うらぼんえ
このお話は血の繋がらない、犬猿の仲の兄弟の心のすれ違いを描いたものです。作者はまだまだ未熟ですので読みにくさを感じられる点もあるとは思いますが、ご了承ください。
この国には盂蘭盆会と呼ばれる仏事がある。食べ物などを仏壇に供えて、死者の冥福を祈るものだ。盂蘭盆会には死者が還ってくるという……。
今年の夏は暑い。気温も高いが湿度も高く、そのくせ空梅雨で水不足の危惧すらもされる夏だという。ニュースでは地球温暖化が原因になっているといっていた。
去年の夏も暑かったが、今年はもっと暑い。そう言えば、彼は去年の猛暑の中でもケロリとしていたっけ。
彼は夏が好きだった。だから僕は、夏が嫌いだった。彼と同じ気持ちになり、同じ思いを共有するのが嫌だったのだ。……泣いてなどやるものか。あの時、そう思った。そしてそれは今でも変わっていない。
久しぶりに帰ってきた自分の部屋。誰もいない筈のそこから、物音がした。僕は、護身用のサバイバルナイフを取り出した。小さいがなかなかよく切れる。あの日を境に、僕の身を守ってくれている
「相棒」だ。
ドアを開け放ちながら、それを構える。部屋に人の姿はない。それでも威嚇しながら足を踏み込む……と。
「相変わらず、物騒なやつ」
背後から声がした。……それも、彼の声が。
「中学生がサバイバルナイフなんか持ち歩くか、普通?」
硬直する体をぎこちなく動かして、振り返り、そして……。
「炯人…?」
まさか、と思う。彼がここにいるはずがない。暑さで頭がおかしくなってしまったのだろうか。
「やあ、瑠仁。まだしぶとく生きてたのネ」
炯人は皮肉を込めた声で笑った。
「何だよ、その顔。せっかく化けてきてやったのに」
「頼んでない」
僕は、体の力が抜けていくのを感じた。ああ、間違いない。炯人だ。二ヶ月前に死んだ、僕の義弟。
「まぁ俺だって好きで来たわけじゃないけど」
炯人は言いながらベッドに腰かけた。そして嘲笑を浮かべて僕を見る。
「お前を呪い殺すってのもいいけどな。それはまた今度で。……今日は少し話そうぜ」
「おれは君と話すことなんかないけど」
彼に鋭い視線を投げ掛けて椅子に座った。
「つれないねぇ。……まぁつれても困るけどな」
炯人は苦笑したかと思うと肩をすくめ、真顔になった。
「なんで俺が殺されなきゃなんなかったんだ」
炯人は怒りと苦痛とが入り混じったような声で問う。彼は、今年の6月に中学生ばかりを狙う殺人鬼によて命を絶たれていた。
「知らない。……無差別だったんだろ? 理由なんかないんじゃないか」
僕は淡々と答えた。
「……あの殺人犯、お前の知り合いなんだろ? そんな感じのこと言ってたぜ」
「相手が一方的にね。おれは君が殺されたあとに初めて彼の顔を知った」
僕が言うと、炯人はそれ以上は追及しなかった。
いかにも無念そうな表情をする炯人の横顔を見ながら、僕はある男の姿を思い出していた。
黒い革のジャケット。黒いジーンズ。黒いサングラス。唯一、跳ねた赤い髪だけが色を持っていたという印象がある。
その男は、男子中学生連続殺人事件の犯人。炯人を殺した男だ。
僕は僅かに目を伏せる。炯人に事実を話す気はなかった。僕は弟の死を悼む心すら凍えてしまっているらしい。あの時も、そして今も、炯人の死に悲しむことはない。それでも、なぜなのだろう。この途方もない息苦しさは。一体これは、何なのだろう。
「………確かに、君よりおれが死んだ方が良かったのかもね」
僕が言うと、炯人は怪訝な顔をした。
「何言ってるんだ?」
「君の葬儀にはかなりの人が参列した。みんな、泣いていたよ」
僕の言葉に、彼は目を伏せた。
「俺のために泣くやつがいたのか」
「君の表の顔は、実にいいやつだったからね」
言い、僕は嘲笑してみせた。
「でも、譲らないよ、この命は」
炯人は小さな子どものような表情をしてこちらを見た。
「瑠仁も、泣いたのか?」
「………そんなはずないじゃん。うぬぼれないでくれる?」
僕は冷たくそれを一蹴する。
炯人はカラカラと笑い、立ち上がる。
「まぁいいさ。ちょっと付き合え」
*
炯人は僕を伴い、隣町の写真館へやってきた。僕らが小さい頃世話になったご主人は、炯人が死んだことを知らない。笑顔で僕達を迎えてくれた。
「大きくなったねぇ、瑠仁君、炯人君。今日は? どんな写真をご所望だい?」
「俺がアメリカにホームステイに行くことになったんで、そこの人達に瑠仁も紹介してやろうと思って」
炯人は言う。
「私服なんですけど、構いませんよね?」
主人はにこにこと笑みを称えた顔を頷けた。
「もちろん。すごいねぇ、ホームステイなんかするのかい?」
「すごいねぇ、ホームステイなんかするのかい?」
不本意ながらも炯人の隣に立った僕は、主人の言葉を反復して彼を見た。
「まあね。本当は、天国へホームステイをするのです」
