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間違いの終わり

紅葉が美しい季節、秋。

オレは、とある大学へと足を運んでいた。

といっても遊びにきたわけではない。

ここで学んでいる一部の学生を対象に会社説明会を行うのである。


オレは人事の説明担当ということで、この場にいるのだが。

こういうのって、可愛い系の女性がやるのが一般だよな。

オレが大学生の時に受けた説明会もそうだったし。


でも、本当はオトコなんだよ。


女子学生の数人から「あの人、可愛い」って言われた時には、膝から崩れ落ちそうだった。

とまぁ、心が折れそうになりながらもなんとか決められたスケジュールをこなしていく。


「はぁ……」


そして約2時間後、無事に説明会が終わり、大学内にある学生食堂で腰を落ち着ける。

慣れないことしたから疲れたな。

ぐったりとしながらイスに座っていると。


「お疲れ様」


目の前に綺麗な顔立ちの女性が現れた。

オレはテーブルに上半身を預けたまま、ゆっくりと首だけを動かし、目の前の人物を確かめる。

オレの前に現れた女性は、ばっちり決まったメイクやふわりと漂う上品な香水、それにスーツ。

見た目からして学生ではないようだった。

大学の先生かな?


「隣の席、いいかしら?」


料理が乗ったトレーをテーブルに置きながらオレにたずねる。


「あ、はい。どうぞ」


相変わらずグッタリしながらオレは生返事をした。


「ふふっ」


そんなオレを見て彼女はクスリと笑った。


「そんなに疲れちゃった?」


「まぁ普段、人前に立つことなんてないので……」


「言われてみればそうよね。普通のOLさんが人前に立つことなんて早々ないか…」


そう言いつつ、彼女はトレーの上に乗った料理をパクパク食べていく。

と、オレが何も食べてないことに気づいたのか、彼女は急に箸の動きを止めた。


「あなたは何も食べないの?」


「ええ、食欲が全然わかなくて……」


「だめよ、それじゃ。規則正しい食生活を心がけないと女性なんだからお肌が荒れたりするわよ」


「は、はぁ……」


本当は女性じゃないんです。なんて言えるわけもなく、とりあえず頷いておいた。


「何も口に入らないのなら、せめて何か飲みなさい。水分補給も大切よ」


そう言いながら彼女は席を立った。


「あ、あのどちらへ?」


「近くの自販機で何か買ってくるわ」


「そんな。悪いですよ。飲み物くらい自分で……」


そう言って席を立とうとしたのだが、上手く身体に力が入らなかった。


「いいの、いいの。お節介を焼いてる代わりってことで。それに身体は正直みたいよ?」


身体に力が入らないことを見抜いていたのか、オレの姿を見てニヤッと笑いながら彼女は財布片手に自販機の方へと駆け寄っていった。

そしてほどなくして、彼女が戻ってきた。


「お待たせ」


元いた席に座ると片手でオレに紙パックに入った飲み物を渡してきた。

中身はブドウジュースだった。


「なんかわざわざすいません……」


申し訳なくなり、オレは座りながらではあるが、頭を下げた。


「本当に気にしないで。私が勝手にしたことだし。それに職業柄どうしてもほっとけなかったし」


「職業柄?」


彼女のその言葉が気になり、オレは顔を上げた。


「そっか、まだ言ってなかったわね。私、島田香織(しまだかおり)って言うの。この大学で陸上部の専属インストラクターをしているの」


「インストラクター……」


「そう、主に選手のサポートというか健康管理を担当してるんだけど」


なるほど。それでオレの身体を気遣って色々と言ってくれたわけか。

あ、名前教えてもらったからこっちも自己紹介しとかないとな。


「私の名前は……」


と、オレが名前を言おうとしたのだが。


「河野智花さんでしょ?」


「え……?」


オレはきょとんとした顔で島田さんの顔を見る。


「やだ、そんな目で見ないでよ」


そんなオレの顔を見て島田さんは苦笑いを浮かべた。


「それそれ」


島田さんはオレの胸辺りを指差した。


「あ…」


そこには身分証明のために会社のランヤードを下げていた。


はぁ、よかった。

もし、会社関係で知り合った人とかだったら全く覚えてないからどうしようかと焦った。


「それにそれが無くてもあなた、結構有名人よ」


そんなオレの心情をよそに再び、料理をパクパクと食べながら島田さんは口を開いた。


「え?有名って?」


「可愛い顔したOLさんが説明会に居た。って。ちょっとした騒ぎになってたんだから…」


肩をすくめながら苦笑いを浮かべる島田さん。


「そ、そうだったんですか、それはなんというか……ごめんなさい」


「謝る必要はないと思うけど……?」


オレが何故か謝ったので島田さんは首をかしげた。


うううう……

女装してから何度も可愛いって言われてきたけど、一向に慣れない。


いや、まぁ慣れちゃいけないんだけどね。

