089. 言霊
言葉には魂が宿る。友歌は、それは本当のことであり、そして少しだけ間違っているのだと認識している。
想いを形にするのに、手っ取り早いのが言葉という表現方法なのだ。魂が言葉に宿るのではなく、魂が言葉となって溢れるのである。
切実な言葉ほど、それは魂を体現する。友歌はそう思っているのだ。
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「今日はここで休むことになりました。
疫病は、私たちが移動している間にもう少し広まりましたが、そう酷く感染したわけではないようですので…。」
「ん、わかった。」
進行具合から見ても、だいたいこの辺りで強力な感染は終わっているため、ここで一息吐くことにしたらしい。サーヤから告げられた言葉に、友歌は頷いた。
友歌としても、始めて疫病に遭遇したこの村は気になっている。少しだけ仲良くなったクロナやケインも居るため、様子を見ていけるのは有り難かった。
ケインの言葉で、以前のように友歌とサーヤがクロナの家に泊まることとなり、二人は二つ返事で了承した。クロナの看病も出来ると息巻く友歌に、サーヤはただ笑う。
レイオスは、すでに騎士たちが担架のようなもので別の家に横たえさせている。ケインの家でも良かったのだが、無防備な今は護衛が最優先のため、条件に合う家を使わせてもらっている。
――そう、未だレイオスは目覚めない。何度も魔法の“繋がり”を使い、友歌助けてきた対価が、今のレイオスの状態なのだ。
友歌は、欠片の力を己の限界まで解放した。それを、レイオスは日に二度も肩代わりしたのだ。
友歌にかけられた魔法は、体力の減少をそのままレイオスに移すものである。結果、友歌の体力は回復し、レイオスがその分疲れていく。
いくらレイオスが男性で、体力も友歌よりあると言っても、日に二度、そしてそれが連日続くとなれば、限界を超えてもおかしくはない。――けれど、それでも、友歌があの無茶を続けていればそれで済まなかったかもしれないのだ。
欠片の解放により友歌は体力を失うが、欠片の力は強力で、友歌の自覚はないまま体を壊していく恐れもあったのだ。友歌としては、欠片が自分を傷付けるはずがないと確信しているが、サーヤやレイオスにその感覚がわかるはずがない。
けれど、あのままでは友歌が体調を崩すのも時間の問題だった。欠片の感覚で、友歌の意思の尊重と友歌の体、どちらに比重があるかはわからないが、それでも、あのままではちょっとしてことで友歌は倒れかねなかった。
その点では、レイオスの行動は正しかったと言える。欠片の力が必要なのも本当で、友歌に倒れられることで国民に不安を抱かせることも怖れた。
二つのどちらも捨てられなかった結果が、レイオスとサーヤに決意させたのである。
(…私も大概だと思うけど、レイオス達も思いきりが良いよね…。)
大人しく聞き入れたかはわからないが、一言くらい忠告をくれても良かったのではないかと友歌は思う。最も、あの時の己を振り返れば、おそらく無視してしまっていたかもしれないが、それでも、そう考えずにはいられなかった。
レイオスがそれを見越していたのだとしても、やりもしないで諦めないで欲しかったと、友歌は自分勝手を承知にそう思う。“為せば成る、為ささねば成らぬ何事も”とは有名な言葉である。
そして、為そうと思って成ってしまった結果が、友歌の黒の精霊石の封印だった。また、そのおかげで、レイオスは疫病に脅かされずに済んだという嬉しい知らせもついてきた。
おそらく、人生で最大の我が儘だっただろうそれは、不安要素をさらに一つ、取り除くことに成功したのである。――後は、レイオスが目覚めてくれれば万事平和に解決されるのだ。
(…出来れば、城に戻る前に起きてくれるといいな。)
冷静を繕ってはいるが、友歌としては、早くレイオスと話したくて仕方なかった。あの蒼い目を見たくてたまらないし、王族らしい柔らかな仕草に触れたいのだ。
伝えたいことも、聞きたいことも…話したいこともたくさんある。城に言ってもそのままだと、おそらくレイオスは医務室か私室にて厳重な看病をされるだろう。
精霊の名を持つ友歌なら、面会は簡単に出来るだろうが、それでも、今この旅の瞬間と城の一室では、何もかもが変わってしまう。
――そう、王子であるレイオスと、精霊である己になってしまう前に、友歌は起きて欲しかった。
ただの二人として話せるのは、おそらくこの旅の間だけだ。最大の疫病はすでに退けられ、後は様子見も兼ねて城に帰るだけである。
もちろん、それも大事なことだとは知っているが、抱えているほとんどが一段落したと言ってもいい。舞姫としての期間はまだ残っているが、それでも、城に居る時ほど名前や地位に縛られているわけでもない。
擦れ違う人々や騎士たち――そして最近はそうでもなくなったが――サーヤは、もちろんそういう目で見てくる。けれど、変なプレッシャーからは解放されていることに、友歌はふと気付いたのだ。
精霊として召還されたというプレッシャー。己と、己の名の利用価値の差に気付いてからは、知らず気を張っていたという事実。
レイオスに、そういう意識がなくても良かった。皆と同じく、友歌が高位精霊だと勘違いしている一人だし、契約が正常に作用していることがわかったため、おそらく、それを疑うこともしていないだろうからだ。
ただ、自分が、精霊という名前抜きにして話してみたいと思ったのだ。変化はなくても良く、ただ、そういう気分を味わってみたいのだ。
――ただの園田 友歌として。
「…様、精霊様?」
「ぅわっ!」
「……驚きすぎではないですか?
