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エクスペクトブリンガー


 日本という国は、彼女にとって特別な場所だった。母親の故郷であり、彼女が三歳まで過ごしていた場所であり、そして今現在背広の男たちに追いかけまわされているのだから。くすんだ金髪を振り乱しながら全力疾走するさまは、すれ違う人々に映画の撮影かなにかと思われている。彼女の顔立ちは日本人のそれとはまったく異なっているのだ。


 二人の背広の男は一般的な成人男性よりも体力的に優れているが、それでも少女の足に追いつけないのだから、彼女の走力は素晴らしいものだろう。男たちも意外な身体能力に驚いている。ただ、持久力という点に関して言えば、時間の問題ではある。いかに脚力を誇っても、訓練を重ねた屈強な男たちのスタミナには到底及ばないのだ。


 少女は二車線の道路を注意深く、しかし速度を落とさずに渡り、反対の歩道に出ようとした。


 そんな折にけだるそうな表情で泰平は歩いていた。


 御船泰平という男子高校生は、どうにかハンサムと言える顔立ちをしていて女子生徒の人気は悪くないのだが、その鋭い眼光をまともに受け止められる人間は少数派である。普段はそれほどではないものの、不機嫌なときは言うに及ばず、気分が乗っていたり、集中していたりすると途端に鋭利な刃物めいた輝きを帯びる。いわゆる目力がすごい、とはよく言ったもので、目つきが悪いというのが一般的な印象である。


 時刻は八時一五分。彼が通う都立岩刀高校は、彼の家から徒歩で一〇分ほどであるので、他の生徒よりも寝坊ができる。この学校を選んだのもそれが理由である。このときも、いつもと同じく覚醒しきっていないために見開かない目で他者を威圧しつつ――彼自身の責任ではない――ゆったりとした歩調で歩いていた。


 少女が後ろを振り返りながら反対車線に到達してガードレールを飛び越えようとしたとき、運悪く少女の飛び蹴りが華麗に少年の左頬に決まった。


「あっ」


 会心ともいうべきキックを不意に受けて、泰平は音声であるとかろうじて判別できるうめき声を発して、コンクリートと熱い抱擁を余儀なくされた。まったく防御態勢を取っていなかったのと、少女が全速力で思い切り飛びあがっていた力が加わって、悪ければ首の骨が折れていたかもしれない。


 倒れこんだ泰平を少女は一瞬助け起こそうとしたが、反対車線側の歩道を走る男たちの姿を視界の片隅に捉えたので、


「ご、ごめんなさい!本当にごめんなさい!」


 明瞭な英語で謝罪しつつ、また全速力での逃亡を再開した。


 揺れる視界と頭でかろうじて後ろ姿を確認した泰平は、痛がる素振りや感想を述べる前にある感情が湧きあがるのを抑えきれずにいる。


「あ、あんのヤンキーがあああああ……!!ジャップ狩りのつもりか」


 体を支えるのを膝が拒否する、それをさらに抑えつけて、泰平は追跡を開始した。憤慨と復讐の二卵性双生児に命令されるまま、飛び蹴りのダメージを精神力で無視しつつ、金髪を追う。その速度は背広の男たちより少しく早い少女をさらに凌駕した。だから、路地裏に逃げ込んで後方を確認した少女が詰襟姿の少年を視認したとき、大いに驚いた。


「な、なんで追ってくるの!?」


 蹴り飛ばした相手に向かって失礼すぎる台詞を吐いて、少女は逃亡に専念する。あの詰襟姿の少年は日本語でなにか喚き散らしながら追いかけてくるのだ。背広姿の男たちに追いかけられている関係上、彼女が御船泰平を彼らの関係者と誤解するのも無理はないかもしれない。このとき、少女には蹴り飛ばした少年という認識はなされているが、それに怒って追いかけている、という予測を立てることは難しかった。


 やがて追いつかれて肩を掴まれ、力ずくで振り向かせられたとき、少女は先手を取った。左頬をひっぱたいたのである。それでも肩を掴む力が緩まなかったのが、少女の不運であった。


