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どこが間違っているかわからないほど間違っている

「う……ん、んん」


カーテンから朝日が漏れ、まぶしいくらいにそれが顔に当たっている。

じたばたと布団の中でもがき、朝日が当たらないところに身体ごと移動させる。

昨日、ちゃんと閉めなかったのか……


それにしてももう朝か。でもまだ目覚ましは鳴っていない。

だからもう少し寝れるはず……

ハッキリしていない頭でそう考えると、今度はモゾモゾと布団の中に潜り込む。

そしてまたすぐに眠気が襲ってきた。


おやすみ……

そう心の中でつぶやいた時。


ジリリリリ!!!


テーブルの上に置いていた目覚ましが、けたたましく鳴り響いた。

なんてタイミングの悪い……

朝から最悪だ……


ガクッと項垂れながら、鳴り響く目覚ましを止めると布団からノロノロと出て洗面所に向かい、顔を洗う。


冷たい水に当たれば頭も冴え、気分も多少なりともマシになるというものだ。

ザバザバと洗いながら次は歯ブラシを手に取り、歯を磨く。


目覚ましはいつも午前7時半に鳴るように設定している。

8時半に家を出れば会社には余裕をもって間に合う。

しかし、この1時間が勝負だ。

やることは多い。


朝食の準備に昼食用のお弁当の用意、会社に行くのだから化粧もしなければならない。

中々ハードなスケジュールだ。

ちなみに洗濯は一人暮らしなので、3日に一回で済む。これは有り難い。

歯を磨き終えると洗面所を出て、リビングに向かい、冷蔵庫にある栄養ドリンクを手に取り、一気に飲み干す。


これが最近の日課だ。

これを飲むことによって一日がスタートし、同時に気合いも入る。

さて、まずは朝食とお弁当の用意からだ。


再び冷蔵庫を開け、中を物色する。

卵とウインナーがあるから、それを使おうかな。朝食はそれとサラダにトーストでいいだろう。あ、残り物だが、きんぴらごぼうもあったな。


オレは手早くそれらを取り出すと、棚から卵焼き用のフライパンをを取り出し、油を引いてからガスで加熱する。

ものの数秒でフライパンは熱くなり始め、まずはウインナーを投入。

そして、火が通るまでの間に卵をお皿に割ってからかき混ぜ、砂糖を少し加える。その間にトーストもトースターに入れて焼く。

だし巻きも美味しいが、個人的には甘い卵焼きの方が好きなんだよね。

そんなことを考えながら、フライパンに乗ったウインナーを転がし、適当なところで火を止め、お皿に移す。

味見がてら、一つ摘まんでみた。


噛んだ瞬間、パリッと聞こえの良い音が音が響き、美味かった。

さて、次は卵焼きだな。

再びフライパンを加熱させ、溶いた卵を流し込む。

そして、固まりすぎないように様子を見ながら、くるくるとフライ返しで回し、あっという間に完成。


一人暮らしをしてから、何度も作っているので、もはや慣れたものだ。

あとはトーストが出来上がるのを待つだけなので、今のうちにきんぴらごぼうをレンジで温めておこう。

こんな感じで毎日、ご飯を作っている。


今日は寝坊しなかったが、たまに寝坊してしまうときもある。そんなとき、自分だけでも忙しいのに世の中のお母さんは家族の分も作って偉大だなぁと尊敬する。

オレもいつか結婚するのだろうか。

今の生活だと全然想像できないけど……


まぁ「彼氏」くらいなら作れそうだが、そうなったらオレはもう二度と心の底から笑えない気がする。


はぁ、朝っぱらから変なこと考えてしまった……

沈んだ気分のまま、オレはテレビの電源を入れて、ちょうど出来上がったばかりのトーストをかじった。


ご飯を食べ終え、テレビに表示されている時間を見ると8:10だった。


よし、余裕だな。


オレは化粧をするため、ポーチを出してテーブルに置いた鏡の前に座る。

化粧はそれほど濃くはしない。いわゆるナチュラルメイクってやつだ。

化粧の最後には口紅を塗る。

そういえばこの前、化粧道具を買いに行った時、新作の試供品をもらったんだっけ。

仕事で疲れてぼんやりしていたから家に着いたら他の道具と一緒に適当にポーチの中に入れた気がするけど。


と、思いながらポーチの中をゴソゴソと探る。

するとパッケージに入った小さな口紅が見つかった。


あ、これだこれだ。


ポーチの中から取り出すとパッケージの表面にはこう書かれていた。


「春の新作リップ!あなたの唇はキスを誘う!!」


うひぃ~!!誘いたくない!!

思わず身震いしてしまう。

オトコ同士でキスするなんて考えただけで気分悪くなる……


しかし、ほんとにこれを使うのか……?

