間違いを認めるのも大切
うだるような暑さがやってきた。
季節は夏。
オレは暑さに顔を歪ませながら、電車を乗り継ぎ、ある場所に向かっていた。
そして超満員の電車を降り、そこに広がる景色に胸を。
躍らせるわけもなく。
「はぁ……」
ただただ、げっそりとするばかり。
それも仕方がない。なぜならば、今のオレの周りには人、人!
とにかく人しかいない!という状況だった。
これが夏コミかぁ。
初めて来たけど…人の多さにびっくりするな……
駅に着いた途端、一気に人が降りていったけど……
何千人どころか何万人もいると思う…
この時期になると、ニュースで報道されるのも頷ける。
オレがなぜ、普段は来ないこのような場所にいるのかと言うと、話しは2週間前に遡る。
「サークルの出店?」
休日のある日、侑芽ちゃんから電話がかかってきた。
「そう!とも姉は、夏コミって知ってる?」
やけに弾けた声の侑芽ちゃん。
「名前くらいは。行ったことはないけど……」
よくニュースで報道されるよな。
毎年何万人が来場したとか。
「そっか。実は、その夏コミでアタシの所属サークルで描いた同人誌を出すんだけどさ」
実は、侑芽ちゃんには女装趣味以外にももう一つ秘密があった。
それは職業が同人作家だということ。
女装趣味同様、周りに偏見の目で見られるからと隠していたのだが、秘密がバレたオレと母さんにだけはそのことを話してくれた。
絵なんてとてもじゃないけど、描けないオレにとって漫画が描けること自体がすごいので、そのことは素直に尊敬している。
大学時代にそこそこ人気があったらしいが、日本に帰ってきてから海外留学で培った技術を発揮したところ、爆発的人気になったらしい。
「それでよかったら夏コミに来てくれないかなぁと思って……」
先ほどとは裏腹に今度は段々と声がしおらしくなっていく。
うーん、わざわざ人混みに行くのは、あまり気が進まないけど……
せっかく誘ってくれたんだもんな。
それに侑芽ちゃんが描いてる漫画にも少し興味あるし。
「うん。侑芽ちゃんがいるなら、せっかくだから行ってみようかな」
「ほんと?!よかったぁ!嬉しい!」
先ほどとは打って変わって非常に喜んでるのが電話越しでも分かる。
こんなことで喜んでくれるなら返事したかいがあったってもんだ。
というわけでオレは夏コミに行くことになったのだ。
「あ、でも一つだけお願いが……」
「ん?」
それは予想してなかったお願いだった。
「あ、暑い……」
額から流れ出る汗をハンカチで拭いながら目的の場所を目指す。
えーっと、まずは……
手元にある携帯に目を落とす。
侑芽ちゃんから送られてきた、入場についての手順が記されたメールを読んでいく。
ってマジかよ。
このでっかいドームを一周しなきゃいけないのか……?
「はぁ……」
ため息を吐きつつ、オレはカバンに入れていたペットボトルの水をぐびっと飲むと気合いを入れて歩いて行った。
「はぁはぁ……」
20分後、汗だくになりながら、ようやく周り終える。
や、やっと列に並べた……
後は中に入るだけ……
早くクーラーの効いたところに行きたい……
しかしそれは後に儚い夢だったと後に思い知らされた。
数分後、建物内へと入っていく。
入ってまず一言。
「あつ!くさ!!」
たまらず、叫んでしまう。
な、なんだこの空間は!?
外より暑いじゃないか!!
そして汗が密集したせいで異様な汗臭さが!!
クーラーなんてあってないようなもんだ!
そもそもクーラーがついてるのかすら、わからない……
なんでみんな、こんな場所で平然としていられるんだ!?
そして人の多さが半端ねぇ!
動くのすら、ままならない!
あまりの暑さにげっそりとしながら、心の中で様々なことに突っ込んでいく。
と、とりあえず侑芽ちゃんがいるところに向かおう!
オレは再び携帯に目を落とし、ゆっくりと道を進んでいく。
しかし……
うう~……
き、キツイ……
世界一有名なネズミがいるテーマパークより混んでないか?ここ?
下手に止まろうもんなら確実に誰かとぶつかるぞ……
などと、思いながら歩いていくと。
「とも姉!こっちこっち~!!」
聞き覚えのある声が少し先の方から聞こえてきた。
「あ!」
オレは侑芽ちゃんの姿を見つけると周りにぶつからないよう、少しだけ急いでかけていった。
「す、すごいね、ここ……」
オレは流れ落ちる汗を慌てて拭いながら口を開く。
「あはは。毎年のことだからね。といってもアタシもまだ3回目だけど……」
苦笑いを浮かべながら侑芽ちゃんは、その場にかかんで何かを手に取り、オレに渡してきた。
「はい。冷たい飲み物どーぞ」
そう言ってペットボトルの飲み物を渡してくれる。
「あ、大丈夫、飲み物ならここに……」
と、言ってカバンに入っているペットボトルを取りだそうとしたが。
「げっ……」
な、生ぬるい……
思わず、顔をしかめてしまう。
駅に着いてから買ったやつだから、まだ冷たいはずなのに…
炎天下を歩き回った+建物内の高気温で一気に奪われていったのか……
そんなオレの様子を見て侑芽ちゃんはプッと小さく笑った。
「やっぱ生ぬるくなってたでしょ?アタシも初めてここに来た時はおんなじ失敗したよ。こういうところに来る時は水筒に飲み物入れて来るのが好ましいんだけど、ごめんね。伝え忘れちゃった。だから代わりにこれ」
と言って再びオレにペットボトルを渡してくれる。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
オレはおずおずとペットボトルを受け取った。
「ん!すごい冷えてる!」
受け取った瞬間、思わず、叫んでしまう。
今、オレの手の中にオアシスがある……!
