087. 待ちわびる
「…日差しが眩しい。」
「そりゃ、ずっと寝ていればそうですよね…!」
目覚めて一言、友歌が呟いた言葉にサーヤが反応した。枕元で、顔でも拭いてくれていたのか、濡れたタオルを持ったままのサーヤは、顔をしかめていた。
サーヤへと顔を向け、へにゃりと笑う友歌は、ゆっくりと起きあがる。タオルを近くの桶に放り込み、それを支えるサーヤは、思いっきり息を吐き出した。
明らかにわざとな様子に、友歌は苦笑するしかなかった。
*****
「どれくらい寝てた…?」
「一日くらいですよ。」
「…そんなに??」
「ええ。」
今度はにっこりと笑うサーヤに、上半身を起こしながら、友歌はそっと視線を逸らした。首を回し、体の様子を見ていると、何時の間に用意したのか水の入ったコップを差し出され、友歌は素直に受け取る。
聞き返さなければ良かったと後悔しつつも口を付ければ、やはり水分が抜けていたようで、一気に飲み干してしまった。サーヤにもう一度水を注いでもらい、今度はゆっくりと喉を潤しながら、友歌は一息つく。
常温にされた水は、胃を驚かすことなく収まった。再度空になったコップを受け取って、サーヤは近くの机にそれを置き、お腹の辺りをさする友歌を見つめる。
「…もう少ししたら、何かお作りします。
体が起きてくるまでは、我慢してくださいね。」
「わかった。」
確かに、ずっと寝ていた内蔵はそう早くには消化してくれないだろう。素直に頷き、友歌は外を見つめた。
太陽の位置がわからないが、どうやら昼時のようである。明るい日差しの見える世界に、友歌はそっと目を細めた。
――明らかに、空気が違っている。
「サーヤ。」
「はい?」
「終わった…?」
主語を除いた会話。けれど、サーヤにはわかったのか、同じように外に目を向けた。
「…はい、終わりました。」
静かな声は、真っ白な部屋に響き渡る。窓は開けられていなかったが、小さく風が吹いているのか、木々が柔らかく凪いでいた。
疫病が消滅した成果だろう。根元である黒い精霊石も封印され、それによって強化されていただろう病原菌も、おそらく力を失っているはずだ。
未だ治療法はわかっていないとは言え、原因は取り除いたのだ。そう遠くないうちに、感染者の体の中にいる病にも変化が訪れるだろう。
目に見える実感はまだないが、こうして、あれだけ暗かったこの街にも風が吹く。淀み、くすんでいたはずの街並みも、どこか明るく見えるのは気のせいではないだろう。
「そっか…終わったかぁ。」
友歌から吐き出された言葉。けれど、サーヤの予想に反して、それはなんの感情も含んでいなかった。
疫病を滅した喜びも、旅が終わる充実感も、それには感じられなかったのだ。ただほんやりと、外の風景を見つめ、瞬きを繰り返す。
――友歌の気持ちは、友歌にしかわからない。そういう結論に達したサーヤは、そっと腰を上げ、水とタオルの入った桶を持ち上げた。
「そろそろお昼ですし…丁度良いので、何か作ってきます。
えーと、なんでしたっけ…お粥?
