間違っていることに気付けないのが間違い
キス未遂事件(自分の中ではこう呼ぶことにした)から早一週間が経った。
オレの心もようやく、落ち着きを取り戻してきた。
そういえば、オレに告白してきた田中さんは、あの後、急な人事異動で違う部署へと飛ばされてしまった。
もしかしたら皆に知らされる前に本人には伝えられていたのかもしれない。
だから、その前に心残りがないようにあのような行動に出たのかもしれない。
もうちょっと穏便にできなかったのかな……
と、少し悪いことをした気がして罪悪感が残る。
しかし、終わってしまったことをクヨクヨ悩んでも仕方ない。
むしろ、キスされてたらオレが終わっていた。色んな意味で。
そんなことを思いながらオレは電車に乗ってとある場所に向かっていた。
5月に入り、世間ではGW。
オレが働く会社も長期休暇に入った。
なので、久しぶりに実家に帰ることにしたのだ。
自宅から実家まではそう遠くない。
電車とバスを乗り継いで1時間半ほどだ。
実家に帰るのは2年ぶりだ。
就職してからは身の回りのことで必死だった。
とくに女装について。
最初のうちはいつか、バレるのではないかと毎日がドキドキで、休みの日は精神的に疲労していたので寝てばかりだった。
今は自信(オトコとしてこの自信はどうかと思うが)ついてきたので、少し余裕も出てきた。
なので、GWに入って特に予定もなかったし、せっかくなので帰ることにした。
と、頭の中で色々考えていると電車が最寄り駅に到着。
降りてすぐにあるバス停に運良く実家近辺の停留所に着くバスが停まっていた。
すぐさまそれに乗り込み、バスは発車。実家へと向かう。
そして、バスに揺られること20分ほど。
実家近辺の停留所に停車。
久々に帰ってくると無性にこの辺りが懐かしい。
バスから外の景色を眺めていたが、近所には新しくマンションが建ったり、道路が補強されたり、空き地が小綺麗な公園になっていたりと自分がいた頃より少し風景が変わってしまったが、それでも自分が過ごした場所には変わりない。
こういうのなんかいいな。
心の中でシミジミとそう思うのだった。
物思いに耽りながら、バスから降り、5分ほど歩くと実家に到着。
母さんには帰省することは連絡してあったが、実家の鍵を持ってくるのを忘れてしまったので、インターホンを押すことにした。
ピンポン。
聞き慣れた音が鳴り響くと、家の中からドタドタという音が聞こえてき、その音が消えると同時に玄関のドアが開く。
そこには相変わらず、のほほんとした空気をまとったオレの母親がいた。
あの人のおかげで今のオレがあるのだ。女装付きだけど。
母さんはオレの顔をジッと見ると一言。
「私のムスメは?」
はぁ……まさか帰ってきて第一声がそれかよ。
ここで説明しておこう。
オレは普段出かける時、女装をして外に出ている。
このほうが何かと便利だし、街中で大学や高校の知り合いにあっても話しかけられる心配がない。
だが、帰省する時に女装する必要はない。
たまには、素のままの自分で過ごしたいのだ。
なのに、なのに、この母親ときたら……
恨めしく母さんを睨むと、クスリと笑いながら。
「ちょっとした冗談だって。おかえりなさい」と言った。
「ただいま……」
目をそらしながらポツリと呟く。
全く帰省早々、これとは。
何事もなく帰省を終えるなんて無理なのか?
