正解かもしれない間違い。
夏もそろそろ終わりを迎えたある日の休日、オレはとある人物が住むマンションの前までやってきていた。
教えられた番号で入口のオートロックを解除すると目的の部屋までエレベーターで向かう。
そしてエレベーターを降り、部屋の前まで行き、チャイムを鳴らす。
バタバタと騒がしい音が近づき、止むと同時に玄関のドアが開かれる。
「今日はわざわざありがとう!ほんとに助かるよ……」
普段と違い、ボサボサの髪に肌は手入れをしていないのかカサカサで、ヨレヨレのTシャツに短パン、両手にはインクのしぶきがいくつも飛んでいた。
そう。今日、オレは侑芽ちゃんの自宅を訪れていた。
なんでも同人誌の締切が間近に迫っているらしく、SNSサイトでそのことをつぶやいており、何か手伝えることはないかと連絡した次第である。
漫画の手伝いは無理だけど、身の回りの世話ぐらいならできるはず。
「立ち話もなんだし、早く入って入って!!」
侑芽ちゃんは慌ただしく、そう言うとあっという間に部屋の中に戻っていく。
本当に時間がないんだな……
その様子を見て、改めて思いながら、侑芽ちゃんの部屋へと入っていった。
「げっ……」
リビングについて早々、そんな言葉と共に顔が引きつってしまう。
なぜなら、リビングは非常に荒れていた。
どうやら1週間ほど、食事は全てデリバリーかコンビニ弁当で済ませているらしく、ゴミがそこら中に広がっていた。
その上、飲みかけのペットボトルもあちこちに散乱している。
まずはこの片付けからやるか……
気合を一つ入れると侑芽ちゃんにゴミ袋がどこに置いてあるか聞いてから掃除を始めていった。
そして、とりあえず可燃と不燃にゴミをそれぞれにまとめ、ある程度片付いたところで掃除機をかけていく。
しかし、そこでまぁなんとびっくりしたのが掃除機があの名ゼリフ、世界でただ一つだけの掃除機で有名なメーカーの物だった。
使ってみてわかるが、驚きの吸引力。
なんか掃除が楽しくなる……気がする。
ちなみに後で侑芽ちゃんに聞いたが、ファンの方からのプレゼントらしい。
べ、別にう、羨ましくないんだからね!
それからリビングの掃除が終わると洗面所へ。
「ああ~、やっぱり……」
入って早々、そんな言葉が出てくる。
洗濯機の中にはやはり、山積みにされた衣類が。
一人暮らしと言えど、1週間も洗濯しなければ結構な量になる。
ええーっと洗剤は……あ、あったあった。
洗剤を見つけると、中に適量な分だけ放り込み、早速洗濯機を回すことにした。
そして、洗濯機の脱水が終わるまでの間、オレはお風呂場の浴槽をささっと掃除し終えると、リビングに戻ってきていた。
リビングにある作業台の上で黙々と原稿を仕上げていく侑芽ちゃん。
その姿は真剣そのもの。
手持ち無沙汰だし、飲み物でも入れようかな。
というわけで、キッチンに置いてある食器棚から適当なコップを取り出す。
えっと、確か侑芽ちゃんは紅茶好きだっけ。
やっぱり淑女(本当は違う)は紅茶好きというのが当たり前なんだろうか。
なんてついつい、思ってしまう。
「侑芽ちゃん、ちょっと休憩にしない?」
紅茶を入れ終えると侑芽ちゃんに向かってそう言う。
少しの間、返事がなかったが、やがて作業の手が止まり、侑芽ちゃんがこっちを振り向く。
「うん、そうしようかな……」
すっかり疲れ切っている様子。
目の下にはうっすらと隈ができていた。
多分、締切に追われてここんとこ、まともに寝れてないんだろうな……
なんにせよ、手伝いにきてよかった。
「んー!」
オレが入れた紅茶をズズッとすすりながら、侑芽ちゃんは大きく伸びをする。
お茶菓子としてオレがお土産に持ってきていたクッキーを一緒に摘まむ。
「原稿どんな具合?間に合いそう?」
「うん。修羅場は超えたから、多分間に合うと思うよ」
オレに向かってうっすら笑顔を見せる侑芽ちゃん。
「本当?よかった」
その言葉を聞いてオレは盛大に安堵の息を吐いた。
「アハハ。心配かけてごめんね……あ、あと掃除とか、本当にありがとう」
部屋全体を見渡し、苦笑しつつ、お礼を言ってくる侑芽ちゃん。
「締切が近づくたびに、こんなに忙しくなるの?」
もし毎回、こんな具合に生活が荒れるなら早々に改善した方がいいと思う。
うら若き乙女……ではないけどオトコだとしてもあまり褒められたもんじゃないぞ、この生活は。
「いや、今回は特別でさ。実は夏コミに描いた同人誌が人気だから別のも読みたいってファンの人から色々言われちゃって、それで慌てて描いてるんだよね」
