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敵地で過ごす夜

 温泉。それは地中から湯が湧き出す現象、またはその場所を示す用語である。

 そしてなるほど、確かにそこは温泉だった。


「……周囲は緑豊かな自然、空は満天の星。そして十人は利用できる石畳の浴槽。これは中々、素晴らしいロケーションと言うべきではないでしょうか」


 現在進行形で魔物が彷徨いているという危機感が、湯気のように霧散する。

 石鹸で泡だった身体をザパーと桶で洗い流し、湯船に足を入れた。

 うん、丁度良い加減だ。肩まで浸かりながら貸し切り状態の幸せを堪能する。


「……ふぅ。落ち着いて風呂には入れるのは何年ぶりかな」


 女性陣は入浴済みで、イーシュさんは俺が入る前に、カラスの行水のように素早く上がってしまっている。

 そんな訳で、当面の間は湯船を独占できるのだ。

 ……と思っていた所に、ピチャピチャと水を弾く足音が聞こえてきた。


「失礼、ご相伴に預からせて貰いましょう」

「えっ」


 背後からの意外な声に、俺は慌てながら振り向いた。

 だが、そのおかげでダイレクトに理解してしまう。


「な、なんで、居るんですか、貴方ッ」


 抗議相手は基地の主たるセレネ将軍、その人だ。

 しかも完全な裸だった。

 タオルや桶は手にしているけれどソレで隠す気は無いようで、堂々と湯を掬いに近付いてザパーと身体を濡らし始める。


「風呂場に何の用か尋ねられるとは心外です。無論、身体を洗う為ですが?」

「……あの俺、男なんですけど?」

「その下半身を見れば判ります。けど気にしないで良いですよ、自分は軍人だ。戦場では男女の恥じらいを持ち込まない主義ですから」

「いや、俺の方が大丈夫じゃないんですけど」

「そんな事情は知りません。気になるのなら、背でも向けて見なければ良い」


宣言通り、我関せずと身体を洗い始めるセレネ将軍。

 髪を洗う為に解かれたポニーテイルが、重力に沿ってバサッと落ちて水滴と共に裸体へと張り付いた状況を観察しつつ、俺は桃のような部位の美しさに頭を悩ませていた。

 ……困った。とりあえず、湯船から出る事にしよう。


「あぁ待ちなさい、クローくん」

「……くん?」

「君は年下なのだから不思議ではない呼び名でしょう。不満があるなら、クローちゃんに変更しても良いですが」

「いえ、結構です。それより何で呼び止めたんですか」

「自分が風呂場に来たのは、君と二人きりで話したかったからだ。ここで目的が果たせないのなら、今度は寝室に邪魔するほかない」


 そう言われては、立ち上がった腰を再び湯船に鎮めるほか無かった。

 相手は基地の主であり、俺の意志など関係なく融通が利く立場なのは明白だ。

 何よりソフィア姫とのやり取りを見れば、有言実行するタイプだと理解できる。


「……何の用があるって言うんですか」

「別に、大したことでは。ただ自分と一緒に夜の散歩をしてみませんか、と聞いておこうかと思いまして。まぁ行き先は、自分の隊員達が眠る墓地ですが」

「……何ですって?」

「墓地に行こうと言いました。咄嗟に聞き返すほど嬉しかったのですか?」

「いいえ、まったく嬉しくありません。肝試しでもするんですか」

「似たようなモノです。ところで話は変わりますが、貴方は魔物がどうやって産まれるか知っていますか?」

「……魔力の塊が、実体を持って魔物になると聞きましたが」

「それは一つの例に過ぎません。魔物は悪意が死体に憑依する事でも産まれますから。恨みや未練は感情的にも魔力的にも淀みやすい。墓場は人にとって死の象徴ですが、魔物にとっては誕生する為の楽園だ」

「あぁ、何かソフィア姫にも似た話を聞いたことがありますね」


 本のページを捲るように思い出そうとしながら、とりあえず忘れないよう得た知識に付箋を貼った。……って、待った。

 魔物は死体に憑依して産まれるいう話の前に、俺はどんな誘いを受けたのか。


「……まさか墓場に散歩するって」


 おそるおそる尋ねる俺に、セレネ将軍は生徒が問題を解いた事を喜ぶ先生のような笑顔を向けてくる。


「ちょうど今日、部下の一人が死んだのです。死体は埋葬しましたが、おそらく夜中には魔物へと変化するでしょう。で、退治するついでに見学者を募ろうという魂胆です」

「見学者って、他の人を誘う気があるんですか?」

「いいえ、自分と二人きりです。この世界に来たばかりの君からすれば、見逃すと後悔するくらいには貴重な体験になると思いますよ。なにしろ、新鮮な人の死体で出来た魔物は現代社会では滅多に遭遇できません。南方の劣悪な環境だからこそ為し得る、素敵な催しと言えるでしょう」


