歪な修復関係
……あぁ、イーシュさんが目の前に居る。
想像だと怒っていると思ったのに、実際には穏やかな表情で近付いてきた。
「先程は済まなかった。追いかけては迷惑だと思い、探すつもりもなかったのだが。まさか訪問予定だった墓地に居るとは思わなかった」
ペコリと下げられた頭を前にして、俺の足は縫い付けられたように動かない。
会いたくないのなら逃げるのが正解だと判っているのに、イーシュさんが顔を上げてなお、身体は停止したままだった。
――そんな俺の事情など考慮せず、ソフィア姫がイーシュさんに話しかける。
「時間通りね、男爵。貴方に頼まれた仕事は無事に終えたわ。魔力の乱れも収まったし当面は魔物も産まれないでしょう」
「感謝致します、姫殿下。王族たる貴方に鎮魂の儀式を施され、散った部下達も報われた事でしょう。この地を今後とも守護する吾輩達にとっては栄誉でもある」
「えぇ、そう言って貰えて私も有り難いわ」
色んな遺恨がある筈なのに、二人は何事もないかのようにさらりと受け流す。
因縁を知った俺からすれば異常なことだが、両者とも平然としているのは死生観が違うという他なかった。過去を割り切りすぎて、正直ついて行けない。
「さて、と。これから私は基地に戻って、到着しているであろう南方の権力者と交渉する手筈なの。だから後の事はお願いね、男爵」
「……む。後のこととは?」
「少しクローから事情を聞いたけれど、口喧嘩をしたのでしょう。ココなら邪魔されずに仲直りできるのだから、そうしなさいな。まだ事後処理が多いのは判っているけれど、和解するのに必要な情報は与えてあるわ。なら早期解決は可能でしょう」
「なるほど。先程からクローが大人しい理由が判りました。アッカド基地の昔話でもされましたか」
「あくまでも少し触れた程度だわ。私自身、深く語れる立場ではないもの。だから貴方に頼むのよ。私では、クローの心は動かせない」
少し寂しそうに呟いて、ソフィア姫は一本道を引き返していく。
その背中にイーシュさんは静かに一礼すると、今度こそ俺の目を見て口を開いた。
「姫殿下はああ仰っていたが、クローはソレで構わないのか? 吾輩には揉めているという認識はなかったが、クローにとっては喧嘩のようなものだったのだろうか」
「…………」
そう言われたが、俺としても判断に困って沈黙してしまう。
さっきイーシュさんに取った俺の態度は、トラウマを刺激されたことに対しての八つ当たりであったようにも思うのだ。
そう悩む俺を前にして、イーシュさんは空を仰いで何か懐かしむように語り始めた。
「まぁ、良い機会なのだろう。話し合いは必要と感じていたのだ。クローには少し、吾輩の昔話に付き合って欲しい。なに、そこまで時間は取らんさ」
まるで世間話でもするような気軽さで呟かれる。
ただ、その表情は陰が差していた。ゆえに楽しい事ではないと悟ってしまう。
「――今更ながらに告白してしまえば。吾輩はアッカド基地の指揮官であると同時に、この国における犯罪者なのだ」
森の中に吹く風と共に、聞きたくも無い言葉が耳に触れる。
犯罪者。心が乱れる不快な言葉だ。ソフィア姫から事前に言われなければ、俺は耳を塞いでそれ以上は拒絶していたかも知れない。
だが今の俺は聞きたくない嫌悪感より、知りたい欲求の方が勝っていた。
「吾輩には兄が居た。身体が弱く戦いには向かない人だったが、貴族の長子という立場故に戦場へ出される事になってな。それを抗議したり防ぐ為に奔走していたら、吾輩が代役としてアッカド基地へと押し込まれたという訳だ。以上」
「え?」
「それほど時間は取らんと言っただろう?」
躊躇うことなく、あっさりと。
悪びれもせずにイーシュさんは自分の罪状を白状する。
しかしそれは想像以上に、何というか。
「理解できませんね。戦場に送られる理由としては、あまり凶悪な感じがしません」
「逃亡未遂だそうだ。企てた気は無いが、そういう事になっていた」
「つまり事実無根、冤罪って事ですか?」
