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第十一章 うんざりしながら開戦する


 セレクは本日二度目の着替えをしていた。

 結局着替えるんだから、さっきのままでよかったんじゃないか、そんなことを考えながら、儀式用の衣装を着替え、黒いシャツとズボン。その上に、黒く染められ、金箔で唐草を刷り込まれた皮鎧を身に着ける。

 金箔の飾りがないだけで、基本的にセレクの部下の軍人達はセレク同様黒ずくめの軍服を着用している。

「仮にも鎧なのに、さっき着てた奴より軽いってどういうことだよ」 

 そう言って先ほど脱ぎ捨てた衣類を振り返る。

 みっちりと織られた布地に、金糸が織り込まれている。その上丈が長い。セレクのくるぶしまである。

 会議のためだけに着替え、それが終われば戦闘のために着替える。ああ労力の無駄だ。

 王族ゆえに儀式めいたことが多いが、それがセレクにはことごとく無駄に思える。

 会議で話すことなんか、なに着てたって変わらないだろう。

 そのセレクの態度に、侍女達はいっせいにブーイングだ。

 なまじセレクが美貌であるだけに、着ている物に無頓着な態度が許せないらしい。

 だが、正装よりも黒尽くめのよろい姿のほうがセレクには似つかわしい。

 黙って立っていれば、眼福なその姿で、実に嫌そうな顔をしてぼやいてみせる。

「ああ鬱陶しい」

 セレクは溜息をついた。

「仕度は終わりましたか」

 そう言ってジュリアスが扉の前で声をかける。

「軍勢は、遠眼鏡で確認できる位置に付いたようです」

 その言葉に、セレクは慌てて扉を押し開け、砦の上階に全力疾走で駆け上がる。

「意外に早いな」

 走りながら息も乱さずセレクが言った。

「相当急いだようですね」

「夜襲をかける余裕もないか」

 その余裕とは当然ながら食料のことだ。やはり、焼いておいてよかったとセレクは自分を誉めた。

「防火用水の確保は終わってるよな」

「終わっております、と言うか、いざと言うときのためにいつも恒久的に確保しています」

 ジュリアスの宣言をセレクは聞き流し、砦の最上階に立った。

 そこで、遠眼鏡を片手に物見をしていた部下が、慌てて敬礼をする。そして自分がつかっていた遠眼鏡をセレクに譲った。

 物見用に四方に設置された遠眼鏡を目的の方向にずらす。

 セレクの目に、確かに、見覚えのある軍勢の行進が見えた。

 馬車は適当な場所に置いてあるらしく。騎馬と徒歩のみで構成されている。

「今、あの距離なら、ここに着くのは昼ごろだな」

 徒歩でここまで来る時間を計算し、割り出した時間を言ってみる。

 ジュリアスは無言で頷く。どうやらジュリアスの計算とそう離れてはいなかったらしい。

 ひときわ目立つ騎馬を見つけ、おおっと歓声を上げる。

「アルカンジェルのおっさんだ」

 見えないことを承知でセレクは、大柄な体躯を栗毛の馬にあずけた将軍に手を振った。

「何あほなことをしているんですか」

 ジュリアスの拳が、脳天に叩きつけられた。

「おふざけをしている場合ですか」

 じくじく痛む頭を抱えて悶絶しているセレクにお説教の時間がやってきた。


 ジェルマンは今日も小鳥と戯れていた。

 どんなに遠い場所に連れて行かれても、この砦の鳥小屋を自らの棲家と定めた小鳥達は、律儀にまっすぐうちに帰ってくる。

 これはカーヴァンクルからの情報。どうやら、この一件を仕組んだ連中が、反撃を食らっているらしい。

 あちらが揉めるとは喜ばしいことだと、ジェルマンは柔らかな笑みを浮かべる。

 このままカーヴァンクルが安定を欠けば、それだけこの地が安全になる。

 せいぜい内輪もめで国力を落とせばいいのだ、よその国まで、問題を持ち込まずに。

 ジェルマンは、すでにこの顛末の一端が、隣国の貴族同士の勢力争いのとばっちりもかねていることに気付いていた。

 それに火に油を注ぐように、王国内の老害どもが、セレクつぶしにこっそりと一枚噛んだのがすべての発端。

 アルカンジェルの一族と、別の一族との小競り合いが根っこにあるのだ。

 どうやら彼の将軍の一族は、景気よく反撃をはじめたらしい。

 残念なのは、この事実をアルカンジェルに伝えて、さっさとこの領地から立ち去ってもらえないと言うことだ。

 何しろ、この情報をもたらした。ピジョンと呼ばれる小鳥のことは、今のところ最高機密にあたる。それを隣国の軍人に話すわけには行かない。

 セレクが王になった暁には、やっぱり国家最高機密として、しばらくは秘密の情報網として活用したいと考えているのだ。

「仕方ありませんね、さっさと変えれば、それなりに、ましな未来が待っているのですが、私の将来のプランのために犠牲になってください」

 ジェルマンは穏やかな笑顔でそう宣言する。

 そういう性格だから、根性の捻じ曲がったセレクに重用されているのだと、これはセレクの側近達にとって公然の秘密だ。

