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6.夜刀祀

「戦人。その表情を見ると……どうやら、悩みは少し解決したみたいだね?」


 その日の朝の会話は、俺の顔を見るなり発せられた祀の言葉から始まった。


「ん……まぁ、な」


 その言葉に、俺は苦笑を浮かべるしかない。


 しかも、『少し』解決した、ときたもんだ。


 梢に隠し事は通用しないと思ったが、祀は祀で昔から、俺のことを良く見てるんだよな。


 それとも、俺はそんなに分かりやすい表情をしているのか?


「なにがあったのか……は、聞かない方がいいのかな?」


「そうしてくれると、助かる」


 公安零課は公式には存在していない組織であるため、その任務内容だけでなく存在そのものに緘口令が敷かれている。その任務すべてが、書類上ではなかったことになっているのだ。だから、俺も祀にその内容を話すことはできない。


 祀は昔から頭が良いからな。


 俺がなにか話す前になにも聞かないことを申し出てくれたのもまた、俺の表情からなにかを読みとってくれたのかもしれない。


 正直な話、俺の身に起こったことを詳しく聞かれないことはありがたい。誰かに話すことが許されない内容だし、元来俺は説明が得意な方じゃない。それにこのことは、すべてが解決したわけでなく、俺自身の中でも未だ整理がついてないからな。


 そうして気を利かせてくれる辺りがまた、祀の良さでもあると思う。


 しかし、そう言う祀はその言葉とは裏腹に、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。


「…………」


 その表情を見て、胸が締め付けられるような、なんとも言えない気分になる。


 事情があるとはいえ、幼馴染に公然と隠し事をしているわけだからな。


 祀も俺のことを心配してくれていたのに、それを話さないと言うのは不誠実なことだと俺も思う。どちらにしろ、まだ俺の中でもまとまっていないのだけれど。


 それに、例え不完全な言葉でも、いつか祀に話を聞いてもらいたいと、俺はそう思っていた。

「すまんな、祀。だが、このことはまだ解決したわけじゃないし……俺の中でもまだ、結論が出てなくてな。だから、まだ話せそうにないんだ」


 だから俺は、詫びというわけじゃないが、いつもよりも丁寧に心掛けて頭を撫でた。


「……もちろん、戦人が聞かれたくないなら、無理に聞いたりはしないよ。ただ、いつか……戦人の心の整理がついたら、ボクにも話してくれると、嬉しいかな」


 いつもよりも何故か穏やかな声で話しながら、祀は頭に触れている俺の手を両手で包みこむように握り、自身の胸の前にまで持ってきた。加えて、祀よりも俺の方が背が高いから、頭を撫でているときに会話しようとすると、祀は必然的に上目遣いになる。


 結果として、右手を握られたまま、上目遣いで見つめられるかたちになる。


 その仕草に……唯一の親友だと言えるこいつの仕草に、ドキリとさせられる。


 いつも何気なく会話しているから忘れがちになるが、こいつもまた梢とは別方向にかなり可愛い。本人がユニセクシャルな格好を好むから中性的な顔立ちに見えるだけで、実際に女の子らしい恰好をすればかなり映える。


 だからこそ、たまにこうしてそのことを思い知らされると、予想以上に強力な不意打ちになるのだ。


「……お前には、世話になってばかりだな」


 そのたびに、なんでもない風を装ってはいるが……内心の動揺は、バレてないよな?


 こっちとしては動揺を気取られていないかどうか、気が気じゃないんだよ。


「そうかな。ボクとしては、ボクの方が戦人にお世話になっていると思うのだけど」


「……そうか?」


「そうだよ。戦人が気付いてないだけで」


 俺が、祀のためになるようなことなんかしたことがあったか?


 祀は頭が良いからな。なにか起こっても、俺がなにか手伝う前に自分で解決してしまうだけの力量がある。日常生活に関しても、祀は友達や助けてくれるような仲間も多いし、そもそも誰かの助けが必要な事態に陥ることがない。


 俺程度では、祀の助けになることすらできないのだ。


 ……自分で改めて考えてみて、悲しくなってきた。


「だから、まぁ……お礼ってわけじゃないけど、コレ」


 心当たりのない内容に頭を捻る俺に対し、祀は鞄から取り出した二枚の紙切れを差し出した。


 それを受け取って、そこに印字されている単語に目を通す。


「……映画のチケット?」


「ああ。先日、ちょっとしたことで手に入れたんだ。けど……見てくれ。期限が今週末までになってるだろ?」


 祀が指差した部分に示された有効期限の表示。


 それは祀が言う通り、今週末までとなっていた。


「確かに」


「こんなもので悪いのだけれど、もし戦人の予定が会うなら、有効活用してくれないか?」


「む……」


 映画か。


 正直、俺はこういう娯楽には詳しくないんだけどな。


 今まで映画を観た回数も、両手の指の数で収まるくらいしかない。その内容も、三国志だったり戦国時代だったりと、人と人が直接ぶつかり合っていた時代の戦争関連のものばかりだ。あとは、幼少期に観た子供向けアニメが少々。


