遺跡の結界
翌日。
セレネ将軍に連れられて、俺達は目的地へと辿り着いた。
「……これが、魔物を生み出すと言われている遺跡?」
案内された風景を見て、感慨深そうにソフィア姫が呟いた。
――それを一言で表すなら、朽ちたピラミッドというべきだろうか。
新アッカド基地の二倍はある、石材で出来た三角形の建築物である。
周囲には魔物を象った石像、建造物の中央には昇り階段が作られていて、頂上には光り輝く何かが鎮座していた。
残念ながら、目を凝らしても光を反射していて良く確認できない。
「……すみません、あの天辺にある物って何ですか?」
「おそらく魔石だと推察していますが、詳細は不明です」
「え。すぐ目の前にあるのに、判らないんですか?」
「詳しく調査しようにも、ここから先には防御結界が張られていますから」
そう言ってセレネ将軍は、遺跡に向けて手を伸ばした。
しかし、そこから先に進まない。
まるで透明な壁があるように固い音を立てて、指先が阻まれている。
「このように結界の膜は無色透明で周囲の風景に溶け込んではいますが、実際にはカップをひっくり返したような半円形状の壁があります」
ドアをノックするようにコンコンと結界を叩きながら、セレネ将軍は面倒くさそうに溜息を吐いた。
「自分たちとしても、発見した以上は様々なことを試しました。しかし堅牢な結界を上手く突破できず、ずっと立ち往生しているのです」
「へぇ、なるほど。あれほど偉そうに語っていたのに、実際は入り口さえ確保できていない訳。ふーん、先を越されたと思ったけれど、じつは横並びだったようね?」
ソフィア姫が、ニコニコと嬉しそうに笑い始める。
ようやく主導権を取り返せるチャンス、と目論んでいるようだ。
「最悪、雑用を押し付けられる事も想定していただけに、これは嬉しい誤算だわ。前人未踏の遺跡を突破できるかどうかは、まさに私達の努力次第という訳ね。家名を使用してまで必死に引き留めるのも納得よ。目の前にある宝箱を開けない悔しさは、冒険家では無い私でさえ理解できるもの」
「お恥ずかしい限りだ。しかしその不名誉も、貴方達との出会いで返上できると思っています。その為に、此処まで案内したのです」
「……拍子抜けするくらい殊勝な態度ね。結界破りは私達にしか出来ないと言う事?」
「理解が早くて助かります。まぁ、貴方達にも利益のある話だ。結界を破り遺跡の調査を完遂した場合、自分はティマイオスから撤退する事を約束します」
予想外の報酬を提示されて、ソフィア姫達はザワ、と色めき立つ。
その様子を見たセレネ将軍は不敵な笑みを取り戻して、再び舵を取る。
「元より長く留まる気はありません、何事も区切りは必要だ。魔物が異常発生する原因を取り除けば、自分たちの役目は終わり。そうなれば、新アッカド基地も貴方達の物だ」
「……随分と美味しい話ね。一部とは言え南方の領土を実効支配しているのに、その財産を捨てる? 魅力的だけど罠としか思えない」
「たしかに新たな領地は惜しい。しかし、あのモート伯爵が王族である貴方を寄越した時点で潮時と言う事でしょう。不必要に長く留まれば、間違いなくあの男が自分たちを排除する。ならば恩を売れる内に渡して、義理を作る方が得策です」
「……そう、貴方からすれば時間切れが迫っていると言う事ね。その時期まで待つという選択肢もあるけれど」
そこで言葉は途切れ、ソフィア姫は腕を組んで沈黙する。
おそらく、協力するか止めるかを天秤に掛けているのだろう。
その結論はすぐに出たようだ。
「私としても魔物増殖については早急に解決したいわ。此処は素直に協力関係を維持しましょう。伯爵の手を借りずに成果を出したいことだしね」
「色よい返事で何よりです。自分としても出来るだけ敵対は避けたいところだ」
「――ふん。それで、どうやって結界破りを行うのかしら。帝国の将軍も匙を投げ出す程というなら、まともな解除ではないのでしょう?」
「特殊な方法ではありますが、そこにいる異界の神を使えばすぐに終わります」
【む? 何のことだ】
「自分は、貴方の力を利用させて貰う為に此処に呼んだのです。おそらくモート伯爵もそのつもりでクローくんを南方に寄越したのでしょう」
セレネ将軍の発言によって、その場に居る全員の視線が俺に押し寄せる。
ただその中で複雑そうな顔をしていたソフィア姫が特別、印象に刻まれた。
「……まぁ、そうよね。旅の始まりからして私はオマケだったもの。伯爵にしても将軍にしても本命はクローただ一人だけだたっという事ね。でも、ソレは何故?」
「では百聞は一見にしかず。まずは一度、自分の成果を披露しておきましょうか。みなさんは、少し後方に避難してください」
そう言ってセレネ将軍は双剣を、すぐさま結界に向かって斬りつけた。
大した間もなく、ガキィンと岩を叩いたような鈍い音と共に弾き返される。
「さて、ここまでは説明した通りですが」
気落ちした様子もなく、セレネ将軍は集中を高めるように目を瞑ると、ゆっくりと深呼吸して、詠唱を吐いた。
「――我が与えしは天の羽衣。常世を喰らう王の権威にして、常勝無敗の証なり。汝、その身に纏うは、霊獣の翼にして蛇王の牙なり」
……明らかに魔法の詠唱、しかしその効果は炎や雷を打ち出す事ではなかった。
それは変化だ。
セレネ将軍の額からは山羊のような角が生え、鎧の隙間から下半身にトカゲのような太い尻尾が伸びていく。