「このメリケン野郎……日本人だからってなめてやがんな」

「放しなさい!私は帰らない!」

「あん?日本語で喋りやがれ」


 少女は英語で話していたことにようやく気付き、言語のチャンネルを変えた。


「放しなさいって言ってるのよ!」


 流暢な日本語が返ってきて、今度は泰平が驚く番だった。肩までかからないくすんだ金髪、白と青の配色の上着にラフなジーンズ……近くで見るまで男だと思っていたのである。そういえば上着の胸のあたりにふくらみがある。


「見ない顔だけど、あんたもあいつらの仲間?この人非人!」


 泰平にとっては最大級の侮辱である。いきなり飛び蹴りを食らわせて逃げ出し、あまつさえ平手打ちを見舞ってから罵倒するとは、どちらが人でなしなのか。道徳観の欠如はなはだしいではないか。泰平は怒りに肩を震わせて名誉を貶めたことを非難しようとしたが、片言の日本語がそれを制した。


「待ちなさい」


 泰平が振り返ると、そこには濃紺の背広を着た男が立っていた。サングラスをかけた白人男性だ。さすがに面食らって、泰平は肩を掴む手を緩めてしまった。その隙を突いて走りだそうとした少女の眼の前にグレーの背広を着た男が立ちはだかった。彼らは泰平と少女が揉み合っているのを確認すると、二手に分かれて包囲したのだ。


「くそっ、なんてことなの」


 英語で慨嘆した少女は、自然と泰平と背中合わせになった。


「我々は公安です。その子をこちらに渡しなさい」


 濃紺の背広の男は胸の内ポケットから身分証を見せた。泰平にはそれがなんの身分を証明するものかわからなかったが、ハクトウワシが描かれている。


「公安……おまわりさんか?なにやらかしたんだ」

「ちょっと、あんたS.I.C.S.じゃないの?」

「六じゃない……ろくでなしって言いてーのか」


 妙な頭の回転を見せる泰平だが、まったく別の方角を向いている。


 背広の男たちにしても、この場に御船泰平という民間人がいるのが予想外であったので、あまり強硬な姿勢は取れない。だが、万が一、日本での協力者というのなら話は別だ。速やかに排除しなければならない。彼らは愛国者であり、国家を脅かすものには容赦なく対応するが、そうでないものをみだりに殺したりはしない。すべては隠密のうちに済まさなくてはならないのだ。


「ボーイ、その子を渡しなさい。そして行くのです」


 濃紺の背広の男が再度、通告する。このとき、男の右手が背広のなかにあることまで、泰平は気付かなかった。


「い、行って。お願い、行って」


 ひどい怯えようだ、と思った。震えながらこちらを見る少女の目は決然としてはいたが、すがるようにも見えた。そして泰平は、少女がすがるからには、助けるべきだと思ったのである。


 泰平は濃紺の背広の男へ、少女を背中へ隠すように対峙した。


「この子には先約があるんだよ」


 肩にかけるタイプのホルダーから、サプレッサー付きのM1911をゆっくりと取り出し、泰平の心臓を正確に狙った。泰平は眉をぴくりと動かしたが、目に見えては動揺している様子はない。銃社会ではない日本において、モデルガンや映画でしかお目にかかることのないものなので、感性がその方向を向いていないものと、男は思った。


「ちょっと、本気!?」


 少女は叫んだ。それと同時に、引き金を引いて、発砲する。


 けたたましい音はサプレッサーによって軽減され、ちょっとした破裂音に近いものを辺りに伝播させる。正確に心臓を射抜いていた銃口は足もとに移動し、コンクリートに弾痕を作った。


「そのとおり、その子には我々が先約です」


 視線だけで弾痕を確認し、泰平は再び男に視線を戻す。


 期待していた反応が見られず、男は再度足もとに発砲した。泰平は、もはや一瞥すらくれずに男を見据えている。それならば、と男は精神を集中させた。威嚇して駄目なら、少し痛い目を見せねばなるまい。

