第四章 巡りあい、探り合い
アルカンジェルは、馬車の窓から、外を見ていた。
司会には一面、人の頭ばかりが見えた。
「なあ、降りてもいいか」
脇に控えている。侍従に沿う提案してみる。
「いいわけないでしょう」
一瞬のためらいもなく却下され、思わず地位ってなんだろうと遠い目をしたくなった。
「少しぐらい羽を伸ばしたいという希望も許されないのか」
「これは行軍です、伸ばしたかったら終わってから伸ばしてください」
「お前ら、俺とサージェントとどっちが偉いと思っているんだ」
つい恫喝する口調になったが、サージェントに鍛えられた侍従はびくともせずに。
「貴方のほうが、地位は上だという事は、存じております、それに見合った態度をとってくだされば、私どもとしても、何もいうことはありません」
恫喝を嫌味で返されて、なんだかますます職場で肩身が狭くなっていく気がした。
「それに、動いている馬車からどうやって降りるつもりですか、まさか貴方が馬車から降りる間、行軍を止めろと?」
「そんなわけないだろう、せいぜい馬は並足だ、これくらいなら十分飛び降りられる」
「将軍として扱ってほしいなら、将軍らしい行動と言動を撮ってください」
少年侍従の雷が落ちた。
さっきまで転がっていた巨大クッションに不貞寝の格好でひっくり返る。
「拗ねたって可愛くないことぐらいご自分でもお分かりでしょう? あと少ししたら小休止ですので、その時は、しばらくで歩いてもかまいませんよ、ただし、制限時間つきですが」
てきぱきとした物言いが小気味いい。もう少ししたら有能な仕官になるかもしれない。
しかし、今のアルカンジェルにとっては、サージェントの回し者だった。
「サージェントと、交代だな」
サージェントは、今騎馬で、従軍娼婦達の傍を進んでいる。
従軍娼婦という職種ゆえにめったなものは近づけるのは危険と判断したからだ。
実際、刺客が潜んでいるとしたら一番ありそうな場所だ。
そして、彼女達の職種ゆえに、女性仕官だけに彼女らに近づく仕事をさせたら、それはそれで揉め事の種になるのだ。
何しろ商売がかかっている。だからそれなりに上級将校のサージェントがわざわざ見せ餌の役割を買って出たということだ。
今頃さぞかし黄色い悲鳴を上げさせているだろうと、無駄な努力をする彼女達に同情しながら、馬車の天井を眺める。
小休止したら、昼食の時間だ。こうなると食事だけが楽しみだな、と、うんざりした気分になった。
少々広い野原で、食事のための火を熾す。
延焼を防ぐために、まず周辺の草を刈ってから、その辺に落ちている石を拾って小規模な竈を作り、それで湯を沸かす。
その湯を飲みながら、乾パンをかじるのが一般兵士達の食事だ。
もちろん自腹で、干し果物や干し肉を持ち込んでいるものも多いが、自腹なのでちびちびと少しずつ食べる。
上級士官ともなると、お湯がお茶に変わる。
基本的に贅沢は敵な食事風景だ。
早速、アルカンジェルはずっと閉じ篭りっぱなしだった馬車を出て、適当に野原を散策し始めた。
刈り取った草を、馬の前においておくもの、馬車に油を注したり、故障箇所の点検を行っている者、休憩時間とはいえ、仕事のある者は忙しい。
馬から下りて、布で馬の汗を拭いてやっている女性士官達に近づいた。
「アルカンジェル様」
振り返ったリュシーがすかさず敬礼をした。
他の女性士官達もワンテンポ遅れて敬礼する。
それに軽く返すと、アルカンジェルは、背後から殺気にも似た気配に振り返った。
従軍娼婦達が、獲物を見る肉食獣の目でアルカンジェルを見つめていた。
背筋に冷たい汗が流れたが、表情には極力のせないよう、歯を食いしばって平静を保つ。
そして、ゆっくりと少しずつ少しずつその場を離れようとする、その時唐突に罵声を上げたものがいた。
「ふざけんじゃないわよ」
その言葉と同時に、切り裂くような鋭い音がした。
電光石火の平手打ちだった。
アルカンジェルが、その方向を見ると、やや背の高い少女の姿が見えた。
そして、その少女を取り囲む三人の男達。
おそらくその中の一人が張り倒されたのだろう。
「おい、従軍娼婦だろう、買ってやるって言ってんだ」
「元、だと言ったんだ、売る気はない、とっととうせろ」
少女にしてやや低いどすの聞いた声だった。
「おい、ひとの好意を無にしようってのか、どうせ金に困ってるくせに」
「人の金だ、あんたには関係ない」
会話の流れからすると、少女に男が三人がかりで絡んでいるようだ。
いかにも面倒くさそうにアルカンジェルはため息をついた。
