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第1章 出る杭たちの憂鬱な午後


かつて、世界は二つに分かれて争っていた。

そしてある時、恐るべき過ちで、世界を砕いてしまった。

片方が天の彼方に飛び去り、この世界から去った。

 そして残る陣営が、争いで荒廃した大地を支配した。

 廃墟と化した世界を。

 乾ききった荒涼とした大地、わずかな、かろうじて生き延びた緑。それが彼らに与えられたもの。

 そして、緑以外にも破壊を生き延びた存在は、多くの場合、人々の災厄となった。

 作物を食い荒らす小動物。そして、人がかつて作り上げた異形の命たち。

 それらは、人を食いさえした。

 それでも人々は寄り添い、大地を耕し、脅威と戦い。いつしかいくつかの国が誕生した。

 国は、少しずつ崩壊した世界を復興していき。世界は再び平穏へと進み。

 荒廃の影は次第に消えていった。

「そしてようやく繁栄の兆しが現れた今日この頃、これから俺達は戦争に行くわけで」

 歴史書を開いていた男はそう言って本を閉じた。

「いやはや、かつて戦争ではるかに優れた文化や文明を世界的規模で破壊した過去をわれらが君主は理解しておられないようだ」


「現実逃避もいい加減にしてください」

 長椅子にだらしなく寝そべって、本を読んでいた男から、本をむしりとると、その本を傍らの机に置き、寝そべっていた男を引き起こす。

「アルカンジェル、現実は待っていてくれないんですよ、いい加減こちらに戻ってきてください。もちろん貴方は軍を率いて出陣しなくてはなりません。何故なら貴方は将軍だからです」

 一息にそう言い切られ、いかにも面倒くさそうに、長椅子に座りなおす。

 アルカンジェルと呼ばれた男は見たくもないというようにもう一人の男が持って来た書類を、いかにも嫌そうに受け取った。

 アルカンジェルは将軍という肩書きにふさわしい堂々とした体躯の持ち主ではあったがその上についている顔はむしろ平凡で、一度や二度見たぐらいでは、覚えることが出来ないような印象の薄いつくりだ。

その上この国ではありふれた黒髪と黒瞳。その手入れの悪い黒髪をいかにも適当という感じで後ろにくくっているのも威厳というものを感じさせない。

 そんな彼がいかにもけだるげな、やる気のない表情を浮かべているので、将軍と呼ばれても、周囲の人間が、彼のことを呼んだのではないだろうと明後日の方向にそれらしい容姿の人間を探してしまう。

 最もそんな有様を当人は微塵も気にしていない。だから改めようともしない。

 もちろん、戦争は顔でやるものではないので、それなりに優秀で、戦果をそこそこ上げているのだが、初めて会った人間は対外、別の人間にアルカンジェル将軍と呼びかける。

 顔ほとんどが隠れる兜をかぶっているのは、その威厳のない容姿を隠すためだと影でまことしやかに語られているのは伊達ではなかった。

対する男は、切れ長な目の細面で、それだけ見れば繊細といってもいい顔立ちで、身体つきは細身で身長だけがひょろ長く見え、一見するととても軍人には見えないが、見かけによらない耐久力が売りの、それなりに優秀な軍人だった。

栗色の髪も衣類も隙なく整えられた、いかにもやり手という見てくれがいたって上官のだらしのなさを際立てている。

しかしその茶色の目を覗き込めば、光彩の部分が小さく、どこか不気味なものを感じさせる眼差しをしており、じっと人を睨めば、たとえ疚しいことがなくても、居心地の悪いものを感じさせる。 