彼は軽口を叩いた。
「はい、撮るよー」
ご主人がカメラを構えて言う。炯人とツーショットの写真なんて、二度と撮ることはないと思っていたのに。
(………あぁ、今日は盂蘭盆だったっけ)
彼が死んで一回目の盂蘭盆。だから、こんなに不思議な状況に僕は立たされているのだろうか。
「瑠仁。おーい」
炯人の声にはっと我に帰る。
「いつまで直立してるワケ?」
「別に」
「俺、少しご主人と話してくるわ」
憮然と答えた僕に、炯人は言い、微笑んだ。
「………」
僕は呼び止めかけて、口を閉ざした。あれほど嫌っていたのに、なぜ呼び止める必要があるんだ。そう自分に言い聞かせて、僕は口元を歪めた。
「ご勝手に」
僕の言葉に、炯人は屈託なく笑って部屋を出ていく。………まるで、あの日───彼が死んだ日───の、朝のように。
*
黒い革のジャケット。黒いジーンズ。黒いサングラス。そして目が覚めるように鮮やかな赤い髪。
僕は、あの男の名前を知らない。なぜ僕のことを狙っていたのかも知らない。あの男のことで知っていることといえば、───男は僕にとって、叔父にあたる人物だと言うこと。 僕は戸籍上、桜庭家の長男、炯人とは二卵性双生児と言うことになっている。けれど本当は僕は桜庭家の人間ではない。そのことにはずいぶん昔から気付いていた。
実の両親には会ったことがない。だから、叔父に会えると知った時は、とても嬉しかった。だのに。
僕の前に現れた叔父は、刃の長いナイフを持っていて。それを染めている血は義弟のもので。笑顔でそれを僕に振りかぶってきた。 何とか僕は殺されずに済んだけれども、代わりに炯人の死という事実をつきつけられた。
炯人が死んだと聞いたとき、正直何も感じなかった。悲しさなどはもちろんなく、彼が死んだことで僕へのいじめがなくなるから嬉しい、とそんな気持ちすらなかった。ただ、強いて言えば、驚いた。彼が死んだという事実ではなくて、彼の最期の言葉に。
彼は腹部からの出血によってできた血の海の中でひとこと、たったひとこと呟いたという。
「るぅ、助けて」
と。るぅ、というのは僕のことだ。幼い頃彼は僕をるぅくんとか、るぅと呼んでいた。
なぜ僕なのか。いつでも見方だった両親でも、仲のよかった友達でもなくて。 なぜ僕なのか。友達とつるんで僕をいじめの対象にしていた君なのに? 誰よりも何よりも君を嫌いぬいていた僕なのに?
───それだけが、分からない。
ご主人が入ってきた。出来上がったらしい写真を手にして。炯人の姿はない。
「おかしいんだよねぇ」
ご主人は呟きながら僕に写真を手渡す。
「炯人君が、なぜか薄くしか写らないんだよ」
僕は写真に目を落とした。写真の中の炯人は笑っていたが、背景が見える程体が透けていた。
「不思議ですね」
僕は言い、灼熱の太陽の下へ出た。彼は、もういったのだろうか。
写真の中の彼がまぶたの裏から離れない。 彼は、この上なく幸せそうな顔をして片手を僕の肩に乗せていた。
………ああこれが君の、本当の気持ちなの?
僕は静かに目を閉じた。 僕を裏切り、傷付け、苦しませたのは感情の裏返しで───本当は、仲良くしたかったとでも言うの?
本当は、あの約束のままの気持ちだったと言うの?
だから最期に、僕を求めたと言うの?
僕は拳を握り締めた。
冗談じゃない。そんな都合のいい話って、あるものか。態度で示してくれなくては気付かないこともある。言葉で言ってくれなくては分からないこともある。少なくとも僕は、君の心の中が分からなかった。
君の本心を知っていれば、僕はあの日も、そしてさっきも、君を止められたかもしれない。
君の本心を知っていれば、あの時君の声を聞いてすぐに駆け付けられたかもしれない。なのに。
「けいくん、君は本当に、馬鹿だよ」
本当は、君の死を聞いて悲しかった。還ってきてくれて、嬉しかった。……でも、何も感じられなかった。あァ、僕も大概馬鹿だ。けれど。それならば、今日、今この時から感じればいい。覚えていればいい。
ねぇけいくん、来年の盂蘭盆も来ても構わないよ。そしたら、またやり直そう。今度は、お互い本心でさ。
代わりに僕は、君のために泣くから。
たった一度だけ。
「るぅ君のこと、ずっとずっと大好きだよ」
と約束してくれた君との、懐かしい日々を想って。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。本編の中ではさほど仲は悪くなさそうな二人ですが、本当は、もっともっと険悪です(笑)。今回は炯人は死んでいるし、瑠仁の方にも多少の負い目があると言うことで穏やかなのですが、もう少し険悪さを表現できればと反省しております。これからもっと精進してまいります。また懲りずに投稿させていただくと思いますので、そんな時はどうか読んでやってください。