 古代戦争関連は一応チェックしているが、今はそういう類の映画は放映されていないハズだ。


 けれど、祀の好意を無下にするのも悪い気がする。


 さて、どうしたものか……。


「……そうだ。せっかくだから、祀。俺と一緒に行くか?」


 思いつきを言葉にしたものだが、意外と悪くない提案な気がする。


 祀はいろいろなことを知っているが、それは世間の流行り廃りなんかにも精通している。それにセンスも良い。だから、祀ならきっと、面白い映画を知っているだろう。


 それに、他に誘う相手もいないしな。


「ボクは構わないが……他の友達を誘った方が良いんじゃないのかい?」


「……お前、俺に映画に誘うような友達がいると思うのか?」


「……すまない」


「真顔で謝るな」


 俺が悲しくなる。


「だけど……本当にいいのかい?」


「だから、俺がお前に着いて来て欲しいんだよ。それとも、俺と一緒に映画は観れませんってか?」

「いや、そういうわけじゃないんだ。……ただ、ボクがチケットをあげたのに、結果としてボクもチケットを使用してしまうのも、どうかと思ったんだ」


「俺が良いって言うんだから、良いんだよ」


 相変わらず真面目と言うか、なんと言うか。


 流行に聡い割に義理堅いんだよな、こいつは。


「そう思うことなら、喜んで。……ただし、自分から誘ったからには、ボクのことをエスコートしてくれよ?」


「……善処する」


「ふふ。期待しているよ、戦人」


 なにか面白い悪戯を思いついた子供のような笑顔を浮かべる祀。


 その頬が、いつもよりも朱に染まっているように見えるのは……俺の見間違いだったのだろうか。









 そして、約束の日。


 待ち合わせ場所兼目的地である、映画館の前で。


「…………はぁ」


 俺は携帯電話のディスプレイから目を離し、盛大なため息をついた。その声を聞いてか、俺のすぐ傍を通りすがった男女が微妙に顔をしかめる。


 その、手にした携帯電話のディスプレイに映し出されているのは、ほんの一分前に祀から送られて来たもの。


『件名:すまない

 おはよう、戦人。急な話で申し訳ないのだが、どうしても外せない用事が入ってしまった。

だから、今日は映画館に行けそうにない。この埋め合わせは後日必ずする』


 女学生が好むらしい絵文字や顔文字の類が見受けられない、祀らしい簡素な文章。


 その文章に倣って現状を簡潔にまとめるなら、祀に貰った映画のチケットが無駄になってしまったということだ。チケットを無駄にしたくないのなら俺一人でも映画を観ればいいのだが、上映案内を見る限り、俺の食指の伸びるようなものはない。例え無料で観れたとしても、貴重な休日の時間を潰してまで観る価値があるかどうかは疑問だった。


 かと言って、このままなにもせず家に帰ることも躊躇われる。


 さて、これからどうしたものか。


 特にしたいことがあるわけでもない。


 幸いなのは、ここが第三区であるということだ。


 第三区は商業区として建造され、映画館の他にもアミューズメントパークや大型ショッピングモール等、休日を過ごすには最適な施設が軒を連ねている。この街らしく、最先端かつ多種多様の娯楽施設や商業施設が集結しているため、今では新宿や原宿と並ぶほどの繁華街となっている。


 適当に歩いていれば、なにかあるだろう。


 なにもなくても、そういう街を適当に散歩してみるのも、たまには悪くないか。


 そう結論付けて、適当に歩き出しそうとした、ところで。


 人ごみの中に、今日という休日には絶対に顔を合わせたくない男の顔を目撃してしまった。


 あの事件の日に別れて以来、因縁を吹っ掛けられることがなくなったため、面倒事が減ったと安心していたのだが……まさか、こんなところで出会ってしまうとは。


 いきなり幸先が悪い。最悪の気分だ。


 できれば見なかったことにしたかったが、向こうもすでに俺の存在に気付いてしまっているようで、俺のことを見つめ、ポカンと口を開けている。奴と一緒に歩いていたガラの悪い数人の仲間達も、親の仇でも見つけたように俺のことを睨みつけている。


 こんなことなら、奴の顔を見た瞬間にすぐこの場を立ち去るべきだった。


「伊藤、三次……」


「斎藤修二だ!」


 名前の間違いを修正されるが、そこは問題ではない。と言うか、心底どうでもいい。


 問題なのは、こいつ達と出会ってしまったということ。


 それはつまり、また、因縁を付けられて喧嘩を売られる可能性が極めて高いということ。


 あの、決闘とも言えない下らないことのために拳を振るわなければならないということ。


「……戦場戦人」


「なんだよ」


「ちょっと(つら)、貸せや」


 言い、斎藤は人気の無い路地裏を指し示す。


 ああ、やっぱりそうなるのかよ。ちくしょうめ。


 こいつ達と顔を合わせるたびに行われてきた、お約束とも言える極めて不愉快な展開。


 だが……今日は、少し違っていた。


「そう、警戒すんなよ。だた、一対一(サシ)で話がしたいだけだ」


「……どういう風の吹き回しだ?」


 その真意を尋ねずにはいられなかった。


 これまで俺の顔を見ると喧嘩しか売ってこず、こちらの言葉に耳を傾けようともしなかったこいつが、俺と話がしたいだと? しかも、一対一で?


 その真意が分からず……威圧の意味も込めて、斎藤のことを睨みつける。


「どうもこうも、ねぇよ。言葉通りだ」


 だが、斎藤はその言葉にも視線にも怯みもせず、その割にはどこか歯切れが悪い。


 ただ、その視線や声からは、これまで俺に向けられていた害意のようなものは感じられない。


 俺のことが気に入らない。


 これまで、たったひとつのシンプルな意志だけを向けてきたこいつから、初めて、それ以外のものが向けられていた。


 敵対する意志はない、のだろうか。


「……分かった。話を聞こう」


 仮に悪意があったところで、返り討ちにすればいいだけのこと。それが、俺とこいつの関係。今までずっとそうしてきたのだ。


 そう考え、斎藤の後を着いて路地裏に向かった。


 華やかで騒がしい商業区。文字通りその後ろにある路地裏。まだ午前中だと言うのに薄暗く、ゴミが散乱しており妙な匂いがする。人気のない路地裏だが、微かに喧騒が聞こえてくる。


 ある程度路地に入り、人気がないことを改めて確認した後で、斎藤は立ち止まった。


「……それで、一対一(サシ)で話したいことって、何なんだ?」


 まともに相対することすら馬鹿馬鹿しく、俺は早く要件を済ませるように言葉を急かす。


 予定はないとはいえ、休日の貴重な時間を潰されたことに、俺は多少苛立っていた。


 これから斎藤はなにをするのだろうか。


 これまでの経験やこいつの性格から鑑みて、今になって一対一の決闘を求めることはないだろう。面子を重視する、オールドタイプの不良だからな。妥当なところで、狭い路地での不意打ちや挟み撃ちの類か。実際、入り組んだ路地は誰かが隠れられそうな場所は多く、それも不可能ではなさそうだ。俺としても、この狭い場所で前後から責められると苦しいかもしれない。


 なにが起こってもいいように、身構える。


 対面に立つ斎藤の一挙一動に神経を払い、状況をシュミレーションする。


 そんな俺の視線の先で、斎藤は躊躇いがちに口を開き、


「……ありがとう、戦場戦人!」


 俺の中で、時間が止まった。


 なにを言っているんだ、こいつは。


 ありがとう、だと?


 それはひょっとして、なにかの暗号なのか?


 それとも、襲撃の合図なのか?


