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逃げた先には

 ……いったい、どれだけの時間が過ぎたのだろう。

 イーシュさんの姿が消え声が届かず、呼吸が乱れても足は止まらなかった。

 現実逃避という他ないが、あの場に留まるより走った方が楽だったのだ。

 しかしそんな離脱の為の歩みも徐々に減速し、停止へと向かう。

 目的地など無かったが、それでも辿り着く場所はあるらしい。


「ここは墓、でしょうか?」


 人工的に切り開かれた森の一角に、歪な石が規則正しく並んでいた。

 帝国兵士達の墓石とは比べものにならないほど粗末だが、それでも名前らしい文字が刻まれている。その側には花が添えられているのだから、まず間違いないだろう。


「……森の中なのに草が覆い茂っていないし、お供え物の花束や果実も腐っていない。ということは、定期的に管理されている?」


 目を引くような装飾や贅沢は皆無だが、此処には献身的な誠意があった。

 ……煌びやかではないが、不気味とも思わない素朴な風景だ。

 そんな感慨に耽っていると、ザッという人の足音が耳に入る。

 驚き振り向くとイーシュさんが居る、という訳ではなかった。


「あら、クロー。まさか、貴方がこの場所に来るとは思わなかったわ」


 現れたのは護衛を付けず、たった一人で行動しているソフィア姫だ。 

 意外そうに目を丸くした彼女と「どうしてココに」という言葉が重なる。

 そうやって互いに疑問を口にすれば、後は自然に会話が続く。

 まぁ、俺が一方的に喋らされていたのだけれど。 


「ふーん。貴方の話をまとめると、男爵と喧嘩して、ここまで逃げてきたと。意外だったけど、クローにも怒る感情があったのね」


 ここまで来た経緯を手短に伝えると、ソフィア姫は感心したように驚いた。

 落ち込んでいた自分としては、じつに不愉快な表情だ。


「心外ですね。別に、俺にだって譲れないものくらいあります」

「そう、年相応の反応があって安心するわ」

「どういう意味ですか、それ」

「だって、今までのクローは破滅願望者にしか見えなかったもの。誰かに反発したり感情を乱して拗ねてる方が、人間味を感じて親近感が沸くというものだわ」

「いくら何でも失礼が過ぎます。誠実で謙虚な生き方を心がけているのに、俺にはまるで似合っていないと言われたみたいだ」

「えぇ。その通りでしょ、実際。従順なようでいて、自分が納得しないと反発する頑固なところがあるし。謙虚を意識するって事は、自己中心的な面があると自覚している証拠だと思うわ」

「…………」


 自己中心的、という言葉は耳が痛かった。

 元居た世界でも、人助けする為の行動がそんな風に扱われた事もあったからだ。

 昔を思い出して押し黙った俺を見て、ソフィア姫は寛容な笑顔を見せる。


「……ソフィア姫は、俺の不手際を責めないんですか?」

「まさか。不手際を責めると言うのなら、この混乱している国を作った王族こそ糾弾されるべきだと自覚してるもの。貴方こそ、私に言いたい事があるなら遠慮せず言ってみなさいな?」

「呆れた。嫌味じゃ無くて親切心で言ってるんですよね、それ。文句や反抗心を聞きたがる王族が居るとは驚きです」

「あら、愚痴を聞いて親睦を深めるのは人心掌握における基礎なのだけれど。ちょうど私も役目を終えたところだし、待ち時間も少しあるの。その間だけでも、お互いに語り合ってみるのも悪くないわ」