「まぁ、重犯罪を咎められた者は既に尽きていたからな。しかし基地を維持する為に最低一人は魔法師が必要だったのだろう。吾輩の配属は、アッカド基地で戦っていた最後の魔法師が死亡した時に決まったらしい」
「それだと、まるで生け贄として送られたのだと聞こえるのですが」
苦笑いを浮かべるものの、イーシュさんは答えない。
同意も反論もせず、ただ過去の続きを口にした。
「ここに来たばかりの頃は、吾輩を追いやった国を恨んだものだ。貴族という裕福な生活を送っていたからな、個室とは言えボロ小屋に住むなど耐えられないと思った。そして次に、同じ境遇になった頼りない兵士を侮蔑した。魔法の使えない連中だと」
「……信じられません。今のイーシュさんからは想像できない」
むしろ部下を大事にして、アッカド基地に誇りさえ持っているという印象だ。
それが過去とは言え、仲間にさえ嫌悪があったと言われては目を丸くするほか無い。
「今と昔で態度が違うのは、その思い上がりに後悔を抱いたからだ」
「後悔?」
「配属されて魔物を退治する事となった最初の日、二十体ほどの魔物が基地を襲った。吾輩にとっては初陣だったが、負ける気はなかった。魔法が使えぬとはいえ、百名もの兵士を投入できたのだ。まぁ、その傲慢さが敗因だったが」
「敗因? まさか、たった二十体の魔物相手に負けたんですか?」
「そうとも。吾輩の指揮下で五名の死者と二十名の負傷者を作った。その時、吾輩は生まれて初めて罪悪感というものを学んだのだ」
そう語るイーシュさんの顔は歪み、自己嫌悪に満ちていた。
いっそ殺気さえ感じられる気迫は全て、過去の自分に向けられている。
……そう断言できるのは俺にも似た経験があるからだ。
だが、俺とイーシュさんでは決定的に違う事がある。
「あの時に受けた損害と恐怖は未だに忘れられない。しかし何度か戦い続けていく内に吾輩達は身を以て知ったこともある。たとえ不仲な相手であっても、協力しなければ生きてはいけないと」
まるで消えていく宝箱を惜しむように、イーシュさんは目を細めた。
不甲斐なかった自分への怒りを見せたくせに、その過去を受け入れている。
つまるところ、俺と違ってイーシュさんは克服した人間という事だ。
「生き残るには連携が必要だと、基地に居た誰もが隣人と親しくなろうと努めた。そういう意味では、最初は利害関係だったかも知れない。だがそんな日が続けば、肩を並べて戦う者は大切な仲間に他ならなかった。失いたくないと心の底から望んだ。それが今のアッカド基地に残った精鋭達を支えている、原動力だ」
そう言い放つ人物を前にして、俺は何故か太陽のような眩しさを感じた。
自ら犯罪者と公言したのに、気後れや卑屈な態度など皆無でむしろ誇りさえ感じられる堂々っぷりに、劣等感が滲み出る。
「……何で、もっと早くに教えてくれなかったんですか」
「部下達の名誉に関わる話だ、慎重にもなるさ」
「たしかにイーシュさん達が犯罪者扱いされていたのは驚きましたけど、だからといって軽蔑することはしません。そういう人間だと思われていたことの方が心外だ」
「それは有り難い。あぁ確かに、これならもっと早くに教えておくべきだった」
安堵した表情を見せるイーシュさんに、やはり俺の顔は曇った。
こういう状況になって初めて話すと言う事は本来、知って欲しくは無かった過去ということなのだろう。
「吾輩の余計な気遣いで気分を害させて済まなかったな、クロー」
「……別に、謝る必要は無いですよ。反省が必要だというなら、俺の方こそ基地から逃げるような真似をして迷惑を掛けましたから」
「そうか。だがクローに落ち度はあるまい。正直に言えば、吾輩の八つ当たりのような言動で、お前の心に踏み込みすぎたと思っていたのだ」
「八つ当たり、ですか?」
意外な言葉に目を丸くする。
あれは、新参者のやった出過ぎた真似を怒った事だと思っていたのに。
「ここには吾輩とクローしか居ない、だからこそ言える事なのだがな。部下の死を嘆くクローの姿を見て、吾輩は自分の過去と比較してしまったのだ。たった二名の犠牲で済んだのに、どうして悲観するのか。では今までそれ以上の犠牲を出してきた吾輩は、一体何なのかと」
