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第七章 セレク大公領の真面目な戦い

 セレクの砦では、難しい顔をした青年が、砦の最上階から見える森を睨んでいた。

「ジュリアス、森を睨んでも何も解決しませんよ」

 部屋の真ん中にすえられたテーブルにお茶の用意をしながらそう忠告するのは、同じく端正な青年だった。

 主のセレク唯一の趣味がお茶道楽なので、その配下もことがあるごとにお茶を淹れる。

 本日は花茶を奮発してみた。

「お前な、よくこんな時にそんな呑気なもん飲もうと思えるな」

 ジュリアスと呼ばれた青年は口をゆがめてかわいらしい花の紋様付きのカップを睨む。

 お茶を入れている青年より縦横に一回り大きい。端正ではあるが全体的にいかつい印象だ。

 長い黒髪は背中で束ね、着ているものも質実剛健な、しっかりとした布地で縫われたかっちりとした黒い衣装だ。

 対するもう一人の青年は、薄茶の柔らかい襞を取った衣装に、精緻な堀模様に、彩色された帯を見につけた洒落ものだ。

 ゆるく波打つ髪は、肩にかかるあたりで切りそろえられており、いかにも宮廷の貴公子と言った容姿の青年だ。

「ジェルマン、お茶まではいい、だがいくらなんでも焼き菓子まで用意することはないだろう」

 ジュリアスの苦情をものともせず、いそいそと先ほど侍女に命じて持ってこさせた花瓶をテーブルの真ん中にセットする。

「お茶は楽しむものだよジュリアス」

 優雅に、カップを持ち上げると無骨な武人の友人に差し出した。

「お前の高雅な趣味はここでは通用しない、ここは砦だ。それも国境沿いの砦だぞ、いつここが戦場になったとしても誰も驚かない。そんなところで貴族の遊戯にふけれと言うのか」