 そして、ジェルマンはセレクの勝利を確信していた。

 セレクは、自らの義務を、どんなにいとおうと、全うしようとしている。だから、そのためには手段を選ばない。

 この場合、領地の被害を最小限に抑えること。そのために、アルカンジェルの軍勢にどれほどの無慈悲を強いるか。

 新記録達成かもしれません。

 ジェルマンの胸は怪しくときめいた。


 セレクは、報告書を片手に、砦の上部に張り巡らされた、防御壁に寄りかかっていた。

 防御壁と言っても等間隔に細長い矢狭間が開いており、そこから矢を射掛けるようになっている。

 そして、セレク発案の武器も、すでに用意されている。これが最初の使用になる。

 理論は完璧だったし、テスト使用もしばらく前にした。

 そして、地図で、地形や周囲の状態も何度も確認した。これは、万が一にもその計測に誤りがあれば、大惨事になる可能性があるためだ。

 すべてが、整った、いざ実践あるのみ。セレクは拳を握り締めた。

 セレクの周囲では、部下達が忙しく立ち働いている。

 経験の浅いセレクより、ジュリアスのほうに意見を求めるものが多い。

 元々ジュリアスとはじっくりと意見のすりあわせが住んでいるので、セレクの考えとそう遠くないところに落ち着くのがわかっているので、セレクもそう気にしない。

 それでも居心地悪そうにセレクをちらちらと見る者がたまにいる。

 セレクとしても、そんなに気になるなら、はっきりとまっすぐ自分に言ったらどうだと怒鳴りそうになる。

 自分はまだ十六にしかならない子供だが、それなりに義務は果たしているはずだと。怒鳴りそうになる。

 その時、遠眼鏡を使う部下が叫んだ。敵軍は危険領域に入ったと。


 アルカンジェルは、道の様子を見ていた。

 少しずつ歩き易くなっていく道。綺麗に石畳で舗装され、周囲の草木も適度に刈り込んであるので見通しがいい。

 砦が近づいてきている。

 アルカンジェルの隣にアイーダがやってきた。

 アイーダは馬に乗れないので、一頭立ての、御者席をかねた二人がけの座席しかない、携帯用の二輪馬車を使っている。

 アイーダは御者を務めるリュシーと並んで坐っている。

「アルファは出てくるでしょうか」

 魔法使いアルファにおそらく自分は勝てない。しかし、表立ってアルファを使うようなまねをするだろうか。

 魔法使いは切り札中の切り札だ。最初から使うはずもない。

 アルカンジェルとしても、アイーダを使うことはできるだけ避けたいと思っている。

 今のアイーダは、下手すれば死んでいたかもしれないような負傷を押して出てきている状態だ。そんな人間に戦えなどとうかつには言えない。

「見事なものですね」

 アイーダは道を見てそう言う。

 きっちりと敷き詰められた石畳には雑草一つ生えていない。それは定期的に道の手入れに人を使っていると言うことだ。

「セレクの統治は相当うまく言っているようですね」

 アイーダはそう言ってアルカンジェルを見上げる。

「戦ったと言う実績のみを残し、早々に引き上げるのがよろしいかと」

 アイーダの助言にアルカンジェルは小さく頷く。

 実際戦って勝てる状況ではないのは自分が一番よくわかっている。

 隣で馬を進めるサージェントもアイーダの言い分に少々驚いたように、目を瞠った。

 アイーダがまともな提案をしてくるとは思わなかったのだ。

 しかし、横で聞いているリュシーは、アイーダの本心とかの組織の行動理念を聞いてしまったため、それが純粋にこの軍団を案じてのことではないだろうと考えた。

 魔法使い組織が求めるもの、ほとんどの人間が、終わったと思っている戦争に戦える人材を確保すると言うこと。


 むしろ、アイーダの意中の人物はセレクなのではないだろうかと、リュシーは疑った。

 いまさらアイーダに、アルカンジェルへの忠誠など期待してはいないが、アルカンジェルが誤解しないことを祈るばかりだ。

 聞いてしまった真実、聞かなきゃよかったと思う真実。後悔しても始まらないが、リュシーは墓までその秘密をしょっていく覚悟はできた。

 それ以外何ができる。かの組織への庶民の崇拝を知っていて、上層部の魔法使いへの依存を知っていて。そんな真実は公表したとたん潰されるに決まっている。

 その辺の判断ができる人間だとアイーダが思っているのは確かだ。

 無駄な信頼を背負ってしまったとリュシーは自嘲する。そんなリュシーの内心も知らず、サージェントとアルカンジェルは戦略のおさらいをはじめた。


 先ほどから徐々に見え始めていた。今ようやく全体像が見えてきた砦をアルカンジェルとサージェントはつぶさに観察する。

 元々は山の麓に立てられていたであろう砦は山肌を覆うように増築していったらしい。

 緑の山肌に、灰色の石で、かなりの高層階にまで建てられている。その最上階には細長い穴の開いた壁。それが矢狭間だろうということぐらいは遠眼鏡を使うまでもなく簡単に見当が付いた。