何十分も同じ体勢で…血流が悪くなりますよ。」
ぼうっとしていた友歌は、顔を覗き込むようにしていたサーヤに驚き、座ったまま後ずさった。何時の間に用意したのか、湯気のたつカップを両手に持ち、サーヤは首を傾げている。
どうやら、考え込んでしまった友歌に気を利かせ、ついでに飲み物を用意しにいったは良いが、帰ってきてもそのままの友歌に心配したらしい。笑って誤魔化した友歌は、カップの一つを受け取った。
サーヤとしても追求する気はないらしく、近くの椅子に座り、中身を口に含む。それを眺めて、友歌もカップに口をつけた。
慣れ親しんだ味は、逸《はや》っていた友歌の心を少しだけ落ち着ける。
「…眠ってばかりですよねぇ。」
「……え!?」
静かな沈黙が落ちた部屋で、ふと、サーヤが口を開いた。友歌は、今まで考えていたことでも読まれてしまったのかと声を漏らす。
サーヤも、目を見開く友歌にびくりと体を震わせ、お互いに見つめ合った。
「いえ、レイオス王子も、疫病にかかった人も、皆眠ったままだな、と。」
「…あ、ああ、なるほど。」
「…………?」
サーヤが続けた言葉に、友歌はほっと息を吐き、うんうんと頷く。それに疑問を浮かべたサーヤだったが、すでに自己完結してしまった様子を見て、聞き返すのは諦めた。
友歌としては、水の魔法には思考が読み取れるものでもあるのかと思ったため、混乱がきていたのだ。が、それだと召還の時に精霊でないことをわかってくれたはずだと考え直す。
――結局、思うことは同じなのだ。疫病の後遺症は、まだまだ続いている証拠である。
「…サーヤ。」
「はい?」
「言葉にはね、力が宿るんだって。」
口に出したのは、なんとなくである。欠片の力でもレイオスは目覚めず、疫病にかかった人たちを起こすことは出来ていない。
舞いも、歌も、右に同じく。落ちてしまった意識には届かず、効果はなかった。
それでも――精霊がいるこの世界では、地球よりも容易く、祈りは届くのだ。地球で言われる、ほとんどの人が目にしたことのない奇跡よりずっと確かなものが、存在しているのだ。
言葉には、力が宿る。――力が、言葉となって放たれる。
精霊にしても、舞いや歌という形にしなければ…言葉にしなければ、届かないのである。先程の友歌の想像のように、思考を読み取ってくれる魔法の存在しないこの世界でも、そうでなければ、泡と消えていくだけなのだ。
「…精霊の私が、頼るのもおかしいかもしれないけどさ。」
「…………、」
「祈ろうよ、サーヤ。
言葉にして、形に表して…態度で、行動で、起きてくれるようにって。」
傍にいるのに、本当の意味で触れられない。そこに居るのに反応の返ってこないことほど、寂しいものはなかった。
地球に置いてきた家族以上に、その方が堪《こた》えていることに驚きつつも、友歌はその思いを否定することはしなかった。否、出来なかった。
――言葉で、ここまで必死に帰りたいと願ったことはあったかと思いながら、友歌はそっと目を瞑る。――映るのは、どうやっても銀と蒼のその人だった。