 だが、それにしては周囲に動きが無い。


「…………どういう意味だ、それは?」


「礼だよ。俺ができなかった……俺の友達(ダチ)の女を助けてくれたことへの、な」


「……なんの、話だ?」


 なにを言っているんだ、こいつは?


 その意味が理解ができない。


 顔を赤く染め、照れ臭そうに頬をかく斎藤の考えが、分からない。


「俺一人じゃ、あいつのことは助けられなかった。そうなれば、俺の友達(ダチ)は悲しんでただろう。それだけじゃない。お前が助けてくれなければ……その、俺も死んでいた。……お前がいたから、俺達は助かったんだ」


 俺の戸惑いを余所に、斎藤は話を続ける。


「俺は、人を一人、殺したんだぞ!」


 その言葉に、俺は反論せずにはいられなかった。


 確かに俺は結果として、斎藤の友人の女を助けたのかもしれない。だがそれと同時に、俺は女生徒を一人殺している。第一、俺は誰かを助けるために戦ったのではない。


 俺は、誰かと戦うために、戦ったんだ。


 そう、俺は……!


「ああ。だが、それでも、お前が助けたんだ。……お前が俺達のことを、救ってくれたんだよ」


 っ…………!


 視界が歪み、思わずたたらを踏んだ。目の前が真っ暗になる。


 その言葉に、視線に、思い知らされる。


 俺は、こいつには襲われることばかり考えていて……それ以外のことを完全に失念していた。こいつが礼を言うなんて、思いつきもしないほどに……俺は、戦うということに囚われているのだと、俺は戦いしかない人間なのだと、思い知らされる。


「礼なんて言うんじゃねぇ! 俺は、俺は……!」


 気付けば、叫んでいた。


 声を張り上げることで、斎藤の言葉を否定しようとしていた。


 俺は、誰かを助けるために戦ったんじゃない。


 戦いたいから、戦っただけだ。


 殺意。敵意。害意。悪意。誰かに危害を加えるための、ありったけの負の感情。ねっとりと心に纏わりつく、黒いタールのようなそれに身を任せ、ただただ自分の快楽のためだけに、俺は戦ったんだ。そこに善意もなにもない。


 そんな俺が、結果として人を助けたからといって、礼を言われてはいけない。そんなおこがましいことがあってはならない。


 一歩間違えれば、俺は斎藤の友人の女を殺し……そのことに、罪悪感を欠片も抱かないのだから。

 人間として、俺はあまりにも大きな欠陥を抱えているのだから。


 この世界には、いてはいけない存在なのだから。


「なに、怒ってるんだよ? 俺は感謝してるんだから、素直に受け取れよ」


 ああ、クソが!


 いつもいつも、俺の話を聞かない奴だとは思っていたが……それは、こういうときでも有効なんだな!


 斎藤の視線に耐えられなくて、つい視線を下げてしまう。


 そのことに気付き、苛立ち紛れに拳を握るが、その拳の行き先はなく。


 俺はその拳を壁に叩きつけた。


 痛い。だがその痛みは快感を伴わず……ただただ、不快なもので。ふつふつと湧き上がる、どす黒く、重く、どろりとした、自分自身に対する嫌悪感、それは最早憎悪と呼ぶべきほどのもの。

 本当に……本当に、自分が嫌になる。


 斎藤のように、誰かのために戦うのでもなく。梢のように、自分のために戦うのでもなく。ただただ、戦うために戦いを求めるこの性質が。人を殺すことを躊躇わない、悲しみを覚えない、人間として大切なものが欠落した自分自身が。戦うことに暗い歓びを覚える、この心が。


 ……怖いんだ。


 このまま、心が求めるままに戦いを求め続けたら、俺が俺でなくなってしまうようで。


 人を人とも思わない、最低最悪の外道に、変わり果ててしまうような気がして。


 この世界から、存在を否定されているような気がして。


 口の中に広がる苦いものを感じながら、俺は顔を上げた。


「……おい、どうしたんだ?」


 俺の顔を見て、訝しげな表情を浮かべる斎藤。


 だが、俺の視線はその後ろにいた存在に釘付けになっていた。


「な……」


 思わず、間抜けな声が漏れる。


 おいおい、今日はどうなってるんだ?


 なにかが起こる前兆なのか?


 斎藤の後ろ、路地の出口にあたる場所。


 その場所に……古びた鎧を着た骸骨が、あの日と変わらない姿で立っているなんて。


 その姿を見た瞬間、身体中の血液が沸騰したような感覚に襲われた。


 心臓が高鳴り、気付けば心の中に渦巻いていた負の感情が払拭されていた。


 残ったのは、ただひとつの感情。


 戦いたい。


 俺の心を容易く支配する、唾棄すべき願望。


 そう思ってからの行動は、分かり切っていた。


「お、おい! 戦場!」


 呼び止められるが、知ったことか。


 俺は、身体の芯から湧き上がる激情に身を任せ、斎藤の身体を押しのけるようにして、骸骨侍の下へと向かっていた。







 膝に手を乗せ、乱れた息を整える。


 ある程度息が整ったところで、額に滲んだ汗を服の袖で拭う。


 それから、頭だけを動かして周囲を確認する。


 視界の端に入ったどこかの学校の時計によると、時刻は十一時過ぎ……映画館の前で斎藤と出会ってから、おおよそ一時間が経過したことになる。


 つまり、俺は骸骨侍を追いかけ一時間近く走ったということか。それも、商業区のある第三区から、中央の0区を挟んで反対側にある、第六区のミチザネ学園都市まで。


 火照る身体から熱を逃がすために上着を脱いでから、改めて周囲を確認するが、俺の視界にはつい先程まで追跡していたハズの骸骨侍の姿はない。体力には自信があったのだが、一時間も全力疾走はさすがに堪えた。息が乱れ、肺が痛い。


「チッ」


 苛立ち紛れに舌打ちをしたところで、骸骨侍は姿を現さない。


 折角骸骨侍を見つけたのに、逃げられるばかりでなにもできず、最後には息が切れて見失ってしまった。


 悔しいし、惜しい。


 あいつを捕まえていれば、俺は……。


「…………」


 追いかけて、俺はなにをするつもりだったんだ?


 立ち止まり、改めて考える。


 戦うつもりだった?