 その山頂部に白い小鳥らしいものが何羽も出入りしているのが不釣合いにのどかだ。

 脇に付いた溝は、おそらく雨水を受け流すための排水施設だろう。

「セレクはおそらく篭城の形をとるでしょう」

 サージェントの言葉にアルカンジェルも同意した。

 セレクの行動様式を見ていると、自分の身内に極力犠牲が出ないように振舞っている節がある。

 そして、セレクは卑怯な手段をためらわない。

 毒の塗られた武器など、まともな軍人ならまず扱わない。

 ましてや女装して、相手の油断を誘うなどと言う行動は論外だ。

 それを平然とやってのける相手の精神を考えれば、セレクは自分を軍人とみなしていないことがわかる。

「セレクの最終目的はやはり、自らの領土の安定だろうな」

 アルカンジェルはそう言って、その成果である整備された道を見つめる。

「それ自体は悪いことではないのですが、もう少し手段を選ぶと言うことを覚えなければいけませんね、あの子供は」

 サージェントはそう言って、そろそろ見えてきた砦を見上げる。

「では、将軍、突撃命令を出してください」

 アルカンジェルは無言で頷くと。背後の部下に片手をあげて見せた。

 剣の代わりに腰につけたラッパを構えると、高らかに曲を奏でた。

 まず前衛の槍を構えた歩兵隊が進んだ。

 その後方の盾を持った部隊が、砦上部からの矢を防ぐために盾をかざした。

 砦前方に、すでに布陣されていた歩兵が、アルカンジェルの軍勢を受け止める。

 黒尽くめの軍服は珍しい。黒は染めるのが難しい色だからだ。

 アルカンジェルの軍隊も末端の歩兵は生成りの軍服を着ている。いや、ほとんどの国では、歩兵は生成りと決まっている。色がついている軍服は幹部だけだ。

しかし、セレクの歩兵達の軍服は黒い。そのため敵味方が非常に見分けやすい。

「同士討ちを避けるためにはいいかも知れんな」

 思わず感心してしまったアルカンジェルを、サージェントがどついた。

「そういうことを言っている場合ですか、とにかく、歩兵たちにあの扉ぐらいは攻略してもらわねばならないんですよ」

 馬に乗ったままアルカンジェルの首を締め上げる。

「とりあえず、上官殺しで訴えられたくなければ、手をのけろ」

 数秒締められたぐらいでは、さして痛痒も覚えないのか以外に平静な表情で、アルカンジェルはサージェントの手を振り解いた。

 サージェントは、今のところ、砦の扉を死守する姿勢の、黒い歩兵達を睨んでいた。

 砦最上部のから矢が降ってくる、それは陣の最奥にいるアルカンジェルやサージェントには届かないが、何人かが負傷した。

 今のところ、砦の守りは歩兵の軍服以外は定石を崩していない。

 セレクは、戦闘指揮には関与しておらず、その直属の将が全面指揮をとっているのだろうかと、サージェントは考えた。

 だとすれば、それがどう出ることになるか。

「いや、こちらから攻めるか、火矢を用意しろ」

 アルカンジェルが命じた。

 砦は、ほとんどが石造りだが、正面のもんは木造だ、焼き落として、内部に攻め込むことにした。

 大木の丸太を馬で突っ込ませる方法は物資の不足でできない。

 元々が急ごしらえの軍団だ。


 その頃セレクは、砦の上部で、自分が考案した作戦のための装置を作動させるのを見ていた。

 ぎりぎりと寄り合わされた、人の胴ほどの綱がよじれる。その綱が限度を超えたとき、ばねと化して、仕掛けられたものを飛ばす。

 かつて投石器と呼ばれた物を模したそれが飛ばしたのは石ではなかった。

 皮袋に詰められた粘ついた液体、それが、後方、アルカンジェルのいる周辺にまで飛んでいった。

 その傍らで弓兵たちが追い討ちをかける準備をしている。

 周囲は、砦に関わるものしかなく、田畑の類は、川を隔てた場所にある。今の時期ならば周囲の樹木も水分をたっぷりと含んでいる。

 だからこの手が使える。

「火矢、用意」

 セレクは静かな声で命じた。


 いきなり飛んできた皮袋にアルカンジェルは戸惑った。

 石ならばわかる。だが、皮袋からあふれたのはどろりとした黄色い液体で、被った連中も、べたべたする感触に辟易しているようだが命に別状はないようだ。

 それでも飛んでくる皮袋に慌ててよける。その時、リュシーはその液体の匂いにそれが何であるか悟り、まさかと背筋をあわ立てた。

「火矢が来ます」

 リュシーの言葉に、アルカンジェルがようやく何が起こっているか悟る。

「被った奴は下がれ、それは油だ」

 油にまみれたところに火矢が来る、それは大混乱を誘発するには十分すぎた。

 ついで、さらに油を充填された皮袋が飛んでくる。

 そして飛んできた火矢に油が引火して地面にのた打ち回るものも出てきた。

「消せ、火を消せ」

 怒号が響き渡り、上着を脱いで服が燃えている仲間の火を叩き消す者、油の染みた上着を慌てて脱ぎ捨てる者、我先に戦線を脱出しようと走り出す者、それらで収拾が付かなくなる。