なんて大げさなことを考えてしまう。
「クーラーバックにこれと一緒に入れてたからね」
そう言って今度は保冷剤を渡してくれる。
「タオルに包んで首に当てると、かなり涼しいよ」
「おお、有難い!」
やっぱ慣れてる人がいると頼もしいな。
「ふぅ……」
もらったペットボトルで喉を潤し、
一息ついたところで。
「~~~♪」
侑芽ちゃんはやけに楽しげにオレをジロジロと眺めてきた。
「な、なに?なんかおかしいかな?」
たまらず、たじろぐ。
「いやぁ、可愛いなぁと思って……?」
「ぐっ……」
その言葉に怯む。
オレだってできれば、こんな格好で来たくなかったさ…!
でも、侑芽ちゃんからの頼みだし。
それに夏用のオシャレ着なんてこれくらいしかなかったし……
そう。夏コミに来る前、侑芽ちゃんからのお願いというのは、オレに女装をして来てほしいというものだった。
人混みに行くのに、わざわざ女装というハイリスクを背負っていくのは、できれば避けたかったが、侑芽ちゃんが「どうしても!」と頼み込んできたので仕方なく、女装することになった。
侑芽ちゃん的にはオトコのオレよりとも姉に会いたいってことなんだろうか……
それはそれで嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだな……
ちなみにオレの今の服装は、いつの日か母さんが買ってくれた(?)ワンピースだ。
正直、もう2度と着ることがないと思っていただけにできれば着たくはなかったが、変にオトコっぽい服装にすると、絶対にガッカリする侑芽ちゃんの顔が容易に想像でき、確実に後で文句言われることが分かりきっていたので、結局、このワンピースを着ることにした。
丈もそこそこの長さなので、見えちゃいけないものが見える心配はないので、その点はありがたかった。
「あ、アタシのことはいいからさ。それより……」
話題を変えるために侑芽ちゃんの少し後ろにいる人に目を向ける。
「あ、そうだね。おーい!噂のとも姉がやってきたよー!」
後ろを振り向き、大声で声かけをする侑芽ちゃん。
何かの作業をしていたらしいが、その手をピタリと止めてこちらに近づいてきてくれた。
「これはこれは。お話は侑芽ちゃんから聞いています。わざわざ来てくださってありがとうございます」
オレに向かってぺこりと頭を下げてくれたのは、見た目は普通な綺麗な女性だった。
「あ、いえいえ、こちらこそお忙しいところに来てしまって……」
慌ててオレも頭を下げる。
な、なんだ……
こういう所にいる人だから、てっきり見た目からも分かるくらいオタクな人なのかと思っていたら全然普通な人じゃないか。
「それにしても……」
そんなことを考えていると、オレの格好をまじまじと見つめていた。
「な、なんでしょう?」
「お話通り、すごく可愛らしいですね」
「ハハハ……あ、ありがとうございます……」
最早、乾いた笑いしか出ない。
初対面であった女性にすら、可愛いって言われるなんて……
オレは生まれてくる性別を間違えてしまったのだろうか……?
なんて大層なことを考えていると。
「でっしょー!?とも姉、めちゃくちゃ可愛くてさ。もうアタシ、虜だよ……」
両手を頬に添えながら、ウットリとした表情で身体をくねらせる侑芽ちゃん。
も、もうやめて……
これ以上、オレの心を傷つけないで……
そう思わずにはいられなかった。
「さ、サークルって二人だけでやってるの?」
耐えられず、再び話題を逸らす。
「いえ、本来なら5人で運営しているのですが……」
と、お姉さんは長方形の木のテーブルに貼られている紙にチラリと目をやる。
「?」
それに釣られてオレも視線を移動させてみる。
そこには。
「好評につき、只今、売り切れ中!」と、黒マジックでデカデカと書かれていた。
「売り切れって……」
イベント始まってまだ初日で、しかもまだお昼を少し過ぎたくらいだぞ?
「一応、5000刷は用意していたんですけどあっという間に無くなってしまって。なので、他の3人が今、急いで在庫を取りにいっているところなんです」
「へぇぇ、ちなみに毎回こんな具合なんですか?」
「いえ、こんなことは初めてで。恐らく侑芽ちゃんの絵が評判でそれが口コミで広まった影響でこうなったのかと……」
お姉さんもどうしたらいいのかわからないという表情だった。