「……参りました。そこまで堂々と言われては、コッチの毒気も抜けますね」

「それは朗報ね。なにか話してみる気になったなら尚、良いけれど」


 煮えていた気分を溜息で冷まして気持ちを切り替えることにする。

 感情的な自己主張をする気は無いが、会話を望むという点は俺も共通していた。


「愚痴を言う気にはなりませんが、こうやって話すと少し冷静になれますね。そのおかげで少し、聞きそびれたことを改めて尋ねたくなりました」

「ふぅん、なにかしら?」

「どうしてソフィア姫はここに居るんですか。すぐさま放とうとする破壊魔法で二次被害を増やさないよう、無人の場所に隔離されてたとか?」


 からかわれた仕返しに、わざと茶化して質問する。

 てっきり冗談が返ってくると思っていたが、意外な事にソフィア姫は真剣な顔で俺をじっと見た。


「……ここに居るのは男爵に頼まれたからだけれど。その理由については、そうね。そろそろクローも、アッカド基地や此処について知っておく必要があるかも知れないわ」

「意味深な物言いですね。なにか秘密でも隠されているんですか?」

「貴方に打ち明けていない過去があるのよ。察しは付いているかも知れないけれど、ここはアッカド基地で戦って死んだ兵士が眠る土地なの」

「まぁ、そんな気はしてましたが。でも、それが秘密ですか?」

「まさか。重要なのは、死んだ彼らが恩讐を抱えていたと言う事。簡潔に言えば、魔力の淀みと死者が残した感情の残滓で、魔物が出現しかけていたのよね」

「は?」

「もちろん、今は問題ないわ。さっき私が浄化したから」

「……すみません。浄化とやらが何か説明して欲しいのですが」

「特殊な火炎魔法によって、魔力の淀みを正常化することよ。準備に手間が掛かるし小さな範囲でしか効果は無いけれど、それで魔物の発生を防げるわ」


 事も無げに、非常事態を匂わせる言葉を放つソフィア姫。

 いや確かに此処も森の中だ。魔物の残党もいるし、危険な場所である。

 だがすでに大打撃を受けた状態で、さらに昔の仲間から追い打ちを掛けられそうになっていたという事実は、あまりにも残酷に思えた。


「……待ってください。つまりイーシュさん達は危うく、かつての仲間と戦う羽目になっていたと言う事ですか」

「えぇ。あのまま放置していたらゴーレム退治で飛散した魔力の影響で、ここから何体か産まれていたでしょうね」

「じゃあ此処に眠る人達が、仲間を傷付けることを望んでいたと言うのですか?」

「魔物になった時点で生前の意識とは関係なく、人を襲うわ。それが習性だから。仮に仲間を襲わないとしても、それ以外の人間が死ぬ羽目になる」

「………」


 ソフィア姫の言葉を聞いて、帝国兵の死体が魔物化した夜の出来事を思い出す。

 セレネ将軍は躊躇なく切り捨てたが、イーシュさんがアレと同じような魔物と対峙した時、果たしてあの人は割り切れるのだろうか。

 それを想像するだけで、俺の方が不安に駆られそうになる。

 しかし、どうやら秘密はコレだけではないらしい。


「でも魔物になってしまうくらい怨恨を持つのは仕方ないとさえ思うわ。彼らは理不尽な刑罰によって死んだのだから」

「え?」

「簡潔に言えばね、アッカド基地の兵士は罪人で構成されている部隊なのよ。ここは戦いから逃げた人間達が、強制敵に兵役を課せられて眠る場所。ほら、ソレを知ってしまえば魔物が産まれても不思議じゃないと思うでしょう?」

「――――」


 今度こそショックで言葉を失う。

 罪人という汚名は余りにも衝撃的で、さっきまであった感傷さえ吹き飛んでしまったほどだ。

 あれだけ命を賭して戦える人達に何故、そんな悪評が与えられたというのか。


「有り得ない。信じられませんよ。虚言ですよね、きっと濡れ衣だ。誰かに擦り付けられた冤罪なんでしょう?」


 そうだ、と頷いて欲しかった。たとえ嘘であっても、信じるつもりだった。

 なのにソフィア姫は、残念そうに首を横に振りながら否定する。


「さっきも言ったけれど、罪状は敵前逃亡。彼らはアッカド基地に来る以前、討伐すべき魔物と戦わず国外へ出立する途中に現行犯で捕らえられたわ。その過ちを犯した者を収容し、見せしめも兼ねて孤立無援で戦わせる監獄、それがアッカド基地よ」

「……なんですか、それ。じゃあ此処に眠っている人達は、誰一人として自ら望んで戦って死んだんじゃないってことですか?」

「私に死者の気持ちは分からないけれど、遺骸を核として魔物化しけていたのは事実なのだから、恨み言があったのは確かでしょうね」

「嘘だ。だって、あの人達の懸命に戦う姿は、とても勇敢でした。仲間の為に命だって惜しまない絆があった。出会って間もない俺達を助けてくれた。それこそ憎んでもおかしくないソフィア姫にさえ、敬意を示していたじゃないですかッ」