失態の叱責を受ければ、大の大人の兵士ですらなきそうになるともっぱらの評判だった。

 その名をサージェントという。またの名をアルカンジェルの懐蛇。

 その二人が、いかにも嫌そうにこれからの出陣の準備を始めているのだが。何しろ顛末からして気に食わない話だった。

 攻略せねばならない相手は隣国ドール王国の有力な王族である、セレク大公。

 彼は王族の中でも直系に近く、次代国王候補にも挙がっている。その上実力も人望もある。その上かなり若い。

 もし呪い殺すことが可能なら、とっくに墓の下に入っていなければならない人間だった。

 そんな彼を、アルカンジェルの国、カーヴァンクルの人間も疎ましく思っている。思わないはずがない。

 しかし、もっと疎ましく思っている人間は、セレクの属するドール王国のほうがはるかに多かった。

 出る杭は打たれる、という。

 新たに勢力を伸ばしつつある若手の台頭を疎んじるご老体というものは掃いて捨てるほどいるのが世の習い。

 かの国の古株たちは隙あらばこの新興してきた期待の若手の足を引っ張ろうと鵜の目鷹の目状態だ。

 その挙句、隣国にセレクの居城を攻めるための手伝いまでする始末。

 つまり、セレクの勢力を削ぎたい老人達が、セレクの領地と居城を攻め落とすためのお膳立てをすべて整えてくれたわけだ。

 そうした老人達の妄執にアルカンジェルは毒気を抜かれてしまっていた。

 むしろ敵であり、これから倒さねばならないセレクに思わず同情してしまったくらいだ。

 そんなアルカンジェルの心境は、自国では少数派だ。

 むしろ隣国の混乱こそ、上層部の望むところだろう。

 優秀な指導者となる確率の高いセレクの破滅は彼らにとって望むところだ。

 何が疎ましいのか。

 自国の足元を削り取ってでも、今現在の権力を維持しようとする隣国の老害たちか。

 それとも、それを舌なめずりしている自国の権力者達か。

 あるいは、いらん不心得を企んで、一族郎党を巻き込んだ不始末をしでかしてくれた従兄弟か。

 どれほど不快に思おうと、それらに一切逆らうすべのない自分自身か。

 セレクは国内でのみ活躍で、諸外国とはあまり接点がない。そのセレクを攻め込む大義名分など存在しない。大義名分なき侵略。それは、国家が責任を取らねばならないこと

 最終的にその時、独自の判断で、それを行ったとして誰に詰め腹を切らせるか。

 そんなことは分かりきっている。指導者の自分だ。

 つまりは公金に穴を開けるという不届きな従兄弟のしでかした不始末の救済と見せかけて、我が一族の出世頭の首を駆ろうということか。

何だって一族連座になるくらい多額の金を着服するんだ。

出来れば、自らの手で、この間抜けな従兄弟の首を叩き落してやりたい。それは自分だけでなく一族の男達すべての願いだと信じていた。 

「何を考えているかは分かりますが、それでも、やらねばなりません、この国の軍閥の一翼を担うものとして」

 賢しげにそう窘める副官さえ、今は疎ましい。

 たとえ、それが自分のためを思っての言葉だとしても。

 逆らうことは許されない。出撃を拒否すれば、自分のみならず、親族一同まとめて処分されるだけ、出撃しただけ少しだけ長く生きられるということのみでも。

「かつての戦乱で、荒れ果てた地表に住まうことが困難で、生き残った人間は地下深く、百と数十年篭っていたというぞ。暗い穴倉の中で産まれ、死んで行ったご先祖様が今このような愚かな戦争をしているのを見てなんと思うだろうな」