「その辺にしておけ、それにだ、断られたんなら、さっさと諦めて、他を当たれ、従軍娼婦はあっちにもたくさんいる、商売換えした相手に絡むな」
そう言って、そちらに近づく。
あまり威厳のない顔立ちはともかくとして、とにかく図体はずば抜けて大きい。
少女に絡むのも三人がかりな男達が思いっきりのけぞった。
「お前達は俺達の好意でこれについてくるのを許されているんだ、それを忘れて揉め事を起こすというのならとっとと離れてもらうぞ」
そういい終わる前に男達はそそくさとその場を離れた。
振り返った少女は、怪訝そうな顔で、アルカンジェルを見た。
長い黒髪を後ろでまとめ、生成りの織り目の粗い布を額から左目を覆い隠すように結んでいた。
年頃はもうすぐ二十になるかというところ、そしてその顔立ちは際立って美しかった。
大きな切れ長の黒い瞳、小作りな鼻と唇が綺麗な卵形の輪郭におさまっている。
他に女はいるのに、この少女に執拗に言い寄ったのもこの美貌ゆえだろう。
しかし、ほっそりとした身体つきはやや凹凸に乏しく痩せぎすと言ってもよく、その魅力は大いにそがれていた。しかし、それさえ気にしなければ、奮いつきたくなる美人。アルカンジェルはそう無表情に観察した。
「大丈夫かな、お嬢さん」
少し凝視してしまったことをごまかすように咳払いしつつ、少女に声をかける。
少々戸惑い気味ながら、少女は頷いた。
「名前は?」
「アルマ」
そう言って、足元においてあった頭陀袋を持ち上げる。
「助けてくださり、ありがとうございます」
おずおずと頭を下げる。
どこか、おびえたような態度に、アルカンジェルは少し違和感を覚えた。
殺気までのいかにも荒々しい啖呵の切り方と、今の、どこかおじけた様子はあまりに落差が激しくて。
かなりの腕力と思われる、あの張り手の持ち主とは思えない。
そこまで萎縮されるほど、自分の顔は怖いんだろうかと思わず、自分の顔を撫でてみる。
しかし、とても将軍とは思えないだの、副官が将軍かと思っただのと言われる、いかにも凡庸そうな顔立ちに変化は見られない。
「あのな、そのようにかしこまられると、こちらも少々困るのだが」
そう言って少女に近づく。
アルマと名乗った少女はうつむいた顔を上げて、かすかに笑った。
「ごめんなさい、でも、さっき聞こえたの、おじさん、将軍様でしょう?」
おじさんという呼称が、臓腑をえぐったが、あえて、それには触れないようにする。
「まあ、将軍様とは言わんでもいいが、おじさんはやめてくれ、お前より小さい子供になら、言われても仕方がないという自覚はあるが、お前ぐらいの年の娘に言われると少し、堪える」
本気で嫌そうに顔をしかめる様子にアルマはくすくすと笑う。
「本当なら、お礼に、ただでもいいと言うところだけど、もう商売はやめたもので、それでは、お礼に払えるものがないんですが」
「いや、いらん気を回さんでもいい。そんなつもりで助けたわけじゃない。それにあいつらは、要注意人物として、俺の部下に目を付けられたはずだから、もう絡まれる心配はしないでいいぞ」
そう言って、背後の女性士官達を親指で注して見せた。
「そのための見張り役なんだ」
片手を額にかざして女性士官達を観察する。
女性士官達も、今アルカンジェルとアルマを何事かと、遠巻きに眺めている。
「しかし、引退した従軍娼婦のわりにずいぶん若いな」
二十歳前と言う、成りたてでもおかしくない年齢にいぶかしげな顔をする。
アルマは額に結んだ白い布を指先で弄ぶ。
「片目をやられたの、さすがに、戦場で、これは危険すぎるでしょう?」
思わず、布で覆われた左目を凝視してしまう。
「流れ矢にでも当たったか」
「そんなとこ、まあ、命が合っただけでめっけもの」
寂しげな笑みを浮かべた少女に、いったいどうしてそんな危険な職業を選んだものかと疑問に思う。
「あ、あたしぐらいの器量だと、街の娼館にいけばいいとか思ったでしょう。だめだめ、ああいうとこは元締めが、半分ぐらいは稼ぎを持っていくんだ、いや、半分ですめば御の字、いつの間にかわけの分からない借金まで付けられて、死ぬまで飼い殺しになることも珍しくはないんだよ」
陰鬱なかげりを少女の顔に見出し、アルカンジェルはたじろいだ。
「その点、従軍娼婦なら、すべて自前だし、戦場まで、元締めになろうっていう根性の坐った男は、今のところいないし」
アルマはますますうなだれてしまう。
「すまん、悪いことを聞いた」
慌てて少女を宥めると、少女は、小さくかぶりを振った。
