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第二章 誰にとっても不本意な旅立ち

セレクは、その日、アンファンという侍従に小鳥の世話を命じた。

 一抱えほどある鳥籠に、五羽の小鳥が時折はためいて止まり木を飛びあう姿が愛らしい。

 鳥籠の掃除の途中、彼は不注意にもその五羽の小鳥すべてを外に逃がしてしまった。

 今現在、冷たい目で自分を見下ろすセレクからの雷をアンファンは震えながら、座り込んで、待ち受けていた。

「厳罰に処するとは言わない、いくら俺が可愛がっていようが、小鳥は小鳥だ、それを部下より優先するなんてことはありえない。それくらいは分かるよな」

 ものも言えずただコクコクと首を前に振って答える。

「だが、やはり忌々しい、しばらく俺の前に姿を見せるな」

 そう言い捨てられて、小さな顔から血の気が引く。

 アンファンは小柄でただでさえ、同年齢の子供と並んでも、とても同い年には見え何といわれる童顔で、そんな彼が泣きそうな顔でうずくまっている姿は哀れを催すものだった。

 しかし、セレクはそれを黙殺した。

「俺はこのまま領地に戻る、お前は再び俺が王都に来るまで、ここに勤務だ。離宮別宅あたりで働いていろ」

 そのまますすり泣く少年を無視して、足早に立ち去った。

 セレクはそのまま王宮の厩舎に向かう。厩舎では、先に来ていたアルファが馬に、荷物を区つりつけながら主を待っていた。

 来るときは馬車を使っていたが、今となってはそのような時間的余裕などない。馬を駆って少人数で領地に駆けつけなければならない。

「あと少しで終わります」

 馬の腹帯を調整しながらアルファがそう告げた。

「アンファンをおいていく手はずは整えた」

「あのやり方ですか」

 声の調子を落としてそう告げられると、セレクは不機嫌そうに唇を尖らせた。

「仕方ないだろう、あれくらいしか思いつかなかったんだから」

 小鳥を逃がしてしまった罰として、領地に連れ帰らず首都で謹慎。

そういう体裁を整えたセレクは、アンファンならびに他の侍従達の身柄をレイチェルに頼んでおいた。

 少年侍従達は足手まといにしかならないと判断したからだった。

 小鳥はわざと逃がされた。そしてあらかじめにアンファンに言い含めて、自分の失態のようにしろと命じておいた。

 お前達をおいていく理由を詮索されたくないからだ、それだけを言って。

「これからは俺とお前だけで行く。適当に、付いて来るのを撒くぞ」

 そう言って、物陰から彼らをうかがう視線を感じるあたりを横目で睨む。

「わかりました、あなたと渡し、二人だけの作戦ですか」

「そう、機密保持が第一だ」

 軽くうつむいて考え込むしぐさのセレクを宥めるように、頭を撫でてやる。

「いい加減にしろ、もう俺は五歳の餓鬼じゃない」

 少々苛ついている。自覚があるのか、セレクはそう言って唇を噛み締めた。

「これからは俺の命令に服従しろ。領地に戻るまでだ。それまでは何が起きても俺が何をしても何も言うな、誓え」

 唐突な命令に、アルファは一瞬ほうけた顔をしたが、神妙に答えた。

「誓います」

 二人は、荷物を積んだ馬と、自分達の乗る馬、合計三頭の馬を連ねて、王宮を出発した。

 王宮の出口付近には、等身大の銅像が建っていた。

 皇祖ドール。この国のみならず、周辺諸国の歴史に残る人物。

 最初に王国を建国した王。

 そしてその周辺諸国にも子孫が婚姻や養子縁組、派遣という形で関係している。

 セレクは直系子孫ということになっているが、確実に三百年は昔の人物なので、どういう係累になっているのかはいまだに釈然としない。

 その銅像は、何気なく立ち止まった。そんな姿勢で静止している。

 長い髪を背中にたらし、簡素なシャツとズボン、厚手のブーツと、今時の市井の貧しい青年すらもう少しまともな衣服を着ていると言いたくなるぐらい粗末な格好をしている。

 その姿こそが、かつて彼の築いた王国の姿をありありと現していた。

 王自らが鋤や鍬を持ち田畑を耕し、危険な猛獣が畑に侵入してくれば率先して戦った。

 住むところも、木材を適当に組み合わせた雨風がかろうじてしのげるという掘っ立て小屋だったろう。今でこそ偉大なる大王と呼ばれていたとしても。彼自身はさして権力も権限も持っていたわけではなかった。せいぜい小領主ぐらいの土地を支配するささやかな王に過ぎなかった。

