開戦(前)
到着した先では、兵士の皆さんが剣と防具を携えて石垣を盾に身を潜めていた。
彼らが緊張しながら睨み付ける先は、目と鼻の先にある森の中だ。
「随分と木が覆い茂っていますが、これがいわゆる密林というやつですか」
帰って来られないのではないか、と不安を抱くほどの視界の悪さ。
きっとあれは境界線なのだ。
ここまでが人の陣地とするならば、あの森は魔物の領土に違いない。
「……よし、索敵任務の三名以外は配置に着いているな。いつも通り、攻撃の指示は吾輩が出す。それまでは各員、防御態勢のまま後方で待機せよ」
「やっと色々な魔物が見られるんですか。俺、羽根のある魔物以外は知らないので気になって仕方ありません」
「………………」
イーシュさんは不味い食事をしたように顔を歪めて、俺の背後で剣を抜いたエレナさんと会話を始める。
「おい、コイツは何を言っているんだ」
「クロー様の世界では魔物は居ないとか」
「なに?」
「さらにクロー様は我が国に来てから二日未満。しかも本来であれば絶対安全領域たる伯爵様の領地で過ごされていたのですから、魔物に慣れていないのは当然です」
「温室育ちめ。つまり道中で、一度も魔物に出会わなかったと言う事か。幸運にも程があるぞ、忌々しい」
ふて腐れたように言い捨てながら、それでもイーシュさんは緑が溢れる方を指さし、俺に近付く。
「喜べ、異界の魔法師。お前の望む魔物は、あの森の中だ」
「……まったく姿が見えませんよ?」
「部下が発見したのは偵察役だ。すぐに主力を引き連れてやって来るさ」
そんなイーシュさんの言葉を肯定するように、敵影を探っていたらしい兵士の一人が報告にやって来た。
「隊長、先程の敵を発見しました。その背後に三十の魔物を確認。現在は一体のみが先行して、こちらに向かって来ています。おそらく一番槍です」
「あれ? 三十って、こちらの数を上回っていませんか?」
そう言いながら周囲を確認すれば、二十人の兵士と視線が合う。
アッカド基地で戦える兵力は、既にこれだけらしい。その現実を無視するようにイーシュさんは目を瞑って言葉を続けた。
「……方角と距離は?」
「コチラが見ている事に気付かれて、妨害を受けました。ですが直前までの情報から推察するに、この位置から真正面に進行しているかと思われます」
「了解した。お前は他の兵士達と合流しろ、ここは吾輩だけで十分だ」
「あ、俺も残りますね。その為に来たわけですし」
「……死にたいのか。悪い事は言わん、ここから離れろ。いかに伯爵が推挙しても、実力を知らない内から戦場を任せるほど吾輩は愚者ではない」
「邪魔はしません。それはソフィア姫も同じ意見でしょう」
左手を挙げて意思表示し、俺は周囲に同意を得ようと見渡す。
そしてどうやら、俺の意見は全員一致という訳でも無いらしいと理解した。
「申し訳ございませんが、私と姫様は後方で待機させて頂きます」
「……エレナ、納得できる理由を言いなさい。私だって戦う為にここに居るのよ?」
真顔で尋ねるソフィア姫だが、声色で不満を抱いているのは明白だった。
それに対し、エレナさんは満面の笑みで応対する。
「私は姫様を護衛する役目があります。そして姫様の得意とされる火炎魔法を放てば、辺り一帯が火の海と化しますので」
「わ、私を加減の知らない猪だとでも言う気? きちんと調整すれば、多少の失敗があっても僅かな延焼程度で済ませられるわよッ」
「経験不足のまま戦うのは危険です。先日のように魔術の操作を誤って、敵陣では無く味方を焼き払う可能性も在ります。姫様は自爆で全滅という未来を否定できますか」
「――――」
その指摘はソフィア姫の表情を凍らせた。
悔しそうにしながらも反論できずにいるソフィア姫を見て、今度はイーシュさんが視線を森の中に戻して語る。