「それなら締切は自分で決めれるんじゃ?」
オレは首を傾げた。
本当の漫画家のように担当から締切を迫られるなら未だしも、同人作家に担当なんか付くわけないし……
「それが9月からスケジュール詰め詰めでさ、今のうちに描かないと間に合わないんだよね……」
言いながら侑芽ちゃんはがっくりと項垂れた。
「そ、それは大変だね……」
オレは侑芽ちゃんの肩を優しく叩くしかできなかった。
「でもとも姉が来てくれたから大丈夫!」
紅茶をごくっと飲み干し、グッと拳を握る侑芽ちゃん。
「それにしても女装してきたんだね。てっきりオトコの姿で来ると思ってた」
改めてオレの姿を眺めた侑芽ちゃんがポツリとつぶやく。
「あ、アハハ、色々あってね……」
引きつった笑みを浮かべつつ、顔を隠すように紅茶のカップに口を付ける。
侑芽ちゃんの家に行くと思ったら、無意識のうちに女装してたんだよな。
女装に慣れすぎて完成するまで気づかなかった……
まぁ格好がTシャツにジーンズだったから良しとしよう。これで無意識のうちにワンピースなんて着てたら自分自身に絶望するとこだった。
なんて心の中で少し凹んでいると。
ピーピーと洗濯機の脱水終了の音が聞こえてきた。
「あ、終わったみたい。それじゃ干してくるね」
そう言うとオレは気を取り直し、イスから立ち上がり、洗面所へ向かった。
「ごめん、お願いね……」
侑芽ちゃんのその言葉を背に受けつつ、オレは洗濯カゴを持つとベランダへと向かった。
扉をガラッと開けて、ベランダへ出ると大きく伸びをする。
「ん~!!」
今日はいい天気だな。
洗濯物も早く乾きそう。
太陽から注がれる日差しを身体中に受けながら洗濯物を次々と干していく。
快調に洗濯物を掴んでは干していくのだが、ある洗濯物を掴んだ瞬間、オレの手はピタリと止まった。
こ、これは……まさか……
ひ、ヒモパン?!
ま、まさか侑芽ちゃんはこれを着けているのか……?!
な、なんてチャレンジャーな!
うっかり見えたらどうするんだ……
しかも、よくよく見てみれば洗濯物も女性が着るようなものばっかりだ。
あ、このブラジャーも!なんてかわいいデザインしてるんだ!
これが男の娘なのか!
身体中に何故か衝撃が走る。
あ…
アタシも負けてらんない!!
ヒモパンに衝撃を受けながらもなんとか洗濯物を干し終え、リビングへと戻ってくる。
どうやら侑芽ちゃんは作業を再開したらしく、ペンを走らせながら作業台にかじりついていた。
さて、一通り、掃除も終わっちゃったし、どうしようかな。
とりあえずリビングにあるイスに座ると、最初にまとめたゴミ袋がチラッと目に入った。
描き始めてから栄養のあるもの食べてないみたいだし、なんか精のつくものでも作ってあげようかな。
と、いうわけで近所のスーパーへ買い物にいくことにした。
マンションを出る前に冷蔵庫の中身を確認したが、ものの見事にすっからかんだった。
集中しているのを邪魔してはいけないと思い、黙って部屋を出ようしたが、自宅に帰ると誤解されるのも嫌なので侑芽ちゃんに買い物に行って来ると言うと、お財布から1万円札を出してくれた。
マンションもそうだけど、長期間外食したり出来るってことは相当稼いでいるのかなぁとついつい考えてしまう。
ちなみにプロの漫画家で週刊連載の場合、新人だと1ページに付き、原稿料1万程度がもらえ、カラーだとその1.5倍、コミックス(420円)だと10%に当たる42円が印税が入ってくる。
その他、アニメ化やドラマ化、グッズ展開など人気に火がつけばお金はドンドン入ってくる。
それ以外にも取材旅行と称し、旅行に行くことも可能。
対して同人作家は印刷料や原稿代など全ての経費が自費である。
その代わり、同人誌が売れれば丸ごと自身にお金が入ってくるので、アマであるがゆえにシビアな世界である。
なんてこれ全部侑芽ちゃんから聞いた情報なんだけどな。
歩くこと数分後、スーパーに辿り着き、カゴを腕にぶら下げ、店内を物色する。
疲労回復には山芋をすりおろして……あ、デザートにこれもいいな。
食材を手に取り、料理のレパートリーを考えていく。
そこでふと思う。
あれだな…こうやって晩御飯の献立に頭を悩ませるのって、なんか主婦みたい……
一人暮らしだと自分の好きな物を食べれるから買い物にもそんな悩まないけど、誰がのために料理を作るって大変なんだな。
オレも結婚したら旦那さんや子供のために献立を考える毎日がくるんだろうな……
ってオレ、オトコじゃん!!