ああ、よくわからないけど心が痛い。

そんな感じで島田さんと世間話をしながら過ごしていった。


「あら、もうこんな時間……」


島田さんが右腕に付けた腕時計を見ながらポツリとつぶやく。

その言葉に促され、オレも自分の左腕に付けた腕時計を見る。

すると、食堂に来てから2時間近く経とうとしていた。


「ごめんなさいね。ついつい話し込んじゃって」


言いつつ、トレーの上の食器を重ねていく。


「いえ、そんな。とても楽しかったです。あっという間に時間が過ぎちゃった感じで」


「そう?そう言ってくれると助かるわ」


クスリと微笑みながら、島田さんが席から立ち上がった。


「それじゃ、私、そろそろ戻るわね」


「あ、はい。ジュースありがとうございました」


オレはぺこりとお辞儀をした。

その時。


「ん?髪に何かついてるわよ?」


島田さんは食器が乗ったトレーを片手に持ち替えて、もう片方の手でオレの前髪の辺りに手を伸ばしてきた。


元から固定が甘かったのか、それとも説明会という慣れないことをして汗をたくさんかいてしまったのか、わからなかったがウィッグの固定がいつもより緩く、島田さんがオレの髪についていたゴミを取ると同時に少しだけウィッグがずれてしまった。


しまっ……!

そう思った時にはもう遅かった。


「えっ?」


指に不自然な感触が走ったので、自身の指とオレの髪を交互に見比べながら驚きの表情を見せる島田さん。


「あなた……」


「…………」


どうすればいいのか、わからなかったオレはその場でうつむくことしかできなかった。

そんなオレを見ながら、島田さんはゆっくりと近づいてくる。


や、やばい……

早く逃げないと。

でもさっきから身体が石みたいに固まって、指の一つですら動かせない。


ど、どうすれば……

石のように固まったオレをよそにゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる島田さん。

あと2.3歩で手が髪に届く。

万事休すか……!


目をギュッと瞑り、一種の覚悟を決めたオレ。

と、その時。


「島田先生ー!!」


遠くの方からオトコの呼び声が聞こえてきた。

その声に島田さんは動きを止め、振り返る。


「島田先生ー!もう午後の練習、始まってますよー!早く来て下さ~い!!」


どうやら話の内容的に彼は陸上部の選手で、練習に現れない島田さんを呼びに来たらしい。


「わ、わかった、すぐに行くから……」


彼に向かってそう返事をする島田さん。

オレはその一種の隙を見逃さなかった。

幸い、先ほどの彼の大声のおかげで身体がなんとか動くようになっていた。


三十六計逃げるにしかず!

オレは島田さんに背を向けると全力で走り出した。


「あ、ちょっと!」


島田さんの声が背中越しから聞こえてきたが、それを気にも止めず、オレは一心不乱に大学の外へと向かった。


「はぁはぁはぁ……」


なんとか大学の外まで来られた…

肩で息をし、額の汗を拭いながら、後ろをチラッと振り返る。

そこには誰もいなく、遠巻きで運動部の学生たちがそれぞれの練習に励んでいるのが見えただけだった。


よかった、なんとか逃げられたようだ。

ホッと一安心するオレ。

しかし、ウィッグがズレた時は本当に焦った。


今度からあんなことがないように固定する時は念入りにしないと。

そんなことを考えつつ、オレはなんとか息を整えながら、帰宅するため、最寄り駅までの道のりを歩いて行った。


だが、駅に着くと衝撃の出来事がオレを襲った。


「人身事故!?」


駅の改札で周りの人間にも聞こえるくらい大声を出してしまうオレ。

だが、周りの人たちも少なからず同じ気持ちだったらしく、特に変な目で見られることもあまりなかった。


改札にある電光掲示板によると、電車間で人身事故が発生したらしく、電車の運行が大幅に遅れているらしく、仮に電車がオレのいる駅に到着したとしてもいつ、目的の駅に着くか全く予想がつかないということだった。


「はぁ……」


思わず、ため息を吐いてしまう。

まったく今日はついてないな。

さて、どうやって帰ったもんかな。


タクシーはおそらく、人身事故の影響でかなり混雑してるだろうし、振替輸送しているバスも同様だ。

距離的に歩いて帰るのも厳しい。

と、なるとどこかに泊まるしかないな。


まぁ、仕方ないか。

幸い、明日は休みだ。

早めに近くのホテルを探せば泊まれるだろう。

そう思い、携帯のアプリからマップを取り出し、泊まれそうなホテルがないか探していく。


その時、電話がかかってきた。


相手は課長。

どうしたんだろ?

確か夜まで大学に残ってるって言ってたけど。

多少の疑問を感じながらとりあえず電話に出る。


今、思えばこの電話がオレのこれからの人生を変えるきっかけになるのだが、この時のオレは知る由もない。

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