 それは古地図でも確かめられることだ。

 それでも、王国という形に人をまとめたことで、わずかでも余剰が生まれ、それが積み重なって、今日の世界がある。

 偉大なる大帝の、それなりに端正な顔をセレクは覗き込んだ。

「繁栄してなければそれで、繁栄すればそれで、どの道苦労の種を背負い込むことになるんだよな、え、ご先祖様」

 話しかけても当然、銅像は答えない。つぶさに眺めて、初めてセレクは銅像があるかなしかの幽かな笑みを浮かべているのに気づいた。

 もともとは木像だったが劣化が激しいので、完全に朽ちてしまわないうちに、銅像に作り変えられたと聞いたことがある。

 生まれる前から建っているその銅像に笑みを刻んだ作者の意図など分からない。分からないなりに、妙に心に落ちるものがあった。

 王宮を出てから振り返る。

それはずいぶんと巨大な建物だと思った。そして、王宮は高台にあったので、眼窩に城下町が一望できた。

 連なる家々と、その中央を貫く商業空間が見えた。

 巨大な城壁で囲まれたその都の向こう、巨大な門の向こうは広大な田園地帯になっている。

さらにその向こうにも国が広がっている。

 古地図に残る、最初のドールの王国から人々は貪欲に広がり、かつての姿はうずもれてしまった。かつての古王国から本当に離れてしまったのだとしみじみ思う。

 いずれ、すべてを我が物に、そう考えて笑ってしまう。

 自分がちっぽけであることぐらい、分かりすぎるほど分かっているのに。


 先ほど、小隊長達が自分達の持ち受けへと去っていってしまった。

 基本的にこんなとき総大将にはさして仕事がない。

 その代わり、副官は忙しく、さっきから姿を見ていない。

 アルカンジェルは、普段の習慣に合わせて読書にふけっていた。

 本日のお気に入りは最近出版されたばかりの詩集だった。

 月を愛でる詩が特に気に入った。

「ずいぶん楽しそうですね」

 目の下に隈を作った副官がようやく現れた。

 机の上の何冊かの本を忌々しげに睨む。

 そのタイトルをざっと見て、実に高尚な美しい文学書であることを悟り、眉間のしわをいっそう深くする。

「優雅なご趣味ですね」

 その短い言葉の内に数千本の針が潜んでいた。

「どうせなら軍務にかかわりのある本を読んでいてください」

「いまさら兵法書を読むような奴に将軍が務まるか」

「せめて仕事をしているふりくらい出来ないんですか」

 部下の苦言をあっさり無視して、アルカンジェルはサージェントを見た。

「疲れてないか」

「誰のせいだと思っているんですか」

 手にしていた書類をきつく握り締めて葉の間から言葉を押し出すように問いただした。

「アイーダはどうした?」

「実際に作戦が始まるまで仕事はしたくないそうです」

 サージェントは苦虫をまとめて噛み潰したような顔をしていた。

「まあ、確かに、実戦ぐらいしかできることはないがな、しかし、簡単な書類仕事を手伝うぐらいしてくれたって」

「そう思うなら、貴方がしてください」

 サージェントの雷が落ちた。

「分かったから落ち着け、その書類を渡せ」

 ぐしゃぐしゃになった書類を受け取ると、丁寧にしわを伸ばしてからサインを入れる。

「いよいよ出立だな」

 そう言って立ち上がる。

 すでに旅装に着替えて、出発準備を待っている状態だった。

 ついでに、愛用の携帯書棚にも、雑読のかぎりの書物がすでに用意されていた。

 それを嫌そうに横目で見てサージェントはため息をつく。

「行軍中も読書にふけって、仕事を押し付けるつもりですか」

「馬鹿を言うな、それならもう少し大目の本を用意する」

 その言葉が、どれほどサージェントの心に響いたのか、あるいはどういう方向に響いたのかは定かではない。

 彼の表情は変わらなかった。

 にもかかわらず、気配だけがどんどん剣呑になっていく。

「分かった。とりあえず、その書類をよこせ、手伝う、手伝うから」

 真剣に身の危険を感じて、慌てて、サージェントの手の中でふたたび握りつぶされつつある書類を救い出す。

 机に向かって、サインをすると。決済済みの箱にしまう。

「それで、書類仕事は向こうでもあるのか」

「ないと思っているのではないでしょうね。国境を抜けるまで、順次伝令兵が決済書類を持ち帰り、未決済書類を届ける手はずになっております」

 アルカンジェルの顔から一気に血の気が引く。

「それではせっかくの読書の時間がなくなるではないか」

「しなくて結構です」

 にべもなくそう切り捨てられて、アルカンジェルはしおしおとうなだれる。

「分かった、それでは、俺は念のため、装備品を調べてくる」

「言っておきますが相当な量ですよ、貴方が一人で調べても半日かかっても三分の一くらいですかね」

 どうせ徒労に終わるだろうというサージェントの言葉を無視して、アルカンジェルは自室を後にした。


 サージェント以外の部下達が忙しく、ばたばたと廊下を行き違いながら走り抜けていく。

「どんな思惑があっても、仕事は仕事か」

 何人かに呼び止められて、適当な指示を出すと、そのまま資材部の倉庫に立った。

 倉庫は巨大で、目指す装備品の棚は棚一つがアルカンジェルのベッドほどもあり、その上数はちょっとしたお屋敷の敷地面積分いっぱいに詰め込めるほどあった。

「半日で三分の一、どれだけ俺を勤勉だと思っているんだ」

 それらは武具や武器類といった戦争の必需品から、通常の旅に使う道具類。

 例えばロープや、荷馬車の修理道具、そして修理に使う予備の木材。

 作業用の油や、灯火の道具。野営用の天幕。アルカンジェルのなじみのものから、何に使うか見当もつかないものまで、その種類は雑多で、その量は多かった。

 そしてさらに大量にあるのは食料品だった。

 壷に漬け込まれた塩蔵品の肉や野菜。挽いて使うまでになっている穀類の袋。口に入れてしばらく耐えれば何とか唾液でふやけて食べられるようになる小石のように焼き固められた乾パン。