「あの餓鬼、よくこんなえげつないこと思いつくな」

 目の前の狂態を見てアルカンジェルが呻く。

「茫然としてないで、何とか軍勢を立て直してください」

 サージェントが叫ぶ。彼も周囲の混乱に直面し混乱していた。

 普段ならば、アルカンジェルを押しのけて、混乱を沈めるために奮闘している。それがアルカンジェルに何とかしろと言い募るだけで、自分で何をしていいかわかっていない。

 そして、その混乱に付け込むように、国威の兵士達が突っ込んでくる。

 油を避けるためにそれほど深くは突っ込んでこないが、浮き足立っているときには被害拡大だ。

「がたがた騒ぐな、もう油はこない、そろそろ出てくるぞ」

 アルカンジェルが声を張り上げた。


「ああ、混乱してる混乱してる」

 遠眼鏡で下界を覗き込んでいたセレクが、のんきに呟いた。

「いくらなんでもやりすぎじゃないのか?」

 ジュリアスは、引きつった顔で、こちらは肉眼で下界を見ていた。

 油を頭からぶちまけられて、そこに火矢を打ち込まれたら、誰だって混乱するだろう。

 いったいどうやったらここまでえげつない作戦が立てられるのか、一度頭をかち割って調べてみたいと心底思った。

「まったく、これだから普段料理をしない殿方は」

 セレクは遠眼鏡から手を離すとふっと気障に笑う。

「蝋燭やランプに何故芯があるのか考えたこともないんだな」

 ちっちっちと人差し指を振って見せる。

「油って言うのは、低い温度じゃまず燃え上がらないんだよ、だからまず芯を燃やして周囲の油を温めて、それから油を燃やすんだ、だから油を被ったところに火矢を打ち込んだとしても、そうそう火達磨になる奴なんて出ないのさ」

