガードになるために勉強中だよ」
「ガード、ね。命の危険こそあるけれど、給料はいい方だものね。というかあなたまだ孤児院なの?」
天霧さんは腑に落ちないように顔をしかめた。一瞬何の話かと思ったが、ああ、確かに高校で孤児院暮らしってのはあんまり聞かないか。
「なあに、今のご時分、中々里親も決まらなくてね。今じゃバイトしながら学費稼いで勉学の日々ですとも」
「基本的な学費は無料でも諸費はかかる……か、あなたも大変ね。こんな生活なのに、いじめられたりして」
「まあそこはさっきも言ったが僕は鋼のメンタリティですし? 苦にして自殺なんて程気楽な生活も送ってないしね。自分の学費だけじゃなくって孤児院の運営費も多少なりとも稼がなきゃだし? これに関しちゃスーツアクターにあこがれて鍛えてた頃についた体力に感謝ですな。ははは」
「……」
おおう。先程に引き続き重苦しい空気が嫌でおどけてみたが、どうにも逆効果なような。強がりにしか聞こえないのかもしれない。別に強がってるわけでもないんだけどな。
「そろそろ五時間目の時間だから教室に戻りましょう」
天霧さんは突然そう告げるとすっと立ち上がった。そうか、もうそんな時間か。
「じゃあ先に行っていてよ。一緒に行くと、天霧さんまでクラスの皆に避けられる」
僕がそう言うと、天霧さんは静かに僕の腕をつかんだ。
「そういうのは無しよ。あなたごときに気を遣われるほど落ちぶれたつもりは無いわ」
「そういうかっこいい台詞は鼻眼鏡とかその変なピロピロとか外してから言おうぜ!?」
なんだかんだお互いに言い合いながら、まあ何とか時間までに教室に戻ると、まだ担任の野中先生は来ていないようだった。
皆がそろっている教室の中に入るのは色々と精神的に来るものがあるが、それよりも今は同級生からの刺すような視線の方がつらかった。
まあ、その視線は僕ではなく天霧さんに注がれていたが。転校初日でクラスの暗黙の了解を堂々と破って見せたのだから、注目されるのは仕方がないか、そう思いながら隣を見ると、まだ鼻眼鏡とピロピロする奴を装備していた。
いつまでつけてるんだろ。そりゃ注目もされるわな。苦笑いしながら僕はそっと席に着いた。
それにしても、今日は孤児院の皆に色々と頼まれていたんだっけな。去年の【次元接触】でまた随分と孤児が増えたから、うちの経営も結構厳しいのだが、その分僕が頑張ればいいだけだ。今日もバイトが入っているが、ガードに入隊するために行った検査の結果も今日出るらしいし、何よりも孤児院の子供たちに絵本を読んでほしいとせがまれているから、図書館にもよって帰らなければ。
色々と忙しいし大変だが、僕は今の生活で十分に幸せなのだ。ぶっちゃけ高山君たちのいじめもどきもうっとうしいだけで大してダメージはないし。この厳しいご時世孤児院で戦い続ける男のメンタリティなめんな。しつこく孤児院にやってきては土地を奪おうとする地上げ屋と比べればかわいいもんだ。
だから早く高校を出てガードに入隊して、孤児院の皆に楽をさせてあげたいのだ、僕は。だから今何故か先生が来ないのを待つ間、ガードが無料で公開している教本を読んで待っているというわけである。
それにしたって今日はやけに外が静かだ。いつもはセミやなんかの大合唱でうるさいくらいだっていうのに。
◆ ◆ ◆
一番最初に気付いたのは、一体誰だったろうか。窓の外が真っ白で何もない空間になっていることに。