いざ森へ
――夕食が終わった後。
さて、明日に備えて就寝したいなと思っていたところを止められた。
「じつは、救援部隊と吾輩のみで話し合いたいことがある」
そう告げられて、俺達はイーシュさんの部屋へと案内された。
隊長の自室はさぞ豪華なのかと思っていたが、いざ入ってみれば物置小屋のような内装でビックリしてしまう。
【お前が寝ている間、ソフィアに自分の部屋を明け渡したのだ。引っ越し直後の乱雑さは我慢してやれ】
何故かフォローに回った神様の声に頷きつつ、俺は用意された席に座る。
各々が席に着くと、それは食堂で食事した時と同じ配置となった。
「さて、改めて御礼を申し上げます。姫殿下、デミウルゴス様、そして魔法師クロー。我が基地の危機を救って頂きましたこと、幸甚の至りでございます」
一人だけ座らずにいたイーシュさんが、起立したまま頭を下げる。
それに対し、ソフィア姫が労るような顔をしながら首を静かに振った。
「……むしろ感謝を示すのは私達の方よ、イーシュ男爵。実際に戦って身に染みたわ。あんな現状で良く戦況を維持してくれている、と。貴方達の忠節は、本来であれば王家が正式に勲章を与えるべき働きなのだけれど」
そこで言葉を濁す辺り、ソレができない事情があるのだろうなと思いつつ、俺はテーブルの上に置かれた果物に興味を持っていた。
「すみません。これ、食べて良いですか」
「うむ、構わんぞ」
「どうも、ありがとうございま、シャリ」
リンゴに似たソレを生で囓ってみると、甘みと芳醇な香りが口に広がる。
モシャモシャ堪能している最中、イーシュさんの質問が飛び込んできた。
「……クローよ。お前は我が国に来たばかりと聞くが、そもそも魔物がどう発生するのか知っているのか?」
「まったく存じ上げません。正直、あまり興味も無いんです」
なにしろ、俺は人助けをする為に此処に来たのだ。
魔物退治はその手段に過ぎない。
「今、口に入れているコレと同じです。食べることは求めても、どうやって作られるかなんて気にしません」
二つ目の果実に手を伸ばしながら答えると、イーシュさんは言葉を続ける。
「そうか、では簡潔に教えておこう。連中は魔力の流れが淀んでいれば、どこにでも自然発生する厄介な存在だ。しかし大量に現れることはないし、一度倒せば当面は出てくることもない。危険ではあるが頻繁に遭遇する物でないのだ。通常であればな」
「……うーん、つまり本来はウジャウジャと湧き出てこないという事ですか。逆に言えば今は異常事態と言えるわけですね」
「あぁ。この地は現在、魔力の流れを異常に歪められている。各地で魔物が大量発生して被害を出しているが、この南方こそが最も魔物の勢力が強いのだ」
「だったら普通、一番対策に力を入れなくては駄目な場所なのでは? なのに何故、こんなに兵士の数が少ないんです?」
瞬間、部屋が静まりかえった。探るように見れば、誰もが答え辛そうにしている。
ようやく会話が再開されたのは、俺が二つ目の果実を口に入れた頃だった。
【南方が最も危険とは言え、何処の地域も魔物が出る事に変わりは無いのだ。余所に兵を貸し与える余裕は無いのだろう】
「連携、とれてないんですね。不仲なんですか?」
「耳が痛いな。その言い分は正しいが、すぐに解決できる話では無い。しかし、魔力を歪めている原因については光明が見え始めたのだ。此処に呼んだのはソレについて伝えたいからでもある」
【ほう。目星は付いているのだな?】
面白そうに神様が笑うと、イーシュさんは静かに頷く。
「……魔物達の住処となったアポクリュフォンの森の深層。そこには魔物を生む邪神を封じた遺跡の伝説がある。封印されてもなお、遺跡を通じて森の奥から周囲に魔力の淀みを広げているのだ、と」
……魔物の遺跡。その言葉には聞き覚えがある。
かつて読んだ本のページを捲り返すように記憶を辿り、俺はソフィア姫に確認した。
「魔物の遺跡って、アッカド基地に関する説明で伯爵が言ってませんでした?」
「……えぇ、言っていたわね。でも本題ではないとも口にしていたわ。イーシュの様子を見る限り実在しているようだけれど」