 合図して、向こう側にいるグレーの背広の男の位置を変えさせた。射線上から外れろ、というのである。


 銃口は左上に移動し、弾丸が泰平の右側頭部をかすめた。泰平の耳のうえあたりを激しい熱が通り過ぎていった感覚が襲う。一瞬ののちに痛みと、そぎ落とされた皮膚から血液が流れた。スローモーションを見ているかのような動作で、泰平は耳にかかる血を手でこすり、視認した。


 普通の人間なら、それで卒倒してもおかしくはない。ただ、泰平にその反応を見ることはできなかった。彼は自らの手を赤く染めた液体を見るや、眼光を男に向けた。今度は、男のほうが射抜かれる番であった。その眼光は男の右耳の上ではなく、目を射抜いていたのである。レーザー光線よりも集束された激情が男に注がれる。


 不覚にも、一歩たじろいでしまった。まるでジャングルのなかで獣に品定めされているような感覚が彼を襲ったのである。


「こんなところで発砲!?なに考えているの!?」


 少女の非難で我に返り、濃紺の背広の男は再び照準を泰平の心臓部に定めた。


「キミ!大丈夫!?」


 祖父の言葉が思い出される。祖父の、そのまた祖父から聞いたという言葉――ニホンのサムライはクレイジーだ。銃にもひるまずに挑んでくる。


 幕末、日本の武士が刀で襲いかかるのを、外国人はピストルで応戦したものだが、それにひるむ様子を見せずに武士は接近戦に持ち込んだ。その野戦による被害を、外国人はひどく恐れたという。刀剣で襲いかかられる恐怖を、遺伝子レベルで脅威に感じたというのも否定できないであろう。


 その「クレイジーなニホンのサムライ」は少女の心配を気に掛けず、濃紺の背広の男から視線を外さない。まさに獣というべきだった。いつもなら悪いというだけの目つきが、他者を圧倒して貫き通す鋭い眼光となって射込まれる。男も百戦錬磨といってよい経歴の持ち主であるが、呼吸の閉塞感を覚えてネクタイを緩めた。


「!」


 ガラガラ、と音がした。彼らの上方でビルの窓が開けられて煙草をくゆらせる男が見える。その男は泰平らを視認すると、背を向けて首だけで窓の外へ煙を吐き出した。


 好機だ、と少女は思った。少なくともあの一服している男がいる限りは発砲はできないし、取っ組み合うのも無理だ。こちらが大声をあげて助けを求めればなんらかの処置を施してくれるだろう。ただ、警察を呼ばれるのは避けたいところだった。二人の男が公安であるのは紛れもない事実であったから、正規の手続きに則って少女を引き渡してしまうだろう。


 だが、二人の男にとって、姿を見られた、それ自体がまずい状況なのである。


「人相を覚えられる前に退散したほうがいいと思うけれど」

「君が一緒に来てくれれば万事解決だ」

「できもしないことを言われても困ってしまうわね」

「そうかな」

「お願い、行かせて。別に逃げようっていうんじゃないわ」


 現に逃亡を図っておきながらなにを言うか、と思ったが、ここは譲歩せざるをえない。彼女は我々のことを知っている。我々のことをしかるべき機関にでも通報されれば、いささかまずい状況に追い込まれる。ただそのときは彼女自身も危険な目に遭うだろうが、共倒れという事態は避けたいところだろう。


 この間、泰平がなにも言わなかったのは、少女らが英語で話していたからである。話の内容が聞き取れたところで口を挟む余地はなかったろう。


 少女が泰平の手を引いて一歩ずつ男たちから離れる。グレーの背広の男は少女たちの後ろに控えていたが、濃紺の背広の男が行かせろ、と顎で示したので黙って引き下がった。二対二で対峙する形になり、少女は泰平と共に走り去って行ってしまった。


「マイク、いいのか」


 グレーの背広の男は敬愛すべき先輩に問うた。


「いいさ。あのサムライボーイに話を聞くことにしよう」


               ◇◇◇


 少女に手を引かれながら泰平は街を走っている。ひとまず彼の治療をしなければならないということで、御船家へと戻ることにする。少女は表札に御船と書かれているのを、確認するように音読した。日本語を話すことは一通りできるものの、漢字の読み書きは苦手だ。「オフネ」とつぶやくのを泰平に「ミフネだ」と訂正されて、漢字の読みに対する神秘性を再確認した思いだった。