 ああ、確かにその通りだろう。俺は骸骨侍を目にして、戦いたいと思っていた。


 それまでの悩みを、自己嫌悪の感情を、完全に忘れてまで。


 戦いに囚われている。


 人を殺すことを躊躇わず、罪悪感を覚えない、そんな自分を嫌う感情よりも、斎藤に感謝され自分はそんな人間ではないという感情よりも、一度敗北を帰した、次に戦えば殺されるかもしれない骸骨侍と戦いたいという感情が勝り、それに俺の心は一瞬で呑み込まれた。


 俺は一瞬とはいえ、戦いたいという想い以外の感情を、完全に捨て去っていた。


 どす黒い、俺が唾棄すべきだと思っている感情に、完全に呑みこまれていたのだ。


「……はは」


 つい、自虐の混じった乾いた笑いが零れる。


 これは、人間として大切なものの欠落という程度のことで片づけていいことなのか?


 俺は、俺自身のことを、人間だと定義してもいいのか?


 こんな心を持つ俺は、本当に、人間を辞めていないと言いきれるのか?


「俺は……」


 出るハズのない答えを求め、空を仰ぐ。


 雲ひとつない快晴。目が痛くなりそうなくらいに蒼い空。春の陽気は街を照らし、未だ冷たい春風を和らげている。それは長い冬を超えたすべてのものに対する光の祝福。


 その祝福の光にすら、俺の存在を否定されているような、そんな気がした。


「……ちくしょう」


 自分でも、自分がどうすればいいのか、どうしたいのか、分からない。


 悪態をつき、俺は視線を戻した。


「……ん?」


 その視線の先、視界にたまたま収まったもの。


 そこにあったのは、学園都市区画にいくつか点在している多目的ホールのうちのひとつ。基本的に三階建てになっていて、様々なイベントに活用できるようになっている。


 俺の目に止まったのは、その多目的ホールの入口に立ててある看板だった。


『こっくりさんの会 第一会場』


「…………」


 その文面を見た瞬間、俺の中の時間が確実に停止した。


 と言うか、いや、流石にそれはないだろう?


 胡散臭さ爆発のその文面を、これまでの俺なら一笑の下にし、関心を抱くことはなかっただろう。だが、こっくりさんという存在は、今の俺には到底無視できないものだ。


 本当はあまり関わり合いになりたくないんだが……仕方ないよな。


 詳しい情報を得るため、看板に近づき細かい文字を読む。


 そこに書いてあった文字はある意味予想通りで、こっくりさんを行う集会を今日、この多目的ホールで行うというものだった。第一会場ということは、おそらくこの会場だけでは収まりきらず、他にもいくつか会場を用意しているのだろう。


 正直、信じたくはなかったけどな。


「これは、また……」


 言葉が出ないというのは、こういうことを言うのだろうか。


 前に祀にこっくりさんのことを聞いたとき、『新興宗教みたいだな』とは言ったが……まさか本当に、宗教的な密会が行われているとは思わなかった。


 ここまでこっくりさんは学生達に浸透し、指示されているとは。


「…………はぁ」


 つい、ため息が漏れてしまう。


 こっくりさんの危険性を知っているということを別にしても、そういうおまじないの類を心底馬鹿馬鹿しいと考える俺にとっては、こういった集会に参加する人間のことが信じられなかった。


 そこまでして叶えたい願いがあるのだろうか。


 それとも、楽をして願いを叶えたいだけなのか。


 ……おそらく後者なんだろうな。


 阿呆か。


 そんなことで願いが叶うなら、俺はこんなに苦しまなくて済むんだよ。


 こんなイライラする企画、できることなら無視してしまいたいが……そういうわけにもいかないよな。


 一応、中を覗いてみるか。


 そう思い、俺は会場内に足を踏み入れた。


 中に入った途端、異様な雰囲気がするのか、こっくりさん召喚の妙な呪文に気分が悪くなるのか……と覚悟していたが、そういうことはなかった。むしろ、しんと静まり返り、拍子抜けするくらいに人の気配がしない。少なくても、入口ホールには誰もいないようだ。


 誰もいない……と言うよりは、参加者が思ったよりも少ないのか?


 しかし、会場を複数借りているからには、それだけの人数が参加するってことなんだろ?


 どうして……?


「あれ? 戦人君?」


 自問の声を遮り、背後から聞こえる声。


 振り向かずとも分かる。一体、どういうことなのだろうか。


 会う予定だった祀とは会えず、会う予定のなかった斎藤、骸骨侍と立て続けに出会い……最後には、こんな場所で梢と出会うことになるとは。


 苦笑を浮かべたまま俺は振り返り、それと同時に梢が言葉を紡ぐ。


「緊急招集があったのはついさっきなのに……もしかして、近くにいたの?」


「緊急招集?」


 視界に入る梢の格好。よく見ればそれは、あの日学校に突入したときと同じような戦闘着。異なるのは、散弾銃や(えびら)を携帯せず、最低限の装備と防具の上からコートを羽織っていることだろうか。おそらく、カモフラージュ用の衣装。服の上からは見えないが、腰にはきちんとホルスターを提げているのだろう。


「……もしかして、連絡をまだ確認してないの?」


 非難するような梢の視線に押され、慌てて携帯を確認する。開いた携帯のディスプレイに表示されているのは、公安零課と梢から着信があったことを示す表示。時刻はおよそ三〇分前。どうやら、骸骨侍を追っていたため、着信に気付かなかったらしい。いつの間に。


 しかし、梢とは合流できたから、結果オーライだろう。


 そう思うが、梢には睨まれた。


「駄目だよ、戦人君。私達の任務は、一分一秒を争うこともあるの。緊急招集ってことは特に、ね。今日はたまたま、現地で合流できたからいいけど……これからは気を付けてね?」


「あ、ああ、すまん」


 ぷりぷりと怒る梢は正直怖くないが、一応頭を下げておく。


「で、どうして緊急招集なんてかかったんだ?」


 それで一応の溜飲は降りたのか、俺の問いかけに対して、梢は答えてくれた。


「公安零課の『予知公安捜査』の人が、予知したの。第六区でなにかが起こるって。だから、手の空いてる人員が緊急招集されたの」


 公安零課には色んな人間がいるとは聞いていたが、その簡潔な説明には、突っ込みどころが多すぎた。


 なんだよ、『公安予知捜査』って。


 いや、多分予知能力者が詰めてる部署だってのは分かるんだが、そんな能力者までいるのか。


 他にも霊能力者がいるって言うし、梢自身も透視能力者だし。


 しかし、それにしては内容が曖昧すぎないか?