「実在はしています。残念ながら、クリティアス帝国の兵士達によって発見され、管理されているという問題が生じていますが」
刹那、室内の空気が地震の如くどよめいた。
……クリティアス帝国か。
俺は果実をモシャモシャと頬張るのを止め、記憶を頼りに口を出す。
「帝国というと確か、モートさんとソフィア姫の言い争いでも出てきましたね」
と、首を傾げて当事者に尋ねる。
話を振られたソフィア姫は、頭を抱えながらも重い口を開いた。
「クリティアスは西側の隣国よ。魔物殺しを娯楽と言ってのける好戦派ばかりで、軍事侵攻もしてくる厄介な存在。ハッキリ言えば敵よ」
「そんな相手と情報交換ですか。それって不味いのでは?」
「そうね。でも、ここで追求しては話の腰が折れるわ。今は不問にしましょう」
複雑そうな顔で眉を曲げるソフィア姫は、イーシュさんに視線を向ける。
心なしか、それはイーシュさんを推し量るような眼光だった。
「……それで。その遺跡の話は信用しても良いモノなの?」
「一度だけですが、実物は確認しております。周囲が結界に覆われ内部に入ることは出来ませんでしたが、魔力の流れが異常でした。あの歪みは間違いなく、魔物発生の元凶の一つです」
【では遺跡をどうにかすれば、南方の治安は回復すると言いたいのか?】
「帝国は遺跡の発見と同時に、そこから生じる魔力の乱れを調整していると報告してきました。その件以後、魔物の出現数は明らかに減少しています」
【……遺跡との因果関係があるという根拠は?】
「明確な証拠はありません。ですが帝国が虚偽申告する理由もないかと」
【希望的観測から来る楽観視では無いか。話にならん】
「しかしこの件を報告した際、モート伯爵から送られる吾輩達への援助は増しました。あの方は無意味な行為を良しとしない。ならば遺跡の存在は決して妄言の類いとは言い切れないと、そう信じたいのです」
イーシュさんは申し訳なさそうに顔を俯ける。
ソレを見た神様は不機嫌そうに押し黙り、交代するようにソフィア姫が口を開いた。
「土地に詳しくない他国が、地元住民でさえ把握してなかった遺跡の発見ね。森の中は魔物の巣窟なんだから、調査するにしても短期間で済む筈がないわ。南方の領主達が協力でもしない限り、有り得ない話よ。男爵、この推察は合っているかしら?」
「ご慧眼です。現在帝国と南方の領主達の間には、相互扶助の密約があります。帝国は魔物増加の原因究明と、周辺の魔物退治を買って出ました。彼らは少数精鋭ですが、今ではアッカド基地よりも信頼されているほどの実績を出しています」
「そう。隠さない辺りは懸命ね。それで帝国からの見返りは?」
「拠点です。帝国側は少数でありながら精鋭部隊を派遣して民衆を魔物から守り、安全を与え、利益をもたらした。そんな彼らの要求は魔物を排除する為の防衛施設でした」
「待って。防衛施設というなら、このアッカド基地があるでしょう?」
「……その通りです。ですが、帝国の要望は叶えられた」
イーシュさんは自虐的に笑う。
それはあれほど懸命に戦っていた戦士が、まるで老兵のように疲れた顔をさらけ出した瞬間でもあった。
しかし内容は素人の俺が聞いても本来、罪に問われるような背任行為だと判る。
当然の如く、エレナさんが椅子から立ち上がって非難し始めた。
「な、完全に取り込まれているではないですか。我が身可愛さに、敵国の侵略を見過ごすなど言語道断です、貴方達は再び、裏切る気ですかッ」
イーシュさんは口を閉ざして、否定しない。
だが、反論は思わぬ所からやって来た。
「その言い分は傲慢すぎるわよ、エレナ。少なくとも、私達が南方の情勢を重要視していたら起きなかった事態だもの」
「……ですが姫様。この事実が広まれば、イーシュ殿を初めとした南方の貴族への刑罰は逃れられません。許可無く他国の助力を受けるなど、王家による支配権の弱体化を示すような物です。国家反逆罪が適用されても不思議ではない案件です」
「いいえ。私の見立て通りなら、イーシュ男爵達は罪には問われない。むしろ、よくやっている方だと褒めるべきかしら?」
「……姫様?」
目を丸くして驚くエレナさん。