「わ、日本の家屋ね」


 律義に靴を脱いで並べながら、少女は御船家への感想を述べた。典型的な二階建て、3LDKの家屋は伝統的な和風建築、というわけでもないが、少女にはこの家が好意的に受け取れるようである。


「日本にいたことがあるのか?」


 泰平は乱雑に靴を脱ぎながら、少女の背を追う。外国人の彼女が靴を脱いで上がり、さらに丁寧に並べるというのが意外だった。表情が歪んでいるのは、緊張状態が解けて痛みが激しくなってきたからである。


「小さい頃ね。こんな感じの家だったわ。救急箱は?」


 リビングに入って、教えられた場所に救急セットを見つけると、慣れた手つきで泰平の右側頭部を消毒し、ガーゼで傷口の周りの血を拭って、患部に押し当てる。幸いにも傷はかすった程度なので深くはないが、頭部ということで処置が面倒だ。髪の毛が患部を隠してしまうし、手当が乱雑だと雑菌が入り込んで危険である。


 泰平は声をあげることはなかったが、苦痛の表情で手当てを受けた。怪我はよくするほうで、処置を施されるのには慣れているものの、自分で施すことはなかった。綺麗に巻かれた包帯を居心地が悪そうにつついている。


「サンキュー。しかしあいつらは何者だよ?本物の拳銃なんて、やっぱりおまわりさんなのか」


 このときすでに、少女に対する悪感情は消え去ってしまっている。

 救急セットを片づけて、少女は泰平の質問には答えず、忠告する。


「知らないほうがいいわ。キミは普通の人間なのだから」


 その言いかたが泰平の不審を招いた。


「普通の人間?君は違うのか」

「違わない、と言えればよかったのだけれど。とにかく助けてくれたことには感謝するわ。でも私のことは忘れて。あの男たちのことも」


 不意に立ち上がって、少女はすたすたとリビングから出ていった。慌てて追いかけて、


「どこにいくんだ」

「さあね。さようならミフネ」

「泰平だ。御船泰平」


 出ていく少女に名乗り、返ってくるのを期待したが、少女はほほ笑んだだけで行ってしまった。それを追いかけることもできたはずだが、なぜか、追いつけないような気がしていた。


 さすがに再度登校する気にもなれないから、泰平は翌日、ようやく登校した。頭に包帯が巻かれている我が息子を見て、帰宅してきた母親はさすがに驚いたが、息子のほうは飄々として「階段から転んだ」などと誰が聞いてもわかる嘘で煙に巻いた。見破っていたものの、それ以上なにも放そうとしない息子を見てため息交じりに「気をつけなさい」と諭す。放任主義であり、自分の手に負えないことなら話してくれるだろうと母は思っているのだ。


 少女と出会った歩道、そして路地裏を通過しながら、泰平は思いを至さざるをえない。なにを思って彼女は関わるなと釘を刺したのだろう。とてつもない陰謀にでも巻き込まれているのだろうか。それならばそれで、警察に通報したほうがよいのではないか、と考えたが、そういえばあの男たちが公安を名乗っていたことを思い出した。やはりあの少女が悪事を働いたのだろうか。


 とても泰平にはそうは思われない。会話してみて、そう感じられたのだ。言葉には知性を感じ、言いようにはモラルがある。それよりも、民間人である御船泰平に対して発砲した背広の男たちのほうに不信と懸念を禁じえない。


 岩刀高校に登校した泰平は、多くの生徒が吸い込まれていく校門で、生活指導の体育教師に呼び止められた。頭に巻かれている包帯を見て一瞬驚いた表情を見せたが、それ以上に重要な通達をせねばならない。


「御船、校長室に来い。至急、校長が会いたいそうだ」


 泰平は急角度に眉を動かした。普段、接する機会など定例の朝礼くらいしかない校長が、会いたい?しかも至急。いったいなにをやらかしたのか見当もつかない泰平を、生活指導の体育教師は神妙な面持ちで見つめている。