無理だよな、そうだよな、わかってたよ。
うううっ……
心の中で号泣。
急に重く感じたボストンバッグを肩に担ぎ直すと実家へと入っていくのだった。
荷物を二階にある自分の部屋に置くとリビングに降りてくる。
そして、リビングでお茶を飲みながら母さんと雑談を交わす。
しかし、主な内容はオレの女装についてだった。
どんな化粧品を使ってるのだとか、下着はオトコものなのかとか、正体がバレる危険はないのかとか、とりあえずそんなことばかりだった。
女装について、聞かれるのは非常にめんどくさかったし、恥ずかしかったが、こんな話しを聞いてくれるのは母親くらいしかいない。
たまには女装についての大変さを話したかったので、この機会に全部吐き出すことにした。
途中、母さんが晩御飯を作るためにキッチンに立ったので、話しを中断したが、それ以外はひたすら女装についてのグチ(?)を喋り続けた。
その間、母さんは文句の一つも言わず、ずっと話しを聞いてくれた。
正直嬉しかった。
息子とはいえ、他人の話しを黙って聞いてくれるなんてやっぱり親ってのは偉大なんだな。とシミジミ実感した。
「ふわ~あ……」
やがて何時間も喋りっぱなしだったので、疲れてきたのか睡魔が襲ってきた。
今日はこのくらいにしてまた明日にでも話そうかな。
ていうか思いのほか、色々たまってたんだな。ちょっとビックリ。
母さんに今日はもう風呂に入って寝ると告げると足早にリビングから出ていく。
その時、母さんの目がキラリン。と光り、ニヤリん。と笑みを浮かべたのがチラッと見てたが、眠気で頭がボーッとしていたオレはあまり気にせず、そのまま風呂に入ることにした。
そして手早く風呂から上がると二階に上がり、自分の部屋に戻るや否や、ベッドに倒れ込むように眠るのだった。
「う……ん、んん…」
どのくらい眠ったのか、オレはゆっくりと目を覚ました。
いつもと違う天井が目に入ってきたので、少し驚いたのだが、そういえば、実家に帰ってきてたんだっけ。
なんだか、久しぶりにゆっくりとよく眠れた気がする。
これも女装せずに過ごせたからだな。
「ん、ん~!!」
ベットの上でグッと上半身を伸ばす。
いま、何時だろ。
髪をボサボサとかきながら、ベッドの脇に置いてあるデジタル時計を見てみる。
そこには10時30分と表示されていた。
結構寝てたな。
喉が渇いて何か飲みたいし、とりあえずリビングに降りるか。
そう思うと布団をはねのけ、階段を降りていく。
リビングに入るとそこにはテーブルの前に座り、鏡を見ながら化粧をしている母さんがいた。
「あれ、どこかに出かけんの?」
冷蔵庫の中から牛乳を取り出し、コップに注ぎながらたずねる。
「あ、とも君!実はお願いがあって」
「?」
この時、オレは実家に帰ってきたことが間違いだったと後悔するのだった。
駅前にある巨大なショッピングモールに向かうため、バスに乗り込む二つの影があった。
一つは妙にルンルンとご機嫌なオレの母さん。
元々、若く見られがちで普段は化粧を滅多にしないのだが、今日だけは化粧をして、オシャレな服を着ていた。
もう一つは、フリフリのワンピースを身にまとい、状況を理解できずに、げっそりとした面持ちのオレだった。
なんで、なんでこんなことに。
その原因は今朝のやりとりだった。
母さんが観たい映画があるからそれに付き合ってほしいといってきたのだ。
実家にいる間はとくにすることや、やりたいこともなかったし、暇つぶしになればと思い、着いて来たのだった。
しかも、今日はレディースデイ(水曜日)で映画が安く観られる。
女性は。
当然、オレは女装せずに家を出ようとした。
しかし、母さんはオレに女装を強要してきた。
帰省している間は、絶対に女装しないと決めていたオレは、必死の抵抗を試みた。
だが、母さんは女装して付いてこないと会社に全てをバラすと脅してきた………!!
なんて心の歪んだ母親なのだ。
オレはその言葉を聞いた瞬間、自分の耳を疑った。
まさに悪魔の所業だ。
全くこの前のリップといい、オレの周りには悪魔がウヨウヨいるらしい。
しかし、何故女装した息子とそんなに映画に行きたいのか?