 認めたくない、拒否したいという欲求でソフィア姫を睨み付ける。

 それでも彼女は怯まない。批判など覚悟の上だと言わんばかりの真っ直ぐな視線はこちらに焦燥感を与え、俺の方が言い逃れのような早口を発生させた。


「敵前逃亡した集団が、命懸けで国の為に戦うなんて有り得ません。バカな俺にだって脱走した方がマシだって事くらい判ります」


 今考えつく限りで最大の矛盾点を突いたつもりだった。

 彼らの国を守る行動原理が、罪滅ぼしの為だなんて思いたくない。

 俺はどうしても、イーシュさん達が自分と同じ境遇だなんて信じたくないのだ。

 それが自分勝手な、我が侭な憧憬だとしても。

 彼らの仲間を思いやり役目に誇りを持つ生き様は、かつて俺を助けてくれた恩人のように、無償の善意であって欲しかったのだ。

 けれどソフィア姫は夢を打ち壊すように、容赦なく現実を突き付けてきた。


「もし再び逃亡すれば、別の場所に隔離されている身内が連座で罰せられるのよ。それを恐れているからこそ彼らは戦っているの。家族を守る為に戦うって、凄く分かり易い理由でしょう?」

「そんなバカな。国家が、守るべき領民を人質にして戦わせているんですか?」

「軽蔑した? でも、この国ではそれが法律で常識なの。犠牲になるのは罪人だからと誤魔化して、何年も犠牲にしてきた生き物。それが、貴方が命を賭して救おうとしている私達の正体って訳ね」


 返す言葉が無かった。

 決して、失望から会話を捨てたわけでは無い。

 国の正当性を口にするソフィア姫の顔が、とても悲しそうだったからである。

 その表情を見てようやく気付く。きっとソフィア姫自身が、その事実に誰よりも嫌悪しているのだと。


「すみません、どうやら突然の情報に取り乱していたようです。ソフィア姫が悪い訳じゃないのに」

「別に気遣いや遠慮は要らないわよ。私自身、クローの言い分は正しいと思うもの。だから批判や軽蔑は甘んじて受け付けるわよ」

「……止めてくださいよ。俺も偉そうに正義感を振りかざせる立場ではありません。何より、この件はソフィア姫が決めた事じゃないんでしょう?」

「罰則で定まっているとしても、ソレを言い訳に逃げては王族失格でしょう。命を賭して魔物と戦った者達が、死して仲間に牙を剥こうとした事実は重く受け止めなくてはいけないわ。それが為政者として、最低限の勤めでもあると思うから」


 今の言葉を出せるのは、ソフィア姫が善良である証だと思う。

 少なくとも、同じ権力者であるモート伯爵やセレネ将軍より誠実だろう。

 ……もちろん、嫌なことから逃げてしまう俺よりも。


「で、どう? アッカド基地の秘密を知った感想は。私としては、出来ることなら公表したくはなかった国の暗部なのだけれど」

「あまり喜べる話ではなかったのは確かですが、聞いてみると不思議ですね。今まで隠していたのに、都合の悪い真実だと自覚していながら何で教えたんですか?」

「……言ったでしょう。クローには知る必要があると思ったからよ。貴方にとってもアッカド基地は他人事じゃない、思い入れのある場所になった。そうじゃなきゃ、きっと男爵とも喧嘩なんてしなかったでしょう?」

「まるで、俺の為を思ってやったかのような口ぶりですね」

「えぇそうね。教える事で、第三者の意見も欲しかったって言うのもあるけれど。貴方の言葉で改めて理解できたわ。南方の治安回復は当然として、アッカド基地の兵士達は報われなければいけない。それが、ここで死んだ者達への私なりの鎮魂になると思うから」

「なるほど、それは素敵な計画です。具体的に何をしたら良いのか分かりませんが、俺も協力は惜しみませんよ。イーシュさん達には大きな借りを作ってしまいましたから」

「借り、ね。まぁ心強い味方だもの、素直に嬉しいわ。でも既にやるべき事は手配してあるの。まず発案者が行動するのは当然。だから、当面は大船に乗ったつもりでいて」

「はい?」

「エレナを使者にして南方の領主達に救援を要請しておいたの。王族の私が避難ではなく現場待機をしている以上、彼らが兵士や物資を連れてやって来るのに時間は掛からないでしょう。少なくとも、今の状況より悪化することは無い筈よ」