別に今使ってる口紅が切れたわけじゃない。

いや、ちょっと待てよ……

キスを誘うのは何もオトコに限ったわけじゃない。

もしかしたら女性からくるかもしれない……!!


そうだ、そうだよ!

少しばかりの期待を抱きつつ、新作の口紅のほうを唇に塗る。

口紅を塗り終えると鏡で唇をチェックしてみる。

なるほど、唇が少しぷっくらしている。

これならキスを誘うこともできるかもしれない。


「ふふふ……」


あらぬことを想像して、思わず笑みがこぼれてしまう。

と、妄想にふけている残酷な現実を思い出した。

そういえばオレがいる課って女性、オレだけじゃん……

実際は女性じゃないから結局はオトコだけの職場だし……


「はぁ…」


溜息を吐きながら化粧道具を片付けていく。

バカなこと考えてないで早く会社に行こ……

準備を終え、再びテレビの画面を見ると8:31と表示されていた。

会社には9時までに着けばいい。

しかし、途中何が起きるかわからない。

だから、いつも少し余裕をもって出勤するようにしている。


部屋の戸締まりをしてから、玄関の鍵をかけ、マンションを出てから会社への道のりを歩く。

数分歩いていると妙な視線が自分に注がれている気がした。


周りをみてみると道行く人、(特にオトコ)がオレのほうをチラチラと見ている。

一体何なんだ?

気にしないように無視しようとしてもつい気になってしまう。


はっ!?

もしかして、ウィッグがズレてるとか!?

家を出る前にちゃんと姿見でチェックしたのに…!

だが、よくよく注意して視線の先を追ってみると髪ではなく、顔を見られている気がした。


化粧はちゃんとしたはずだけど、どこかおかしいところがあったのか!?

心の中で悩んでいるとふと、今朝の出来事を思い出した。


「春の新作リップ!あなたの唇はキスを誘う!!」


もしかしてこれのせいか~!?

思わず唇に触れると周りに視線がより一層激しくなった気がした。なんかザワザワしてる感じだ。


間違いない、これだ……


ううっ、ちゃんとよく考えてから塗るべきだった……

ガックリと肩を落とし、なるべく唇を周りに見られないようコソコソ隠しながら歩いていく。

うううっ、今日は朝から最悪だ……

心の中でシクシクと泣くのだった。


そしてなんとか会社に到着。

普段より、少し遅れてしまった。

それにしても朝から散々な目にあった。

いや、まぁ全部自分のせいなんだけどさ………


途中、コンビニのトイレで口紅を落とそうと思って入ったのだが肝心なことにいつも使ってる口紅がポーチの中に入っていなかった。


そのせいで会社までずっとコソコソしながら歩くハメになった。

かと言ってずっと口の周りを隠してると怪しい人に見られてしまう。

あいだあいだに、唇を隠さず歩いていたが、途端に注目が集まる。

このリップの威力は絶大過ぎる。

女性としては喜ぶ場面かもしれないが、オレには最も遠慮したいアイテムになってしまった。


「はぁ……」


オフィスまで向かうエレベーターに乗りながら、思わず溜息がこぼれる。

働く前から疲れた。

唯一の救いはエレベーターにオレ以外の誰もいなかったこと。


帰りもこんな調子なのかな……

早くも先が思いやられる……


がっくりしながら、オフィスに着いてからもオレはなるべく周りにバレないように自分のデスクに座った。

今日は会議もなかったはずなので午前中はデスクワークで済む。


そして、重い身体でなんとか午前中の仕事をやり遂げた。

今まで働いた中で1番、このお昼休みが待ち遠しかった。


ここで生気を養って午後に備えよう。

仕事が終わって自宅までの道のりが1番気力を使うだろうし…

とりあえず気を取り直してご飯を食べよう。

と、その前にトイレに行くか。

そう思い、イスから立ち上がり、トイレへと向かう。

数分後、机に戻ってくると書き置きが貼られてあった。


なんだろ?


頭にハテナマークが浮かび上がる。

そして、書き置きにはこう書かれていた。


「河野さんへ、話したいことがあるので屋上へきて下さい」


なんだこれ?

ていうか誰がこれを?

再びハテナマークで頭がいっぱいになったオレはひとまず屋上に向かうことにした。

屋上の扉を開けるとそこには一人の男性が立っていた。


えーと、あれは同じ課で働く田中さん……だっけ?

確か若いのにやり手で優秀って周りからかなり評価されてるいわゆるホープってやつだ。


そんな人がオレになんの用だ?