「そもそも火炎系の魔法は控えて頂きたい。接近戦が基本的戦術なのです。火の粉が飛べば吾輩達にも危険が及ぶし、周囲に延焼すれば命取りになる」
「……ふん。つまり私は、完全な足手まといという訳ね。えぇ、これでも身の程は弁えているわ、ここは潔く引きましょう」
もっと粘るかと思っていたのに、ソフィア姫は予想よりも聞き分けが良かった。
ただし、後方へと進む足をクルリと反転させると、こう呟いた。
「予め忠告するわ。私は戦うことを諦めたわけじゃないの。必要と感じたら直ぐさま魔法で介入するから、気を引き締めて魔物に挑む事ね」
返事は期待していなかったのか、そのまま再び後退を開始するソフィア姫と、その後に続くエレナさん。
ソレとは逆に前方へと進むのは、俺とイーシュさんの二人である。
「そこまで死に急ぎたいなら止めないがな。いったい、お前は何が出来るのだ?」
「多分、色々な魔法とか使えます。自分でも何を使えるのか把握してませんけど」
「それはそれは。じつに、頼もしい救援部隊だな」
「ありがとうございます」
「褒めていない。皮肉と気付け、吾輩は貴様の戦闘技能を知りたいのだ」
「むしろ俺が知りたいです。イーシュさんはどうやって魔物と戦うんですか?」
「……質問を質問で返すな馬鹿者め」
そう言いながら、イーシュさんは何か我慢するように目を瞑った。
直後、その両手に小さな魔方陣が出現する。
「我が拳は盾となり、我が両足は剣となりて、敵を屠る武具と化す」
【ほう。鉄壁の護身か。徒手空拳の使い手だな】
面白そうに呟く神様だが、俺には何のことだがサッパリ判らない。
思わぬ難問に戸惑っていると、意外なことに本人からの解答が得られた。
「この詠唱は最短の呪文で魔力の膜を張るだけの、身体強化系の中では最小限の効果しか得られない接近戦用の魔法だ。吾輩の魔力は少なく、ここの装備品は乏しい。ゆえに剣さえ帯刀せずに、素手で戦う闘拳士という道を選んだのだ」
「選んだ、と言う割りには不本意そうな顔をしてませんか?」
今度は沈黙で返された。
どうやらイーシュさんは、無駄話を好まないらしい。
「……一番槍が姿を現したのなら、同じ方向から一定間隔で攻めてくる。一回につき約三体の魔物が出撃する波状攻撃で、その間隔は短い。素早く各個撃破を優先しろ」
【待て。やけに具体的に敵の行動を口にしたが、その根拠は何だ】
「経験則と言うほかない。ここ最近、自然現象であるかのように魔物達の行動が規則的なのだ。おかげで対策しやすくて助かるがな」
【ばかな。魔物に決まった習性など無い。同じ行動を繰り返すというなら、ソコには何かしらの意図が隠されているはずだ】
「……そうだとしても、もしもに備える余裕など無い。今は最も安全に戦える選択肢に縋るしか無いというわけだ」
イーシュさんは進行を止め、ボクシングの選手みたいに拳を構え前方を見据える。
森の中に入る気は無いようだが、それだけ内部が危険なのだろうか。
「来る場所が判っているなら、集中攻撃をした方が良いのでは?」
「まともな攻撃力は吾輩以外は期待できん。他の者は耐えながら、吾輩の救援を待つという戦い方だ。だからといって単騎で飛び込めば袋のネズミだろう。ゆえに、吾輩は最も魔物が襲来するギリギリの場所に立つ」
【……少ない兵力が原因なのだろうが、相手に先手を譲ってどうする。クローには広範囲の攻撃魔法がある。防衛戦より攻め入った方が得策だ】
「新参者の戯れ言など、何の説得力もない。経験と実績こそが信用できるのだ。文句を言うなら戦果を出した後にして貰おう」
……その言葉に触発されたように、森の奥から獣のような雄叫びが木霊する。
周囲の緊張は最高潮にまで達し、向こうから口火が切られた。
とうとう、魔物と人による開戦が始まったのである。