まぁ仕方ない。一番に責めるべき人が、まさか庇うとは想定外だ。
【さすがに解せんな。弾劾を咎めるのは理解するが、褒める要素は何処にある?】
「あっさりとイーシュ男爵が帝国について口を割った時点で理解したわ。モート伯爵はもちろん、帝国の情報くらい王都も把握に決まってるってね」
その発言にエレナさんの表情が硬くなる。
まぁ当然だ。もしそれが本当なら、非難すべき矛先は国家そのものになる。
「ひ、姫さまは、帝国の蛮行を王都の首脳陣が黙認しているというのですか」
「少なくとも、ここに来る前からモート伯爵はアッカド基地周辺に居る帝国兵について私に伝えてきているのよ。あの男を経由して、王都に情報は伝わっている筈でしょう」
「……それは、そうですが」
「それでも対策せずに問題を現場に押し付けたと考えれば、今の状況は南方の権力者にとっても苦肉の策だったと想像できるわ」
余りにあっさりと、ソフィア姫は自国による統治能力の無さを断じた。
しかも、その推測をイーシュさんは否定せずに肯定する。
「もちろん吾輩を含め、領主達は帝国兵士の存在を王都に伝えています。しかし何の反応も返ってきませんでした。魔物で手一杯な南方は、帝国まで敵に回す訳にはいきませんでした。森の奥に基地を建設したのは、せめてもの抵抗なのです」
「もし私が同じ立場でも、同じ道を選んだでしょうね。王国全土が疲弊している今、どこも自衛で精一杯なのだから。たとえ敵国であっても、魔物退治の兵力は必須よ」
「では、つまりイーシュ殿達は、あえて帝国を利用したと? 再び汚名を着てでも領民の命を優先したと言う事ですか」
エレナさんが、心苦しそうな表情でイーシュさんを見る。
しかし、当の本人は自嘲した顔で首を横に振るだけだった。
「南方には帝国の言い分を退けられる戦力が無かった、と言うだけのこと。監視と報告はモート伯爵に伝えていたが、逆に言えば他に出来ることもなかったのだ」
沈黙が訪れ、モシャモシャという咀嚼音だけが虚しく響く。
ただ静寂は長く続かない。ソフィア姫が溜息混じりに口を開いた。
「それを卑下する事はないわ、男爵。敵でさえ利用するしかないほどに追い詰めたのは私達だもの。もし本当に裏切っているのなら、イーシュ男爵は今の話を素直に報告する必要なんて無かった。貴方の忠節は決して失われていない。そうでしょう、エレナ?」
尋ねる言葉だが、肯定以外は認めないという強制力を感じる。
だがそんな真似をしなくても、すでに相手は反発する意思など失われていた。
「姫様がそう仰るのであれば、私は従うまでです。実際、基地を守っていたイーシュ殿の功績は疑うものではありませんから」
殊勝な態度でエレナさんは大人しく席に着く。
この場で唯一、不満そうにしているのは神様くらいなものだった。
【……身内を庇うのは結構だがな。その遺跡が本当に魔物発生の原因なのか判らねば、ただ帝国に利益を与えた馬鹿者達という可能性も在るぞ?】
「えぇ、その可能性も否定できない。だから真相を得る為にも、まずはクリティアス兵と接触してみましょうか。とりあえず明日」
「――明日」
ソフィア姫の小さな呟きはしかし、まるで爆発を受けたように聞いた者を仰け反らせるほどの威力を放っていた。
特に神様の動揺っぷりは凄まじいものがある。
【正気か? 森の中は魔物の住処、しかも会おうとしているのはお前自身が敵と断じた連中だぞ。死地へ向かうと言っているに等しいではないか】
「帝国は侵略行為では無く、人助けを名目にして動いているのよ。なら野蛮な真似は控えるに違いないわ」
【南方領主たちの前では大人しくとも、お前相手には牙を剥くかも知れんだろう】
そう語る表情は、もはや娘を心配する母親のようだ。
むしろ複雑そうな顔で事態を見守っているエレナさんこそが、意外である。
混沌化する場の空気。
ただ周囲の反応などお構いなしのソフィア姫は、平然と神様に答えた。
「実態を掴まないと、ここまで来た意味が無いもの。それに私がこういう行動を取る事は伯爵なら予想していた筈。その上で南方行きの許可が出たのなら、安全は担保されていると考えるべきね」
「いや、さすがに楽観視しすぎなのでは?」