「なにかってなんだよ?」


「細かいことはもう少し詳しい予知をしないと分からないけど、予知捜査の人達の予知は大体当たるの。それで、緊急招集があったのが大体三〇分前、私はたまたま公安本部にいたのと、その場にいた中で学園都市区画に一番詳しいってことで、先遣隊としてここまで来たの」

「それで、妙な看板を見かけて中に入ったら俺がいた、ってことか」


「うん。そんな感じなの」


 順次、応援部隊や武装を積んだ特殊車両が到着する予定だよ、と梢は説明を続けた。


 俺から見れば、予知なんて言う情報元はかなり胡散臭いのだが、公安零課の人間はそうは考えていないらしい。その情報を元に、まずは梢を先遣隊として寄こし、順次部隊を展開させる。


 なるほど、その迅速な判断と行動力は大したものだ。


 ということは、この会場に人気がないのは、もう避難が終わったからなのか。今になって思い返してみれば、この会場どころか、学園都市区画自体に人気が無かったからな。きっと、俺が骸骨侍を追いかけている間に、閉鎖や一般人の避難は完了したのだろう。そうでないと、休日とはいえこの学園都市区画全体の人気の無さは説明がつかない。


「……なら、俺達の任務は、これから起こるであろうなにかに対することか?」


「そうなの。だけど、私達は非公式組織だし、まだ避難誘導は終わってないから、一般の人達に見られないように注意してね」


「は?」


「え?」


 二人の声が重なる。


 なんでそうなるんだよ。


「避難はもう完了してるんだろ?」


「終わってないよ? だって、ここに来たの、私が一番最初なんだよ。これから避難と閉鎖が始まるところで、まだ避難勧告のひの字も出てない段階なの」


 おいおい、どういうことだ?


「それならどうして、この会場も外も、こんなに人の気配がないんだよ?」


「それは……」


 俺に問いかけられ、梢は口籠る。


 どうやら俺に話しかけた時点で、梢もここにきたばかりであり、また急いでいたためか、周囲の異変に気付いていなかった。そして俺も、避難がとうに終わったものだと考えて、異変を異変だと気付けなかった。


 お互いの話を総合してようやく、俺達は現状を取り巻く事態の異常性に気付いた――その瞬間。異様な雰囲気が、俺達を包みこんだ。


 これは……!


「戦人君!」


 俺の名前を呼ぶと共に二丁の拳銃を取り出す梢。


 その梢と背中合わせになるように移動し、俺も構える。


 いきなり氷水を頭からかけられたような、肌が底冷えするような感覚。


 この気配には、覚えがある。


 学校に突入し、取り憑かれた女学生と相対したときと同じだ。


 単純な感覚から導き出した答えは、幸か不幸か間違いではなかったらしく。


 俺達はいつの間にか、あのときと同じ姿の女学生達に取り囲まれていた。


「……どこから出たんだ、こいつら」


 思わず言葉に零れてしまうほどに、その数は多かった。目に見えるだけでも十体以上。ほとんどが女生徒だが、年齢は中学生、高校生……大学生くらいの女性や、男子生徒も混じっている。そして彼女達が浮かべるのは、例外なく獣の表情。蜘蛛のそれに近い四肢は半透明ではあるが、腹部から伸びる四本の四肢も加えて、先日のものよりもはっきりと認識できる。


「余計なことを考えてる暇はないよ、戦人君」


「そうだな」


 緊張感の滲む声に、注意は女学生達に向けたまま俺は頷く。


 圧倒的な人数差で囲まれ、武器も心許ない。しかも、現状なにが起こっているのかまったく分からない。先の経験を活かすなら、どこかに存在するであろう降霊の要、こっくりさんの核を破壊するべきなのだろうが……これだけの人数が同じこっくりさんの紙を使って取り憑かれたとは考えにくい。霊関係については素人の俺でも、そのくらいは分かる。ということは、複数の核が存在するか……さもなければ、俺の知らない方法でこうなってしまっているか、だ。


 状況は圧倒的に俺達に不利。


 複数のこっくりさんの核が存在するにしても、他のなにかが原因でこうなっているにしても、たった二人で、取り憑かれた多くの女生徒達を相手にしながら対処するのは、いくらなんでも無理がある。


 そんな状況なのに、俺の心臓は歓喜に打ち震え、激しく鼓動を刻む。ポンプの役割を過分に果たし、全身の筋肉に血液を送り出す。身体の芯に感じるのは、そこに全身の血液が集められ、熱を持ったなにかに創り変えられるような感覚。激しく脈打つ血液は全身に心臓がいくつもできたかのような勢いで身体中を駆け巡る。


 求めて止まない闘争の場の空気に中てられ、僅かな空気の動きにも身体は敏感に反応する。


 そんな身体に対し、違うと、心の中でなにかが告げ、戦うことを今か今かと待ち構える。矛盾した反応。暗く黒い願望に覆われた心と、心にこびりついて残っている理性とが衝突し、せめぎ合う。


 そんなことおかまいなしに女生徒達は俺達に牙を向いた。


 俺を攻撃するために近づいてきた女学生を、俺は問答無用で殴り飛ばす。直接打撃ではトランス状態の女学生相手には時間を稼ぐくらいにしかならないかと思っていたが、どうやら打撃でも思っていたより効果はあるらしく、直撃を受けた女学生の動きは明らかに鈍っていた。


 耳に届くのは、一定のリズムを刻む発砲音と薬莢が落ちる高い音、そして女生徒達が上げる、妙に音の高い勝鬨(かちどき)の声。背中でそれらの音を受けながら、俺は襲いかかる女生徒達の爪を避け、嬉々として殴り飛ばす。返り血が拳を染め、僅かに攻撃を受けそこない、服が所々裂け、血が滲む。その痛みすらも心地良い。


 一歩間違えれば死ぬ、命と命を賭けた本物の戦い。


 俺はその事実に、間違いなく暗い興奮を覚えていて。


 目の前にいる敵すべてを斃したいと、毀したいと、確かにそう思っていた。


「戦人君、このままじゃ、キリがない!」


 俺と同じように女生徒達の攻撃を捌きながら、梢が声を上げる。


 すでに俺達の周りには、一〇を超える女生徒達が倒れていた。取り憑かれたものを祓ったのではなく、ただ動きを封じただけの対処であり、根本的な解決にはなっていない。それなのに、俺達を襲う女生徒達の数は減るどころか増す一方だった。