 そう言って窓の外を見る。中庭の樹木の豊かな緑に目を細める。


 季節は夏が終わり、秋の始まりかけたころ、夏の名残の緑はいまだ美しかった。

「彼らはこんな美しい光景を生涯目にすることはなかった。暗闇しか知らずに死んでいった」

「それは過ぎた過去です」

「だが、けして忘れ去ってはならない過去だ」

 副官は目を伏せた。

「人が人である限り克服できないのでしょう、たとえ世界を壊しかけた過去があっても」

 その言葉を耳の端に引っ掛け、書類を開いた。

「糧食はかっきり、旅順の二倍という指令は通ったようだな」

 唐突にアルカンジェルは迷いを捨てた。

「あとで連隊長どもを呼び出せ、作戦会議と、出撃順を伝える」

「わかりました」

「そうだな、何が嫌かって、奴らをどんなに軽蔑しても、俺もまた同じ壇上に乗っていて、同じように生きていかねばならんということだ」

 苦い笑みが唇に浮かぶ。

 再び扉が開き、アルカンジェルにとってもう一人の副官といえる人間が入ってきた。

 すとんとした衣装にくるぶしまで覆い。頭からすっぽりと淡い色のベールをかぶっている。

 ベールの隙間からのぞく顔は、人形のように整っているが、表情に乏しくまさしく人形のように無機質だ。

 まっすぐな赤毛を肩にたらして、同色の眉と睫毛の下の瞳は薄い青で、時々青い石が嵌っているんじゃないかとアルカンジェルは錯覚しそうになる。

 魔女アイーダ、かつて滅んだという文明最後の守護者の一員でもあり、そこから派遣されてきたアルカンジェルの従者だ。

 魔法使いと呼ばれている彼らのことを、アルカンジェルは薄気味悪く思っている。彼らは、空を飛んだり、見えないものを当てたり、風を吹かせたりと行った異形の力を持っており、その力で主となったものを助けると言われているが、当のアルカンジェルにとってはただ有難迷惑なだけだった。

 アルカンジェルが、成人し、軍役に付いた時に派遣されてきて以来の付き合いではあるが、サージェントに対する時のような気持ちはおそらく生涯抱くことが出来ないと確信していた。

 かの組織は国を問わず魔女や魔法使いを派遣してくる。国の中枢を担う王族ともなれば、幼い子供のときに自分つきの魔法使いを与えられる。

 それがどこか胡散臭いものを感じるからだ。

 それでもアイーダは忠実だ、表面上という注釈がつくにしても。

「今のところ、用はないが、それとも何かあったか?」

「おそばについていることが私の任務ですので」

 何の感情も感じられないアイーダの声に、どこか苛立つものを感じた。

「何でもお嫌いですね、政治の中枢を担う方たちも嫌い、軍務も嫌い、魔法使いも嫌い」

 驚いて、アルカンジェルはアイーダの顔を覗き込んだ。


 しかし相変わらず、何の表情も浮かんではいなかった。

 ただ気が付いたことを言ってみただけ、そんな感じで一礼する。

「それでは、どちらへいらっしゃいますか、ご一緒いたします」

 アルカンジェルは黙ってアイーダに背を向けてゆっくりと歩き出した。そのあとをサージェントが付き従い、アイーダはその背を見つめて歩き始めた。 


 アルカンジェルがいやいや任務に就いたとき、ドール王国では、一人の王族が、議会の槍玉に挙げられていた。

 議題は隣り合う領地との境界線問題。しかし問題の土地は深い森の中にあり、どちらかといえば、その森自体が境界線といってもいい。

その上その森はいまだに、過去の文明が作り上げた伝説の怪物が生息しているのではないかとまことしとやかに囁かれる、どんな無謀な人間も森の入り口から一キロ以上踏み込もうとしない第一級の危険物件だ。当然商人達や渡り芸人達も通ろうとしない。

 だからほとんど、ほったらかしになっていたのだが、それを急に蒸し返してきた。

「だから申し上げましたでしょう。あの森は、行き来が困難だと、正確な測量をするにしても、手が足りないと」

 そう抗弁しても、相手は聞く耳もたない風だ。

「しかしですな、それでもだ、貴方がかの地を拝領してからだいぶ時間がたっておられる、にもかかわらず、いまだその準備すらやっておられない」

 自分の父親ほどの男に対してセレクは冷ややかに言い放つ。

「問題の土地を領地としたのは貴方のほうが先でしょう。それならば測量はそちらでやっていただけるのでしょうね、大体通行がほとんど不可能な森の正確な地図など、こちらでは、必要として降りません、そちらが言い出したことです」

