犠牲の結果
「……それは突然でした。基地の防衛ラインの中に大量の魔物達が姿を現し、襲いかかってきたのです。完全に不意打ちを喰らった我々は、武器さえ満足に使えぬまま戦う羽目になりました」
そう報告する兵士の右目には、血の滲んだ包帯が巻かれていた。
黙って聞いていたイーシュさんは心配すること無く、周囲を見ながら呟く。
「それで、魔物はいつ頃から出現したのだ?」
「およそ二十分ほど前かと。突如、五十ほどの軍勢で基地に襲いかかり我々や帝国兵を攻撃してきました」
「……二十分か。結界はともかく、核を破壊した時間と一致するな。あまり認めたくは無いが、セレネ将軍の言い分に説得力が出てきたか」
「アッカド基地だけではなく、南方全体で同様の現象が確認されております。出現した魔物の数はそれほど多くはないようですが、死傷者は百を超えているかと」
「あぁ、その情報は吾輩も帝国経由で先程聞いた。だが、どうやら此処が最も魔物の数が多かったようだ。吾輩が不在の中、よくぞ持ち応えてくれたな」
「……いえ、アッカド基地のみの戦力では不可能でした。エレナ様が残されたワイバーンや帝国の副将軍の奮闘がなければ、我々は全滅していたでしょう」
「そうか。それでも吾輩は、お前達を誇りに思うよ」
部下を労る感情を含ませながら、イーシュさんは聞き取り調査を続ける。
とはいえ、必要最低限の質疑応答は所要時間二分で終わった。
その様子は明らかに手馴れていて、この手の惨事は初めてではないと察する。
「諸君は最善を尽くした。この結果を糧に、次回に生かせ。この戦いは決して無駄ではなかったと証明するのだ」
「了解致しました」
上司は取り乱さず淡々と言葉を伝え、部下は無表情で頷くだけ。
それはきっと、幾度となく戦場で過ごした経験の賜物なのだろう。
……けれど不慣れな人間からすれば、それは我慢できないモノだった。
ハッキリ言えば、吐き気がする。ここは、余りにも酷い地獄なのに。
周囲は瓦礫や硝煙に溢れ、血の臭いと痛みを訴える呻き声が、昔の出来事を俺に思い起こさせるのだ。
かつての後悔を塗り替える為に異世界まで来た筈なのに、その未練を抱いたときと同じような光景を目にして、俺の心は酷く荒れていた。
――だが何よりも耐えられないのは、目の前にある死だ。
「それでも、二人です。二名もの尊い命が、犠牲になりました」
悔しさに歯を食いしばりながら、俺は膝を折る。
目先の地面には、顔に布が被せられた二つの遺体が安置されていた。
……両手に剣が添えられ、眠ったような体勢で弔われている。
だが、死体からは今もまだ血が流れ、欠落している箇所さえあった。
その姿を見てしまっては、悔やまずにはいられない。
「すみません、これは俺の責任です」
「なに?」
怪訝な顔をしたイーシュさんが振り向く。
このまま殴りかかられても文句はない。それだけ、俺の過失は大きいのだ。
「だって、そうでしょう。結界を壊してゴーレムの破壊を短期間で実行しなければ魔力の乱れも少なかった筈だ。時間をおけば、魔物が発生する事も防げたかも知れないのに」
「……落ち着け、クロー。想定外の災害を個人の性にする者など、ここには居ない」
「いいや、これは俺の欲によって出来た人災です。そもそもあの場でエレナさんの言う通り、アッカド基地に戻っていれば良かったのに。俺はゴーレムを破壊する方が効率的な人助けだと自惚れていました。だからこれは、俺が悪いんだ」
この失態は、なにも犠牲者だけの問題では無い。
今やアッカド基地は、完全な廃墟と化しているのだ。
石のバリケードは全て崩れ落ち、木造の基地も半壊している。
ソレもコレも、全て俺が無力だったから起きた悲劇だ。
「そうは言うがな、クロー。ゴーレムの破壊は間違いなく南方の平和へと繋がった。その成果は誇って欲しい。確かに突発的な魔物の発生はあったが、ソレと同時に弾け飛ぶように消滅した魔物の報告もあった。魔力の歪みで助かった命もあったのだ」
「でも、俺は人を助ける為に此処に来たんです。誰かが助かっても、その影響で誰かが死んでは意味がないじゃないですか」
「……意味がない、か。なるほど。さすがに、その言葉は許せそうにないな」
怒りの含まれた声に気付いてイーシュさんを見ると、相手もコチラをじっと見ていた事に気付く。
「魔法師クロー。お前は、この死者達の名前を言えるのか?」
「え?」
イーシュさんから出た想定外の言葉に、頭が真っ白になる。
……死者の名前。無理だ。たった数日前に知り合った、会話もしていない人間の名前など、言える訳が無いのに。
答えられずに戸惑っていると、イーシュさんは少し溜息を吐いて告げた。
「ではクロー。この者達に何を思う?」
「後悔です。申し訳ないことをしたと感じています。気の毒だった、と」
紛れもない本心からの懺悔だった。
なのにイーシュさんは詐欺師でも見るように、俺に対し警戒する顔を作る。
「名前も知らない相手の命を弔う。……その行為自体を咎める気は無い、むしろ感謝しよう。だがな、今は悔やむな。死者ではなく生者にこそ目を向けねばならん時だ」
「それは、どういう意味ですか?」
