第九章 大転換
兵士達が、重々しく伝えた。
「解散」
その言葉に一同がざわめいた。
ある者は安心したように。ある者はおどおどと。それでも少しずつ距離を縮めその場から離れていく。
アルマは、とりあえず人の波に一時的に乗ることにした。
そうして背後の気配を探る。
変わらず、一定の距離をアルマに対してとっている。
「とっとと処理しちまおう」
幸い森の近く。身を隠す場所には事欠かない。
その上これから日が暮れていこうとする時間帯だ。視界は悪くなる一方だろう。
不意に人並みから離れて、森の中に滑り込むアルマに、焦ったように兵士が追いかけてくる。
適当な木の陰でそれを待ち伏せしていたアルマは掌に握りこんだ武器、針のように細く、短い袖の中に隠しておける短剣を握りなおす。
気配を消し、蜘蛛のように獲物を待ち伏せる。
イリスは、目標を見失って焦っていた。相手は自分より年若い少女に見えた。
それが単身、敵軍の懐に潜り込んできた。その意外な豪胆さに瞠目した。
藪を書き分け前に進もうとする。そのとき腕がつかまれた。
それが目標としていた少女だと気付き、取り押さえようとしたとき、肩を切りつけられた。
刃は浅皮膚を抉った。悪あがきかと。その腕をつかみ返そうとしたとき、呼吸ができなくなった。
喉を押さえ、地面に膝を着く。そして、自分を見下ろす少女の冷ややかな眼差し。
痙攣する喉。目の前が真っ暗になっていく。暗くなっていく視界を見ながら、切りつけられたのは毒刃だったのではと思いつく。それが最後の思考だった。
倒れて、動かなくなった女性士官をしばらくアルマは見下ろしていたが、足早にその場を立ち去った。
リュシーはその時同僚のクラリスに声をかけられ、イリスの姿が見えないと言われた。
「いったいどうして」
「実は、アルカンジェル様の命令で、敵の間者と思われる女を尾行しろと命じられていたの、さっきまではいたんだけれど」
不安そうに俯くクラリスに、リュシーはその女の人相風体を聞いた。
長い黒髪、細身、隻眼で顔に布を巻いている。言われてみるとかなり目立つ風体だ。
「本当にそれが、間者なの」
リュシーは不思議そうに訊く。
「私も、妙だとは思うわよ、そんなわかりやすい格好をした間者でも密偵でもありえないとは思うけど。もしかしたら、もう一人か二人、侵入者がいるのかも。そして、自分は劣りになるためにわざと目立つ特徴をさらしているとか」
ありそうに思えた。
「だとすると、狙いは何かしらね」
そう自問自答してみるが、考えるまでもないと思い直した。
この場合、狙われるとしたら、アルカンジェルの首か、さもなければ、軍需物資だろう。
さて、自分はどちらに向かうべきか。
アルカンジェルのところへは行っても無駄だ。それにいくらあれでも、その可能性に気付いていないとは考えにくい。
万全の準備を整えて、待ち構えているだろう。
だとすれば自分の行くべき場所は荷駄のほうだ。
そう判断したリュシーは、身を翻す。
「クラリスは、イリスが見えなくなったって、アルカンジェル様かサージェント様に報告に行ったほうがいいわ、私も探すから」
そう言ってリュシーは走り出す。
物資運搬用の馬車は、はっきり言って多い、その膨大な馬車のいるかどうかもわからない侵入者をリュシーは探さねばならない。
御者を勤める兵士や、警備の兵士達に早口でその情報を伝える。
そして、リュシーは周囲を見回した。
「知らない顔はいないのよね」
その言葉に、全員が頷く。
大所帯だ。その全員が全員を知っているとは限らない。せいぜい自分の属する部隊の全員くらいだろう。
それがわかっているから、リュシーもそのことには何度も念を押す。
そして、リュシーは、荷駄にもたれて、暗くなっていく空を見上げた。
クラリスによって、イリスの行方不明が告げられてすぐ、イリスが遺体で発見されたとの情報が入った。
運びこまれた遺体をアルカンジェルとサージェントが確認する。
肩口に浅く着られた跡以外目立った外傷はなく喉を掻き毟ったような跡がある。
しかしのどに絞殺の形跡はない。