疑問を抱きつつ、彼に近づいていく。

向こうもオレが来たことに気付いたのかこちらに歩み寄ってくる。


そして。


「オレと付き合って下さい!!」

と、がばっと頭を下げてきた。


おいおい、開口1番のセリフがこれって……


オレは頭が真っ白になって、ただポカンと口を開けていた。


そんなオレを見てか彼は言葉を続ける。


「いきなりごめん。でも、もうこの気持ちを抑えられないんだ。特に今日の河野さん、なんだがいつにも増して魅力的だし」


魅力的魅力的……みりょくてき……


その言葉に今朝の出来事がフラッシュバックする。


「春の新作リップ!あなたの唇はキスを誘う!!」


これかー!!!

一体なんなんだ、このリップは!!

もはや悪魔の道具じゃないか!!

心の中で絶叫していると、彼は両手でオレの肩を掴んだ。


「!?あ、あの……?」


上ずった声で彼を見上げてみる。

彼は真剣な表情でこちらをジッと見つめると掴んだ肩を自分の元に引き寄せ、目を閉じ、ゆっくりとこちらに迫ってくる。


こ、これって、キ、キ、キ、キスーーー?!


あまりに急すぎる展開にオレの思考は全く追いついていなかった。

頭の中で色んな言葉がグルグルと駆け巡っているが、それらが言葉として発せられることはなかった。

身体もまるで石になったように全身が硬くなってしまい、指の一つも動かせなかった。


その間にも彼との距離はゆっくりではあるが近づいていく。

あ、あ……

背伸びをすれば唇が届いてしまう距離。

もうダメだ……


オレ、オトコの人とキスしちゃうんだな……

心の中で諦めた、その時。


ブー、ブー!!!


「!!」


胸ポケットに入れていた携帯のバイブが鳴り出した。

メールの受信か電話の着信かは、わからないがこの振動が硬くなったオレの身体を元に戻してくれた。

ドンと彼の身体を押すと、身を引き、素早く距離をとる。


「あ、あの……?」


一切抵抗しなかったオレが最後の最後で抵抗したことで上手くいくと確信していた彼は、何が起きたのか理解できていないようだった。


「ご、ご、ごめんなさい!!」


今、出せる限りの声でそう叫ぶとオレはきびすを返し、一目散に屋上から姿を消し、階段をものすごい勢いで降りていった。


うわ~ん!!


心の中でオレは号泣していた。

なんでこんなことに~………!!


やっぱり今日は厄日だ~!!!


まさかの出来事から難を逃れ、フラフラとオフィスへと戻ってくる。

先ほど、何が起きたのか全てを理解できていない。

キ、キス……されそうになったのは鮮明に覚えている。


あの時は本当に何もかも終わったと心の中で確信した……


なんとかイスに座ると安堵から身体から力が抜けていった。

壁にかけてある時計を見ると昼休みも半分過ぎていた。

残り時間で心を落ち着けるのは無理かもしれない……


お弁当も食べてないし……

そこからはどうやって午後を過ごしたのか一切覚えていない。


仕事に関してはルーティンワークなので、頭を使わなくても身体がどうすればいいのか覚えているみたいでなんとかなっていたようだった。


彼、田中さんがオフィスに居たのかも分からない。

もしかしたら外回りでいなかったのかもしれない。


帰りも恐らくリップのせいで注目を集めていたのだろうが、それすらもわからなかった。

フラフラとした足取りで帰宅。

靴を脱ぎ、リビングに入り、ソフィにボフッと座る。


未だに、心ここに在らず。だ。

あのまま、キスされてたならどうなったのかな……

このことはお昼休みから何十回と考えている……


あー!ダメ、ダメ!!

そんなこと考えて何になる!

変な想像するのはやめだ!

オレは助かった!

それでいいじゃないか。


ここはポジティブにいこう、うん!

そういえばあの時、携帯のバイブに救われたんだよな。


我ながら悪運が強いと思った。

お昼休みは状況を整理するために残り時間全てを費やしたから携帯は、放置しっぱなしだった。


メールかな?


電話だったら掛け直さないとな。

そう思いながら携帯のホーム画面を開く。

ホーム画面にはメールのアイコンが光っていた。


メールかぁ。

さて、オレを救ってくれた救世主は一体誰なんだ?

なんて思いながらメールを開く。

受信したのはメルマガだった。


そして、そこには。

「新作リップの効果はいかがでしたか?アンケートを是非お願いします!!」と書かれていた。



うん、二度と使わない。

けど、オレを窮地から救ってくれたこともあり、メールに記載されているサイトからリップのアンケートには答えていく。

そしてアンケートの最後に、よければ感想を書いてください。とあった。


それに対してオレは一言。


「悪魔のような威力だった」

とだけ書き残し、アンケートを終えるとメルマガを削除した。


こうして今日も一日が終わっていく。


お腹すいたな、せっかくだからなんかデリバリーで頼もう。

作る気力ないや……



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