河原の女
「夏ホラー2007」を前に、もう一作品ホラー作品を投稿しました! ホラーというほど恐くはないです。
──また今年もお盆がきた……。
真奈美は仏壇の前に座り、お線香に火をつける。仏壇には、あどけない顔をした三歳の弟の写真が飾られている。
弟の竜矢がいなくなって七年が経った。生きていれば今年で十才。竜矢がいなくなった時、真奈美は十才だった。その真奈美も今は高校生だ。月日の流れは、ゆっくりと竜矢を失った悲しみを和らげてくれた。
しかし、竜矢を失ったあの夏の日の記憶は、今でも鮮明に真奈美の頭の中に貼り付いている。忘れようとしても決して忘れられない深い悲しみが、恐怖とともに思い起こされてくる。
あの年の夏休み、真奈美達家族は、両親のお盆休みを利用して車でキャンプに出かけた。楽しい家族の小旅行。真奈美も竜矢もキャンプ場に到着する前から、ずっとお祭り気分ではしゃいでいた。
特に三歳の竜矢はキャンプに行くのが初めてで、川のせせらぎや河原の石ころ、見るもの全てが物珍しく、ちょこちょことキャンプ場を走り回っていた。テントの家で眠ったのも、川辺でバーベキューを食べたのも初めての経験。元気いっぱいの竜矢は興奮し、夜遅くまで眠ろうとしないで騒いでいた。テントの外でくつろいでる両親より先に、真奈美と竜矢はテントに入っていた。
「たーくん、もう寝なさい!」
真奈美は狭いテントの中を走り回る竜矢の体を押さえ、強引に眠らせようとする。
「やだ! やだ! たーくんもっと遊ぶ!」
竜矢はジタバタ手足を動かし、真奈美の手から逃れるとまた走り出す。
「たーくん!」
七つ年上の真奈美は、竜矢が生まれた時から弟の面倒をよく見ていた。ちっちゃな弟は腕白で悪戯っ子だが、かわいくて仕方ない。
「パパとママに言いつけるよ!」
「言いつけたっていいもん!」
竜矢は笑いながら、テントの中を飛び跳ねる。
「言うこときかないと、恐いお化けが出てきてたーくんをさらっていくからね!」
「お化けなんか恐くないもん!」
「もう!……パパ、ママ!」
結局、手に負えなくなった竜矢を残し、真奈美は両親の元へと走ることになる。
夜の河原は静かで、川のせせらぎの音と虫の音しか聞こえない。真っ暗な空には無数の星が煌めいていた。都会と違って川辺の星は空一面に降るように光っている。
だが、ひっそりとした河原は、川の水も黒く見えて、なんとなく不気味だ。お盆も近づき、吹いてくる風は少し冷たく感じられた。
両親の側に行き、炊いている火を見て、真奈美はようやくホッとする。お化けが恐いのは真奈美の方だ。竜矢には知られたくないが、恐がりな真奈美は、暗闇もお化けも大嫌いだった。
やがて、二泊三日のキャンプ旅行は、楽しく過ぎて行き、家に帰る日の朝となった。テントを解体したり後かたづけをする両親の傍らで、真奈美は竜矢を連れて河原で遊んでいた。
「たーくん、撮るよ! ハイ、ポーズ!」
川の浅瀬に入って水遊びをする竜矢に向かって、真奈美はカメラをかまえる。竜矢は満面に笑みを浮かべて、モデルのようにポーズをとった。
「もう一枚!」
真奈美が二枚目の写真のシャッターを切った直後、ふと背後から女の小さな声がした。
「あの……すみません」
背中に気配を感じ、真奈美はギョッとして振り返る。そこには、長い髪を肩までたらした浴衣姿の女が立っていた。
「うちの子を見なかったでしょうか?」
切れ長の目をした色白の女は、伏し目がちに真奈美に聞いた。
「子供? いくつくらいの子ですか? 女の子? 男の子?」
浴衣姿の女は、フッと口元を弛め竜矢の方に目をやった。
「男の子です。ちょうど坊やくらいの……」
「う〜ん……見ませんでした」
真奈美の家族以外にも、河原には何組かの家族や友人達同士のグループがキャンプに来ていたが、竜矢と同じくらいの男の子の姿は見かけていない。
「そうですか……ずっと探しているんですが、なかなか見つからなくて」
女はそう言うと、スススッと川に近づき竜矢を手招きする。
「かわいい坊や、名前は何というの?」
「たつやだよ!」
竜矢はにこやかに笑いながら、女の方へ駆けてくる。
「あっ、たーくん」
女は優しそうな顔をした綺麗な人だが、真奈美は何となく近寄りがたさを感じた。元気に川を走る竜矢は、途中で転びそうになり、女が手を出して竜矢を受けとめた。
「坊や、大丈夫? 川は滑りやすいから気をつけて」
女は柔らかな笑みを浮かべて竜矢に言った。
「うん! 気をつける!」