一体何を考えているんだ、母さんは。
仕方なく、オレは女装して出掛けるハメになったのだ。
ご丁寧に用意された新品のワンピースを着て。
はぁぁ……
ため息が止まらない。
これから先が思いやられる。
ショッピングモールに到着すると早速映画館があるフロアへと向かう。
映画のフロアは4階にあるので、そこまではエレベーターでいくことにした。
エレベーターを降りると、チケット売り場に進む。
母さんはチケット売場の人に映画のタイトルのあとに「女性2枚」と伝えた。
売場の人がチラッとオレと母さんを見ると怪しむ様子もなく、そのままチケットを発券した。
ふふ、そうだよね……
バレるはずないよね……
まぁこの場ではバレないほうがいいんだろうけど。
それでも、オトコとしてどうなんだ……
精神的にノックアウトを食らい、壁に手をついてがっくりと項垂れる。
それにしても泣けてくる……
なんで映画を観にきただけなのにこんな目にあわなければいけないんだ……
ショッピングモールに来て早々、帰りたい気分に駆られたオレだったが、映画の上映まで時間があるらしく、母さんが買い物に付き合ってと言ってきた。
買い物くらいならなんとかなるか。
そう思ったのが、そもそもの間違いだったのだが、この時のオレは知る由もなかった。
エスカレーターを降り、一直線に母さんが向かった先はまさかのランジェリーショップだった。
い、いやぁーーー!!!
む、む、む、無理!!
いくら女装してるとはいえ、女性ものの下着を堂々と見れるわけがない!それに買えるはずもない!
確かに普段女性もののサポーターや胸パッドを着けているが、それは全てネットで買った物だ。
「か、母さん……こ、ここは……」
まともに正面を見ることができずに、うつむいたまま、口を開く。
だが、そんなオレの心を分かっているはずなのに、母さんは店の中へと入っていく。
オレの手をぐいっと引っ張りながら……
ちょ、ちょっと~!!!
母さんはオレの手を引っ張りながら店の中へと足を進める。
そして途中で足を止めると、オレに向かって一言。
「あ、これ、ともちゃんに似合いそう」
母さんの何気ない一言にオレは俯けていた顔を一気に上げた。
えっ!?
と、と、ともちゃん!?
そっか。君付けだと怪しまれるもんな。
でも、なんか……
ていうかその前に似合いそうってなんだよ!!
着ねーよ!
つーか、着れねーよ!
色んな意味で!!!
心の中でツッコむのだったが、そんなオレに構わず、母さんはドンドン店の奥に進んでいく。
はぁ……
店の外にいたらあとで色々言われそうで、面倒だし、付いていくしかないな……
心の中で早々に諦めるとオレは母さんのあとを追った。
その後も母さんはこれが似合いそうだとか、あれを着てほしいだとかまるでオレを着せ替え人形ように振り回していた。
しかし、どれもこれもいくら女装が似合っているとはいえ、成人のオトコには付けることができない際どいものばかりだった。
まともに正面を見ることすらできない空間でオレは顔が真っ赤になっているのを自覚しながら、ふとある事に気づく。
もしかして、母さんがオレに女装を強要したのって、この店に入りたかったから?
そういえばうちって母さん以外はオトコだけだから、こういう店にはずっと入らなかったよな。
だから、いつか来たかったって思ってたのかもな。
そう思いつつ、母さんの顔をチラッとを見てみる。
そこには本当に楽しそうに下着を選んでいる母親の笑顔があった。
あんな表情、久々に見たな……
ていうか下着選びであんなに笑顔になれるのか……
オトコにはよくわからない感覚だけど。
いや、この店に限ったことではなく、娘がいたら連れ添って買い物に行きたいと思っていたのかもしれない。
女性だけが分かり合えるような場所に。
「ふぅ」
息をひとつ吐く。
仕方ない、今回くらいは付き合ってあげよう。
そう決心した矢先に母さんが遠くから駆け寄ってくる。
「ともちゃ~ん!!これ着てみて~!」
そして、オレに何かを手渡す。
こ!これは……!
ガーターベルト!!?
だから、こ、こ、こんなん付けれるか~!!