「少し違いますね、いつ戦場になるかではなく、もうすぐ戦場になるんでしょう」

 ジェルマンはそう言って焼き菓子をつまむ。

「どの道戦場になるというのなら、今ひと時だけでも優雅に過ごすこと、これも肝要なのではないですか」

「つまり付き合えと」

 ジュリアスはやむを得ずテーブルに着いた。

 そしてものの数秒でカップいっぱいのお茶を飲み干した。

「火傷しませんでしたか?」

 思わずジェルマンは聞いた、淹れたてのお茶はかなり熱い。

「これしきのことで、軍人が務まるとでも」

「いや、それに軍人は関係ないかと」

 カップを持ったまま苦笑する。

「私としては、これから真面目な話をするつもりだったのですが」

「それならばさっさといえ、俺は菓子を食いながら真面目な話をするのは嫌いだ」

 忌々しげに、小さな可愛らしい焼き型で焼かれた菓子を睨みつける。

 なんで野郎二人のお茶会で、花形に焼かれた焼き菓子なんかを食べなきゃいけないんだと怨念を込めて。

「潤いって大事ですよ」

 ジェルマンの呟きを無視して、窓辺の鳥籠を睨む。

 鳥籠には白い小鳥がクルッポーと鳴いている

「今回の功労者をそんな目で見てはいけないでしょう」

 その白い小鳥は、砦の鳥舎で飼われている。この鳥の性質は、どこで放されても必ずこの砦の鳥舎に戻ってくるということだ。

セレクは王宮や、ほかの領地に行くときは必ず、この鳥を同行させ、何事か会ったときは足首に短い手紙をつけて放す。

その習慣が今回も役に立ったと言うことだ。

「たとえそうでも悪しき伝言を持ってきたものは疎まれるものだ」

 険悪な視線にもものともせず、砕いた豆や乾燥した穀物などの餌を小鳥はついばんでいる。

 アルファがかつて、この鳥はピジョンと呼ばれていたと語ったことがある。

 セレクとその部下達はそれを受けて、この鳥をピジョンと呼んでいた。

 鳥が運べる程度の紙片なので、短文か、あるいは、一つの単語を固有の印で示す書式表記となる。この場合は後者だった。

 秘密裏に姿を変えて、アルファとともに帰ってくる。ここまではいい。問題はその方法だ。

「本気でやる気かな」

「冗談のようなことを大真面目にやりますからね、あの方は」

 二人は顔を見合わせる。

 できれば冗談だと思いたいが、冗談を言っている場合ではないこともよくわかっていた。

「危険すぎる」

「もはや止めるタイミングは逸しました。すでに行動に移しているはずです」

 その言葉にジュリアスは頭を抱える。

 気まぐれで素っ頓狂。有能ではあるが、その有能さはどこかねじれている。

「ねじれていなけりゃこんなこと思いつくか」

 鬱々とジュリアスは呻く。

「どちらかと言うと、私は楽しみなんですがね」

 セレクの予断を許さない性格を心から愛しているジェルマンは満面の笑みを浮かべて焼き菓子をつまむ。

 それでもだ、セレクの作戦がうまくいけばこちらがどれほど有利に展開できるか、それを考えると、わくわくと高揚する己の胸を感じる。

 ジュリアスのように、国のため、民のためなどと硬い信条など持っていない。ジェルマンを動かすのは、面白いか面白くないか、それだけだ。

 ジェルマンは、国の内外、貧富、身分の高低に抜かりなくそれらすべてに情報網を張っている。

 それもまた、面白い情報を探すため。国内有数の貴族の家系に生まれ、豊富な財源を存分に使い作り上げた情報網だ。

 それに、セレクがたまたま飼いならしたピジョンが役に立った。

 この小鳥は、極めて長距離の移動が可能で、国外からの情報すらものの数日で運んでくる。

 小型で、大量の情報を運べないのが残念なくらいだ。

 その上、食べると美味しい。小ぶりだが肉が締まって味が濃く、蒸し焼きにするとこたえられないとこの砦では評判だ。

 このような評判を広めた裏には、情報伝達の秘密を隠すと言う意味もあった。

 表面上は、愛玩用と、食用に繁殖させていると言いぬけている。

 いずれ、セレクが玉座に就いた時には、王国の情報伝達システムに組み込む予定だが、今は、いざと言うときの切り札として隠している。

 セレクは王宮にいるときに事の次第を書き記した手紙をつけて、鳥を放した。

 そして、懐に隠し持っていた残りの一羽を単独行動をとっているときに放したのだ。

 一羽だけと言うのはずいぶんな冒険だ。小さな小鳥なので、外敵に狙われやすいのだ。

 普段は最低でも一つの情報につき三羽は使う。

「本当に一か八かだな」

 その運のいい小鳥の入った鳥篭を見つめて、ジェルマンはセレクの美貌のかんばせ顔を思い出していた。

 その美貌とは裏腹な、ふてぶてしい物腰。ひねくれたものの考え方。何もかもが以外で、楽しい。

 美貌だけに惹かれたわけではない。あの美貌にすべてを台無しにするあの性格が付いていたから魅かれたのだとジェルマンは思う。

 翻ってジュリアスは。祖父の代にセレクの祖父カールの寵臣と呼ばれていた。

 幼さないセレクに忠誓を誓って十数年、今も変わらぬ精勤ぶりだ。

 彼を動かしているのは純然たる儀務感だった。

 代々の続く臣下の家系の誇りというものだ。

 セレクの少々どこか外れた性格を困惑の表情で見つめながらも、それでも忠誠を誓い続ける。それがお家の誇り。

 忠誠心自体は疑っていないが、セレクは少々煙たがっていた。

「それで、どうする」

「何であれ、ご命令に従うさ」

 茶碗をテーブルにおいてジェルマンは言うべきことを言うことにした。

「セレク大公の少々規格外の頭脳を、実は疎んじておられることぐらい、わかっておりますよ、ですが、あなたの望む、規格内の王子様では、国外の情勢は捌けない。それくらいわかっておられますよね」