「ああ。だが……」


 このまま永遠に戦い続けたい。


 殺意に身を任せ、思うがままに戦いたい。


 ――すべてを、コワシタイ――


 そうとすら考える欲望をなんとか抑え、梢に答えるように打開策を模索する。


 このまま戦っていても埒があかない。それは明白なことで、しかし女生徒達の包囲網から抜け出したところでまた、この状況を打破する決定打にはなり得ない。梢が言っていた本隊を待つのも手なのかもしれないが、この状況でいつ来るか分からない味方を頼るのは下策であり最終手段だ。


 はっきり言って、俺達ならばこの包囲網を抜けるだけならどうということはない。


 だが、そこから先の計画(プラン)が立たない。


 今はまだ余裕があるが、このままではジリ貧だ。


 さて、どうしたものかね。


 打開策を求め、意識は女学生達に向けたまま、視界を彼女達から外す。


 その、視線の先。距離にしておよそ二〇メートルほど離れた、多目的ホールの入口。


 気付けば、俺達に襲いかかる女生徒達の向こう側に、骸骨侍がいた。


「な……」


 予想外の存在に手元が狂い、女生徒の攻撃を許してしまう。伸ばした右腕に走るのは鋭い痛み。その痛みを無視し、横薙ぎに俺の腕を切り裂いた女生徒を薙ぎ払う。その動きに合わせ、腕から零れた血液が撒き散らされる。


 それなのに、ほとんど痛くない。


 極度の興奮状態で、脳内麻薬が放出されているせいか。


 ……とうとう、痛みすら感じなくなったのか。


 は。ますます、人間離れしてきたな。


「戦人君!?」


「……大丈夫だ」


 俺は梢にそう答え、改めて骸骨侍に視線を向ける。


 俺が睨むように見つめる中……骸骨侍は俺達に向かってこず、それどころかこちらに背を向けて歩き出した。


 なんだ、一体?


 奴も、俺と同じように戦いたいんじゃないのか?


 目の前で繰り広げられる戦いの場において、敵なのか味方なのかすら分からない。


 だが、物言わぬその背中に、なにかがある気がした。


 ……着いて来いと、言っているのか?


 だが、他に手がかりもない。


 ここは、賭けてみるか。


「梢! こっちだ!」


 そう思うなり、俺は前方の女生徒を蹴散らし、駆け出した。


「え、ちょ、戦人君!?」


 戸惑いながらも、梢も俺の後ろに着いて走り出す。


 それを確認し、俺達は追撃を加える女生徒達を往なしながら、再び逃げる骸骨侍を追いかけたのだった。







 時折襲い来る女生徒達を往なしながら俺達は骸骨侍を追って走り続け。


 女生徒達をまくことには成功したが、俺達は骸骨侍を見失っていた。


「いっ……てぇ……」


「もう! 男の子だから、少しくらい我慢するの!」


 壁にもたれかかるように座ったまま、右腕に走る鈍痛に顔をしかめると、梢から叱責された。


 その声が、薄暗い整備用通路に反響する。


「……ほら、応急処置は終わったの。あくまでも応急だから、この仕事が終わったら、きちんと消毒と治療をしてもらうこと」


 約束だからね、と俺にしっかりと念を押してから、梢は立ちあがりしまっていた拳銃を抜いた。俺はその姿を尻目に、右手に服の上から巻かれた包帯を確認する。傷自体は深くないとはいえ、肉が浅く抉られた傷口は未だ出血が収まらず、傷口に当てている真新しいガーゼはすでに赤く染まり始めていた。


「……つっ……」


 軽く指を動かしてみると、思ったよりも痛みが大きい。戦闘に支障が出るほどではないが、さっきまでは興奮状態にあって、痛みに対する感覚が麻痺していた分、落ち着いた今となっては痛みがより鮮明に感じられる。


 痛みを苦痛だと思えることに、少しばかりホッとした。


「できれば、右腕はあんまり使わない方が良いの。抉り傷はただでさえ血が止まりにくいんだから、傷口に負担をかけないに越したことはないの」


「まぁ、そうだろうな」


 頷きはするが、その忠告を聞けるかどうかは別問題だ。


 必要とあれば、俺は傷を抱えてでも戦うつもりだ。


 まぁ、それはそれとして……。


「ここは、どこなんだ?」


 腕を押さえながら立ちあがり、周囲を確認する。


 俺達が今いるのは、薄暗い通路。数メートルおきに設置された、足元を照らす最低限の電灯の光と非常灯の明かりのみの世界。壁伝いには良く分からない配管やケーブルがあるが、下手に触れない方が良さそうだ、というのは素人の俺にもなんとなく分かる。あとは、さっきから唸るような低い音が止まらないことと、通路の壁全体が底冷えしそうな冷たさだということか。


 その薄暗さと耳に残る重低音から、海の底にいるような、そんな感覚を覚える。


「戦人君、覚えてないの?」


「……すまん」


 骸骨侍を追いかけるのに夢中で、自分がどこをどういう道で通ったのか、覚えてないのだ。


 冷静になった今になって考えてみると、来た道を覚えてないなんて、明らかな失策である。


 梢は梢で、呆れたようにため息ついてるし。


「ここは学園都市区画の地下……今私達がいるのは整備用の通路なの」


 梢の説明によると、人工浮島群であるイザナギ市は、例えるなら大型船のような多層構造をしていて、電線や電話線、上下水道の配管など、ありとあらゆるライフラインを地下に通し、その間隙を縫うようにして地下鉄の路線が配置されているらしい。言われてみれば、イザナギ市で電柱を見たことがないな。確かにその方が面積も有効活用できるし、一局管理できれば整備点検も簡単になるだろう。また、もしなんらかの原因で底面に穴が開いたときの対策も兼ねているのかもしれない。


「多層構造とは言うけど、一定以上の面積を有する開けた空間はごく一部で、大体はこんな感じに配管むき出しの通路状の構造をしているの」


 つまり、いざなぎ市の地下はこんな感じの通路や、一部開けた場所が広がっているということなのだろう。と言うことは、さっきから鳴りやまない低く重い、海の底を連想させる音は、実際に今俺達がいる場所が海に浸かっているから聞こえる音か。


