090. 騎士たちの思考
騎士たちにとって、命令が全てである。組織である以上、規則は守らなければならないし、集団で敵に挑むことが最終であるため、それが出来なければ騎士でないと言っても良い。
それでも、時には命令以上に、騎士の判断が大事にされることもあるのだ。その命令違反が、時には仲間を救う。
――けれど、それが間違っていれば、やはり罰せられるわけで。決断力もまた、騎士には求められているのである。
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「ついにここまで戻ってきたかーっ!」
トランが拳を高く上げ、伸びをしながら言い、静かな森に声が吸い込まれていった。ユークは傍で剣の手入れをし、その姿になんの言葉も発さない。
それを半眼で睨みながら、トランは息を吐き出した。やれやれとでも言いたげに首を振ると、座り込んでいるユークの向かいに胡座《あぐら》をかいて座り込んだ。
同じように剣を取り出すが、膝の上に置いたまま、ユークの様子を見つめる。
「…ちょっとは反応くれねぇ?」
「忙しいんだ、後にしてくれ。」
「……つれねーの。」
空に剣を翳《かざ》しながら呟いたユークに、トランは諦めたように、己も手入れの道具を取り出した。しばらく、二人の間に沈黙が続き、鳥の静かな鳴き声が響く。
数十分後、先に始めていたユークの方が先に終わり、その出来上がりに頷くと鞘に戻した。そのまま道具も片付けると、近くの木にもたれ掛かる。
基本、騎士も精霊騎士も、二人一組で行動する。例外も存在するが、先に終わったからと言って帰っていいわけでもないのだ。
トランの手入れを眺めつつ、ユークはそっと肩の力を抜く。それを目敏く見つけたのか、トランは顔を上げた。
「なに、休憩?
いいなー、オレも休みてぇ。」
「…先程、これでもかと気を緩ませていたのは誰だ。」
「うっわ、それ言っちゃう?
ここまで無事に戻ってこれたことに感激してたのによー。」
集中を途切れさせたトランに、ユークは疲れたように息を吐き出す。やる時はやるの男だが、気が移りやすいのがトランの短所だった。
それでも、いつの間にか剣の手入れが仕上がっているのだから、余計にたちが悪い。今も、もうこれでいいやとでもいうように剣を片付けているが、どうせ明日のこの時間には終わっている。
見えない所での努力は、トランの得意技だ。優等生タイプのユークにとっては、非常にやりづらい相手でもある。
何故自分はこいつと組んでいるのだろうかと不穏なことを考えつつ、トランが片付け終わるのを律儀に見届け、ユークは完全に目を瞑った。明らかに休憩モードに入ったユークに、トランは静かに苦笑する。
「起きる時間はー?」
「…三十分。」
呟き、ユークは腕を組むようにして下を向いた。しばらくすれば、本当に仮眠に入ったようである。
それをしばらく見つめていたトランは、首を傾げた。
(…そりゃ、仮眠なんだから完璧寝る体勢に入っちゃ駄目だろうけどさ。
何もそこまで騎士しなくてもいいと思うな、オレ…。)
寝にくいだろうに、座ったままという騎士の在り方そのもののユークに、トランは頬をかいてそう思う。すぐに起きあがるなら、横になるより座ったままが良いのは当たり前であるが、何も相棒が居る時まで律しなくても良いのではと、トランはそう考えるのだ。
ここは敵のいない、のどかな村のはずれ。そして、起床時間を任されたのだから、トランが眠るわけはないと知っているだろうに、どこまでも騎士からずれることのないユーク。
――最も、トランの考え方が“ずれて”いるだろうことは、本人も自覚している。そして、だからこそユークと気が合うのだろうことも。
似たもの同士も良いが、凸も凹は、上手く噛み合えば似てるよりも強固になる。気付けば組まされた相棒だったが、思いの外気に入ってもいた。
(…あー、にしても良い天気だなぁ。)
ぽかぽかと、木の葉がやわらげた陽の光が落ちてくる中、トランは上を見上げる。一瞬目が眩んだが、それもしばらくすると慣れる。
少し前まで、淀んだ空気の中で過ごしてきたため、なんでもない自然の恵みが素晴らしく綺麗に感じる。それは他の騎士たちもそのようで、なんてことない草木に触れては、誰と無く笑みを零しているのだ。
