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異世界召喚

「あれ?」


 気がついたら、俺は豪華絢爛な部屋にいた。

 三人は住めるマンションの一室を、そのままワンルームにしたくらいの広さ。

 けれど生活感はない。

 まずベッドが無いし、タンスも無い。目に付くのは本棚と大きな事務机だ。

 足元には俺の使っていた毛布より柔らかい絨毯が敷かれ、いったい何をそんなに照らしたいのか壁一面のガラス窓があった。

 ……そこから見える景色は海のような青い空に、緑溢れる雄大な草原である。

 しかし、だ。

 思わず見とれる風景を背景にしながら、集中できない。

 それよりも圧倒的な存在感を放った人物が、俺に視線を向けていた。


「初めまして、異世界からの来訪者。そしてようこそ、ティマイオス王国へ」


 そう語るのは、砂漠のような色の髪を腰まで伸ばした人だった。

シャープな眼鏡を付け、黒い軍服を着こなし、男の俺から見ても息を呑むほど格好良い容姿をしている。

 ……と観察している最中、相手からも俺の第一印象が伝えられた。


「しかし驚いた。どんな人間が来るか期待していたが、可憐な乙女が呼び出される事になるとはね」

「――――」


 飛び出す筈だった質問がショックで胸の奥に引っ込んでしまった。

 ここは異世界である筈だ。何しろあの少女、神様とそういう契約をした。

 つまり俺を知る者など居ない新天地。なのに、まさか聞き慣れたトラウマ案件なんて耐えられない。


「……俺は、男です」

「あぁ、ショートカットであることが実に惜しい。もし長髪であれば、淑女として持て成しただろうに」


 ……そんな言葉を聞いて、青汁より苦い数々の記憶が蘇る。

 悔しいことに、確かに俺は良く女性に間違えられることがあった。

 しかし、そんな不愉快を味わう為に異世界にまで来た訳では無い。


「……そういう余計な感想よりも、俺は貴方が誰なのか知りたいのですが」

「これは失礼。私は国王陛下から伯爵の地位を賜り、この西方の要塞を任されているモートという。以後、よろしく頼むよ」


 右手を胸に当て、深々とお辞儀をするモートさん。

 友好的なようでいて、マネキンみたいな無機質の笑顔に背中が寒くなる。

 ……それでもキチンと挨拶されたなら、ソレを返すのが礼儀というものだ。


「はじめまして、モートさん。俺は九郎と言います。ところで、何で俺はここに居るんでしょうか?」

「ああ、どうか私のことは伯爵と呼んで欲しい。しかし、ふむ。君は自分の事情を理解していないのかね?」

「……神様と名乗る女の子と契約して、此処に飛ばされた事は理解しています」

「では、それ以外については?」

「ここに来れば、俺の目的が果たせると聞きました。けれど、どうやってそれを成せるのか尋ねるようとした瞬間、気付いたら此処に居ました」


 ……把握できていることは、いま触れている左腕が未だに健在だと言う事。

 文字通り見知らぬ国で、風習や文化も知らない。

 そんな事情を理解した伯爵は眉をひそめて、溜息を吐く。


「コレは困ったな。だが同時に君を召還したアレが同行していない理由は納得だ。君の処遇について説明するのが面倒で、姿を眩ませたのだろう」

「アレって、神様のことですか?」

「おっと、すまない。些細な質問に答える暇はないんだ。とりあえず初歩的な確認をしよう。この国は今、未曾有の危機に瀕している。君は、それを救う為に召還された」


 伯爵の言葉を聞いてドクン、と高揚感に胸が踊る。

 期待通りの言葉だ。人を救う使命を、俺は神によって与えられていたのだ。


「つまり、俺は選ばれたという訳ですね? 誰かを救う為に必要な存在だと」

「そうだとも。我々は国民を救う人材を欲し、君はその基準を満たして招かれた。もし私の言い分に納得できないのなら、遠慮無く言いたまえ」

「……いえ。確かに俺は自ら望んで此処に来ました。まさか出会い頭に国を救うという規模の話を聞くとは思いませんでしたが、特に抵抗はありません」

「…………」


 一瞬、伯爵が蝋人形のような無感情な表情を晒した。

 しかしソレを指摘する前に、ニッコリと誤魔化される。


「それは素晴らしい。利害の一致というわけだ」

「はい。だからこれは文句と言うよりは質問です。本当に俺なんかが、多くの人間を救うことが出来るんでしょうか? 残念ながら人より優れた才能はありませんけど」

「君を召還した者がそう言ったのなら、そうなるだろう。アレは人外の存在だ。契約者と結んだ望みを叶える能力はある。君の努力次第だよ、励みたまえ」


 コチラに期待するわけでも媚びるわけでも無い、平坦な声。

 別に特別待遇が欲しい訳では無いが、あまりにも事務的な対応。


「少し、他人事みたいな説明ですね。国を救えという割りには」