 一見すると気軽な誘いだが、間違いなく裏がある。

 何の打算も無く厚意を向けてくる相手では無い事くらい、バカな俺にでも判った。


「おや。随分と疑わしい視線を向けてきますね?」

「当たり前です、知り合ったばかりの人間に、さぁ危険を犯そうと誘ってくる人は怪しい事この上ありません。まぁ、何となく友好的な態度を向けられている事は分かりますけれどね」

「えぇ、その通り。この提案は君と親睦を深める為の手段です。悪意は皆無だ。身の安全は守ります」

「……なおさら不可解です。俺みたいな人間と仲良くしようとする気持ちが、まったく理解できません。貴方はもっと利己的な人だと思っていたのに」

「自分としては、その態度と言動こそが興味深い。他者を圧倒できるのに、名何故そこまで自己評価が低いのか不思議で堪らない。強者は尊大であるべきだ」


 その発言に、俺は挫折を知らない人間特有の傲慢さを感じた。

 ただ、あまり反発は抱かない。優秀な人に、俺の気持ちなど分かる筈も無い。


「俺は、自分が強いとは思いません。魔法だって本当は怖いし使いたくないんです」

「それは説得力の無い言葉だ。姫殿下曰く、召還された当日から上級魔法を躊躇わず使用していたのでしょう? 本当に臆病者なら逃亡しています」

「……目的達成の為に命を惜しむ気はありませんが、バカな自滅はしたくない。どれだけ能力を認められようと自惚れずに謙虚でいないと、調子に乗って早死にする。それは嫌なんです。せめて報われてからでないと、命は惜しい」


 ――我ながら迫真の演技だと思った。

 魔法を使う万能感は、戦っているときだけ作用する麻薬に過ぎないのは事実だ。

 武器になる神様が居なければ、たったそれだけで無力で哀れな存在に成り下がる。

 そんな風に心苦しい表情をみせれば、誰だって眉をひそめるに違いない。

 しかし。


「今の言葉は本心ではありませんね。嘘と事実を混ぜて、核心を隠している」

「え?」

「君は自分を偽っている。自分に期待はかけられたくないと判断して、失望されたり残念だと思われたいと願っている。そう卑下すれば、解放されると思いましたか?」

「――――」


 虚を突かれて絶句する。

 ソフィア姫並の自己中人間に、まさかここまで心の中を暴かれるとは思わなかった。


「図星のようで何よりです。これでも自分は、多くの部下を預かる身ですよ。人を見る目が無ければ勤まらない立場だ」


 得意気な表情を見せつけられて、俺は目を逸らした。

 誤魔化せると見くびっていた事は反省しよう。

 しかし、騙そうとしたことを謝る気などサラサラないのも事実だった、


「……本音を語るほど、セレネ将軍を信用していませんから」

「でしょうね。だからこそ君に気を許して貰うには、邪魔の入らない場所で二人きりの親睦会を行うべきだと確信しました」

「その手段が、墓場散策ですか。あまりにも悪趣味だ。なにより、ソフィア姫達がこの話を知れば反対するに決まっています」

「他者の介入は対策済みだ。その為に来客分の個室を用意させ、自分の部下が尽力して姫殿下達を接待している。一時間程度の外出なら、王国側は気付かない」

「……俺が故意に知らせなければ、という前提があればでしょう」

「そこまで嫌われているなら悲しいことです。ですが、自分の提案を受け入れると自分たちの機密や遺跡の秘密が判るかも知れませんよ?」

「それはいったい、どういう意味ですか?」

「百聞は一見にしかず、実際に行けば判ります。行かねば教えられません」


 水を吸った黒髪を滴らせながら、蠱惑的な視線を向けてくるセレネ将軍。

 クスクスと冷たく笑うセレネ将軍に、俺は寒気を覚えながら迷う。

 ……遺跡の問題解決は南方の平和に繋がる。今は少しでも情報が必要だ。

 俺が我慢すれば、そのヒントが貰えるというのならば。


「判りましたよ、行けば良いのでしょう?」

「良い返事だ。えぇ、君ならそう言ってくれると確信していました」


 軽く身体を流し終えたセレネ将軍は、手馴れた動作で浴槽に浸かる。

 ……さすがに、接近してくる気はないようだ。

 それでも不信な眼差しを作っていた俺に、一切の羞恥心を見せないセレネ将軍が視線を合わせてくる。


「では、このまま一緒に上がって外出しましょう。手配は全て完了しているので、君は手ぶらで構いません」

「……本当、手配が良いですね。俺が断る事を考慮していない」

「失礼な、考慮はしました。ただそれを了承する気が無かっただけです」


 揺るがない強気な態度に、湯中りとは関係なしに目眩がした。

 正直、その精神の強靱さには羨望と嫉妬さえ抱くくらいだ。

 とはいえ裸体を晒す本人をマジマジと睨み付ける訳にもいかず、仕方なく俺は上へと顔を仰いだ。

 この世界に来て何度目かの蒼い月光を浴びながら、深い溜息を吐いた。


「俺、もしかして流されやすいタイプなのかも知れませんね」


 愚痴にも似た独白に、答えてくれる人など居ない。

 ただ意地悪い顔をしたセレネ将軍が、無言でコクリと頷くだけである。

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