「毒を塗った刃物ですね」
遺体の状況をざっと見てサージェントが呟く。
「おそらく、そう大振りじゃないだろう。服の下に隠し持てるぐらいのもんだろうな」
アルカンジェルの顔はとにかく苦い。もっと早くアルマが怪しいと気付いていれば出さずにすんだ犠牲だ。
「もういい、遺族に渡す遺品だけとって埋めろ」
アルカンジェルの言葉に、傍らにいた兵士が硬い表情で頷く。
埋めてもらえるだけいい。状況次第では、遺体を放置し、腐るに任せるあるいは禽獣の餌になるに任せることも珍しくない。
貨物をくるむのに使われた目の粗い生地がそのままイリスの屍衣となる。
厳重にくるまれた遺体が運ばれていくのを見送りながら。アルカンジェルは深い溜息をついた。
「アルマはまだ見つからないか?」
「そのような報告は受けておりません」
サージェントは表情を崩さない。
「まだたった一人ですよ」
その言葉に、アルカンジェルははじかれたように顔を上げる。サージェントは無表情に続ける。
「どの道、何人生き残れるかと言う戦況です、一人死んだぐらいで落ち込んでいる暇などありませんよ」
言われて、アルカンジェルは虚ろに笑う。
「そうだな、死ぬとなったら、数百人は軽く死ぬな、これは戦争だから」
初陣を済ませたばかりの若造ではない。イリスの死はすぐに脇において置けることだ。
「アルマ一人だと思うか」
「思いませんね」
思案深げに答える。
「俺もそう思う」
そのまま薄暗く暮れゆく空を見上げる。
闇が深くなる。アルマは手持ちの武器に再び毒薬を塗りこんだ。
大振りの武器は持ち込むのが危険と判断した。いざと言うときは敵のものを奪えばいい。
手持ちの袋に入っていたのはほとんどが食料だったので、捨てても問題はなかった。
武器以外は何一つ持たない身軽な身体で、木の上から様子を伺う。
どうやら自分を探しているようだ。
いつもなら数名の歩哨を置いて、休憩に入るはずの兵士達は、今も忙しく動き回っている。
いつまでもここにいられない。胸のうちで呟くとアルマは隣の木に乗り移った。
枝のしなる音は、周囲の兵士達の喧騒でかき消される。
「馬鹿だ、こいつら」
呆れたようにアルマは呟くそして枝から振り子のように身を躍らせ、その場に居合わせた不幸な誰かの喉をえぐった。
死骸の倒れる音に、振り返った兵士の目には、アルマはいきなり空中から現れたとしか見えない。
驚愕を顔に張り付かせた相手を、アルマは無造作に葬り去った。
瞬きするほどの間に、死骸が二つ。幸いにも少々離れた場所に居合わせた兵士が絶叫を放った。
その相手に、アルマはにっこりと微笑みかける。
「敵だ、敵が現れた」
そう絶叫し続ける男はまだ若い。叫んでいる間に剣を抜けばいいのに。
そう思ったときにはアルマは細い投擲用針を投げていた。
大きく開いた口にその針は吸い込まれていった。
ほんの数分間の殺戮を終えるとアルマは再び身を翻した。悲鳴を聞きつけたほかの兵士達が、その背を追うが、身軽に木に乗り移り、するすると猿のように、高く登って、別の木に飛び移る。
その動きに翻弄されて右往左往し始めた。
暗くなり始めた周辺、たいまつを持ってアルマを探し始める。そのたいまつめがけてアルマは小石のようなものを投げた。
それは盛大な音を立てて破裂し、周囲に火の粉を撒き散らした。
悲鳴を上げて、服に燃え移った火を転げまわって消そうとするもの、破裂した際に生じた光に、目をやられその場でうずくまるもの。様々な狂態が巻き起こる。
その轟音を聞きつけて、アルカンジェルはこめかみに冷や汗をかきつつその方向を睨む。
「やっぱり、奴は陽動を担当しとるようだが、いったい何をやらかしているんだ」
再び聞こえてきた轟音と光に。アルカンジェルは呆れ返った。
「騒ぎを起こすにしてもやりすぎですね、或いは、元々ここがあれの領地ですから、この騒ぎで、連絡を取ろうとしているのかも」
「つまり迎えに来てくれってことか?」
「課もしれませんし、迎撃準備を終わらせろと言う合図かもしれません」