 こちらは王族で、相手は地方領主だ、それが王族相手に、土地の境界線問題をねじ込んで呼びつける。その段階で怪しい話だ。

 しかし、問題提起された以上、議会には出なければならない。どれほど、理不尽と思っても、それが法律だ。

 とはいえ、そちらが測量を出せという主張は通りそうだ。なんと言ってもこちらが王族なのだし、森の中の境界線について、文句を言ってきたのは向こうだ。

 だから、測量に行きたがる技術者をどうやって工面するかなんて瑣末なことをこちらが心配してやる必要性はまったくない。

 彼は議長席を睨みつけた。

「むろん、期限を設けるべきでしょうな、最低でも半年、その期限内に、測量を終わらせれば、私は、あちらの言い分を認めましょう」

 はっきりと言い切った。もちろん、あの森を測量する命知らずを集めるのには、十年あっても足りないと思っているから胸を張って言い切った。

議長も渋々頷いた。

 黄色い紙をくしゃくしゃにしたような顔だ。そう彼は思った。

「それでは本日の議題は終了する」

 議長の鳴らす甲高い鐘の音にまぎれて彼はため息をついた。


「それでは、セレク大公、シグウッド領主、退席を許します」

 紫の外套をはためかせて、セレク大公は立ち上がり、重厚な扉に向かった。

 扉付きの衛兵が恭しくその扉を押し開ける。

 扉の前では、セレク大公付きの魔法使いが立っていた。

「お勤め、終わられましたでしょうか」

「終わったからここにいるんだろう、どうせあの辺りのくそジジイどもの差し金だろうがな」

 苦々しく呟くとそのまま大またに用意された自室へと向かう。

 血筋と才能と実績に恵まれた男と近隣諸国で噂されているセレクが、さらに美貌にも恵まれているということはドール王国内部でしかささやかれない噂だ。

 これまでのセレクの活躍の場がほとんど国内であったため、諸外国の人間がセレクの顔を見ることが少なかったためだ。

 艶のある癖のない黒髪を背中にたらし。美女と見まごう面差し、華奢な身体つき。いわゆる性別不詳の美貌の持ち主だった。

 惜しむらくは透明な紫の瞳それがたったの一つしかないことだろう。

 紫の瞳は左目のみ、右目は斜めにかけた帯状の金属の輪で作られた眼帯の下になっている。

 右目のある位置に目の形にくりぬかれ、色ガラスが嵌ったそれを、はずしたところを見たものはセレクを除いて誰もいない。

 結果、ついたあだ名が隻眼大公。

 幼いころから、当時は布製であったが、眼帯を常に見につけていたので、生来の欠損と思われていた。

 幼少のころから彼に付き従ってきた魔法使いは、彼の気性はほぼ飲み込んでいたが、今は口を挟むときではないと沈黙を守った。

 部屋に戻れば領地からセレクに付き従ってきた侍従が扉の脇に控えている。

「お茶」

 端的に命じると、そのまま長椅子に行儀悪く寝っころがる。

「さて、嫌がらせはこれで終わりか、それとも本格的にこれから始まるのか、どっちだと思う?」

「もうご自分でお分かりなのでは?」

「お前の意見が聞きたいんだよ」

 薄い唇をへの字にしていかにも拗ねたような顔をしているが、目はどこか冷たい色をしていた。

 彼はしばしの沈黙の後、口を開いた。

「これで終わらせるような、生やさしい方など、貴方を追い落とそうとする方達の中にただの一人もいないでしょう」

 セレクは長椅子に肘をついて身体を起こす。

「具体的な名前は挙がらないんだ」

「申し訳ありません、多すぎて今の段階では私には見当が付けられません」

 その言い分にセレクも納得せざるを得ない。


「お前のそういう正直なところは好きだけどねアルファ」

 アルファと呼ばれた魔法使いは、小さく頭を下げる。

 彼もまた、魔法使いと呼ばれる人種特有の、特徴に乏しい顔立ちだった。髪も、瞳も灰色で、どこかくすんだ印象、ぼやけたというのが一番の特徴といった姿だ。

「魔法使いってみんな同じ顔をしてる感じだよな、髪と瞳の色だけで見分けてる感じ」

 どこか不穏当な面白がる口調。悪童のような笑みを浮かべていた。

