ずっと間違ってる
年が明けて早数日が過ぎた。
年末年始ということで会社は休みだったが、その休みもあと2日で終わろうとしていた。
元旦に香織さんと初詣に行ってからは、ほとんど外出していなかった。
なぜなら……
ああ~女装しなくていいって楽だな~。
開放感に浸りながらこたつに入り、ゴロゴロしながら雑誌を読んでいると、携帯のバイブが鳴った。
ん、なんだろ?
もそもそと手を動かし、携帯を取る。
メールだった。
差出人は部長。そしてメールの内容は。
それから3日後の早朝。
オレは大型バスの中にいた。
部長から送られてきたメールには、火事が起こって以降、社員全員の頑張りにより、業績が無事、元に戻り、その功績を労うということで本社から慰安旅行がプレゼントされたのだ。
しかし、どこに行くのかは当日のお楽しみらしい。
どこに行くんだろな~。
オレはワクワクしながら胸を踊らせていると久しぶりに早起きした影響か段々と眠気に襲われていった。
「ん、んん……」
車が止まった気がして目を覚ます。
どっかのサービルエリアに止まったのかな。
「ふわぁぁ……」
大きなあくびをしていると1番前の席に座っていた課長に呼ばれた。
なんだろ。
オレはフラフラした足取りで言われるがままにバスの外へと出た。
外に出た瞬間、オレの目に飛び込んできた光景は。
「ここは……」
なんかの施設みたい。
それにかなりでかい。
なんか見たことある気がする。
でも、来たことはないと思う。
ここは、なんてとこだっけ?
寝起きで上手く頭が働かない。
あれ?そういえば、他の人達は?
オレが目をゴシゴシ擦りながらぐるっと後ろを振り返ると、そこには。
誰もいなかった。
というかバスがなかった。
え。
あれ、なんで誰も、何もないんだ?
オレは目をパチクリさせた。
いや、よく見ると何もないわけではなかった。
オレが持ってきた荷物だけはその場に丁寧に置き去りにされていた。
これは一体……
先ほどまでの眠気は既にどこかに吹っ飛んでいた。
しかし、状況が全く整理できない。
お、オレはどうすれぱ……
しばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて目の前に誰かがやってきた。
「ようこそ、おいで下さいました」
そんな言葉と同時に丁寧に頭を下げてくる。
気品漂う立ち姿に仕立ての綺麗な着物。
「あなたは?」
オレがそう尋ねると目の前の女性は優しい笑みを浮かべた。
「失礼致しました。自己紹介がまだでしたね。私はこのスパのオーナーでございます」
スパ……?
あ!
そこでオレは思い出した。
少し前に都内に巨大なスパリゾートが出来たのだ。
豪華な内装に圧倒的な接客とサービス。
その上、年末にオープンしたこともあり、すぐに予約は殺到。何ヶ月も先まで埋まってるらしい。
と、オレが頭の中で色々と考えているとオーナーがオレの荷物を持ってくれていた。
「本日、9時から予約の河野智花様ですよね?お待ちしておりました」
予約されてたのか。
いつの間に……というか。
「あの、予約の名前ってアタシだけですか?他の会社の方々は?」
「あら、ご存知ありませんでしたのね。実は当スパリゾートは女性限定とさせていただいています」
その言葉を聞いた瞬間、オレの身体は凍りついた。
え……
えええええ!!
大絶叫が心の中でこだまする。
そ、それはまずいって……!
だ、大丈夫かな……
正体バレなきゃいいんだけど…
思わず、両手で頭を抱えてしまう。
そんなオレを見てオーナーが首を傾げた。
「どうかされました?なんだかお顔が優れないような」
「い、いえいえ!なんでもないです!アハ、アハハハ……」
オレは咄嗟に顔を上げて、慌てて首を左右に振って必死に笑顔をつくった。
慰安旅行のはずなのに、とんでもないことになってしまった。
内心、頭を抱えたまま、中へと入っていくのだった。
建物内に入り、チェックインを済ませてから、女将さんの後ろについていきつつ、今後について脳内で作戦を立てていく。
とりあえず、部屋に篭っていればなんとかなるよな……?