それはほんの少しだけ、魔物が産まれたときの光景を想起させた。
白昼夢のような回想の間もセレネ将軍の異形化は止まらず、白い肌から赤色の鱗が浮き出て表面を浸蝕していく。
余りにも異様な容態に開いた口が塞がらずにいると、イーシュさんが寒さに耐えるような震えを伴って呟く。
「間違いない、これは竜化の護身だ」
「……なんですか、それ。イーシュさんの使う魔法と似た名前ですが」
「吾輩の魔法と比較するのも烏滸がましい。姿だけでなくドラゴンと同等の能力を得られる、強化系の魔法で最高峰の呪文だ」
それだけ言うとイーシュさんは再び口を閉ざす。しかし変化したセレネ将軍をジッと見る目線は、普段よりも熱を持っているような気がした。
「これは自分が使える唯一の魔法、そしてコレの最大の威力で結界を斬ると」
言葉は途切れ、剣で切り込む動作に変わる。
イメージとしては、ハンマーで砕くような勢いさえあった。
「ハッ」
大地ごと張り裂けそうな斬撃は、今度は弾かれる事なくズバッと振り下ろされる。
瞬間、周囲に巨大な衝撃波が発生した。
【グ、これは結界内部に貯まった魔力の歪みと魔法による一撃によって生じる突風だ、吹き飛びかねんッ】
神様の愚痴通り、足が浮きそうになる程の風圧に晒される。
身体を屈めて必死に耐えるが、まるで大気で出来た津波のようだ。
直撃した結界の周囲など、覆い茂っていた木々が全て破裂するほどの被害である。
そして、その成果は。
「ちょっと、結界が破れてるじゃないッ」
ソフィア姫の驚きの声は、その光景を見た俺達の代弁でもあった。
分厚い刃が、明らかに敷地内へ侵入していたのだ。
ただ一人、結果を出した張本人だけが酷く冷静な声で結果を伝える。
「一時的に結界を破ることは可能です。まぁ、ここまでが限界なのですが」
それが合図であるかのように、竜化していたセレネ将軍の変化が解けた。
と同時、ゴムを押さえ付けていたかのような弾力を伴って、剣が弾き戻される。
「まったく、じつに忌々しい結界だ」
勢い余って手中から離れ、空中でクルクルと落ちる剣を掴み取るとセレネ将軍は再び斬りつけるが、やはり見えない壁に遮られた。
と同時、突風も綺麗に止んで周囲は静寂を取り戻す。
「……さてと。ここまで御覧頂ければ理解できたでしょう。この遺跡の厄介さが」
溜息混じりに双剣を収めたセレネ将軍が、こちらを窺うように振り向いた。
……先程の化け物染みた姿は消え去り、鋭利な美顔が俺を覗いている。
ソレを見て、驚きから苦い表情に戻ったソフィア姫が口を開いた。
「確かに難儀ね、修復機能が備わった結界なんて初めて見たわ。しかもこの様子だと、一定以下の威力だと無効化する仕様ってことかしら?」
「えぇ、その通り。ちなみに、一定の威力は上級魔法と同等です。逆に言えば、それ以上の破壊力があれば結界を破ることが出来るでしょう」
「それって最上級魔法ってことよね。それなら別にクローじゃなくても構わないわ」
「結界内部の魔力の乱れを考慮しなければ、確かに問題ありません。しかし自分が試した通り、大きな魔法を使用した分だけ反動が起こります。最上級魔法を放てば突風どころの被害では無く、土地ごと吹っ飛ぶ可能性が高い」
「ちょっと待って。それじゃ通常魔法を利用しないで、一体どうやって結界を破壊しろって言うのよ」
「一応、補足しますが純粋な物理破壊も無意味でした。そうなると魔法とは異なる超常定理でなおかつ最上級魔法クラスの威力が必要となりますが、それがいかに困難なのかは貴方達も知っての通りだ」
「いや、俺は知らないんですけど」
なんか当たり前のように話を進められても困る。
とはいえ話の腰を折りたくもないので、文字通りの神頼み、縋る視線で神様を見た。
指名した当事者は面倒くさそうな顔をして、渋々と口を開く。
【元々、上級魔法の使い手は少ない。ましてや上級魔法以上を扱える術者は一国に三人も居るまい。それと同等の威力を魔法無しで作り出す超人など、皆無に等しい。つまり、この結界を完全に破るという望みは絶望的という訳だ】
「なるほど、そうなんですか?」
確認するようにセレネ将軍に顔を向ける。
すると『概ね正しいですが、補足が必要です』と返ってきた。
「確かに人の手には余る案件ですが、そこな邪神の力を借りれば結界破りは不可能ではありません。何しろ、魔法とは異なる系統の奇跡が行えます」
【貴様、まさかと思うが】
「白々しい態度ですね、デミウルゴス。元より使い捨てる予定だったでしょうに。その境遇や末路に対する同情と憐憫で、手心を加える気ですか?」
【――黙れ。魂ごと焼き尽くされたいのか】
「待ってください、神様。俺はセレネ将軍の話が聞きたいです」
チリチリと熱さえ感じる怒りで暴れそうな神様を、ソフィア姫みたいに手で制する。
どうやらセレネ将軍の発言が気になるのは俺だけじゃないようで、神様を除く全員が黙って耳を傾けていた。
「魔法師クロー。自分が貴方に期待しているのは魔法とは別種の術式、神の加護と呼ばれる特殊能力の発動です。コレさえあれば、結界破りは容易いでしょう」
……神の加護?
初めて聞いた言葉に首を傾げるが、神様を除く王国側の人間全員が同様の仕草を見せる。
つまるところ、それは異世界の人間を以てしても馴染みの無いものという証左であった。