淀んでいたと言っても、何かに遮られていたわけではない。それでも、環境が変わるだけで、それほどの変化が見られたのだ。
温かな日差しは、ゆっくりとしった時間をさらに遅くさせるようで、トランはそっとあくびをした。身動いでしまっては、おそらくユークが起きてしまうので、動きは最小限に。
(…まだ感染者はいるってのに。
なんなんだろうな、この平和は…。)
疫病はもう広まらない。それは、新たな感染者が出ないということだ。
だからこそ、トランたちはこれほどまでにくつろいでいる。交代とは言え、休憩を与えられるくらいには余裕が出来ているのだ。
ただ一人、疫病にかかった騎士も、今以上の症状の進行は見られない。ただ、治りもしていなかった。
(そうなんだよな…そこが問題なんだよな。)
頭より動くことを重視する騎士ではあるが、精霊騎士という肩書きである以上はトランも貴族である。一番上の兄が家督を継ぐことになっているが、それなりの教育も受けているため、結末は安易に想像できる。
――病は、完治させる術がなければ、終わりではないのだ。今回は、黒い精霊石が、ただの菌の威力を増幅させていただけだったが、これが本当の災害であれば、手の打ちようがなかったのだ。
今後そのようなことがないように、解決策を手中に収めたいと思うのはよくわかる。そして、病に倒れたのが精霊騎士である以上、その要求を退けることは難しい。
出来れば、城に着く前に治ってほしいと思っているのは、全員が思っていることだった。精霊様――友歌も、その精霊騎士のもとに赴いては、歌ったり舞ってみたりと試行錯誤をしている。
それでも効果が見られないのは、精霊に何か思うところでもあるのか。友歌ではない、そう、その他多くの精霊に――。
「…いや、でも、精霊様って高い位じゃなかったか…?」
姿を持つことを許されているのか、もしくは他の精霊にはなしえなかったほどに力を持っているのか。確かなことはわからないが、その友歌の意思を曲げられるほどにさらに高位の精霊。
思い浮かぶのは二対の大精霊だったが、その欠片が宿る精霊でもあるのだ。――だとすれば、何か不可抗力が起こっていると考えるべきか…?
(なら、どの選択肢を選ぶのが最善だろう。)
「どう思う、ユーク?」
「…普通に起こせ…。」
むくりと顔を上げたユークは、眠たげな瞳をトランに向けた。トランは歯を見せて笑い、今度は心おきなく欠伸をした。
声を発すれば、ユークが起きるのをトランは知っていた。独り言を戸惑い無く呟いたのは、約束の三十分が経ったからだった。
「普通にって、立ち上がって肩を叩けと?
お前、その前に起きるじゃねーかよ。
意味のない手間かけるくらいなら、声で十分だ。」
「…だから、呟きではなく普通に声をかけろと言っている。」
「気にしない気にしない。
で、どう思う?」
こういう起こし方をしたのは始めてではないが、それでも毎回、ユークは文句を告げる。だが、それが聞き入れられたことはなかった。
いつものように笑って流したトランは、いきなりの質問を投げかける。起きる時に聞いた独り言を会わせても、“どう”の内容は推測出来ないだろう。
それでも、ユークは思考を巡らせる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「…お前の思うとおりで良いんじゃないか?」
「よし、じゃあそうしよう。」
(…とっくに答えは出てるくせに、よく言うよ…。)
ユークに問いかけたのだって、ただの気まぐれだ。いくらユークが言葉を告げても、すでにトランの中では完結していることだと、ユークはよく知っていた。
トランは立ち上がり、村の方へと歩いていく。その後ろを着いていきながら、すでに冷め切った思考を展開させ、ユークはそっと息を吐き出した。
(…どうせ、オレも巻き込まれるんだろうな…。)
本当、何故こいつと組んでいるのだろうかと本気で悩むユークだった。その問いの答えの一つをトランが持っているのだが、おそらく教えられたとしても、納得はしないだろうことをトランは知っている。
おそらく、騎士で居続ける限りは振り回され続けるだろうユークは、この後のことを思い、またため息を吐くのだった。