第八章 つかの間の交流
アルカンジェルは軍に先んじて単騎でセレクの領地を見た。
第一印象はかなり真っ当な統治がされていると言うことだ。
地図上では領地の端に当たるはずなのに、荒れた様子もない。
有能といわれるだけのことはあるか。
アルカンジェルはそうして、相手の力量を測る。
おそらく、アルカンジェルは恨まれる。有能な統治者を奪われた領民は大概それをしたものを恨むものだ。
もしセレクが、領民を搾取し、苦しめる領主ならばアルカンジェルの心労も少しは和らぐだろうが、世の中はそううまくいかない。
その上、愛される主を攻めるとなれば、この地の一般市民はすべて的と考えて間違いないだろう。
水の補給が難しいのは痛いな。
頭の痛い問題はいつまでもなくならない。
森の中で、湧き水を見つけ、樽に溜められるだけ溜めていたが不安だ。
いくらなんでも井戸に毒を投げ込んでおくという手は使わないだろう。後で自分の首を絞めるだけだ。
見るものは見たとアルカンジェルは後方の陣に戻った。戻ればサージェントは苦い顔で出迎えてきた。
「将軍自ら偵察とは感心しませんな」
「こんな時だけ将軍扱いするなよ」
アルカンジェルは苦笑いでごまかすと、自分の観察結果を呟いた。
「かなり整備された、あるいは洗練されたと言っていい村だったな。領地の外れの村であそこまできちんと整備してあるとなると」
「有能という噂は嘘ではない、しかし、統治者としての能力と戦場で戦う能力とは、相容れないことも少なくない。そのことも念頭にいれておられますか」
「俺は常に最悪の可能性を念頭においておく主義だ。その方が、後々やりやすい」
胸を張って悲痛なことを言い出す上官をサージェントはいつものことと諦めを含んだ声音で同意する、
「それで、そろそろ動いた奴はいたか?」
「そうですね、後少しで動き出すと思われるのですが、今のところ報告はありません」
サージェントの言葉にそうかと落胆を隠さない顔で答える。
「民間人の解放はいつぐらいを予定すべきかな」
「今は、考え中です、もっとも二三日の予定ですが」
その二三日中に動き出すものがいるとアルカンジェルは確信していた。
「これからも監視を怠るな」
「わかりました、それと、リュシーはどうしますか」
「アイーダも、最近リュシーがいないのに慣れてきたんじゃないか?そのくらいの日にちなら、半分勤務で十分だろう」
「そう命じておきます」
サージェントはあっさりとこたえた。どの道この問題についてアイーダと話し合うつもりはなかった。
サージェントはそのまま馬車に戻る。その途中で、アルマに行き会った。
アルマは、華奢な身体に疲労の色を隠せない様子で、数人の旅人達と身を寄せ合ってうずくまっていた。
「大丈夫か」
思わずそう声をかけた。
アルマは視線だけを動かしてアルカンジェルのほうをうかがう。
「もうそろそろお前達に解散してもらう算段がつきそうだ。お前の目的地がここに近いといいんだがな」
なんとなく顔を覚えた少女に、親切でそう教えてやると無言で頷く。
口を利く気力もないのかと、無理な森越えを思い出し、少女が哀れになった。
「大丈夫か」
そう訊ねれば掠れた声で、呻いた。
しばらく咳き込んだ後、ようやく出るようになった声で、アルマはアルカンジェルにぶっきらぼうに訊ね返した。
「それで、何の用」
その声は、その態度と同じくらいひび割れていた。
「いや、用ってほどじゃないが、顔を見たんで挨拶しただけだ」
そう答えると、アルマは眉をしかめた。
「そういえば、お前達はどうやってこの軍の場所を知るんだ」
ふと思いついたことを聞いてみる。その質問にアルマはきょとんと目を瞬かせた。
「まさか知らないとは思ってなかった」
心底驚いたと言う顔。それにむしろ驚いた。
「いったいどういう話になっているんだ」
「大陸商工組織だよ、大量の物資が動くにはその組織を通さないわけにはいかないでしょ、でその情報もあそこは売るの」
つまり物資の仕入先かとアルカンジェルは心の奥で納得した。
「言われてみれば単純なからくりだな」
もっと早く思いつくべきだったことだ。と表面に出さずに反省しつつアルマの続きを促す。
アルマは水筒の水を一口含むと、ようやくまともに出るようになった声で続けた。