「これから郷里に帰るところなの、あんまり稼げないうちに商売替えしなけりゃならなくなって、これからどうしようかと思ってるとこ」
そう言って顔を上げて笑う。
「大丈夫、かつかつでも野良仕事ぐらいはあるし、まったく稼げなかったわけじゃないし」
なんとなくうなだれてしまったアルカンジェルを今度は少女が慰めようとする。
「いや、すまん、かえって気を使わせてしまった」
ぽんぽんと黒々とした頭を叩く。
「それじゃあ、気をつけて家に帰れよ」
そう言って馬車に戻る。戻った先には、乾パンとお茶と、干し果物の昼食が用意して会った。
「すまん、遅くなった」
「かまいません、様子は見ていたものに聞きました。しかし、そんなに美人だったんですか?」
「確かに美人ではあったが、それが理由ではないぞ」
憮然としてお茶に乾パンを放り込む。
「それはそれで、うまくいきそうですか」
「いつの間にそういう話に?あの短時間でどう尾ひれが付けばそうなるんだ」
思わずアルカンジェルは唸る。
「どのみち、顔を傷物になったそうだし、その方面では諦めているんじゃないか」
布で覆われたその内側にどんな無残な傷があるのか、うかがい知れない。
そして、それには触れてはならない。いくら朴念仁名アルカンジェルだとしてもその程度の判断は付く
「まあ、なんとなくだが、お前の手に負えなさそうなお嬢さんに思えたがな」
アルマの、あの小気味いい平手打ちの音を思い出して苦笑する。
あの三人に取り囲まれても、冷たい眼差しは揺るがなかった。いったいどこの戦場を回ったものやらと、心配になるくらいだ。
「とりあえず、上官には報告しておきます」
「おい、何の話だ」
「サージェント閣下に、アルカンジェル将軍閣下は、民間人グループの見目麗しい女性にちょっかいをかけたと」
淡々と続けられた言葉にアルカンジェルの顔色が変わる。
「ちょっと待て、俺は不埒な奴から気の毒な娘さんをかばっただけだぞ、それと、美醜に関しては、終わった後に気づいたんだ」
「将軍にあるまじき観察力のなさですね」
いらないことを言った侍従に軽く鉄拳制裁を加えて、しみじみと呟く。
「俺の部下達全部が、サージェントのほうを偉いと思っているんなら、俺はいつでも将軍職を譲ってやる」
朝、朝食をとって、さあこれから進軍を始めようとしたその時、早馬の使者がアルカンジェルの元に辿りついた。
朝のお茶を啜っている状態でその知らせを聞いたアルカンジェルは、茶碗をもてあそびながら、憔悴した使者に相対した。
早馬の使者とは、文字通り、馬を駆って伝令を勤める役人だ。
一定の距離ごとに替え馬を用意し、それを乗り継いで最速で指令を伝える。
とはいえ、最低限の休息しか伝令を伝え終わるまでとることが許されない。
そのため、距離によっては相当の重労働を強いられる。
恭しく掲げられた書面を受け取ると、そのまま座り込んでしまう。
「ご苦労だった」
彼の精勤と努力は評価する、しかし、書面の内容が、自分にとって快いものではないとアルカンジェルは確信していた。
その場にいた部下達に命じて、使者を下がらせると、いかにもいやいやと言う風に封筒を開いた。
使者を適当な休憩場所に案内して戻ってきたサージェントも、アルカンジェルの手元を覗き込む。
「セレク大公が、行方不明ですか」
「ああ、どうやら自分の領地に戻る途中で足取りがぱったりと途絶えたようだ」
セレク大公は、秘密裏な情報網を駆使して、カーヴァンクルの不穏な情勢を察知し、領地へと戻ろうとしたらしい。
しかし、ある特定の地点から、その足取りは完全に消えて、それらしい人間を見たという目撃情報すらない。
「まさか、消されちまった訳じゃあるまい」
「それも内容です、ドール上層部が血眼になって探しているらしいのですが、行方がつかめないとか」
「となると、確信犯で足取りを隠した可能性が高いな」
「おそらくは、そうでしょう」
アルカンジェルはため息をついた。
「セレクは間に合うかな」
「間に合う自信はあるのでしょうね」
セレクは自分達を出し抜いて、自らの領土に辿り付くつもりなのだろう。
「どういう道筋を通るつもりか」
「あるいは、変装をしているのかもしれませんね」
小さく眉根を寄せて考える。
「しかし、俺達はセレクの顔を知らんからな、変装以前にそのままのセレクが目の前を通っても気が付かないだろう」
「分かっている情報は、資料に入れてあったはずですが」
サージェントの視線が冷たくなる。
「しかし、相手がどういう顔をしているかなんて、戦いに関係あるか?