「ご期待には添えなくて申し訳ありませんが、二人以上並べばそれなりの差異という物がございます」

 いささか不機嫌にそうたしなめる。

「お前、変わらないよな、そののっぺりした顔のせいか、俺が餓鬼のころからほとんど変わってないような気がする」

「実際変わっておりません、私どもは、人と同じ速度で年をとることが出来ませんので」

 そう言われて、セレクは思わず間の抜けた表情をしてしまった。

「お前、歳をとらないのか?」

「とらないわけがないでしょう、私だって昔は赤ん坊でしたよ、成長速度が遅いだけです」

 苦笑して彼は、セレクを見下ろす。

「実際、貴方のお婆様付きの魔女だった方は、本部で今もお美しい姿でいらっしゃいます」

「俺が産まれたときにもう死んでいた婆さんのことなんざどうでもいいがね」

 再び長椅子に身体を沈める。

「殿下、お茶をお持ちしました」

 先ほどの侍従がポットとカップの乗ったお盆を持って戻ってきた。

「ご苦労、呼ぶまで下がっていろ」

 転がった体勢で熱いお茶を飲むのは危険なので、座り直して茶碗をつかむ。

 実際王宮では、鍵付きの箱に水以外の飲食物をしまい、信用できる側近以外の人間には触らせないようにしている。

 会食の時には毒消しが欠かせない。

 そんな生活をしているため、領地を離れて呼び出されるだけで十分嫌がらせになるのだが。

「そろそろ、動きがあるかな」

「今調べさせております」

「なるだけ早くしてほしい」

「急いだほうがいいでしょう。そんな気がします」

 アルファの言葉に頷くと、セレクは窓を見た。

 薄い紗幕がかかったそれにため息を突く

「ああ、今日はいい天気なのに」

 いつ矢が打ち込まれてくるかと警戒して、常に窓には紗幕をかける習慣になっている

 王都、そして王宮はセレクにとって安住の地ではなかった。

 いずれ玉座に着く確率が高いので、そうなれば住み慣れた領地を離れ、ここに住まなければならないのだが、実際のところそれをセレクは歓迎していない。


 どちらかといえば、領地を首都にしたいくらいだ。

 隣国との国境線が近すぎる、国土の端にある自分の領地が首都に向いていないのは百も承知だが、どうしても王都には、そりが合わないものを感じている。

 それは気候風土というよりも、首都界隈の人間関係によるものが大きいのだが。

 しかし、玉座に就かなければそれはそれで別の誰かが玉座に着いたとき、その誰かがセレクをそっとしてくれる可能性はまずない。

むしろその誰かがいろいろと厄介ごとを背負い込ませてくれそうな気もしている。

 だから結局自分で玉座についてしまえ、というのが側近達の言い分だった。

 何しろ、自分にとってろくな人材がいないのは骨身にしみて分かっているのだ。

 それが一番安全と言われれば、否定することも出来ない。

 どの道背負うなら、大物狙いで行きましょう、もはや自暴自棄の段階に入っているかもしれない。

 やさぐれていると、ふいに、その口うるさい側近の一人が部屋に入ってきた。

 長い黒髪をひっつめて結い上げ真っ白なドレスを着込んだセレクの母親くらい年頃の女だ。

 その女は入ってくる直前まではその端正な顔立ちに上品な笑みを浮かべて何やら届け物を捧げ持っていたが、扉を閉じた途端その形相は一変した。

「殿下、至急、領地に戻らねばなりません」

 その表情はこわばり、ただならないものを感じさせた。

「領地は、隣国の侵略にさらされております」

 その言葉にセレクの眉がひそめられる。

「隣国ということは、カーヴァンクルか、しかしどういう大義名分が立つんだ」

 王国ドールに接している国は三つ、そのうちセレクの領土に一番近い立地がカーヴァンクルだった。

 茶碗を卓に戻し、目の前の椅子に座るよう、女に促す。

 慌てたようなしぐさで、椅子に坐ると、アルファにも顔を向ける。

「例の場所に女官としてもぐりこませた部下の証言ですが。秘密裏に隣国に内通し、殿下を害する計画が立てられつつあるようです、そのため、領地の情報を秘密裏に隣国の漏洩し殿下の基盤を破壊するつもりでしょう」