「大口の取引があったとするでしょ、その量と品物の種類と質を見極めて、それに各国の緊張状態を照らし合わせ、精度は九割五部ぐらいだって豪語しているんだって、まあ、命令を出せばいいお偉い方には、どうしてだろうって疑問かもしれないけど、大量の物資が動くのをその目で見る下々にはかなりわかりやすい指標よね」
空中に指で自分の思考をまとめるために図形を記す。そしてどこか講義のような口調でアルカンジェルに語りかける。
その声を、アルカンジェルも神妙な面持ちで聞いている。
「確かにあれだけの食料が買い占められれば多少は物価も上がるだろうな。確かに一般庶民にはわかりやすい話だ。自分の食い物も自分で買いに行かない俺にわかるわけがなかったってことか」
自嘲するアルカンジェルにアルマも真顔で答えた。
「それを恥ずかしい事だって気付くお偉い人って珍しいよ」
「微妙な誉め方だな」
今度アルカンジェルに浮かんだのは苦笑だった。
「貴重な意見を利かせてくれて有難う。それじゃ気をつけていけよ」
そう言ってアルカンジェルはアルマから離れた。
その大きな後姿を眺めながら、アルマは小さく溜息をついた。
「なんか調子狂う男だな」
アルカンジェルの噂はいろいろ聞いていた。しかし、本人を見ると本当にあの噂の人間なのだろうか。清廉潔白ご冗談をと言いたくなる。
どうしてあんな奴に対してあんな噂が立つんだと。その噂を流した人間に真剣に問いただしたい衝動に駆られる。
「何やってんだか、まったく」
額にかかる前髪をかき上げ、遠ざかる背中を見つめる。
「あほらし」
そう言って不意に視線を逸らした。
アルカンジェルは、アルマと離れた後、自分の寝床に戻った。
思ったより読書は進まなかった。棚の中の本はまだ半分も読まれていない。
実際、読書でもして現実逃避しようかとした自分の試みはいっこうに実を結ばなかった。
その一端をさっきまで傍にいた風変わりな少女にあるのも事実だが。
結局、そこまで無責任に慣れなかっただけだともいえる。
たとえ、嫌々でもサージェントがやれと言えば、それを拒むことができない。それは別に副官が怖いとかそういう問題ではなく自分の中に刻まれた仕官としての義務感のようなもの。いつの間にか植えつけられた芯のようなもののせいだ。
だから、大好きな詩集よりも先ほどのアルマからの情報を精査するほうに思考が動く。
「商工組織か」
大陸の物資のほとんどを掌握していると噂されるその巨大組織のことは、あまり、興味を持ったことはなかった。
あれば便利ぐらいしか考えたことがなかったのだ。
しかし、これからは違う。真剣にその組織に対して接点を持っていかなければ。
そこまで考えて不意に気がつく。
これからほぼ死出の旅と言っても過言ではない進軍を今自分はしていると言う事実に。
これからもへったくれもない。そんなことに関わりあう暇もなく自分はもうすぐ死んでしまうかもしれないときに、何将来のことを考えているのか。
いや、生きて帰れても、自分に将来などありそうもないのに。
「どうしたんですか?」
難しい顔で考え込んでいると、サージェントが、怪訝そうに尋ねた。
「商工組織のことだ」
サージェントは一瞬話の内容がつかめず、戸惑った顔で、アルカンジェルを見つめる。
「商工組織の商うものは物資だけではないようだ」
そう言って商工組織のもう一つの商売、情報屋の話をする。
「確かに、どこから何を注文される。それは何か、そういったことを突き詰めて調べれば、各国の情勢は極めて精緻に知ることができそうですね」
言われた情報を精査し、サージェントもアルカンジェルの言いたいことを理解する。
「まあ、我々は軍事畑で、物資は文官方にまかせっきりでしたしね」
手にした書類をもてあそびながら、サージェントは溜息をつく。
「上のほうはわかっているのかな」
「どうでしょう。それに下々のことに疎いと言ったらあの方達は我々以上ですよ」
そのとおりなので、アルカンジェルも苦笑するしかない。
大陸商工組織、それは国の成立とほぼ同時に、黎明の時を迎えた組織だ。
最初は、村同士の作物や手芸品の物々交換から始まったらしい。
それが次第に大掛かりになり、商う物資の種類も増え、いつしか運送や、経理に専念する者たちも現れ始め、各国にまたがる商業組織として、確立された。