「ないかもしれませんが、何であれ、頭に入れておいて悪いことはないでしょう」
そう言って、所だの隅にまとめられていた封筒を取り出す。
「確か、セレク大公を遠目に見たことのある者に似顔絵を書かせたものがあったはずです」
そう言って髪を繰り問題の似顔絵を取り出す。アルカンジェルはその絵を広げてしばらくそのままの姿勢で固まった。
「かろうじて、細面だと言うことは分かるな」
その似顔絵は、見事に顔の特徴と言うものが一切書き表されていない、可もなく不可もなくという顔が描き出されていた。
「この絵で、個人を特定しろって言われてもな」
「遠目に見た、うろ覚えを無理矢理絵にしただけですからね、そんなものでしょう」
サージェントがいなす。
「これは見ても見なくても変わらないだろう」
「そんなことありません、最大の特徴は書き込まれているではありませんか」
そう言って、似顔絵の目を指差す。
セレクの右目が欠落していた。
「これは面倒くさいので書かなかったのではなく本当に片目がないのか?」
「何で、仮にも公式書類に添付する似顔絵で。そんなことをするんですか」
呆れたようにサージェントは答えた。
「常に眼帯で左目を隠しているそうです。残る左目は珍しい紫色だと言うことなのでかなり目立つ特徴ですね」
「その特徴に目を奪われて。他の特徴に目がいかなかったということか?」
「それもあるかもしれません」
ふと、昨日会った少女のことを思い出した。
「どうしました」
「いや、最近隻眼に縁があるなと思っただけだ」
そう苦笑しつつこたえるとサージェントが身を乗り出した。
「隻眼の人間がいたんですか?」
「落ち着け、いることはいたが、なかったのは左目だ」
そういわれて思わず乗り出したサージェントは慌てて威儀をつくろった。
「脅かさないでください、隻眼は、まったくいないわけではないが、そういるものではないのですから」
「言い忘れていたが、その右目は真っ黒だったよ」
「もういいです、とにかく、それ以外の隻眼はいなかったんですか?」
「それこそ、イリスやカタリナやリュシー達に聞けよ、そのために監視させているんだろう」
「報告に来たら、問いただします」
憮然とサージェントは答える。
少し、からかいすぎたかと数秒反省したが、そのままアルカンジェルは、書類を片付け始めた。
リュシーは困惑していた。
昨日まではレース編みだったものが、どうして今こんな糸の塊になっているのだろうかと。
昨日編みかけのまま袋に詰めておいたそれが、今は完全にもつれて、団子になってしまっている。
残りのすでに仕上げてあったものは無事で、作りかけの一枚だけの被害だった。
これをやったのは言うまでもなく一人しかいない。
もともと勤務中に内職をしていたのはリュシーが悪い。
上司として、制裁は当然の権利と義務だと分かっている。
しかし、それなら最初から口で言ってくれればいいのに。作りかけの労作を破壊するという陰険なことをしなくても。
思わず出てしまいそうな愚痴を必死で押し留める。
素知らぬ顔で、アイーダはリュシーのもってきた干し果物と、パンケーキの食事を取っている。
アイーダは、乾パンが嫌いと放言し、しかし、旅団の生活でわざわざ新しいパンを焼くことが困難なため、わざわざリュシーが粉をこねて薄焼きのパンケーキを焼く習慣になっている。
こんなにもまじめに職務に励む自分が趣味の内職をすることすら許さないのかと。ややさかうらみな思考に陥る。
食後のお茶を飲み干したのを確認すると、リュシーは食器を片付けて、もつれた糸玉になってしまったそれも取り上げる。
ここまでもつれてしまえば、もったいないが廃棄処分にせざるを得ない。
実際のアイーダはかなり居心地の悪い思いをしていたのだ。
たとえそれがまったく表情に表れていなくとも。
見よう見まねで、おそらくやり方は覚えたと思っていたのだ。
しかし、順調に言っていたのは、わずか三目までだった。そこから混乱が生じ、それをリカバリーしようと悪あがきのはてに、気が付いたらそれはレース編みではなく糸の塊になっていた。
レース編みからどこをどうやればあそこまでの塊にすることができるのか、いっそ自分に感動しそうになる。
魔女としては、同期の者たちからは屈指の腕前と言われていたが、自分は実のとてつもない不器用だったのだ。