「確かに、楽を覚えたらきりがない、あれくらい扱いにくいくらいが仕事だろう」

 ジュリアスは苦笑する。

 時々突拍子もないことをしでかして周囲の度肝を抜いてくれるが、それでも己の立場を理解していないわけでもないのだ。

 セレクが自らの義務を果たし続ける限り、ジュリアスはセレクに従い続ける覚悟は決めている。

「まあいい、それから考えねばならんのは、アルカンジェル将軍の動向だ。どれほどこの辺の地理を伝えられたか、それも重要になってくる」

 その言葉にジェルマンは横の机から地図を持ち出してくる。

「あの森を使うとは盲点でしたね」

「もはやあの森は不可侵の森ではなくなったと言うことだ」

 その言葉に、ジェルマンも眉をひそめた。

 一定の深さまで入ることを忌避される森は、ある意味防護壁の役割をしていた。

 それを通過されたと言うことはその防護壁が破壊されたことを意味している。

 国境と国内の別の領主地との境界線別のこの領地の守りが消滅したと言うこと。

「これから厄介になりましょうね」

 ジェルマンがしみじみと呟く」

「もう一度、隣の領地との境界線問題を話し合う必要性があるかも知れんな」

 ジュリアスの口調もやや沈みがちだ。

「どうやら、太古の怪物は当に死滅してしまったようですね」

 かつて、森から這い出してきた怪物に、ちょっとした村が全滅したと言う記録もあるが、それも一番新しいもので、五十年は経っている。死滅していたとしてもおかしくはない。

 本来ならば慶賀する事態であるが、その分、警戒せねばならない区域が増え、人手を割かねばならないことになると一概に喜んでばかり入られない。

 もともとその境界線をどうするかで王宮に呼び出されたセレクだったが、この事態に、もう一度この話をむしかえさなくてはならなくなるだろう。

「勘弁してくれ」

 それに伴う。もろもろの雑用に目の前が暗くなる。

「そうできたらいいですね」

 ジェルマンが薄暗く笑う。

「どんなに面倒くさい雑用を山と積まれても、寝るまもなく書類を書く羽目になったとしても、ここで生き残れないことを考えたらどうでもいい」

 妙にしみじみとした声音に、ジュリアスも頷いた。

「そうだな、生き延びて、酷い目にあうか、たとえそうなったとしても、死ぬよりはましだ」

 二人は顔を見合わせて少し笑った。


 砦では急ピッチで迎撃体制が固められた。

 数人の兵士に、樵や猟師の格好をさせて、進軍の様子を探らせる手はずも整えられつつあった。

 基本的に、この領地で生まれ育ったものが多いので、その人選には困らなかった。

 セレクの治世は安定しており、領民も群に対して従順だった。

 両軍の衝突場所になる可能性の高い場所をピックアップし、その周辺の住民の避難誘導も行われた。

 まず足手まといの住民を追っ払え。セレクの日頃からの言い分だが、戦場になるかもしれない場所にそのままとどまりたいと思う人間もさほどいないので、避難自体はスムーズに進んだ。

 そして、砦に篭城戦に備えて保存食料が運び込まれる。

 馬や武器庫の点検。

 軍備のすべての権限はほとんどジュリアスに委任されていたのでスムーズにそれらの準備は進められた。

 ジェルマンは鳥舎近くの小部屋に籠って、定期的に戻ってきた鳥の足輪を確認していた。


 大量の鳥を飼うその場所は異臭がこもっていたが、ジュリアスは気に留めた風もない。

 実際気にしていなかった。

 長距離から、最速で情報を発信してくれるピジョンを彼は愛していた。

 最低でも異臭のことを忘れさせてもらえるほど。

 紙片に書かれた暗号を、暗号集と照らし合わせながら清書していく。

 発信された場所ごとに足輪の色を変えてあるので、その清書とテーブルに広げられた大陸地図を照らし合わせる。

 時折、指で特定の場所をなぞりながらテーブルに肘を突いて考え込む。

 清書した情報と、今までの情報を照らし合わせる作業を始める。

 様々な国家間の思惑、おそらくカーヴァンクル一国で済む問題ではないかもしれない。

 そして、自分も暗号集片手に発信用の手紙をしたため始めた。

「この手紙を発信するときは今じゃない、セレクが戻ってきたときだ」

 そう言って、書き上げた手紙を撫でる。

「この手紙を無事発信できる、そう信じていいですね、大公殿下」

 窓の向こうおそらく課の大公殿下のいるであろう方向に向かってジェルマンはそう語りかけた。


 砦の周囲から漣のように、緊迫した空気が広がっていく。砦近くの住民は、食料持参で、砦に匿ってもらうための話し合いもなされた。

 そして食料持参、勤労奉仕で話が付いた。

 遠く離れた場所に逃げようとするものはいなかった。生活の基盤から離れた場所で生きてくと言うことに不安を感じているということもあっただろう。

 しかし、それ以外にもセレクとその臣下達への信頼もまた厚かった。

 だから逃げるにしても必要最低限、必ず戻ってこられると信じて。

 もちろん、砦の中のことなど知らないため、当のセレクが、今現在砦の中にいないと言うことは、知られていなかった。

 砦の運用は、半分以上ジュリアスに丸投げしていたことも大きかったかもしれないが。

 彼らはただ無心に、セレク大公とその臣下達を信じていた。

 善政をしく領主であれば、盲目的に信頼する、それしか彼らにできることはなかったから。

 そして、砦の上層部にいる全員が、それを裏切ったときの反動の恐ろしさを骨身に染みるほど理解していた。


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