「――――」
「あぁ、今の吾輩の言葉に愕然とするのも無理はない。仲間が死んでいく事に慣れすぎた自分が居る事に気づいているが、それが正しいのだと思い込みたかった」
「俺には難しい話が分かりません。ただ、不思議ではあります。いくら部隊を預かる立場の人であっても、同じ境遇に追いやられた人が亡くなっているのに、それが少ない犠牲だと冷静に考えられるんですか?」
「耐性は嫌でも付く。たとえば今日死んだのはラガシュとナラムという者達だ。吾輩よりも以前からアッカド基地で戦っていた古株だった。仲間が死ぬ事は何度も経験したが、長い付き合いのある者を失うのは辛いに決まっている。なのに散った者達に対して取り乱すほどの未練を、すでに吾輩は持ち合わせていない。さすがに、これを自覚した時は己の人間性について不安を抱いたよ」
それは紛れもなく、イーシュさんが初めて俺に見せた弱音だった。
力強い軍人ではなく、俺より少し年上なだけの普通の人間がそこに居た。
「だからクローが二人が死んだ責任を抱え込もうとした時、自分の冷酷さと無能ぶりを否定したくて過剰に諫めたのだろう。取り乱した態度を出せば部隊が乱れる。泣いたところで死者は蘇らない。戦意の低下を招く言動を叱るのも吾輩の責務なのだ、と」
「……イーシュさんが俺に責任を問わないことにも、それなりの事情があるのだと言う事は理解できました。ですが、その主張は納得はしづらいです。失態を反省するな、というのは部隊を預かる人として間違っています」
「ゴーレム打倒を優先したお前を止めず、そのまま荷担したのは他でもない吾輩だ。ソレが必要なことで正しいと信じた。結果、二名の犠牲を対価に南方の平穏に繋がる成果を得た。そういう意味では吾輩にこそ、責任はあるのだがな」
「どうやら此処の部分だけは、平行線のようですね」
「そうか、それは仕方の無い事だな。まぁ、その感傷はクローのものだ。だが現状、我が部隊における主力はお前だ。その要が、ああも目立つように取り乱れては部隊にも支障が出るのだ。それは理解して欲しい」
「では、どうしろと?」
「心の中で反省し続ければ良い。今後は部隊に影響を与えない範囲なら、クロー個人の嘆きを否定しないと約束する」
このイーシュさんの判断は俺にとって歓迎するほかないものだった。
もはや意地になって反発する理由が、見当たらないほどに。
「……なるほど。わかりました、それで妥協しましょう。落とし所としては適切だと思いますから」
「うむ、その様子なら嫌われた訳ではないらしい。吾輩としてはそれが嬉しいよ」
職業軍人の成せる業なのか、そう告げたイーシュさんの切り替えは早かった。
だらだらと会話を続けず、用事は済ませたとばかりに颯爽と背中を見せる。
「では、吾輩は基地に戻るとしよう。未だ生きる者はやるべき事が多いからな」
まるで日常会話のような平坦な声だった。
その余りの淡泊さに、俺の方が未練がましく声をかけてしまう。
「……あの。最後に一つ聞きたいことがあります」
「なにか、気に掛かることでも残したか?」
「結局、イーシュさんはお兄さんを守れたのでしょうか。じつはアッカド基地に居るんですか。それとも別の何処かで戦っているんですか」
こんな失礼な質問をしたのは、単純に知りたかったからだ。
一生懸命戦うイーシュさんの頑張りは、一体何処まで報われているのかを。
「秘密だ」
「え?」
「クロー、それはもう終わった話なのだ。兄のその後は、教えられん」
……切っ掛けになった過去を語っておきながら、その結末は話さないんですか。
と、口にすることは憚られた。
「アッカド基地に居る仲間達が最も守りたい存在であり、吾輩の全てだ。それ以外の関係性を持つ人間は、もう居ない」
そう寂しそうに笑うイーシュさんは、もう質問は受け付けないという気配を作りながら歩き出していく。
……人の死に慣れたと嘯くのに、克服できない過去はあるらしい。
そんな仄暗い共感性を伴いながら、俺は黙ってその背中を追いかけることにした。