万全の備えで自分達を迎え撃つ準備をしていると言うことか。
「しかし、セレクは不在なんだろう」
「部下が優秀なんでしょう」
その言葉に、微かに嫌味を感じた。それでも多くを問うことはしなかったが。
「まあいい、俺は行くぞ」
「どこに?」
「決まっているだろう。アルマのところだ」
サージェントは爆発しそうになる。どこの世界に、たった一人の侵入者相手にのこのこ出て行く将軍がいるのだ。
「貴方が行ってなんになるというのです、この場合、貴方のなさらねばならないことはこの場で、アルマが引っ立てられてくるのを待つことだけです」
サージェントの正論にアルカンジェルは将軍としていってはならないことを言ってしまった。
「それは、確実にアルマが引っ立てられてくることを前提としているだろう」
ひくっとサージェントのこめかみが引きつった。
「それは、貴方の部下が失敗すると言うことですか、わかっておいででしょうが、それは将として決して言ってはならないことですよ」
以前から将軍としての自覚が足りないと思っていたが、ここまでとは思わなかったと。サージェントのこめかみに青筋が浮かぶ。
「そうは言っていないがな、しかし、アルマも逃げ切る勝算なしにここまで派手な行動はとらないんじゃないか」
そう言って、そのまま爆音の聞こえるあたりを目指して歩いていく。
「勝手にしろ」
もはや部下としての体裁をかなぐり捨てたサージェントの罵声を背中に受けながら。
アルマは、敵の刃を潜り抜けながら、森の中を走った。
少々着ているものがぼろけたが、さしたる負傷もせず、藪や、木陰を渡りながら、敵を迎撃する。
軽く弾んだ息を整えていると、間の抜けた声をかけられた。
「おーいアルマいるか?」
まるで、そこにいる友人に話しかけるようなのんびりとした呼びかけに、アルマは、足をもつれそうになる。
それでも投擲用の針を両手に構えると、間合いを計る。
どうしてもこの手の武器は弓矢よりも、射程距離が短い。
のこのこ来てくれるならばありがたいかもしれない。さっさと始末してしまおう。
アルマは予想外の展開ながら、その中で最善と思われる行動をとることにした。
射程範囲まで近づいてきたその時両手が一閃した。
抜き打ちに針をすべて叩き落す。
「お前の腕がよくて助かった。きっちり人体急所にきたからな」
針が落ちる甲高い音にまぎれて舌打ちが聞こえた。
「この量を一度に投げるとは、情け容赦なさすぎな気もするが」
月明かりを反射して輝く針に視線を落としたが、その時、アルマは後ろに飛びのいて、さっき始末した兵士の剣を拾っていた。
「お前、もしかしたらと思ったが、やっぱり男か」
剣を構えた姿のままアルマは笑う。
「どうして気が付いた」
「なんとなくだな、しかし、役者になっても成功するぞ。男が女に化けるときは、過剰に女らしさを演出する傾向にあるしな。あんなにそっけない態度で、男だと疑われんとは」
アルカンジェルは本気で感心していた。
「誉めても何も出ねえよ」
アルマは苦笑した。
「で、わざわざ殺された部下の仇討ちにでも来たのか」
「何が気になったのか、それを知りたかった」
「なんだそりゃ」
二人はそのまま抜き身の剣を構えた。
リュシーは荷駄の傍で待機を続けている。
「あ、しまった、アイーダ様に遅くなるって言わなかった」
最初は騒ぎを聞きつけて、様子を見てくるだけのつもりだったのだが、予想外に、その時間が長引いて、その上今この場所を離れられそうにない。
「誰か、伝言を頼めませんか」
そう言って周囲を見回す。
「気にすることはないんじゃないか」
「なんかに捉まって戻れないってあちらも流石に察するだろう」
そう口々に言われ、それもそうかと納得する。
もう子供じゃないんだし、晩御飯くらい一人で食べられるだろうし。
そう思い直してリュシーは再び周囲に目を凝らす。
だいぶ、あたりは暗くなってきていた。いつもならば休む支度をしている時間だ。
アイーダつきなので、リュシーは基本的に夜勤が付かない。
「久しぶりの夜勤だと、なんか調子狂っちゃうね」