 女は一息にそうまくし立てた。

「まだあるだろう、それで俺が、慌てて領地に戻ろうとすればその道中に仕組まれた偶然の事故ではかなくなる、それくらいの筋書きは書いているだろうな」

 皮肉に唇をゆがめる。

「それはそれとして、殿下はカーヴァンクルといかなる接点もないでしょう。にもかかわらず、殿下に対して宣戦布告などしても先ほど殿下がおっしゃったとおり、大義名分が立ちません」

 アルファがそう尋ねると。主を振り返る。

「何をでっち上げてくるつもりだろうな」

 いろいろと状況をシュミレートしてみるが一向に何も思いつかない。

「おそらく何も、すべての責任を司令官に背負わせるつもりでしょう」


「うわ、それで誰だその可哀想な責任者は」

「アルカンジェル・グローバー将軍です」

 唇に指を当ててセレクはしばらく考え込んだ。

「どっかで、いや頻繁に聞いた名のような気がする」

 その言葉を聞いた瞬間、女のこめかみに稲妻のように青筋が走った。そのまま怒涛のごとき、懇切丁寧な罵詈雑言が女の口からあふれた。

「確かに国内のことで、いろいろとお忙しく神経をすり減らしておられるのは私どもも存じておりますが、最近目立った活躍をしている隣国の重要人物の名前をうろ覚えというのはいかがなものでしょうか」

 いきなり始まった説教モードにセレクは冷や汗をたらす、彼女のお説教のほうが、意地悪な重臣のご老人達よりよっぽどセレクには堪える。

「カーヴァンクルのわが国に接していない反対方向。シンという小国との小競り合いで、双方ほとんど死傷者を出さず、穏便にまとめた知恵者だそうですよ、かといって軍人としても無能ではあらず、武勇と知略と人格すべてを兼ね備えた軍人の鑑とかの国の軍人達の熱烈な指示を受けているとか」

「へえ」

 嫌そうにセレクは呟く。

「好きになれないタイプだ」

「貴方のタイプなんて知ったことじゃありません」

 ふざけた物言いに、女の柳眉が釣りあがる。

「カーヴァンクルは本気であなたを潰そうとしているんです、アルカンジェル将軍という大物を潰してまで」

「どっちかって言うと、共倒れしてくれたら嬉しいなって感じがしないか?」

 端的に呟いた言葉に、女は沈黙する。

「上層部が嫌うタイプの典型って感じだろう。俺と違う意味でかの国の上層部もアル何とか将軍って嫌いなんだと思うよ」

 腕組みしてうんうんとしたり顔で頷いてみせる。

「何にせよ、良かったよ、俺としても自分の身を守るために誰かを不幸にするというのは不本意だ、しかし俺以外の奴がどっちみち不幸になるようにお膳立てした相手なら、何が起ころうと俺のせいじゃない」