「働くのだ。新たな犠牲者を作らぬ為に。これから吾輩は怪我人の治療や破壊された家屋の修理を部下に命じる。その為にも周辺の見回りと情報収集を行わなければならん」
静かに告げると、イーシュさんは遺体から離れるように身体の向きを変える。
それがあまりに冷酷な態度に見えて、俺は必死にイーシュさんの足を掴んだ。
「待ってください、イーシュさん。貴方は、人が死んで悲しくないんですか?」
「彼らは仲間と国を守って死んだのだ。兵士である以上、命を失うのは覚悟していることでもある。憐憫を抱く方が彼らに失礼というものだ」
「それは綺麗事ですよ。犠牲なんてない方が良いに決まってる。それを防ぐ為の俺である筈なのに、何で『お前の性で、こうなった』と責めないんですか」
俺が荒い息と共にそう言い放った後、慌ただしい現場にも関わらずほんの少しだけ沈黙が訪れた。
……おそらく注目されているからだろう。遠巻きに俺を見る兵士達の視線が痛い。
そんな感傷を抱いている内に、イーシュさんが怪訝な表情から憐れみが入り交じった物に変化していた事に気付く。
「もう止めてくれないか、クロー。お前は死者どころか現実を見ていない」
「は? い、一体なにを」
「お前の悲しみは一体、誰に向けられたものか。戦い抜いた戦士か? それとも、命を助けられなかった哀れな自分に対してか?」
「――なにを、言っているんですか。貴方はッ」
気が付いたときには、怒りを糧に立ち上がり、久しぶりに人を睨み付けていた。
人の死を悲しみ、助けられなかった不甲斐なさを反省するのは当然のことだ。
そうしてこなければ、自己嫌悪で押し撫されて自殺していたに違いない。
「……クロー、仲間が死んで動揺するのは仕方ないことだ。事実、吾輩達も経験したことでもある。理解できるからこそ、罪の告発など求めない。彼らの死は仕方の無い物だと知っているからだ。だから、そんなに自分を卑下しないで欲しい」
「仕方が無いもの? それは見え透いた嘘だ。この犠牲は俺に原因があることは明白じゃないですか、ゴーレムよりも基地に戻る事を優先していたら、誰もこんな目に遭わなかったッ」
思わず本気で怒鳴ってしまう。
しかしイーシュさんは怯むことなく、むしろ俺を真っ直ぐ見据えてくる。
「それは自信過剰というモノだ。吾輩達は命を救われた事に感謝はしても、命が救われる事を期待はしない。おそらく、その考え方だけは君と同じだと思っているのだがね」
心臓が締め付けられるくらい、言葉に詰まった。
どういう訳だか知らないが俺は今、明らかに見下されているのだ。
意味がわからない。理不尽すぎて目の前の相手を殴ってしまいたくなる。
「同じ? 貴方に、俺の何が判るって言うんですかッ」
「あぁ、全ては理解できん。しかし、お前の償い方が間違っている事は知っている」
あまりにも納得できない台詞なのに、何も言い返せなかった。
だが間違っているという言葉は深く胸に響いた。償い続けるのだ、と。
そう己に課して続けていた生き方を、間違っていると言われたのは初めてだ。
反論したいのに、何も出ない。情けなさ過ぎて、沸騰したみたいに頭が熱くなる。
「困った奴だ。その様子だと納得する気は無いらしい」
「当然です。これだけの災害を起こした罪悪感が簡単に消えるはずも無い。たとえ生きているイーシュさんが許しても、死んだ方達は俺を許さないでしょう」
「死者の声を代弁するのか。そうか。ならばクローよ、あえて言わせて貰おうか」
「……なんですか」
「もし本当に尊い命が失われ、亡くした者を悼んでくれるというのなら。何故、死んだ者の名前を尋ねてはくれないのだ」
「――――――」
あっ、と呼吸が止まり、今度こそ言葉が出なかった。
興味が無かったから、などと口が裂けても言えるはずが無い。
「クロー。戦場に来たばかりの人間に、死んだ者を見て冷静になれとは酷かも知れないが今は耐えてくれ。ここで暴発させても、その不安は周囲にも広がる。悪化するだけだ」
「……なんですか、それ。俺の心を読んだつもりにならないでください。それとも遠回しに、俺が居ることが迷惑だと言いたいんですか」
「まだ出会って数日、未だに心を許せないのは承知の上だ。しかし、どうか見限らないで欲しい。吾輩達は助けられた恩義と事実を忘れたりしない」
「あやすように言わないでくださいッ」
居心地の悪さに目線を外し、自分の置かれた状況に絶望する。
これじゃまるで感情を喚き散らす子供と、それを宥める大人の構図じゃないか。
「少しクローには待って貰う形になるが、後でゆっくりと話し合おう。その懺悔の解消には至らないだろうが、その手の先駆者として多少の指針は語れるはずだ」
そう言ってイーシュさんは、友好を示すように手を差し伸べてくる。
これはあまりにも残酷な優しさだ。
受け入れたら、自分が救いようの無い哀れな存在に成り下がる。
しかしだからといってバシッと、反射的に振り払うつもりはなかった。
「あれ?」
自分でも不可解な声を出したのは覚えている。
状況を確認するように顔を向けると、イーシュさんの残念そうな顔があった。
しかしそれ以降の出来事は、記憶が蒸発したみたいに消し飛んだ。
意識に空白が生じる。
ただ気付いた時には、その場から逃げるように駆けだす自分がいた。