その組織は、長老と呼ばれる代表者と、各国に駐在する運営員。そして大陸中の商人達で構成されている。
流通の権利を完全に独占しているのだ。
ほとんどの商人と名のつくものや、商店はその組織の構成員であり、その組織の後ろ盾なくば、新たに商人となることも許されないと言う。
カーヴァンクル、ドールと言ったその国の国民であっても、国境を越えた忠誠を商工組織に捧げていると言う。
「国境なき組織か」
「件の組織もそうですがね」
その二つともが、各国の経済や上層部に食い込んで、もはや分離は不可能になっている。
国は今、自国の流通を自らの手に握っていないのだ。
商工組織の存在があまりにも馴染みすぎてその事実に気付いているものは少ない。
「考えてみれば怖い話だ。そしてそのうち、その怖さに気付く上層部もあるだろうな」
「かといって一からそれを作り直すのも困難でしょうね、自国それのみならば何とか組織と切り離すことができたとしても。他国との交易がままならない」
サージェントも深刻な顔で考え込む。
「考えたってどうしようもないがな、それに俺達の考えることじゃないだろう。俺達は軍人だ。そのことを考えるのは、外務大臣かあるいは産業大臣あたりだろう」
「それをいっては身も蓋もありませんね」
サージェントはやれやれと言った風に、苦笑した。
そろそろ開放されそうだとアルマの周囲は明るい雰囲気になっていた。
アルマはその中で一人鬱々とした空気を漂わせていた。
原因は少しずつアルマとの距離を狭めてくる見覚えのある顔の連中だ。
素行不良でカーヴァンクルの兵士達に袋叩きにあった馬鹿ども。それが偶然を装ってか、アルマの周囲に現れた。
明らかに距離を詰めてくる様子にアルマも警戒をせざるを得ない。
自分を見る目に明らかな険がある。
どうやらアルマの精で兵士達に目を付けられたと逆恨みをしているようだ。
それなしでも、いずれ制裁を食らっただろうに戸。アルマは漏れ聞いた馬鹿どもの諸行を思い出す。
軍の物資運搬用の馬車から物を盗もうとしたり、女性仕官に痴漢行為を働こうとしたり。あるいは、ほかの旅人相手に恐喝未遂をやらかしたり。
あれで粛清までいかなかったのは運がいいと思う。
アルマがこの場所にいなかったとしても遅かれ早かれ目を付けられていたことは間違いない。
にもかかわらず恨みがましい目でアルマにそれもまっすぐ来ず、じわじわと距離を詰めるような真似をするのか。
ああ馬鹿は嫌いだ。
アルマは陰鬱に胸中で呟く。
来るならとっとと刳ればいいのに。
油断なく目を光らせてアルマは臨戦態勢をとった。
来るとしたら行進が止まる休憩時間かな、そう目測を立てながらアルマは歩き続けた。
農村のある、丘陵地帯を避けてその脇にある森伝いに進んでいるのだが、その休憩場所は、珍しくひらけた空き地だった。
ずっと鬱蒼とした枝越しにしか見えなかった空が、大きく見える。
この時期は天候がさほど崩れない。このお天気はしばらく続くな。そんなことを考えながらアルマは空を見上げる。
そして陰険な視線をアルマに注ぐ相手が近づいてきたのを横目で確かめ。軽く肩を回して腕慣らしをする。
「いらっしゃい、いっこうに声をかけてこないからどうしようかと思ったよ」
にっこりと満面の笑みで迎えてやる。
それが相手の神経を逆なですることぐらい承知の上で。
「お前が仕組んだんだろう」
恨みがましい顔で詰られる。それには本気で心当たりがなかったのでいったい何のことかと、アルマは訊ね返した。
「しらばっくれるな、お前が軍の上層部の奴と親しげに離していたのを見たんだ」
確かに話していた、お前達とまったく関係のない話を。
そう答たとしても相手は信じようとはしないだろう。
アルマは無駄なことは止めることにした。
「よくもやってくれたな」
「その面でたぶらかしたのか」
口々に身勝手なことを口走りながら、アルマに迫ってくる。
周囲の旅人達がどよめいた。
アルマは冷静に間合いを計る。足元の小石を蹴飛ばして、正面の男の顔を狙う。
その小石は交わされたが体勢が崩れた。その隙を逃さずわき腹に膝蹴りを入れた。
「まずは一人」
急所を手加減なしで叩き込んだ。激痛に悶絶し、しばらく起き上がれないであろうことを確かめると。アルマはもう一人に向き直った。