 華やかな美貌に不釣合いなどこか歪んだ笑みを浮かべたセレクを女は不安そうに見る。

 しかし、それに続いた言葉はとてつもなく不穏当だった。

「勝とうが負けようが不幸になる相手なら、勝ったところでぜんぜん後ろめたくないだろう」

 いかにも楽観的な発言に、側近達は目をむいた。

「殿下、それはあまりにも相手を侮った発言では、アルカンジェル将軍は容易ならざる相手。攻略は至難のわざと思われますが」

「それでも、勝たねばならないだろう、俺が生き延びるために。そのために踏みにじる人間のことで後ろめたく思わなくてすむってだけで、少しは気が楽になる気がしないか?」

 妙に澄んだ目でそう答えられて女ばかりでなく、アルファも思わず息を呑む。


「少し、長居をしすぎじゃないか、レイチェル女官長」

 この王宮のすべての女官を統率する女官長兼自分の幼少のころからの隠れた側近であるレイチェルを促し部屋から出す。

 そして改めて、もう一人の側近、アルファに向かう。

「聞いてのとおりだ、準備はおって指示する、あと、アンファンには何も言うな、あいつは芝居が出来ない。場合によってはレイチェルに頼んで、この場に留めた方がいいだろう。それと、詳しい日程はさすがにレイチェル本人が来ないだろうから、たぶん子飼いのアレクシーあたりが来るだろうな、その場合、お前が代わりに話を聞いとけ、以上だ」

 アルファが頷いたのを確かめると、冷めたお茶を飲み干し、再び長椅子に転がった。

「茶碗は片付けておいて、俺はしばらく寝る」

 そのまま本当に目を閉じて眠ってしまったのを確かめると、アルファは小さく息をついて隣の寝室から掛け布を持ってかけてやる。

そして、卓上の茶器を片付け始めた。


 アルファの元に一冊の書物を持った少女がよこされたのは早くも夕方になろうかという時間だった。

 その少女は顔馴染みのアレクシーではなかった。どうやら何も知らないらしくいささか緊張の面持ちで扉の前に立っていた。

 灰色の下級女官のお仕着せを着込んだ少女はややはにかみながら忙しく目を動かして部屋の中をうかがおうとする。

 噂の美貌と地位を兼ね備えたセレクを一目見ようとしているのか、それとも、誰かからセレクの様子を探って来いと命じられたのか、その様子からはどちらとも取りかねた。

 昼寝から覚めたセレクが、アルファの脇から顔を出して書物を受け取ると、その姿を見たとたん少女は頬を真っ赤にしてうつむいた。

「レイチェルがよこした暇つぶしか」

 そう呟くと少女にさっさと帰れと促し邪険に扉を閉める。

使いがアレクシーではなかった以上、手紙をこっそり挟んでおくような迂闊なまねはするような人間ではないので、見えるか見えないかの書き込みを丹念に探し始めた。

 その姿を見ながら、アルファは夕食の支度を始めた。

 といってもそれはアルファが手ずから汲んできた水と、乾パンにからからに干した肉と同じくからからに干した果物だけだったが。

 セレクは基本的に食べられればなんでもいい人間だった。幼少のときから常に毒殺の危険にさらされた挙句。おいしそうなご馳走を何度も目の前で捨てられた経験が、食べ物は見た目ではないという間違った認識を育ててしまった。

 窓辺に置いた鳥籠の小鳥達に、砕けた乾パンのかけらを餌箱にこぼしてやる。

 薄暗くなった今の時間帯、小鳥の食欲はあまりないようで、お義理につついてすぐに食べやめた。

「アルファ、明後日には発つぞ、それと、やっぱりアンファンはおいていく」

「分かりました。それでアンファンをおいていくに当たって、どういう理由を付けられますか?」


「それは発つ当日考える。まったく、嘘のつけない部下を持つのも苦労するよ」

「嘘のうまい部下を持つのも同じくらい苦労すると思われますが」

 セレクはそのまま思わず口をつぐむ。

「今日のところはもう休まれてください、貴方は少々お疲れのようだ」

 無言でセレクはアルファの横をすり抜けて寝台のある場所に向かう。

 その後姿を振り返って、アルファは小さくため息をついた。

 その気配をセレクは感じていたが、振り返ってアルファと目をあわせようとはしなかった。

 通常の寝台とは異なり、縦と横の幅がほぼ同じ、つまり、やたらとだだっ広い寝台に不機嫌そのものといった顔でセレクはひっくり返る。

「嘘のうまい部下か、その筆頭が何ぬかすんだか」

 そんなことを呟いて、罪のない毛布を蹴飛ばして八つ当たりする。

「嘘つきめ」

 そう呟いて目を閉じた。


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