「熱烈に歓迎する気は無いんだ。我々が仕事を与え、君は働き、アレが報酬を払う。そういう関係だと認識して欲しい。気に入らないなら、辞退してくれても構わない」


 ……つまり俺でなくても、救ってくれれば誰でも良いと言う事だ。

 まぁソレはコチラも同じ事、嫌われていないだけマシである。


「少し戸惑いますが、そうすることで俺の目的が果たせるのなら、構いません。たとえ国を救うなんて難題だろうと、引き受けます。いえ、むしろその方が好ましい」

「ほう。自分の望みの為なら、命さえ惜しくないと? これはよほど報酬に飢えているという事かな。果たして我々は君に納得される褒美が用意できるか不安になってしまうね」

「いえ、報酬は期待していません。自分の命で、より多くの命が助かるならソレで良いと思っています。だって、それが俺に与えられた運命なんですから」


 そう言った瞬間、室内の空気が凍結したような寒さに襲われる。

 こういう拒絶されたような雰囲気は、過去にも覚えがあった。


「……運命ね。あえて失礼な事を言うが、君は正気なのかな。命懸けの仕事に抵抗がないのは嬉しいのだが、まさか本当に人助けをしたいが為に我が国に来たと?」

「なにか問題がありますか?」

「――いや。だが覚悟を試したくなった。国の危機とは、危険がつきものだ。安全の保証は無い。こんな風に、ね」


 口元を釣り上げてパチン、と指を鳴らす伯爵。

 その瞬間、ピシッと空気が固まるような音とともに。

 ――時が止まった。

 空気の流れは死んで、周囲の情景は色彩を失って灰色と化す。

 世界が停止し、俺の身体も石化したように動かず、呼吸が出来ない。


「これは魔法といってね。君が我が国を救う為に必要な手段であり、今は君を試す悪意の技術だ」


 そう言いながら伯爵は、見えない何かを掴むように握り拳を作る。

 と同時、俺の首は誰かに締められたかのように痣が産まれ、圧力が食い込む。


「この世界で君を守るモノなど皆無だ。役に立たないなら、容赦なく捨てる。さて、無抵抗のままで居る君が、我々の期待に応えることが出来るかな?」


 質問に答えたくても声は出ず、俺の身体は死体のように冷たくなっていく。

 このままの状態が続けば、俺は殺されるだろう。

 しかし死の恐怖は微塵も湧かない。生き残れる確信があった。

 伯爵が試したいと言った以上、無闇に命を奪うことはない筈だ。

 瓦礫の中に居た絶望に比べれば楽だし、何より伯爵からは殺意を感じない。


「……そろそろ身体が持たないか」


 再び伯爵が指を鳴らすと、世界は色彩を取り戻した。

 同時に身体が動く。その開放感が凄まじい。

 俺は、水を飲むような勢いで酸素を吸い込んだ。

 空気がとても美味しい。久しぶりに生きている事に感謝したい気分だ。


「どうだね、あっけないほど命の危機に陥った感想は?」


まるで、実験動物を観察しているかのような態度で喋る伯爵。

 こっちの命を粗末に扱った割りに、悪気もなければ謝罪もなかった。

 おそらく伯爵にとっては俺という存在など、その程度なのだ。

 だが不思議と腹は立たない、むしろ感動と興奮があった。


「凄いですね。こんな体験、生まれて初めてです」

「ふむ」

「どうしたら、俺もこういう魔法を使えるんでしょうか」

「うむ?」


 喜びに浮かれた熱が冷めないまま、勢い良く伯爵に詰め寄った。

 対して、興味深そうに眉毛を釣り上げて俺を見るモート伯爵。


「君は過酷な目に遭って、怖がらないどころか歓喜しているようだ。なるほど、コレは困った。我々は狂人を招いてしまった訳だ」

「誤解しないでください。もちろん、俺にも恐怖はありました。でも、こんな超常的な人助けの手段をみせられたら、誰だって教えを請うと思います」

「……ほぉ。身の危険に晒されても怒らず、怯えず、楽しそうに追求してくるとは恐れ入ったね。まぁ、そういう気性でなければ召喚されなかったのかも知れないが」


 あぁ、この顔は知っている。

 値踏みだ。俺にどれだけ利用価値があるのか計っているのだ。

 だが構わないし、不快どころか光栄だった。

 少なくとも、今の俺には計られるだけの価値があると言うこと。

 ……そんな心の内を読んだ訳でもないだろうけど、伯爵は優しげに笑う。


「死の恐怖を上回る君の焦燥感に、興味が湧いてきたよ。よければ教えて欲しい。どうして、そこまで人助けをしたい欲求が生まれたのか」

「……判りました。それで、少しでも俺のことを信用して貰えるなら」


 所要時間は十分ほどだろうか。

 嘘を混ぜること無く、俺は清算したい過去を簡潔に伝えた。

 自分勝手な嘘で人の命を奪った罪を償いたい、その為の人助けなのだと。


「なるほど。生き延びる為に吐いた嘘で人を失い、それを後悔している訳か。これで得心がいった。君は過酷な体験と強烈な自己嫌悪の性で、死の恐怖が麻痺しているんだ。可哀想に、不治の病だよ。それは」