今までそれを自覚するような事態に陥ったことがないだけに、それは深刻な落ち込みに見舞われ、謝ることもできなかった。
帰ってきたら謝るべきか、しかし誤る時期は過ぎてしまったのでは。
そう無表情に煩悶していたアイーダに気づくことなくリュシーは食器を片付けて、そのまま馬車の壁の隅に坐る。
無言でそのまま坐り続ける。
いつもどおり、袋から道具を取り出すこともなく。
そのまま二人は居心地の悪い沈黙の中、一日を過ごすことになった。
サージェントは念のためアルカンジェルのいった隻眼の人物を探すことにした。
もしかしたらと言うこともある。
アルカンジェルが右と左を間違えている可能性をサージェントは否定する気はなかった。
有事の時でなければそのくらいのうっかりミスをやりかねない人間だと確信していたからだ。
しかし、昨日の事を覚えていた人間に詳しい話を聞いて、落胆交じりの安堵を覚えた。
その人物の性別が女性だと聞いたからだ。
最初に女性だと言わなかったアルカンジェルが一番悪いが。
それでも好奇心から、その相手を探してみると、程なく背の高い少女を見つけた。
長い黒髪を首の後ろでくくった顔に布を巻いて左目を隠した少女。
その瞳が、間違いなく漆黒であるのも確かめた。
少女は居心地の悪そうにサージェントを見た。
確かに際立って美しい少女だった。
切れ長な涼しげな目が悩ましい。思わず絡んだ連中の気持ちもわからないではないが。やはり、揉め事は極力避けてほしいと思う。
「ええと、私別に何もしていませんよね」
引きつった笑顔で少女はそう応対する。
「ああ、別にこちらの都合だ。ものすごい美人にあったと、うちの上司が言っていたので見物に」
「見物」
その言葉に少女はそのままうなだれてしまう。
「すまん、もしかして気にしたのか」
「いえ、でももしかして問題があるのかって目を付けられたのかもって思ってしまって、私、ただ家に帰りたいだけなのに」
うっすらと涙ぐんでさえ見せる少女に、わざとサージェントは慌てたように笑いかけた。
「ごめん、怖がらせるつもりじゃなかったんだ。ただ、うちの上司はあんまり浮いた噂がなくてね、それがちょっと可愛い女の子の話をしたものだから、少しだけ好奇心が湧いただけだよ」
ニコニコと笑って、少女の警戒心を解こうとする。
少女は上目遣いに、不審を隠そうともしない目を向けてくる。
ずいぶんと警戒心の強い娘だと。心中で舌打ちをする。
むっつりと黙り込んだ少女と、無言で張り付いた笑みを浮かべたまま相対し続ける。
胃が痛くなるような沈黙が続いた。
「サージェント様。アルカンジェル様ならともかく、何貴方がサボっているんですか」
上官に対しても遠慮会釈ない言葉が、背後から叩きつけられた。
不機嫌そのものと言った顔のリュシーだ。
「お前こそ何をしているんだ」
「後片付けですけど」
いつになく口調がとげとげしい。アイーダと何かあったか。
リュシーの様子を見ると、できる限り係わり合いにならないほうがいいと判断する。
闖入してきたリュシーに、いまいち付いていけない様子の少女に一礼すると、慌てて持ち場に戻った。
「何なんだかいったい」
少女の口調はどこまでも苦々しかった。
少女アルマは忌々しそうに、馬車を睨んだ。
馬車の中には軍団の幹部が乗っている。
あの時、おせっかいにもアルマに関わらなければ、こんな風に悪目立ちすることもなかったのに。
さらには他の軍幹部もアルマに目をつけたような態度をとる。
あのサージェントと呼ばれた男、何かを探りにきたのだ。それは間違いがない。
もちろん一番悪いのは最初に絡んできた男達だ。
もし、もう一度こちらによってきたら今度は張り倒すだけで済ませるものか。
足腰立たなくなるまで叩きのめしてやる。
アルマは拳を握り締めて誓った。
かさつき埃にまみれた生成りの旅装束には、隠しどころがいくつか仕込んであり、その中に路銀や小ぶりな小道具などが仕込んである。
そして、紐をがっちりと縫いつけた麻の袋を背負い。動き出した旅団の傍らをアルマはゆっくりとついて行った。
単調にただ進むだけの日々、それでもゆっくりと来る日は近づいていた。
最初のときにアルマに絡んだ男達は、他でもあちこちで難癖をつけて歩き、とうとう兵士達に取り押さえられて懲罰を受けた。