 ドライフルーツ。魚の燻製。ちょっとした街の一週間分の食料がそこに納められている。

 もちろんそれをいちいち調べようという無謀な試みなど死んでもする気はなかった。

 今から自分達が行く場所で行われるのは小規模な遠征。

 にもかかわらずこれだけの膨大な物資が動く。

 もし本格的に隣国との戦争が始まれば、消費される物資はこの数十倍ではきくまい。

 結局来ただけに終わりそうな気がした。これだけの物資の調査などしたとしてもどっち道見落としがあるだろう。

 ならするだけ無駄だ。

 自分が調べた範囲でなにやら致命的なものが見つかる可能性は限りなく低い。というかそんなものにたどり着くまでに力尽きる。

 そう無駄に疲れることは……。

 そこまで考えて、背後から甲高い踵の鳴る音がした。

「どうせ資材部で仕事もしないでサボっているだろうと、サージェント様のお達しで」

「違うぞ、サボろうなんて思っていない。ただ思ったより大量にあるんで、これを調べると思っただけで現実逃避してしまっただけで」

 へどもど答えるその姿は将軍とは思えないほど威厳がない。

「それをサボっているというんです」

 無情な部下の言葉に、アルカンジェルはがっくりと肩を落とした。

「しかし本当に大量にあるな」

「少々離れた場所に遠征ですからね、しかも途中で調達することもままならない」

 分かっていたことだが、さらに気が重くなる。遠征はあまり得意ではないのだ。

「地の利のないところって嫌いだ」

「好きな人間のほうが珍しいですね」

 どうして自分の部下は口を開けば情け容赦ないんだろうか。思わず遠い目をして実際にかなり遠い方向にある壁を見つめる。

「それならそれで、向こうの地図でも確認していてください。どうせ何の関係もない本を読んでいて、副官殿に怒られたんでしょう」


 そのとおりだったので何も言えず押し黙る。

 さらに情け容赦ない言葉をぶつけられないうちに、アルカンジェルは資材庫を後にした。

 外に出ると大きく深呼吸した。

 やはりあの中の空気は乾物のにおいが染み付いている。

 自分は指揮官だ、ああいったものの管理はやはり部下の仕事だ。

 あまりに大量にあった荷物に思わず酔ってしまったようだ。

 貨物馬車に積まれ、個々で見るかぎりではそう多く感じない。

 ましてや、書類の中に書かれた数字だと、まったくぴんと来ない。

それを思えばやはり、見ることは大切だと、いまさらな学習成果をこっそり心の中で誇って見せたりした。

 いよいよ出発だ。

 もうすぐあの倉庫からあの大量の荷物が運び出され始める。

 さっきの書類にそんなことに関する許可が書いてあった気がした。

 一つの荷物を二人、ないし三人がかりで、人海戦術で運搬する。

 そういえば、さらにあの大荷物を運び出す荷馬車のこともあったんだ。

 この遠征にかかる国の費用、何らかの失策を犯せばそれだけの費用分の責任を負わされることは必死だ。

「直視したくない現実を直視してしまった」

 部下が聞いたらその場で矢襖にしてしまいそうなことを呟いて軽く額を押さえる。

 物資だけではない、損害の中には当然、部下と自分自身の命もかかっている。