 爽やかに笑うセレクにジュリアスは、目に付いた光を指差して見せた。

「しかしあいつは火達磨になっているようだぞが」

 服に火が付いて、のた打ち回る何人かがセレクの目に入ってきた。

「あれ?」

 きょとんとして下を見下ろすセレクにジュリアスは冷たく追い討ちをかける。

「芯があれば冷たい油でも燃えるんだろう、服が芯の役割を果たしたようだな」

「おお」

 思わず手を打ち合わせた。

「撃って出るぞ、今こそ敵が浮き足立っている、今こそ反撃のチャンスだ」

 セレクの宣言にジュリアス以外の全員が歓声を上げて同意した。

「それでも俺はごまかされんぞ」

 びくっとセレクの肩が跳ねたが、それでも意気揚々と砦の下方へと駆け下りて行った。


 遠眼鏡で、ジェルマンはその光景を見ていた。

 ジェルマンのいる場所は、最上階から少し下った場所にあり、特等席とは言いがたい。

 その上、危ないからと言う理由で、窓を開け放つことは許されず、壁の小さな穴から覗きこんでいた。

 それでも、火に巻かれて右往左往する姿ははっきりと見えた。

「シンプルですが、意外に誰も思いつかない作戦でしたね」

 不自由な状態で、それでも根性で覗いていたジェルマンは、今目にした光景に満足の笑みを浮かべる。

 また一つセレクの悪名が上がったとほくほくしていた。

 実際はセレクが想定していた以上の被害を出したのだが、そのことはセレクが先ほどしていた説明を聞いていなかったので彼が知る由もなかった。

「本当にあの方は楽しいことを思いつく方ですね」

 そう言って、彼は遠眼鏡を片付け始めた。

 見るものは見た、再び自分の仕事を始めよう。

 彼は自軍の有利を疑っていなかった。そして、この後は、ジュリアスの仕事だ。

 ジュリアスの実力は疑ったことがない。ひそやかな信頼の視線を扉を開けて、廊下を通る黒衣の集団に送った。

 そして軽く腕を上げることで無言の激励を送った。


 騎馬の五十人が、先頭に立つセレクの合図を待っていた。

 そしてその時が訪れた。張りのある声が、告げた。

「開門」

 きしりながらゆっくりと巨大な扉が開く。

 扉の前に立っていた兵士達が一斉に飛びのいた。

 馬の前に立っていた弓へいた、開いた扉から飛び込もうとするものたちに矢を射掛けた。

 あらかた矢がなくなった頃に、先頭に立つジュリアスが扉の向こうに進んだ。

 その後をセレクが続く。そして背後に立つ二十騎もまたそれに続いた。

 最初に鼻に付いたのは焦げ臭い匂い。そして金錆の血の匂い。そしてどこか饐えたにおいだった。

「そっか、俺風呂に入ったんだ」

 昨日までは自分もこの匂いを漂わせていたんだなと、場違いなことを考えてしまう。

 そして、大きく息を吐く。

「出撃」

 その言葉に一斉に馬が走り出す。

 セレクは、細身の槍をつかんでいた。

 馬では、高さがあるので、剣では歩兵に届かない。騎兵の標準装備は大概槍と決まっていた。

 それぞれが、長い槍を手にしているので、馬を扱うのも気を使う。それぞれの槍同士がぶつかったり絡んだりしたら目も当てられない。

 等間隔を置いて、順に扉から走り出る。