病み上がりにはそれが良いんですよね??」
「…やだなー、私別に病人じゃないよ。」
「丸一日眠っていたなら、病み上がりで上等です。」
――疲れ方も、尋常じゃなかったんですから。その言葉は飲み込んで、サーヤは一礼し、扉を開け、ほんの少し振り返った。
相変わらず視線は窓の外に固定し、静かに佇む友歌。その姿を見つめるうち、ゆっくりと扉は閉まり、サーヤはそっと息を吐き出す。
数秒そこに留まると、桶を抱え直し、簡易厨房のある場所へと足を進めていった。
(美味しいお粥、作ってあげますよ。)
一日、何も入れてこなかったお腹にも、おそらくそれが一番良い。友歌の言葉からそれを推測したサーヤは一人頷き、いつもより少し早めに足を進めた。
足音が遠のくのを聞き、友歌はゆっくりと倒れ込んだ。それを支えたベッドは、ギシリと音をたてて軋む。
もぞもぞと布団を被り、友歌はそっと丸まった。寝るつもりは毛頭なく、むしろ夜寝られるかと心配するほどに冴えていた。
(――終わったかぁ。)
サーヤが思った通り、友歌には、喜びも充実もなかった。ただ、終わったのだという事実が頭を占めているだけ。
かといって実感がないわけでもなく、それは肌で感じる違いでわかった。
(…なんだろう…すっきりするかなって、ちょっと期待したのに。)
自分の手で、この件を終わらせる。必死に動いていた友歌たちよりも、期待されている二大精霊へのちょっとした嫉妬も込めて、何より、自分自身へのけじめとして、無茶を通した友歌。
周囲までも巻き込んでの無茶など、おそらくこれ以上のものはない。しかも、それを深く理解した上でのたちの悪い無茶だ。
そして、それは成功してしまった。“終わりよければ”――おそらく、今この時にも適応出来る言葉である。
けれど、手放しで喜ぶ気にはなれなかった。周囲にしても、もしかしたら失敗していたかもしれない二大精霊を待つより、良い結果になったには違いない。
――それでも、負い目が友歌に待ったをかける。
「…レイと話したいなぁ。」
ぽつりと、一度言葉に乗せてしまえば、それは友歌の中で膨らんだ。最後に話したのは、もう数日も前である。
銀色の長い髪は波打ち、蒼い瞳は閉じられて。血の気を失ったままの顔に、王族として教育を受けた優雅な仕草は止まったまま。
――その姿が強烈すぎて、健康な時はどんなだったか、思い出すのにも一苦労だ。
けれど、サーヤから何も言われないということは、レイオスはまだ目覚めていないのである。どれだけ友歌は無理をさせてしまっていたのか、考えるだけでも胸が痛んだ。
「レイ…。」
――全部、終わったよ。
言いたいことは、まだ吐き出せない。感謝も、懺悔も、心の内に燻《くすぶ》って、言わずにはいられないというのに。
布団で甲羅を作り、友歌はその中でひたすらに目を閉じる。サーヤが部屋を訪れるまで、友歌はそのままの体勢でいた。
*****
友歌が目覚めたため、明日には街を出ることになった。まだ時間に余裕はあるが、逆に余裕があるため、スケジュールが埋まってしまったのだ。
今度は慰安ではなく、報告のために戻る。けれど、当初は突っ切って城に戻るはずが、ゆっくりと、今まで通った街に再び立ち止まりながら帰るのである。
――疫病は消え去った。けれど、それが感染者にどんな影響を及ぼすかはわからない。
そのため、調査をしながら進むことになるのだ。途中、置いてきた騎士も拾っていかなければならない。
「…城に戻る頃には、治ってるかな。」
「……だと、良いのですが。」
治らずに連れ帰れば、感染の危険はないにしても、いい顔はされないだろう。最悪、疫病への抗体を作るための実験体にされかねない。
綺麗事ばかりで物事は進められないとわかっていても、自分達の護衛をしてくれた者を、あまつ自分が連れ帰ってそのようなことになるのは、さすがに遠慮願いたい。
死ぬようなことはないだろうが、それでも、やはり何もされないのが一番なのだ。騎士の快復力に祈りつつも、友歌たちは帰る準備を始める。
――レイオスは、依然眠ったまま。城の馬車はそれなりに大きいが、横になれるほどではないため、街の馬車を買い取ることになった。
起きている人物はまだいないので、店にそれなりのお金を手紙と共に置き、一番高い馬車を勝手に選んできた。それを、横たえられるスペースを確保すると共に、少しの振動でも動かないよう固定出来るよう改造する。
本当なら、城の馬車を弄るのが安全面や階級的にも良かったのだが、馬車自体に魔法がかけられ、それは出来ない。苦肉の策だが、それ以外に方法はなかった。
「…ああ、そうそう。」
「?」
少し考え込んでしまった友歌に気付き、サーヤは明るめの声を上げる。顔を上げた友歌は、サーヤのにんまりとした笑顔に少し固まる。
良い予感のしない表情に腰が引けるが、逃げる選択肢は浮かばなかった。
「今夜、レティにちゃんとご報告お願いしますね?
急に連絡がとれなくなって、びっくりしていると思いますから。」
「…………。」
精霊様ぁああ!と叫び、息をはさむ間もなく問いつめてくるレティが浮かんで、友歌はひくりと口元を引きつらせた。想像でしかないというのに、どこか説得力があるのは何故だろうか。
ぴくりとも動かなくなってしまった友歌に、サーヤはころころと笑った。――肩の力がほんの少し抜けた笑みは、事が終わった証だった。