「……そうだったんですか」


 今度はコチラが驚く番だった。有言実行、早過ぎる。

 何より王族としての権力を行使することに遠慮が無いのは意外だ。


「すみません。俺はてっきり、ソフィア姫は南方の有力者に大きな貸しを作ることを嫌がっていたのかと邪推していました」

「あぁ、最初からそうすれば良かったと言いたいのね。でも、今だからこそ可能な手段とも言えるのよ。ゴーレムを破壊した功績と結果を得た状態だからこそ、南方の平穏の鍵は間違いなくアッカド基地周辺にあると確信できる。罪人の収容所ではなく、重要拠点だと判断できたからこそ、人を呼べたのよ」

「でも最初から多くの人間が此処に居れば、少なくとも二人は死にませんでした」

「クロー。その仮定に胸を痛めるより、犠牲が無駄ではなかったと前向きに捉える努力をした方が余程良いわ。そもそもモート伯爵の砦に居た時でさえ、二人死んでいる。言葉は悪いけれど、救えない命はあるのだと割りきらないと。きっと心が壊れてしまう」


 ……あぁ、そうだった。魔物が襲撃したとき、確かにモート伯爵が何人か死んたと言っていた。あの時は自分の責任ではないから、と気にも掛けなかったけれど。


「なるほど。どうやら想定以上に、この世界のあり方は過酷のようですね」


 元居た世界でも、身の安全や生活の保障は完璧ではなかった。しかし、この国ほど命というモノが軽んじられていなかったし、殺伐ともしていなかった。

 この世界の日常に比べれば、俺の不幸など大したことが無かったのではないか、とさえ錯覚してしまう。


「けれど、こんな大変な状況なのに何でもっと助け合わないんでしょうか。利益や刑罰なんて言っている余裕なんて無いと思いますが」

「耳が痛いわね。でもそうね。王族の私が言うのもアレだけど、魔物の増殖だけで国が滅びかけている訳ではないと言う事よ。アッカド基地の救援要請でさえ王家と南方領主の間に政治が絡むし、余り使いたくなかった奥の手ではあるのよ」


『今まで無視していた人達が、素直に手を差し伸べる訳ないでしょう』と皮肉めいた顔で語るソフィア姫を、俺は複雑な気持ちで見つめた。

 こういう部分があるから、神様は積極的に国を救わないのかもしれない。

 皮肉な事だが、そんな気持ちに陥った今だからこそ、判ることも出来た。


「善意だけで助けてくれないのが当たり前なら、最初の頃にイーシュさんが俺達を歓迎しなかった気持ちも、少しわかる気がします」

 明日の命も保証されない魔境に住み、周囲は損得勘定でしか動かない人達では、そう簡単に誰かを信用できないのも当然だ。だからこそ仲間の結束も固いのだろう。

「でも今は違うでしょう、クロー。私を初めとした王国民、アッカド基地の兵士も貴方に感謝しているわ。落ち込んでいるより、誇らそうにして欲しいくらいね」

「……そうやって、慰めてくれていることは判ります。でも、どう言われても自分の意見は変えません。救えた命を無くしたのは、俺の落ち度です」


瞬きするだけで、まだ二人の遺体が目に浮かぶ。

 まるで石像のように硬かったイーシュさんの表情が、心に深く突き刺さる。

 無感情を装っていたけれど、あれはなにか耐えるように我慢していただけだ。

 ……ああいう不幸は、もう見たくはない。


「困ったわね。重症過ぎて手に負えない。まぁ仕方ないわね、この手の解決は経験者に任せるのが定石だもの」

「ちょっと待ってください。いったい、何の話ですか」

「私は言ったわよ。ココには男爵の依頼で来たって。なら、仕事の様子を見に来ても不思議じゃないでしょう?」

「あ」


 現在の状況を正しく理解し、血の気が引く。

 彼女に落ち度はないが、それでも俺は罠に嵌められた気分に陥った。

 会話の性で忘れかけていたが、俺は此処まで逃げ込んでいたのである。

 では脱兎の如く去らねば、と足を動かそうとしたのも束の間。


「おや、ここに居たのか。クロー」


 その聞き覚えのある声に身体が硬直した。

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