十人単位の兵士達に取り囲まれて、槍の持ち手で打ち据えられるのを、アルマは無感動な目で見ていた。
その周囲にいる旅人達は一様におびえた目でその光景を見ていた。
騒ぎを起こしたらこうなると言う見せしめとアルマは判断した。
従軍娼婦を除けば、旅人達の中で、女は極端に少ない。
仲でもアルマはその容姿で悪目立ちする。
だからああいう輩が懲罰を受けるのはアルマにとって都合が良かった。
だが、血を流して呻く男達を無感動な目で見下ろす少女の姿に周囲は困惑と恐怖の視線を送っているのには気付かなかった。
それらを綺麗に無視して小休止中。アルマは、干し果物と水の軽食を取っていた。
「ああ、ついにやられたか」
不意に聞こえてきた声にアルマは思わず喉を詰まらせそうになった。
いつの間にかアルカンジェルの巨体がすぐ真後ろにあった。
「脅かさないでよ」
慌てて口の中の物を飲み込んでからそう苦情を申し立てる。
この男は、巨体にもかかわらず奇妙なくらい存在感がない。
まさか真後ろに立たれるまでまったく気が付かなかったとは。
冷たい汗がアルマの背中を伝った。
「ああ悪い、声をかければよかった」
のんきな口調でそう謝られれば、それ以上言い募ることもできない。
正面から見れば、ずいぶんと存在感のある男なのだが、視界から少しでも外れると、どこにいるのか分からなくなる。どこかあやふやな気配。
掴みどころのないという形容詞の例題として使えそうだとさえ思う。
そんな少女の胡乱な視線をものともせず。男は目の前の光景を見ていた。
そこには先ほど懲罰を食らった男達がしゃがみこんでいた。
散々小突き回されて傷ついた額に薄汚れた布を巻き、その血は早くもどす黒い色に変色を始めている。
その顔も長旅で薄汚れているのか打撲の跡かなんとも汚らしい色に染まり、力なくへたり込んでいる様は惨めの一言に尽きた。
「そちらの指示ではないの」
「いや、現場の判断だろう」
やれやれとため息をつく。
「よっぽどのことがない限りむやみなまねはするなといっておいたんだが」
「みんなとうとうかって顔してたから、よっぽどのことって判断したんじゃない」
アルマは気のない顔で受け答えしてやる。
「それはそうと、司令官てそんなに暇なの」
「暇だよ」
あっさり答えられて毒気を抜かれる。
「副官が有能でね、俺が寝ていても勝手にことを進めておいてくれる。おかげで俺は暇でしょうがない」
「副官ね」
この男と入れ違いに自分を探りに来た、こけた頬のどこか油断ならない光を放つ目をした男のことだろう。
あの笑顔は不気味だった。
思わずアルマは両手でわが身を抱きしめた。
懐柔しようと笑っているのだろうが、あいにくそれに向いた顔立ちと言うか、目が怖いので、笑っていたとしても恫喝しているような気配を感じる。
それにアルマの顔を見に来たのは自分でも言っているように、アルマが美人だからと言ういかにも見え見えの建前ではなく。念のため不審人物に探りを入れにきたのだろう。
「そういえば、美人だ美人だって言って歩いてるんだって」
「何のことだ?」
怪訝そうにアルカンジェルが問い返した。
その顔を見てやっぱり嘘かと確信する。適当な口実で自分の事を探りにきたのだ。
掴みどころのないアルカンジェル。いかにも怜悧な印象のサージェント。どういうコンビなのか理解に苦しむ。
アルマは自分達の進行方向をぼんやりと眺めた。
「もうすぐ、国境を越えるな、気の毒だが、その間、我々の傍を離れられなくなるな」
アルカンジェルが呟く。
正式な国境の道を軍隊が通るわけにはいかない。
当然裏道を行くことになる。そして、その間、付いてきた旅人達は兵士達の監視下に置かれる。
ドール王国側の国境警備隊に、密告されては困るからだ。
国境警備隊から十分に離れるまで、監視下に置かれる。
それぐらいは想定の範囲内だったので、いまさらな気がした。
「ま、それぐらいはわかっているけどね、一応従軍娼婦だった女にわざわざそんな当たり前のこと言わなくても」
苦笑めいた呟きにアルカンジェルは決まり悪げに後頭部を掻く。
「しかし、何で従軍娼婦なんだ」
「街の娼婦は、搾取されるって言ったでしょ」
「従軍娼婦は命がけだぞ」
搾取するものすら命には代えられないと近づかない、そんな場所にどうしてわざわざ来るのか、アルカンジェルはずっと疑問に思っていた。