 セレクの部下達はすべて黒尽くめだが、金箔張りの鎧を着たセレクが大将首だと気付かない者はいなかったようで、セレクに集中して、寄せ手がくる。

 ジュリアスがかばうが、それでも、捌くには苦労する。

 セレクは槍を突くのではなくなぎ払うように使う。

 うっかり深く刺してしまうと、人の身体から抜けなくなり、唯一の武器を失ってしまうからだ

 こうした乱戦状態ではしご硬直は絶命した瞬間に起こることもままある。

 もしそんな身体に打ち込んでしまったら槍は人力ではけして抜けないという。

 いつしかセレクを中心に守るように、騎士達が円陣を組んでいた。


 周囲に焦げ臭い匂いを振りまいていた兵士を後方に送り、アルカンジェルは前方の扉を凝視していた。

 扉が開き、黒衣の騎士達が、躍り出た。

 その中にあってひときわ小柄な姿を見つける。

 実際はそう小柄なわけではない。周りの人間が大きすぎるだけだ。

 その顔には待った金の輪を見て思わず呟く。

「あいつ、がちゃ目になるぞ」

 おそらく、金の輪には待った目の形にくりぬかれたそれが、素透しガラスであることくらいは見当がつく。

 いくら素顔をさらすわけには行かないと言ってもそんなものを常時つけていれば左右で視力が大きくずれる可能性がある。

「何の心配をしているんです」

 サージェントがとげとげしく戒める。

「いや、つい思ったことを」

 とはいえ、セレクの部下達が結構な精鋭ぞろいであるのは疑う余地もない。

 そして、先ほど大きく陣を崩した。

「これはちょっとまずいか」

 セレクの軍勢が、別の場所からも現れ始めた。

 扉を守っていた兵士に倍する数の兵士が現れた。

 いや、その軍勢は地下から湧き出している。

「砦には、ずいぶんと凝った仕掛けがしてあるようだな」

 アルカンジェルは呆れて言った。

 まさしく主そのままに一筋縄ではいかない。

 中心の騎士達、そして周囲を囲む歩兵達。どうやら包囲網を張ろうとしているらしい。

 そして、アルカンジェルはセレクが、下級兵士まですべて黒で統一している理由にも思い当たった。

 黒は、相手を威圧し威嚇する色なのだ。

 騎馬が、アルカンジェルに向かって進んでくる。

「どうやら、大将同士の果し合いでも仕掛けてくるんじゃないか」

 アルカンジェルは嬉しそうに言う。

「そうですね、貴方の首を取れば、さっさとこの馬鹿馬鹿しい戦を終わらせることができますね」

 そうすれば自分もさっさと帰れる。

 思わず期待がにじんだサージェントの声をアルカンジェルは聞かなかったことにした。

 生成りの白っぽい色を切り裂いて漆黒が近づいてくる。

 そして、その背後から漆黒が押し寄せてくる。

 リュシーが自分の馬車に積んでいたアルカンジェルの槍を差し出した。

 槍と戦うときは、槍でないとあまりにも不利だ。特に騎馬戦は、

「サージェント、どっかに誘導しようとする動きがあったら気をつけろ。相手は勝てばいいと考えている。危険すぎるお子様だ。罠に送り込もうとする動きかもしれない」

 サージェントはこくりと頷く。

 それらしいものには、今のところ見つかっていないが、落とし穴の一つも掘られていたとしても、たぶん自分は驚かない。

 