その言葉に周囲から失笑が漏れた。基本的にアイーダが気難しくて扱いが難しいのは誰でも知っている事実なので、そうした優遇もさほど妬みの原因にはならない。
それでも周囲の空気に意識を凝らしていると、聞こえるか、聞こえないかの小さな足音を聞いた。
仲間じゃない。基本的に、足音を殺す必要などないからだ。
それならば誰だ。
その自問自答は一瞬だった。
敵と判断し、自らの剣を引き抜いた。
女性仕官とはいえ、鍛錬自体は、男子と同様に、それ以上に厳しくとりおこなっている。そうそうの相手に遅れをとるつもりはなかった。
リュシーが剣を引き抜いたのを見て、周囲の男達も我先に武器を取り出す。
「いたぞ」
押し殺した声、すっぽりと頭巾を被ったひょろ長い身体を見つける。体格から男と判断したが、それ以外はまったく見当が付かない。
頭巾の陰になってその表情は読み取れない。一人が斬りかかって行った。
するりと切っ先を潜り抜け、切りかかった男は踏鞴を踏む。
他のものが弓を持ち出した。しかし、すり抜けるように当たらない。
ゆらりと、妙にゆったりとした動きだが、瞬間的にかなりすばやく動く。
攻撃をすり抜けるだけで、向こうからは何の攻撃もない。ただ、確実に、荷駄に近づいてくるだけ。
「何なのよ」
荷駄に背中をつける状態でリュシーが相手を迎え撃とうとした。
頭巾の端からおそらく色素の薄い髪が覗いているのがようやく見れた。
その手には何も持っていない。まったくの素手で剣を持っている士官に突っ込んでくるのだ。
リュシーの視界が赤いもので塞がれた。
一瞬ほうけたリュシーは、背中が妙に熱いことに気付いた。振り向けば、荷駄が燃えている。
このままでは背中をやけどすると横に飛びのいた。
その時、さっき見えた赤いものが、アイーダの髪の毛だったと言うことに気付いた。
アイーダは、さっきと寸分変わらない場所に蹲っていた。そして天を仰いで物凄い悲鳴を上げていた。
若い女の悲鳴と言うより、猛獣の叫び声。何事と放心状態でその光景を見つめる。
だが、その足元を見たとき、リュシーは凍りついた。
ほとんど炭になった右腕が落ちていた。
よく見れば、アイーダの袖も焼け焦げている。
そのままアイーダは地面に崩れ落ちた。慌てて駆け寄ろうとしたが、目に見えない力で弾き飛ばされる。
「下がりなさい」
アイーダの掠れた声が聞こえた。
「まだそれを言う気力がありますか」
低い男の声、それがさっきまでリュシーと相対していた頭巾の男の声だと、ようやく気付く。
「逃げなさい、リュシー」
明確に下されたリュシーへの命令。しかしそれを聞くわけには行かない。
「足手まといだと言っているんです」
アイーダの声に感情が混じるのをはじめて聞いたかもしれない。
そんなことを考えながら、リュシーはアイーダの前に立とうとした。
「無駄です」
男のどこか虚ろな声。
別の荷駄も火を吹いた。
燃えている荷駄の数を冷静に確認すると、男は身を翻し、その場を立ち去った。
後を追おうとする兵士達をアイーダが止めた。
「無駄です、高位魔法使い相手、死にに行くようなものです」
そのままアイーダは悔しそうに燃えていく荷駄を見つめる。
「あの、傷は大丈夫なんですか」
リュシーは恐る恐る。蹲るアイーダの身体を覗き込んだ。
やはりない。右腕は綺麗に焼失している。
「痛くないですか」
「痛いに決まっているでしょう。とりあえず、彼に殺意はなかった。命拾いしましたね」
わずか数分で目に見えるほど憔悴したアイーダに、とりあえず医者のところに連れて行くことを提案する。
「そうしてくれると助かります。私はこれから気絶しますので、運んでください」
そのまま左に身体がかしいだ。とっさに肩をつかんで支えると、意識を失っているのを確認する。
「その、燃え残っている布を貸して」
アイーダには申し訳ないが、意識を失って文句を言える状態でないのはありがたい。
アイーダを布でくるんで、荷物のようにして、背中に背負う。
「アイーダ様の負傷は、アルカンジェル様かサージェント様以外にはけして話さないで、理由はわかるわね」