 なんと言うか、さすがに海の中にいるという実感が湧きにくいな。


「で……問題は、これからどうするかなんだけど……」


 今度は、俺のことを非難するかのような視線で射竦められる。俺を見つめる深紫の双眸は、威圧感や恐怖は感じられないが、なんとなく罪悪感を覚えてしまう。


「戦人君があの現場で骸骨侍を見つけて、ここまで追いかけてきたのは分かったの。そのおかげで、こっくりさんの会場から大分離れちゃったけどね」


「……ごめんなさい」


 非難がましい視線を向けて来る梢に、俺は情けなく頭を下げるしかなかった。


「だけど、そのおかげで視えたものがあるの」


 しかし、次の瞬間には、梢の表情は真剣なものへと変化していた。


「こんな場所に潜り込んで、しかも上の方で騒ぎを起こして……かなり手の込んだ偽装をしてるけど、私の眼は誤魔化せないの」


 言いながら梢が見つけているのは、俺達がいる通路の更に奥。


 ここからでは先を窺い知ることのできない、深い闇の先。


「この先にある開けた場所に、一人。こんな場所にいるなんて、明らかにおかしいの。私には霊的な力の流れは読めないけど、分かるの」


「つまり、この先に黒幕がいるってことなのか?」


 俺の言葉に、力強く頷く梢。


「だけど、状況は最悪なの。武器は心許ないし、上の混乱からして応援は望めそうにない。黒幕の正体も実力も目的すらも分かっていない。……それでも、戦人君。戦うことはできるの?」


「当然だ」


 迷わず即答する。


 黒幕の存在に、否応なしに心臓の鼓動が高鳴る。


 戦いの予感に、全身が喜びの産声を上げ、唸る。


 迷いも、悩みも、そのたったひとつの黒い願望に打ち消されそうになる。


 戦いたい。


 たったそれだけの意志が、渇望が、俺のことを突き動かす。


 なにひとつとして、答えなんて出せていないのに。


 このまま戦えば必ず後悔すると、分かっているのに。


 戦いを求める心を、俺は抑えることができなかった。







 海抜ゼロメートル以下、心許ない光源を頼りに、俺達は慎重に通路を進んでいった。明かりの当てはあるのだが、この先にいるであろう黒幕に奇襲をかけるために敢えて使用しない。


 そんな中でも、警戒をしつつひょいひょいと躊躇うことなく進んでいく梢はさすがだと思う。


 やがて、突き当り……『立ち入り禁止』と書かれた扉の前に到達し、俺達は足を止めた。


 緊急時に隔壁としての働きをするように、扉は堅牢な造りをしている。その役割上、そして立ち入り禁止の表記が示す通り、普段は閉鎖されているのだろう。だが、今は鍵が破壊され、その役割を果たせなくなっていた。


「本格的に、当たりなの。中に一人」


 声を潜め、梢が呟く。俺はそれに頷き、扉を挟んで梢の反対側に陣取る。


 突入の準備。扉を開けると同時に俺が突入し、続いて突入した梢の援護を受けながら対象を征圧する、二人一組(ツーマンセル)でのフォーメーションのうちのひとつ。


「三、二、(スタンバイ)……」


 以前に見たものを真似、口の動きだけでカウントを行う。


 アイコンタクトで突入のタイミングを、息を合わせる。


 そして。


突入(ゴー)!」


 一息に扉を開けて、同時に踏み込む。


 視界に一気に広がったのは、薄暗くも開けた空間。所々に資材が置かれている。


 その、ほとんど中央にいる人物。


 ――人は、あまりにも想定外の事態に陥った際、すべての行動を停止してしまうらしい。


「……祀、か?」


 その後ろ姿を、俺が見間違えるハズが無い。


「い、戦人……どうして君が、ここに……!?」


 いくら驚愕に染まっていようとも、その声を聞き間違えるハズが無い。


 どれだけ戸惑いが混じろうとも、その顔を見間違えるハズが無い。


 なぜなら彼女は俺の幼馴染で。こんな俺のことを許容し、受け入れてくれる、俺が唯一親友と呼べる存在なのだから。


 襦袢に緋袴……いわゆる巫女装束に身を包んだ夜刀祀が、そこにいた。


「戦人君、知り合いなの?」


「知り合いもなにも……」


 足を止め、俺の横に並んだ梢を一瞥し、再び祀に視線を戻す。


 祀と俺の関係は確かに幼馴染同士で、親友だと思う。


 だが、今この状況で、俺はなんて言えばいい?


 祀がこんなところにいる理由も、見慣れない巫女装束を着ている理由も分からないのに?


「まぁ、戦人君とどういう関係でも、関係ないの」


 と、梢はそう前置きし。


「警視庁公安零課、芹沢梢です。貴女がこっくりさんを広めた黒幕で、上の学生達を操っているのなら……即刻、止めるの。さもないと、容赦しないの」


 問答無用。


 以前、骸骨侍と俺を制止したときよりも更に直接的な表現で制止を要求する。


 この状態で両手に持った拳銃を祀に向けていないのは、梢なりの気遣いなのだろか。


「……悪いが、それはできない」

「理由を聞くの」



 最初こそ動揺を浮かべていたが、もう落ち着いたのか、冷静に答える祀。


「……ボクは、彼の本懐を遂げないといけないんだ」


 言い、どこからともなく取り出した剣を抜く祀。


 その造形はとても古い時代のもので、いわゆる十束剣(とつかのつるぎ)……天羽々(あめのはぎり)布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)のように日本神話に出てくるような両刃の剣で、相当に古いものであるにも関わらず、刀身は鈍い金属光沢を維持している。構えは意外にも堂に入っていて、そして不思議なことに、祀が手にした剣が、相手の表情を読むのがやっとの薄暗闇の中で、淡く光を放っていた。


 その剣を構え、こちらを睨みつける祀。その視線に込められているのは、明らかな敵意。


 その表情を見て、俺は気付いた。


 そもそも、土台からしておかしいのだ。


 長年祀のことを見てきた俺だから分かる違和感。


 だが、その想いは、あるひとつの感情によって圧迫され、塗り潰される。


 祀の実力は、どの程度のものなのか。


 試してみたい。


 まるで舌なめずりをする蛇のような、薄暗い感情。


「梢。ここは、俺にまかせてくれないか?」


「……分かったの。弾も少ないしね。ここは、戦人君に任せるの」


 俺の申し出に素直に従い、後ろに下がる梢。


 それを確認し、祀と対峙する。


「戦人。君を満足させることができるか、分からないけど」


 少し不安そうにそう言い、しかしその表情はすぐに引き締まったものへと変えられる。


 祀の表情の変化に合わせ、俺も改めて構える。


 どうして祀がこんなところにいるのか。


 どうして祀が俺と対峙しているのか。


 どうして祀がそんなことを言うのか。


 そんなことは最早どうでも良くなっていた。


 ただただ、目の前に存在する未知の実力者との戦いを求めていた。


 ――こんなところに、戦いの相手がいたなんて!