小娘となめていたのだろう。意外に手際よく戦闘不能に追い込んだアルマに、焦りの色が浮かぶ。
二人同時にかかってきた。
隻眼のアルマならば死角を攻めれば何とかなると踏んだのだろう。
甘いとしか言いようがない。
背後に目があるように後ろから来たものを捌き、アルマはその腕を取った。
そして左方向から来た相手に反動を利用して叩きつけた。
一人は脳震盪。もう一人も大の男の体重をもろに食らったのだ、しばらく立てそうにない。
「それで、まだやるつもり」
アルマは嫣然と微笑んだ。
ざわめいていた周囲もただ沈黙が支配している。
その時、ようやく騒ぎを聞きつけたカーヴァンクルの兵士達が駆けつけてきた。
そして、その傍に、アルカンジェルが立っていた。
「どうやら、助けてやる必要はなかったようだな」
憮然として呟く。
「どうも、あの袋叩きを、私があなたに頼んでやらせたって思ったみたいよ」
アルマも冷たい目で地面にへたり込んだ男達をねめつけた。
「相当素行が悪かったと聞いていたが」
「私もそう聞いていたよ」
アルマは呆れたように答えた。
「それで、この騒ぎか、お前ら、この連中をふん縛ってその辺に転がして置け」
アルカンジェルの指示に、数人の兵士達が従い、手際よく男達を拘束していく。
「まったく、監督不行き届きで悪かった。それじゃアルマ、またな」
引き摺られていく男を見送りながらアルカンジェルは、そそくさと立ち去った。
「いったいなんだったんだ」
アルマは怪訝そうに呟いた。
アルカンジェルは自らの寝床兼仕事場になっている馬車の中で、サージェントに呟いた。
「あのな、凄く怪しい奴がいたんだ」
「その人相風体は?」
すかさず聞いたサージェントに、苦々しくアルカンジェルはその名前を答えた。
「アルマだ」
言われた名前に、サージェントも目を瞠る。
「すいませんが最初から話していただけますか」
「さっきな、いろいろと悪さをしていた馬鹿どもと、アルマが大立ち回りをしていたんだ。で、俺はアルマのついた嘘に気がついたわけだ」
渋い顔でアルカンジェルは淡々と話す。
「アルマが隻眼になったのはつい最近のはずだ。隻眼になったから、従軍娼婦を辞めたと言っていた。だがあの大立ち回りで見せた動きは、最近隻眼になった奴にできるもんじゃない」
腐っても軍人だ。そして、その動きが我流の喧嘩殺法ではなく、正規に武術を学んだものだと言うことにもすぐに気が付いた。
「隻眼って言うのも嘘じゃないか、見えてないとは思えない動きだった」
その呟きにサージェントも表情を固くする。
「すぐに捕らえますか?」
「いや、他に仲間がいるかもしれん、影から見張らせろ、不穏な動きをしたらその時は捕らえろ」
「わかりました、それと、布で片目を隠しているんなら、見えていないんじゃ」
「いや、目の粗い布は案外透ける。目ぎりぎりにおけば、さして視界を妨げない」
眠いとき、手巾を顔において寝ようとしたが、光をもろに通すのでまったく役に立たなかった過去を思い出し、アルカンジェルはそう説明した。
「それでは」
サージェントが部下に命令を伝えようと出て行く背中に忠告を投げる。
「俺の見たところ、腕は相当立ちそうだ。女と言えど油断するなと伝えろ」
「こんな場所まで潜り込んでくる輩です、腕に自信がないはずがありませんね」
サージェントも神妙に答える。
その背中を見送りながら、アルカンジェルは沈痛な溜息をついた。
「嫌な商売だ」
気に入りつつあった少女が敵であった事実に、少々落ち込んだ。
「それにしても、どうしてあいつ隻眼なんて目立つ変装をしたんだろう」
素朴な疑問に答えるものはいなかった。
アルマは、別の種類の視線が自分を追っているのにすぐに気付いた。
首は動かさず横目を使って、その視線を探る。
「腐っても軍人か」
アルマはほの暗い笑みを浮かべた。
いずれにせよ、もうそろそろ芝居は終わりにするつもりだった。
後はタイミング待ち。
衣服の隠しに仕込んだ武器をこっそりと取り出し、手の中に隠す。
今は周りに人がいる。その人ごみから抜けたときが勝負。
アルマは背中に感じる気配に、意識を集中させた。
相手はかなり若い。そして未熟だ。こっそり見張るということができずに自分に気配を悟らせるほどに。
「なめられたもんだぜ」
唇に音をのせずにそう呟いた。