恨みがましく背後にそびえる王宮を睨む。

「どうせ、命令だけすればいいと思ってやがんだ」

 まるで思春期の少年のような口をきいてしまい思わず赤面してしまう。

 自分の年齢を思い出したのだ。

「それでも、行かずにすんだら、それに越したことはないんだがな」

 未練がましくそう呟いて、それから仕事に戻ることにした。

 馬達のいる場所に向かったのだ。

 動物好きで、動物には分け隔てなく愛情を注ぐ彼にとって、唯一積極的になれる仕事だった。

 厩舎の脇に巨大な枯れ草の山が出来ていた。すべて馬の餌だ。他にも雑穀や豆類が麻袋に収められて積んであった。

 道すがらの草も食べさせることはあるが、それだけに頼ればその周辺の緑はあっという間に絶えてしまう。それに、馬を酷使する仕事ゆえに、馬の健康状態も重要だ。

 だからわざわざかなり嵩張るそれを持っていくのだ。

 無論、そんなことは最初から分かっている。その程度の常識をそらんじていなくてどうして将軍という重責が担えるだろう。

 それでも、自分の仕事が増えていくそれを見て、うんざりとした目で、そのベージュ色の山を見つめてしまう。

 馬達は餌を食っていた。アルカンジェルの見たところ、餌の食い方からして健康状態に異常をきたした馬はいないようだった。

 それどころか、厩舎番の努力の結果その被毛はつやつやと輝き肉付きもよく。かなり上等な眺めだ。

 普段なら、元気そうで何よりと、目を細めるところだが。

 馬達が雑穀や干草をほおばる咀嚼音が響く中陰鬱な表情で立ち尽くしていた。

 行きたくないと思っている、しかし準備は着々と進んでいく。

 アイーダにサージェントを手伝えと命じなかったのもそのせいだ。

 アイーダはアルカンジェルの命令に基本的に絶対服従だ。だからアイーダを呼び出してそこで命じれば、アイーダはどんなに嫌でもサージェントを手伝って書類仕事でも何でもやらざるを得ないのだ。

 それをあえてやらせないのは単に準備を引き伸ばしているだけだ。

 どの道成功しても失敗しても、自分には破滅かそれに近い状況しか残っていない。

 その程度のことを理解するだけの政治的判断力は備わっている。

 切れすぎる刃のありふれた末路だ。

 彼はゆっくりと自分の愛馬の元に向かった。

 仔馬のころから手ずから育てた愛馬は彼を見分けて飼い葉を食むのを一時中断し首を上げた。

 荒い鼻息がアルカンジェルの前髪を揺らす。

「お前を駆るのも、これが最後になるかも知れんな」

 そう言って褐色の鬣を撫でる。色目は地味だが、体高は他の馬よりかなり高い。大柄な馬同士を掛け合わせること三代。アルカンジェルの父親の代から作り上げた傑作だ。

 馬の傍で、彼が現実逃避している間も準備は進んでいく。

 兵士達が、さっきまで彼がいた倉庫から、食料を運び出している。

 そして先ほどまとめたアルカンジェルの荷物もサージェントの指揮の元運び出されていた。

 蟻の行列。天の高みの視界からならばそう見えるだろう。

 そんなことを考えながら、棚の持ち方に文句を付けに行った。



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