 校長室には、校長と、教頭と、そして泰平のクラスの担任教諭がいた。朝日が差し込む校長室の照明は点灯しておらず、逆光によって校長たちの表情が見えづらい。なにか、弾劾裁判めいた雰囲気が泰平の体を押さえつけるようだった。


「御船くん、つい先ごろ、連絡があった」


 口を開いたのは校長である。年齢は六二歳、見た目は実年齢よりさらに若々しい。


「警視庁公安部。覚えがあるかな」


 泰平はあっ、と声をあげた。公安?昨日の背広を着た男たちが名乗っていた!


「昨日、君は休んでいるようだね。なにかあったかい?」


 泰平は口を噤んだ。詳細を言っていいものか、躊躇ったのである。現在の置かれている状況からすれば素直に話したほうがよいのだろうが、少女のことを考えると、容易に話していいものではないように思われた。


 これは正規の手続きで、岩刀高校の生徒である御船泰平に出頭命令が下されているのだ。内容は当然非公開とされているが、捜査上に御船泰平が関与している疑いがあるためである。出頭すれば身柄は拘束されて取り調べを受けることになるが、拒否すれば強制的に連行され、悪くすれば公務執行妨害で一〇日間拘留される。それでなくとも、おそらく公安の追っているであろう犯人の逃亡を幇助したことで、なんらかの罪に問われるであろう。


 こちらの素性をどうやって調べ上げたのか知らないが、知られている以上、拒否することもない。少女との関係を正直に話すしかないのだ。


 出頭することを了承すると、タイミング良く校長室のドアが開かれた。そこには見覚えがある背広を着た男がサングラス着用で立っていた。


「サムライボーイ、また会いましたね」


 サングラスを外しながら片言の日本語で、濃紺の背広を着た男は愛想よく挨拶した。サムライボーイという呼び名に関しては答えず、泰平は軽く会釈した。


「サムライボーイ、ではエスコートしよう。カスミガセキへね」


 黒塗りの自動車の後部座席のドアが開かれ、乗り込む。他の生徒への配慮から、校外での乗車だ。泰平の左右を濃紺とグレーの背広の男が囲み、万が一にも逃げることはできない。


 泰平の家を出たあと、野宿をしたりして潜み、少女は行動を開始した。幸いにもやり過ごせたようで、これで目的地へ行ける。あえて大通りを歩いているのは、えてしてこういった大きな通りにいたほうが灯台もと暗しというわけで、見つからないものだ。ただ、見覚えのあるナンバーの車を見つけたときは、反射的に身を隠してしまったが。


 少女の記憶によれば、あれは背広の男たちが空港から少女を乗せて走った車だ。日本の警察が用意したもので、用を足すといって隙を突いて逃げ出したものだが、そこに意外な人物が乗っているのを確認した。


「ミフネ……!?」


 時速五〇キロメートルで走行する車の後部座席に昨日出会った少年がいることを、優れた動体視力を発揮して確認した少女は、自らの迂闊さを呪った。彼らならば、御船泰平なる少年の素性を割り出すことなど容易にすぎる。その手のことは彼らの得意分野なのだ。


 こちらの所在がわからければ、一市民で潜伏する必要のない御船泰平を捕えて情報を聞き出すことは当然の策だ。一緒にいなければ大丈夫、という思い込みが、少女の洞察を鈍らせていたのだ。


 一瞬どうするべきか迷ったが、すぐに少女は走りだした。彼らの行く先はわかっている。


 目的を達成するためには、泰平には捕まっていてくれたほうが万事、都合がよい。それだけ捜査官の目が向けられるだろうし、こちらに対する捜査網の目は粗くなるというものだ。


 だが、少女にはそれが不可能だった。もうたくさんだ、自分のせいで人が苦しむ姿を見るのは。他人の犠牲の上に成り立つ結果は、それがどうであれ、奨励すべきではない。そのことを彼女は知っていたのである。


 

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