そう言って、リュシーは身軽にその場を走り去った。
リュシーは医療班のいる場所に辿りついて、その閑散とした雰囲気に奇妙の念を覚えた。
なんでも侵入者は、負傷させると言う穏健な手はとらず、行き会ったものはすべて殺害されており、仕事がないのだそうだ。
華奢な少女に見えた侵入者の意外な凶暴さに、リュシーも驚いた。
しかし、布を解いて、右腕を失い気絶したアイーダを披露したときには驚くどころの騒ぎではなかった。
「いったい誰が」
石を呑んだような沈黙の後、ようよう搾り出すように尋ねた言葉にリュシーは先ほどの一件を事細かに説明した。
「高位魔法使いの侵入者」
その言葉ははっきり言って棒読みだった。
信じたくないのだろう。薬瓶を持つ手ががたがたと震えている。
「そんなことより、仕事してください。どうせ破壊するもんはすでに破壊してるんですから、もうここから離れているんじゃないですか」
とにかく足元の危うい医者に忠告してやる。とにかく人に気付かれないうちに、一刻も早くアイーダの治療を終わらせてもらわなければいけないのだ。
アイーダ倒れる。この情報が見方をどれほど動揺させるか。そんなことは少しでも頭のある人間なら誰にでも気がつく。
ただでさえ今敵地の真ん中に近づこうとしているときに、そんな騒ぎが起こったらどうなるか、考えただけでも頭が痛い。
リュシーに、看護人の一人が天幕の隅の箱に坐っているように指示してきた。
どの道、治療は手伝えないので、素直に、その指示に従う。
「イリスは、残念だったわね」
その言葉にはじかれたように振り返った。
「だめだったって、発見された時にはもう硬直が始まってた」
先ほど、イリスがいないと騒ぎがあった。そのときにはイリスはもうこの世の人ではなかったのか。胸の奥に鉛を詰め込まれた気がした。
「仕方ない。これからもっと増えるんだ」
自分に言い聞かすようにリュシーは呟いた。
アルカンジェルとアルマの一騎打ちは、アルカンジェル優勢ではあるがアルマも粘っていた。
むしろ、アルマの体格で、アルカンジェル相手に粘れることにアルカンジェルは驚いた。
アルカンジェルが頭を狙って振り落とした剣を頭上で受け止め、そのまま受け流す。その際にアルマの頭に結ばれていた布を切り落とした。
布を失ったアルマの顔に傷跡一つない。
視力を阻むものがなくなったためかアルマの動きがよくなった。
その時、アルカンジェルの背後で、火柱が上がった。
ずいぶんとは慣れた場所に上がったはずなのに、この近くまで火の粉が飛んでくる。
その火柱は、一つまた一つと増えていく。
「作戦成功」
バターを舐めた猫のような表情で、アルマが微笑む。
唐突に、真昼のように明るくなったその場所で、アルカンジェルはアルマの顔をはっきりと見た。
綺麗な、化粧なしでも女で通じる容姿、そして、切れ長な目の瞳は左右で色が違った。
左目は黒。右目は紫。どちらも美しいが、異相だった。
不意に、思い出す。紫の目を持つ隻眼大公の名を。
「まさか、お前がセレク」
アルマの笑みが深くなる。
「俺の素顔を知るものは少ない。敵ながら、その一人になれたことを光栄に思え」
セレク大公は、重々しく宣言した。
「ならば、逃がすわけにはいかん」
そう言ってつかみかかろうとしたその時、何かに弾き飛ばされた。
「任務完了いたしました。殿下」
ひょろ長い男が、そこに立っていた。
尻餅をついたアルカンジェルの脇に、矢が数本突き刺さった。
「お迎えに参りました、殿下」
騎馬の、アルカンジェルと同程度の体格の男がそこにいた。
更にその背後に、戦闘員と思しき男達もそろっている。
「それでは、アルカンジェル殿、我らはお暇させていただく。ごきげんよう」
あいた馬に飛び乗ったセレクをつれて、騎馬で駆け去っていく。
「深追いは無駄か」
ここは彼らの領地だ。どんな抜け道を知っていてもおかしくない。或いはあらかじめ罠をはっておくことも簡単にできただろう。
「なんてこった」
サージェントは苦く呟いた。