心の中で大絶叫しながら思う。
……もしかしたら、あの人は単にオレの表情を見て楽しんでるだけなのでは………と。
結局、ランジェリーショップでは何も買わずに終わった。
いや、母さんに関しては商品よりも価値のあるものを見ただろう。
もしかしたらそれが目的だったのかもしれない。
どこかのCMのように。
「河野智明の赤面する顔、プライスレス。お金で買えない価値がある」だ。
とりあえず変なもの、買わされなくて良かった……
心の底から安堵する。
そうこうしているうちに映画の上映時刻が近づいた。
再びエスカレーターをのぼり、4階へと向かう。
今日観る映画は恋愛ものだったが、なんでもエンディングが独特らしい。
一体どんな終わり方なんだろう?
先ほどとは気分を変えて、少しワクワクしながら母さんと共に上映中につまむジュースとポップコーンを買い、中へ入っていった。
約2時間後。
「うっ…うぅ……」
号泣である。
なんて、なんて切ない終わり方なんだ……
ハンカチで涙を拭いながら横目で母さんの表情を見る。
母さんは少し目を潤ませていたが、それと同時に何故か少し頬を赤らめて、こっちをチラチラ見ていた。
「母さん、どうしたの?」
頬が赤い理由が気になったので尋ねてみた。
すると驚き言葉が返ってきた。
「とも君……かわいい…」
母さんはポツリとつぶやくようにささやいた。
「ぶっ!」
思わず吹き出してしまう。
やがて我慢できなくなったのか、勢いよく両手でオレを抱きしめてきた。
ちょ、ちょ、え?!
あまりの急展開にオレはついていけなかった。
母さんはオレの髪に頬ずりしながらよりギュッと強く抱きしめてくる。
「んん~!泣いてるとも君、すっごくかわいい!本当の女の子みたい!!」
「は、はは……」
女の子ね……
そろそろ25になる息子がね…
最早、乾いた笑いしか出てこなかった…
母さん…オレの心はあなたのせいでずっと痛めつけられてますよ…
とは、さすがに言えず、しばし、されるがままのオレなのであった。
はぁ…周りの視線が痛い……
余談だが、映画のストーリーはこうだ。
とあるところの家族に兄妹がいた。
その二人は血はつながっていなかったが、本当の兄妹のように仲が良かった。
やがて成長するにつれ、二人はお互いを兄妹ではなく、異性として惹かれあっていった。
そして兄が17歳の誕生日に二人は恋人同士になる。
二人は幸せの絶頂にいた。
だが、その幸せは長くは続かなかった。
二人の関係を知った両親は家族団欒の場で二人を激しく批難。
このまま今の関係を続けるのであれば親子の縁を切ると言われてしまう。
さらに学校側にも関係がバレてしまい、二人はイジメの対象に。
自分たちの気持ちに正直になったためにこのような結末を招いてしまった。
二人は誰にも邪魔されない場所に行こうと決意する。
映画のクライマックス。12月25日、恋人たちが愛を誓い合うクリスマスの夜。
二人はお互いに愛を囁き、抱き合いながら、真冬の海へと身を投げ、心中する……
永遠に二人きりになるため…
ショッピングモールに来てからというもの散々な目にあったが、その後は何事もなく平和に過ぎていった。
ゲームセンターで久々にメダルゲームをやったり、クレーンゲームで白熱したり、スタバで休憩しつつ、雑談をしたり、女装していたので格好こそはおかしかったが、むしろ、この格好のおかげで周りからは仲良い親娘として見られていた気がする。
おかげで思う存分はしゃぐことができた。
初めはなんでこんなことに……って嘆いていたが、トータルで見ると結果オーライって感じかな?と途中から思うようになっていった。
楽しさのあまり時間を忘れていて、気がついたように腕時計を見てみるともうドップリ日が暮れているような時間だった。
そろそろ帰らないとな……
そう思いながらチラッと母さんを見るとオレの言いたいことが分かったのか、急に手を握ってオレを引っ張るように歩き出した。
ちょ…!
声を上げそうになったが、ふと思いとどまった。
せっかく楽しい気分のまま、一日が終わろうとしているのだ。
しばらくこのままでも、構わないか……
オレは心の中で苦笑しつつ、母さんについていった。
ショッピングモールを出る寸前、「次は何を着せて出掛けようかしら……フフッ……」
と、怪しい笑いが聞こえ、同時に背中に悪寒が走ったのだが、なるべく気にしないようにした………