 歓喜が極上の着火剤となり、心をより激しく震わせ。


 俺は躊躇わずに、脚を踏み出した。


 攻撃は最大の防御なり、だ!


 中段に構えていた祀は、俺の接近を確認すると眉を僅かにひそめ、俺が間合いに入ると同時に最小限の動きで剣を振り上げ、振り下ろした。祀らしい、堅実な動き。だが、つまらない。


 それを受けて、俺は左足を後ろに下げ、右足を軸にして左半身を後ろに捻ることで躱す。次の瞬間、ほとんど間髪を入れずに俺を襲う横薙ぎの刃。おそらく、振り下ろしではなく横薙ぎが攻撃の本命。初撃が回避されることを前提としたL字を描く刃の軌跡。


 堅実なんてとんでもない。


 引いた左足に咄嗟に力を込め、後ろに飛ぶ。身体に負荷を強いる動きに右足と左足、両方から軋む音が聞こえたが、そんなことを気にしている場合ではない。切っ先が服の腹を横一文字に切り裂くが、身体には当たっていない。祀の二撃目も回避できた。今度はこちらの番だ、と思ったところで、ゾワリと、嫌な予感が全身を襲った。


 回避から攻撃に動きを切り変えようとした身体を無理矢理に捻り、半ば横に転ぶようにして身体を動かす。転がる俺の視界に映ったのは、横薙ぎに振り払った剣をすぐさま右腰だめに構え、二段突きを繰り出す祀の姿。


 あのまま攻撃に移っていたら腹を貫かれていた。


 だが、その緊張感が、堪らない。


 生きているということに僅かな安堵、そして命を削る戦いであるという事実に大きな興奮。


 受け身を取りながら床を転がり、追撃に合わないように祀から距離を置く。


 すぐには立ちあがれない俺に対し、追撃が来るかと思っていたが……結論から言えば、祀は俺が立ちあがるまで、剣を構えたまま待っていた。


「……追撃はいいのか?」


 再び拳を握りながら、俺は祀に問いかける。


「…………!」


 その問いに対する祀の答えは、言葉ではなく戦う意志。


 俺の準備が完了するや否や、祀は刃を振り上げ、俺に斬りかかってきた。


 睨みあいから接敵まで僅か一秒。言葉を交わす暇はないし、そもそも祀は口を開いていない。


 その代わりに、振るわれた刃が雄弁にモノを語っていた。


 正々堂々、尋常の勝負。


 まるで恋に焦がれる少女のように、俺が心の底から望んでいたモノ。


「……はは」


 祀の意図を確信した瞬間、無意識に笑みが零れていた。


 左肩口から右脇腹、斜めに振るわれた刃を躱すと、次は逆袈裟の刃が俺を襲う。それを回避すると、今度は斬り下ろしからの突き、続けて逆胴、斬り上げ。一閃、二閃、三閃、四閃。反撃の余地のない、刃の閃き。


「あははははははははははは!」


 哄笑。


 薄暗い空間に声が反響し、脳を揺さぶるほどにガンガンと響く。


 それだけの嗤い声を出しているというのに、息は切れず、身体は激しく熱を持つ。刃を躱すごとに、躱しきれず皮が切られるごとに力が漲る。心臓の鼓動はますます激しくなり、身体の奥底から歓喜が湧きあがる。気分が軽くなり、戦いのことしか考えられなくなる。どうして俺はこんなところにいるのか、誰と戦っているのか、分からなくなる。

 楽しい、愉しい、タノシイ。



 心の底から愉快だと思う。


 だけど――まだ、足りない。足りない。足りない。足りない。


 もっと敵を。もっと傷を。もっと血を。もっと戦いを!


 滾る血液の流れは抑えられない。


 神経が研ぎ澄まされ、身体は通常ではできないほどの動きを可能とする。


 幾度目になるのか、振り下ろされた刃。その刃の腹を左から右へと右手で弾き、それと同時に左足を敵左足の内側へと踏み込み、左拳を叩き入れる。《火生土・十字》。敵の身体がくの字に折れ、剣を取り落とす。カラン、という乾いた音。それから敵が吹き飛び、背中から地面に倒れる音。立ちあがる様子はない。俺は警戒を続けながら、剣を拾い上げた。


 期待していたよりも呆気なく終わってしまった戦いに、幾分の失望を感じながら。


 一撃で沈んでほしくなかった。もっと抵抗してほしかった。


 俺のことを斬ってほしかった。腕の一本くらい持って行ってくれても構わなかった。


 もっともっと、俺と戦い続けてほしかった。


 ……なんだ、こんなものか。


 光を失った剣を握り、未だ倒れたままの敵の横に立つ。


 倒れた敵に、止めを刺す。


 難しいことはない。ただ、首に剣を突き立てるだけ。


 作業のような行為。戦いと呼べない攻撃に辟易しながら、切っ先を首に宛がう。


 だけどまぁ、それなりには楽しめたしな。


 (はなむけ)として、最高の一撃で葬ってやるか。


「……ごめんよ、戦人」


 …………あれ?


 俺は誰と、戦っていたんだ?


「君を、満足させられなくて」


 剣を振り上げる。


 風を切る鋭い音と共に剣は振り下ろされ――甲高い金属音と共に、その動きは停止した。


「あ……?」


 俺の首ほどの高さで制止する刃。それを支えているのは、最小限の明かりしかないこの閉鎖空間の中ですら、眩いほどの銀光を放つほどに研ぎ澄まされた、日本刀。古ぼけた鎧。壊れた面具からのぞく骸骨。


 骸骨侍が、そこにいた。


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