「街の娼婦は、髪を切られ、逃げられないように監視されているけど、従軍娼婦なら、やりたいときにやって、やめたいときにやめられる。それに、従軍娼婦は、経歴に傷が付かないからね」
事実、街の娼婦だった女は、一生その過去が付いて回る。従軍娼婦は、その過去で差別されることが、街の娼婦より少ない。
「やめたいときにやめられるか」
アルカンジェルはため息をついた。
「確かに、それは魅力的だな」
「なんか、あったの」
「いや、俺もそうできればよかったと思うだけだ」
あらぬ方向を見て、うつろに呟くその様子にアルマは戸惑う。
「俺もこんな戦争、やりたくなかったんだよな」
「上からの命令だから?」
アルマの素朴な問いに、アルカンジェルはかぶりを振る。
「公金横領しやがったアホの従兄弟が汚した一族の名誉をあがなうためだ」
その言葉には隠し切れない怨念がこもっていた。
「一族の名誉?ええと、従兄弟さんの助命を頼むため?」
アルカンジェルは唇を吊り上げるだけの笑みを浮かべた。
「奴の命なんぞいらん。奴の命で一族の名誉が購えるのなら、俺は喜んで奴の首を刎ねる」
目が笑っていない。おそらく本気で、従兄弟の抹殺を考えたのだろう。
「しかし、何もしていない一族の長老が、監督不行き届きで、懲罰を受けそうになってな、俺が何もしなかったら確実にそうなるだろう」
アルカンジェルの顔から、仮初の笑みが消える。
「うちの一族はあのご老人で持っているようなものだ。いや、大恩あるあのご老人を見殺しになどできる筈もない」
そこまで言ってアルマの頭を撫でる。
「悪い。お前には関係のない話だ。辛気臭い話を聞かせて悪かった」
かなり困惑した顔で、アルマは上目遣いにアルカンジェルを見る。
「爺さんを助けるために、来たの」
「爺さんを助けることで、何人かの身内も助かるんだ」
アルカンジェルはそう言って再び行く手を見つめた。
「これは戦争だよ、助かる誰かの変わりに、誰も死なないなんてありえない」
ぽんぽんとアルマの頭を軽く叩きながら、アルカンジェルはそうだなと笑って答えた。
適当な草原で、枯れ草を敷いた上に坐って眠る。
幸い、凍死するほど寒い季節ではない。
仲間と連れ立っている旅人達は寄り添い、互いの体温で段を取りながら眠る。
彼は、目を細め、様子をうかがう。
指揮官クラスの起居している馬車を。そして巡回している下級兵士達。
彼は時を待っていた。動くべき時を。目深にかぶったフードつきのマントを引き下げて、目を閉じた。
時は今ではない。その日まで、怪しまれることは許されない。
かの砦に近づいたとき。それが彼の行動を起こす時。
それまでは、誰にも気づかれてはならない。気づかせてはならない。
冷たい月の光が、彼と、彼がまぎれている旅人達を照らす。
この軍団に同行してからの習慣。眠る前に、馬車の位置を確認する作業を終えると、彼は眠りに付いた。
アルカンジェルは自分の馬車の窓から外の様子を伺っていた。
「お前は、あの中にすでに侵入者がいると思うか?」
「考えるまでもないでしょう。セレク大公が、われわれの聞いた噂の半分でも有能で有望な人物であれば、すでに手を打っていると考えるべきです」
副官の言葉にアルカンジェルはさらに闇に目を凝らす。
「炙り出す方法はあるかな」
「難しいかと」
今は動くべき時ではない。もし、妨害工作のため潜り込んだ者が最低限の頭を持っていれば、そう判断するだろう。
そしてすでに、旅人が集まり始めて十日を数える。最低限以下の頭の持ち主ならとっとと行動を起こしているはずだ。
「なんか騒ぎを起こしてくれんもんかな」
「期待するだけ無駄でしょう。それに騒ぎを起こしたとしても、それで捕まった奴らが囮になって、本命が残るという事態もありえます」
「ああ、捕まった捕まったと安心させて背後からドカンとってわけだ」
顔を覆って虚しく笑う。
「怪しそうな連中は兵士達が見張っているのですが、本物の侵入者が早々怪しそうな態度をとるとも思えませんしね」
細かいことに気づきやすいのは女性仕官だ。しかし、連日旅人達に張り付いていられるわけもなく。
その上とうとう女性仕官に絡んだ命知らずまで出た。
彼女らが軍人だとわかっていないのだろうか。それに、本当に怪しい人間は彼女達の網にもかかっていない。完全に手詰まりになってしまった。