 セレクは、ひときわ目立つ騎馬の巨躯に向かって進んだ。

 ここ数日で、嫌と言うほど見慣れたそののんきそうな顔が直接確かめられるほど近く。

「ジュリアス、露ばらいを頼む」

 ジュリアスは視線だけで、同意して見せた。

 華奢な女性の腰ほどあるといわれる豪腕で、槍を振るう。

 その槍先に引っかかった不幸な敵兵が、しばし宙を飛んだ。

 目の前で繰り広げられた剛毅な技に、アルカンジェルもしばし声を失う。

 気がつけばすぐそこにまで漆黒は迫ってきていた。

 ジュリアスの背中をすり抜けて、セレクは前に出た。 

その手には血に染まった槍が握られている。

 今更だ、そもそも最後に分かれた晩もこいつは何人も殺してくれた。

 そうして胸のうちによぎりかすかな怒りをアルカンジェルは押し殺した。

 鐙だけで馬を操り、二人流行を叩き付け合った。

 体格とリーチ、その双方であるかんじぇうるが有利だった。しかし、セレクは小さいがゆえに的として当てにくい。

 アルカンジェルが打ち込みセレクが受け流す。そういう攻防がしばらく続いた。

 しかし元々地力が違いすぎた。セレクの体重はアルカンジェルの三分の一もないだろう。

 ましてや騎馬と言う状況では、セレクの唯一の利点、敏捷性はまったく生かせなかった。

 槍と槍がかみ合う嫌な音がした。

 唐突にアルカンジェルの槍が、セレクの槍をへし折った。

 瞬間味方に喜色がよぎる。

 しかし相手は常識と言うものを知らなかった。

 折れた槍をそのままアルカンジェルの顔めがけて投げてきた。その槍を払う間に、細身の投擲用針がアルカンジェルの右肩に突き刺さる。

 持っていたのが剣ではなく槍だったのが運が悪かった。

 小回りの聞かない武器では、小さな張りは防げない。

「隠し暗器とは」

 偶然かそれとも故意か、刺さりどころが悪かったらしい。右腕がしびれたように力が入らない。

 そのまま槍を取り落とす。

「アルカンジェル」

 副官が、アルカンジェルの前に立つ。その時、セレクも数人の騎士達に囲まれて、アルカンジェルの視界から消えていた。

「引いたほうがいいんじゃないですか」

 リュシーがおずおずと囁く。

 この乱戦状態の中魔女とその付き添いは、台風の目状態で、矢も剣も飛んでこなかった。

「それに毒を塗った刃物でイリスは殺されたんでしょう、さっき刺さったものに塗ってあったりして」

 おそらく、その場にいた全員がまさかと思いながらもその可能性を考えていた。

「軍を引かせます」

 サージェントが断言した。

「もういいでしょう、これで進軍して来た義理は果たしました。撤退させましょう」

 アルカンジェルは肩を抑えた状態で、無言で周囲を見回す。

 そして振り絞るように叫んだ。

「撤退する」

 じりじりと、砦から離れ、軍を後方に戻す。それを戦いながらも、セレクの軍隊は、一定以上の場所から進むことはなかった。

「追撃しますか」

 ジュリアスが、セレクにそう進言してみる、答えはわかっていたが。

「こっそり探らせるだけでいい、これ以上の戦闘ははっきり言って無駄だ」

 予想通りの言葉に、ジュリアスは苦笑する。

「どうして、毒を塗っておかなかったんですか」

 問いかけると、セレクは虚を突かれたように去っていくカーヴァンクル軍を見つめる。

「どうしてかな」

 そう言ってセレクは、苦笑する。

 なんとなく殺したくなかった。そんなことを言えば、ジュリアスはどんな顔をするだろう。

 埒ないことを考えながら、先頭の後片付けの指示を出すべく振り返った。


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