真奈美の言うことは聞かない竜矢なのに、見知らぬ女の言うことは素直に聞いた。
「たーくん、こっちにいらっしゃい!」
女に軽い嫉妬をおぼえ、真奈美は竜矢に叫んだ。
「やだよ、ぼく、おばちゃんと遊ぶ」
竜矢は女の腰に手を回し、体をすり寄せた。
「いい子ね。坊やに良い物をあげるわ」
女は袂からオモチャの水鉄砲を取り出すと、竜矢に差し出した。カラフルな柄をした水鉄砲に竜矢は大喜びする。
「わーい! てっぽうだ!」
「うちの子の水鉄砲なの。息子が見つかったら一緒に遊ぶといいわ」
女は愛おしそうな目で竜矢を見ながら、竜矢に水鉄砲を手渡した。竜矢はさっそく水鉄砲に川の水を入れて遊び始める。
「たーくん、ダメ! こっちに来て」
真奈美がそう声をかけた時、少し離れた川辺から母親の声がした。真奈美は振り返って母親の方を向く。
「真奈美、ちょっとテントをたたむの手伝って!」
「今はダメよ、たーくんが!」
真奈美は、竜矢と女に視線を移した。
「……!」
竜矢と女がいない! ほんの一瞬目を離しただけなのに、すぐ側にいた竜矢と女は忽然と姿を消していた。
スーッと体中の血が凍り付いたような寒気が真奈美を襲う。
「……たーくん! たーくん!」
バシャバシャと川の水を蹴り、真奈美は川の中程まで走った。真奈美が二人から目を離したのは時間にして数秒のこと。二人が遠くに行けるはずは絶対にない!
しかし、竜矢と女の姿はどこにもない。煙に巻かれたように、突然消えてしまった。
「真奈美、どうしたの!?」
真奈美の異変に気付き、両親も駆けつけてくる。
「いないの! たーくんがいなくなっちゃったの!」
真奈美は川の中を駆けずり回りながら、いつまでも泣き叫んでいた。
その後、キャンプ場は大騒動になり、懸命な竜矢の捜索が続いた。幾日も幾日も大がかりな捜索は続けられ、何十キロも先の川の河口までくまなく探された。
そして、捜索から一週間後、竜矢が女にもらった水鉄砲が、キャンプ場近くの川の淀みの中から発見された。そのあたりをもう一度徹底的に調べられたが、ついに竜矢の体は浮かび上がらなかった。
今もお墓の中に竜矢はいない。だが、真奈美は竜矢が見つからなくてかえってホッとしていた。川に消えた竜矢が生きているとは思えない。竜矢の無惨な姿など見たくはなかった。小さな棺桶の中には遺品として水鉄砲が入れられた。真奈美はあの女のくれた水鉄砲など入れてもらいたくなかった。
あの女は竜矢をさらって行った化け物! 真奈美は女の姿を思い出すたび背筋がゾッとした。
あの時、竜矢が消えた少し前、真奈美は自分の使い捨てカメラで竜矢の写真を撮った。竜矢の事件が起き、半年近くカメラは現像に出していなかった。事故直前の竜矢の元気な姿を見るのは辛かったが、少し気持ちが落ち着いた頃、真奈美は写真を現像に出した。
キャンプ場で撮した竜矢は、どの写真も元気いっぱいの笑顔で笑っている。竜矢の写真を見るたびに真奈美は悲しくなり、涙がぽろぽろと零れ出た。だが、最後に河原で撮した写真を手に取った真奈美は、ハッと息を呑んだ。その写真は、あの女が現れる直前に撮したものだ。
「これ……!」
川辺で笑っている竜矢。その竜矢の足元の河面に、小さな子供の顔が歪んで映っていた。川の中から顔だけだし、カメラを見つめ目を細めて笑っているように見える。そんな場所に子供などいるはずはない。
その切れ長の目元は、河原で会ったあの女の顔にそっくりだった。
あの写真は未だに両親にも見せていない。本当に心霊写真なのか、ただ偶然河面が子供の顔のように見えるだけのか、真奈美はよく分からない。
けれど、その後真奈美は、あのキャンプ場の川で溺れ死んだという母子の話を聞いた。小さな男の子は水鉄砲で水遊びをしていて、川に流されたらしい。その時、一緒に来ていた若い母親は、子供を救おうと浴衣姿のまま川に飛び込んだと言う……。
あの女は、息子を探し出せただろうか? 見つからない息子の代わりに竜矢を連れて行ったんじゃないだろうか?
弟をさらった女は許せないが、幼い我が子を失ったあの女の悲しみは、真奈美が大人に近づくにつれ理解出来るようになってきた。
──たーくんは今もあの川で、あの親子と遊んでいるの……?
真奈美は遺影の竜矢を見つめると、静かに目を瞑って手を合わせた。お線香の煙が揺らめく中で、幼い弟はずっと微笑み続けていた。 了
猛暑の夏。連日水難事故のニュースが報道されてますね。海、川、プールで泳ぐ方は充分お気をつけ下さい。特にお盆は、水辺に死者達が集まってきてますから……!^^;