などと俺でも突っ込みたくなる暴論だった。
しかし『伯爵』という説得力は絶大で、俺以外は誰も異論は挟まない。
「……驚きました。皆さんは、モート伯爵を未来を保証する予言者のような存在として扱っているんですか?」
「そうよ、アレは神の代わりに王家を守るモノ。私の自由意思は縛れないけど、行動は制限できる権力はあるの。本当に危険なら、南方の事情に詳しい伯爵がアッカド基地に私を来させかった筈よ。逆説的に、帝国への接触も失敗はしないのでしょう」
「その理屈は俺でさえ馬鹿な事を言っているなぁ、と思います」
「馬鹿かどうかは、明日になれば判るわ」
【ぬぅ。しかし翌日は性急すぎるぞ。仮にも敵国、対策を練っておくべきだ】
「ミウルは心配性ね。いざとなれば私の魔法で帝国の拠点ごと爆破すれば解決するわ」
【くっ、何たる破天荒。我でさえ、そんな壊滅的な思考はしておらんわ】
「どう言われても、意見を変える気は無いわ。コレは提案じゃなくて決定事項。何だったら、私一人でそうすると言うだけの話なのよ」
もはや完全に、室内の主導権はソフィア姫の物だった。
会った時から意志が強いとは思っていたが、ここまで舵を取るとは。
「正直、驚きました。ソフィア姫は随分と強引な性格だったんですね」
「えぇ。だって私、王族だもの。命令ってこういう時にある物だと思っているから」
それはまさに鶴の一声、有無を言わさぬ権力者の号令であった。
ソフィア姫の顔は本気だ。きっと言葉通り、彼女は躊躇いなく実行するだろう。
だから、この話し合いの方向は既に決まったのだ。
最後まで神様とエレナさんは眉間に皺を寄せていたものの、結局は折れた。
【……どうするのだ、女騎士】
「正直に言えば、否定する材料と権限が足りません。姫様の同行さえなければ、快く賛成している作戦ですね。貴方も人に尋ねる時点で、止める術を持たないのでしょう?」
【ふん、確かにな。最善だとは言わんが敵対していない以上、帝国の情報を得るには直接聞くのは効率が良い。仕方ないが付き合うしかあるまい】
「私はいつも通り姫様を御守りするだけです。万が一の場合、戦う相手が魔物から人に変わっただけのこと。そう思い込めば、なんとか許容できます」
まさに渋々といった感じだが、これにて承認である。
もとより俺には反対する理由は特にない。
なので明日、クリティアスとかいう人達の居場所へ向かう事は確定となった。
「なら決まりね。男爵、悪いけれど今から帝国側に連絡を取って貰えるかしら?」
「……御意。ですが姫殿下の素性を知れば、帝国も今の対応を変えてくる可能性があるかと具申致します。身分を明かすのは控えておくべきかと」
それは政治に興味ない俺でさえ、当然だと言える配慮だった。
しかしソフィア姫は首を横に振る。
「直接会いに行く以上、隠したところで発覚するのは時間の問題でしょう。敵国であれ礼儀は必要だし、正体不明の人間など誰も歓迎しないわ」
「……それはまた、ご立派な意気込みですね」
正直、ソフィア姫の言動を羨ましく思う。
己の生き方を何ら恥じていない、尊厳に満ちた態度は俺には無い物だから。
などと劣等感に苛まれて黙っていると、溜息混じりにエレナさんが口を開いた。
「残念ですが皆様、諦めてください。姫様は何より王族としての誇りを大事になさる御方なのです。無理にでも止めたいというなら気絶でもさせる他ありません」
沈黙が訪れる。
そこまでして止めようとする者が居ない証左であった。
【ソフィアよ。帝国に身分を明かすならば、せめて迎えの馬車でも用意させるべきだ】
「ダメよ。これ以上、相手に貸しは作る訳には行かない。それに道中の魔物くらい倒せなきゃ救援部隊として来た意味も無いわ」
「この件は吾輩も同行します。案内役が必要という事もあるが、アッカド基地の隊長が居るとあっては、彼らも無碍には出来ない筈だ」
という心強い言葉が、会議を締める。
俺は新しい果実に手を伸ばしながら、とある選択肢を思い付ていた。
……帝国の人をアッカド基地に呼び付けるという手段もあっただろうな、と。
だが所詮は素人の考えだ、ゆえに明日は森の探索となった訳である。