このスパリゾートには大浴場やミストルーム、エステコーナーがあるが、いずれも個室ではないのだが、そこにさえ行かなければ乗り越えられるはず……!
だが、オレの思惑は女将さんの次の一言でモロくも崩れ去るのだった。
「全身フルコース……?」
泊まる部屋に案内されたオレはそこで最悪の事実を告げられた。
「ええ、河野様にはこのコースを受けてほしいとあらかじめ、ご指示が」
そう言いながらにっこりと微笑む女将さん。
しかし、それとは裏腹にオレは目の前が真っ暗になった気分だった。
お、終わった……
確かにその気遣いは嬉しい。
こんな立派なスパリゾートのエステなんて女性なら憧れるだろう。
だけど、オレは女性じゃないんだよ……
ど、どうすれば……
「それでは、エステコーナーで我々は準備していますので、河野様はお風呂に入られてから来て下さいね。申し訳ありませんが、大浴場の方は今、満員になっておりまして、お部屋のお風呂をお使い下さるよう、お願いいたします。では」
軽く会釈をしてから部屋を出て行く女将さん。
姿が見えなくなった瞬間、オレはヒザから崩れ落ちた。
や、ヤバイ……
どうする?どうすれば、この場から逃げ出せる……?
ていうかオレ、ここ最近、逃げ出すことばっか考えてないか?
いや、今はそんなことどうでもいい…
とりあえず荷物まとめてここから出ちゃうか?
いや、ダメだ。
何の理由もなく、突然いなくなれば明らかに怪しい。
それにチェックインの時、携帯の電話番号を書いてしまった。
いなくなったと分かれば確実にそこに連絡がくるだろう。
もし、携帯の着信を取らなかったとしても、会社の部長や課長、最悪の場合、予約を取ってくれた本社の方に連絡が行くかもしれない。
それに労いということで、このスパリゾートの予約をしてくれたんだ。
逃げだせば、そのご厚意を全て無駄にすることになる……
ああ、もう!
髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き毟る。
どうすればいいんだ!
と、そこで地毛ではなく、ウィッグを掻きむしっていることに気付く。
しまった!
せっかく綺麗にセットしてあったのに、勢いでやってしまった…
乙女としてはあるまじき行為だ。
グスン……
「はぁ……」
ため息を盛大に吐くと、オレは立ち上がり、お風呂場へと向かった。
時間もまだあるし、せっかくだから入ってしまおう。
入浴中になんか閃くかもしれないし。
そして1時間後。
「うう……」
フラフラとした足取りでお風呂場から這い出てくる。
色々な事を考えながらウィッグの手入れしていたら、つい長湯してしまった……
完全に湯あたりした……
でも、ウィッグは元通りになったぞ……
なんとかウィッグを装着したところで。
あ、ヘヤアイロンかけないと……
と、ウィッグをもう一度外そうとしたところで。
ドサッ!!
盛大な音を立てて床に崩れ落ちた後、オレの意識はなくなっていった。
「ううん……やめて、そ、そこだけは………………ダメぇぇぇ!!」
大絶叫と共にガバッと布団を押しのけ、目を覚ます。
は、はぁ、はぁ……ゆ、夢か。よかった……
女将さんにバスタオルを勢いよく、引き剥がされて正体がバレる夢を見てしまった。
オレにとってこれほど悪夢な夢はない。
荒い息をつきながら辺りを見渡す。
こ、ここはオレの部屋?
で、オレは今、ベッドに横になっている。
呼吸を整え、ベッドに入る前のことを思い出す。
あ、そうだ。
湯あたりしたせいでフラフラしながら、洗面所を出て…そこから記憶がないから気絶してしまったみたいだな。
喉がカラカラに渇いていたので、ベッドから下り、外の自販機に飲み物を買いに行こうとした時、テーブルの上に書き置きがあった。
そこには非常に達筆な字で「お身体の方は大丈夫でしょうか?エステですが、お身体の調子が良い時にでもまた致しますので、今はゆっくりお休み下さい」と書いてあった。
これ、書いたの女将さんかな。
なんか余計な心配させちゃって上に迷惑もかけちゃって申し訳ないな。
でも、そのおかげでエステは回避できたし、怪我の功名ってやつかな。