「精神科の病院は退院しました。生活できるくらい健康的になっているのですが」

「ならば異世界の神に願うまい。……まぁ、良い。私の懸念は一つだけとなった。命を惜しんで虚言を叫んだ君が命を失う危険を背負えるのか、ということだ」

「いえ、むしろ死ぬリスクがあるのは歓迎できます」

「なぜ?」

「だって、それくらい酷い目に合わなければ人を殺した罪は許されないでしょう?」


 他の誰でも無い、俺自身が納得しない。

 償う為の対価は当然のことだ。犠牲のない謝罪に価値などないのだ。


「……その価値観、君の元居た世界では受け入れられたのかね?」

「――――」


 その質問は、まるで急所を狙われたかのような危機感を俺に与えた。

 反射的に誤魔化そうとも思ったが、見透かされそうな予感がして止めた。

 動揺を悟られないよう必死に真顔を作りながら、俺は静かに呟く。


「いいえ、残念ながら。俺の考え方は救世主願望だと言われた事があります。なんでも悲惨な過去を体験した影響で歪んでしまった思想なんだそうです」


 不愉快な言葉を自ら口にしたことに、つい舌打ちしたくなるのを我慢する。

 誰かを助けをしようとすればするほど、俺の過去を知る人間からは気味悪がられていた日々は忌々しい記憶だ。

 左腕を無くし、数年間も病院に閉じ込められた子供が必死な顔で慈善活動をするというのは受け入れ難い、と父にさえ言われた。


「あぁ、その眉の歪みを見れば判る。やはり肩身の狭い境遇だったようだ。だがそれは私達の世界においても同様、君の思想は奇異の目で見られるだろうね」

「――そんな。俺は選ばれて此処に呼ばれたんじゃないんですか?」

「おっと、早とちりしないで欲しい。もちろん私は受け入れるとも。しかし全ての人間が喜ぶわけでは無いのさ。簡潔に言えば、君がここで活動する為の許可が必要なのだ」

「……伯爵って偉いのでしょう? その権限で何とかなりませんか」

「残念ながら、私は受付のような存在でね。その審査の後、君の未来は別の人物の手にあるんだ。まぁ謁見の手配はすぐ済むよ。今から適任者を呼ぼう」


 話を切り上げると、モート伯爵は合図するように両手をパンパンと叩く。

 途端、幾重の文字が重なった円形の魔方陣が床に出現した。

 蒼い閃光が地面から迸り、小さな電流を伴って俺の目を眩ませる。


「さて。彼の案内は任せるぞ、デミウルゴス。今度は逃げるなよ。きちんと、客人を持て成すように」

「ん?」


 デミウルゴス。

 馴染みの無い言葉なのに、とても聞き覚えのある名前に俺は首を捻った。

 などと疑問を抱いている最中、竹の子の如く魔方陣からニュッと顔が出てきた。

 不機嫌なネコのような鋭い視線が、俺に突き刺さる。


【こんな雑用で我を呼ぶな、人間風情が】


 耳、というより頭の中に届く声。

 人よりも遥か高い尊厳を含むソレを、伯爵は見下すような態度で打ち消した。


「私は砦で最も暇な存在に仕事を振ったまでだ、使い魔風情が文句を言うな」

【使い魔ではない、神だ】

「聞く耳は持たんよ。彼を例の部屋まで案内しておけ。秘密裏に召還者の処遇を決めてしまうと、もし露見した時に猛反発されて計画ごと潰されかねん。それは是非とも避けたいからね」

【チッ。貴様の言った条件に見合った相手は連れて来たのだぞ、我は】

「だからこそ、最後まで責任を持ちたまえ。神を名乗りたいのなら、最初の信徒を見捨てるな。今後の信仰に響くぞ」

【むぅ】


不満そうにプクーと頬を膨らませ、風船が浮くように魔方陣の中から湧き出るデミウルゴスさん。

 その姿は腰まで伸びた紫色の髪、陶磁のように白い肌に、モート伯爵と同じ黒の軍服を着ていた。

 ……だが、今はそんなことが重要なのではない。


「一体どこに隠れてたんですか、神様?」


 聞き覚えがあるどころか、見覚えのある姿を発見して俺は戸惑った。

 ――そう。

 目の前で小間使いのような扱いを受けている方こそ、俺を異世界召還してくれた神様なのであった。

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