ああ…なんか頭と心が痛くなってきた。
バカなこと考えてないで、さっさと買い物済ませて戻ろ……
買い物を済ませ、侑芽ちゃんのマンションへ戻る。
「ただいま~」
玄関を開け、そう一言。
しかし、思ってた通り、やっぱり返事なし。
ということはまだ描き終わってないってことか。
しかし、リビングの扉を開けるとそこには。
「ゆ、侑芽ちゃん?!」
仰向けに横たわる侑芽ちゃんが。
「いや~、ラストスパートと思って気合入れて描いてたら終わった瞬間、反動で動けなくなっちゃって……」
ソファに横たわり、苦笑する侑芽ちゃん。
「もう本当にビックリしたよ……」
オレはため息を吐きつつ、買ってきた食材を冷蔵庫に入れていく。
すると。
「スースー……」
穏やかな寝息が聞こえてくる。
チラッと侑芽ちゃんの方を見ると、ソファに置いてあったぬいぐるみを抱きしめながら寝ていた。
お疲れ様……
心の中でポツリとつぶやくとオレは料理を作り始めていった。
しかし、あれだな。
ぬいぐるみを抱きしめてながら寝ている侑芽ちゃん……
異様なほどカワイイ……
思わず、見とれてしまった……
心の中でモヤモヤしつつ、手を動かしていく。
「美味し~!!」
2時間後。起きた侑芽ちゃんがオレの手料理を食べていく。
そして口いっぱいに料理を頬張りながら、声を上げる侑芽ちゃん。
「ほらほら、あんまり急いで食べると危ないよ」
その光景に苦笑しつつ、テーブルに料理を広げていく。
「だってさ!誰かの手料理なんてすっごく久しぶりだし、まともな食事も久々だし、それに出てくる料理も全部美味しいし……」
まぁだてに1人暮らしを経験してないからな。
料理のレパートリーならたくさんあるぞ。
しかし、まさかオトコに手料理を振る舞うことになるとは……
「よし、こんなもんかな…」
食器をおおかた洗い終わり、リビング全体を見渡す。
今、侑芽ちゃんはお風呂に入っている。
1週間ぶりに湯船に入れると言って大喜びしていた。
さーてと、それじゃオレも侑芽ちゃんがお風呂から上がるまでゆっくりしますか。
と、いうわけでリビングにあるソファに座ると作業台に置いてある原稿が見えた。
あれは侑芽ちゃんが必死に描いてた原稿……
そういえば夏コミの時といい、侑芽ちゃんがどんな同人誌を描いてるのはまだ詳しくは知らないんだよな。
ちょっとくらい覗いても大丈夫だよね……
洗面所をチラッと見やり、侑芽ちゃんがまだお風呂に入っていることを確認するとオレは恐る恐る原稿を手に取り、中身を見ていく。
そしてその手が止まる。
こ、これは……!
オンナの子がやたら登場するな……
それにしてもオトコが一切いない……
ってこれ、百合じゃねーか!!!
そして間違いなく同人誌のモデルはオレと侑芽ちゃん!!
同人誌の中では可愛らしいオンナの子、2人があんなことやこんなことを繰り広げている。
う、うわぁ、思いっきりキスしてる………
そ、そんな!ダメ……!激しい!
「ふい~さっぱり~……あれ、とも姉、なにやってんの?」
すると、頭をバスタオルでゴシゴシこすりながらいつの間にか、オレの後ろにいて声をかけてくる侑芽ちゃん。
「ひゃ、ひゃい!?い、いや、別になんでもないから気にしないで……ア、アハハハ……」
いきなり声かけられたから口から心臓、飛び出るかと思った!
オレは激しくどもりながらも台拭きでテーブルを拭きながら平静を(頑張って)装う。
テーブルを拭いてるおかげで顔を見られずに済んだ。
「フーン、変なとも姉……」
首を傾げながら侑芽ちゃんはドライヤーがある洗面所へ再び入っていった。
「ハァハァ……」
侑芽ちゃんが出ていった途端に顔を真っ赤にしつつ、肩で息をする。
なんか侑芽ちゃんの顔がまともに見れない……!
あの柔らかそうな唇に……って考えただけで頭が爆発しそう!
しばらくは会うの控えようかな……
夏の終わりに新たな障害が増えてしまったのだった。