「後手後手になるが、動いたら間髪いれずに叩くくらいしか取れる手はないな」
「それしかないでしょうが、間に合うかどうかが問題ですね」
辛気臭く。代の男二人が向かい合ってため息を付く。
「そういえば、セレク大公はどうなったんだ」
「いまだ行方不明のままですよ」
「まだ見つからないか」
「普通早々見つかりません」
見つかったとしても、アルカンジェルのところまで連絡が来るのはさらに後になる。
「外部連絡が伝令だけと言うのは本当に不便ですね」
「そうだな、おそらくこのまま国境を越えたら、本国との連絡は完全に途絶えるだろうな」
アルカンジェルもそう言って夜の闇に目を凝らす。
「だが、早々こちらの居所がわかってもそれはそれで困るな」
それでもかすかな情報をかぎつけて、現在張り付いている旅人達を見下ろしながら呟く。
「いったいどういうルートで流れてるんだろうな」
「一度調べてみますか」
「今度があればな」
アルカンジェルは苦く笑う。
アルカンジェルが次に進軍する日はおそらく来ない。
この作戦はアルカンジェルの命運を立つために行われているからだ。
「誰も犠牲にしないなんてできないよな、俺達にできるのは、犠牲になるのが、親しい誰かでないように悪足掻きすることだけだ」
「あるいは自分自身でないように」
サージェントの言葉に少々呆れ帰る。
「お前が、俺に行くようにいったんだと思ったがな、もう決まったんだからと」
「何を言ってるんです、本決まりになる前に一足掻きぐらいしたらどうだと呆れるぐらいあっさりと諦めたのはそちらでしょう。もし、その一足掻きがあれば、なんとしてもこの顛末を覆そうと私も努力したんですよ」
恨みがましくサージェントはアルカンジェルを詰った。
そういわれてもだ。あの状況をどうやってひっくり返せばいいのかそれはアルカンジェルの思考のほかだった。
どのみち、彼は軍人、出撃命令には逆らえないと脳裏に染み付いているのかもしれない。
「もうじき、国境を越えるんだな」
「地図上では約三日後を予定しています」
サージェントが、今までの通行ルートを確認しつつ答えた。
地図に書き込まれた通行ルート。
それにはこれまで進んだ道のりが日付とともに書き込まれていた。
「大体、一日の進む速度を計算すると、ですが」
書面を覗き込んでそう付け足した。
「俺達が通行不可能な道は用意してないさどうしたって例の砦に攻め込んでほしいはずだ」
考えるのも馬鹿馬鹿しいが、そもそもの発端が、わざわざ自国に隣国の軍隊を引き込んでまでして、自国の王族に攻撃を加えたいと言う。身勝手極まりない考えなしなのだ。
「もっとも、さして確かめもせず、通れるはずと不確かな情報を渡した可能性もあるがな」
十分にありえると頷いた。
「斥候を先導で出しますか」
その提案に、部下の招待長達の顔ぶれを思い浮かべる。
「念のためやっておくか、一応小部隊一つだ、イズラエルの部隊だな、明日当たり一番で出立させろ。こちらの進行速度は少々緩やかになるように」
「わかりました」
まともな指示であれば、サージェントも忠実に実行する。
馬車の外で待機していた侍従に、イズラエルの元まで伝令を命じた。
「それはそうと、リュシーとアイーダはどうしたんだ」
最近妙に双方の雰囲気が緊迫している。特にリュシーが。
もともと仲睦まじく語り合うと言う関係ではないが。互いが互いを空気のように無視しあうという、どこか不毛な関係がこのところ変化してきている。
お互い同士、ぎすぎすと意識しあっているのだ。
「もし、リュシーがアイーダの相手をやめたいと言い出したら、後任のなり手がいなくなるな」
アルカンジェルがうんざりとした顔で呟く。
「ほうっておけばいいでしょう。リュシーも何も言ってこないんですし、どの道あの二人は仲が良かったわけでもないし、他よりリュシーがましだっただけでしょう。また元に戻りますよ」
サージェントは面倒くさそうにまくし立てた。この問題に立ち入りたくないことは間違いない。
「今は、静観しておくか、触らぬ神に祟りなしだ」
アルカンジェルも、知らなかったふりをすることに決めた。アイーダの性格では、うまくやれる人材はアルカンジェルの配下にはいない。
「とにかく、今は無事ドール王国内に入ることだけ考えよう」