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086. 精神世界

 



 世界とは、理不尽なものだ。どれだけ頑張っても、隣から奪われることなんて多々ある話だし、身にならなければ意味がない。


 世界とは、思い通りにいかないものだ。どれだけ願おうが、祈ろうが、実質的な力の前では意味がない。


 ――それでも、世界に縋《すが》ってしまうのは、世界がなければ生きていけないからだ。





















 *****





















「――ああ、ここかぁ…。」




 目覚めた友歌を待っていたのは、鉄色の鎖と白い空間だった。ぼんやりとした視界を何度か瞬かせ、ゆっくりと起きあがる。


 自分を中心に、いくつもの線で球体を描く鎖は、何故か隙間が大きくなっていた。どうやら、しばらく来ないうちにその本数を減らしていたようである。


 それでも相変わらず他に何もない空間に、友歌はがしがしと頭を掻く。上に下に、右に左と伸びる鎖は、その果てが見えなかった。


 ――夢の世界。酷く現実味のない世界には、やはりその言葉が一番合っている気がした。




(…ここに来れたってことは、成功したってことで良いのかな。)




 一度目は、この世界に召還された時。二度目は、【朱月の顕現】の時…全て、精神を磨り減らしてしまった瞬間と言っても過言ではない。


 少し期待しつつも、友歌は立ち上がり、目の前の鎖へと足を進める。すっと手を伸ばした友歌は、戸惑いなくその鎖に触れた。


 無機質な鉄。引っ張ろうとしても、押そうとしても、びくとも動かない鎖。


 けれど――どこか温かさを感じるのは、友歌の気のせいだろうか。ぎゅうと、やっと握り込める太さの鎖を手の平で包んで、友歌はこつ、と額をあてた。




「痛かったのに、な。」




 一番初めに、触れた時。否、触れようとした時…この鎖は、尋常でない激痛を伝えてきた。


 二度目に決意した時には、すでにただの鎖と化していたが、それでも、召還されたばかりの時の痛みは、薄れ始めた記憶の中と言えども思い出せる。


 ――痛かった、はずなのだ。




「…ねえ?」




 問うように呟けば、視界が蒼く染まった。後ろを振り返れば、球体の中心に蒼い光がぼんやりと輝いている。


 いつもよりずっと弱々しい光は、友歌の望み通りに力を出し切ってくれた証だった。それでも、真っ白だった世界を、鈍色《にびいろ》の鎖を染め上げるには十分な強さはあるようだ。


 数メートル先にある、拳ほどの大きさの欠片に、友歌は目を細める。




 ――憶測だった。判断材料も心許ない、ただの推測。


 けれど、ここに欠片があると言うことは、“そういうこと”なのだ。ここは、夢の世界であって、そうではない。


 ここは、友歌の中…言うなら、精神世界とでも言うべきところ。


 言葉を発したのは、一か八かだった。ここが本当に夢なら出てこないだろうし、もし本当に精神世界であっても、出てきてくれるかはわからない。


 事実は、今目の前にある圧倒的な存在が示している。優しい熱さ、残酷なほどの温かさ…全て、本物だと心が叫ぶ。


 “精神”世界でそう感じるという矛盾に、友歌は苦く笑った。




「…今回のこと、すみませんでした。」




 ぺこりと、友歌は頭を下げる。きっかり三秒数え、元に戻ると、先程よりも早く点滅している欠片に、素直に笑みが浮かんだ。


 ――完全な我が儘だったのだ。中途半端に終わらされるのが嫌で、何より無駄に周囲を掻き回してしまったのが許せなくて、友歌は欠片に頼った。


 そう…解決してくれるのが、本体である二大精霊だと言うのに。友歌はその“欠片”に、わざわざ頼ってしまったのだ。




(…思えば、かなり無茶させてる気が…。)




 初めのころは、契約のせいで気を遣わせてしまった。人の考えた、人のための契約でなど、縛れるはずがないのに、それに甘んじてくれたのだ。


 もちろん、そういう友歌を選んだのだという意識もあるのだろう。他にいくらでも候補が居る中、そんな枷《かせ》のある人物を選らんだのは、欠片自身なのだから。


 それでも、それ以上に友歌は、欠片に無理を強いてきた。


 一時は…否、舞姫の期間の大半は、何故欠片を満足に扱えない自分なのかと恨み、力が引き出せるようになってからは、毎日酷使し続けてしまったのだ。もし欠片が人であったなら…否、人でなくても怒っているだろうと、友歌は思う。


 けれど、欠片は気にしていないとでも言うように、未だ暖かく友歌を照らす。気にするなとも言うように、友歌を舞姫として認めてくれているのだ。




「――ありがとう、ございました。」




 友歌のちっぽけな感情を、想いを守るために、欠片はずっと力を貸してくれていた。言うべき言葉が見つからず、友歌は結局、ありきたりな言葉で感謝を伝える。


 それでも、嬉しげにほわほわと浮かぶ欠片を、友歌は笑って見つめた。




「…今度は私が、頑張ります。

 ちゃんと、喜んでもらえる舞いを踊りますから。」




 それにどう思ったのかわからないが、欠片はゆっくりと友歌の方に近付いていった。友歌もじっとその様を見つめ、遂に手を伸ばせば届くところへ来た欠片に、もう一度笑いかける。


 ――場所も欠片の勢いも全く違う。それでも、まるで【朱月の顕現】の再現のようだと、友歌は思った。


 友歌は両手を伸ばす。欠片も、まるでそれが当たり前であるかのように手の平に収まった。


 数ヶ月前と同じように、熱いほどの温かさと、空気が密集したかのような“体”を感じて、友歌は数度、瞬きを繰り返す。この世界で感じる欠片は、どうやら現実世界よりもダイレクトに感情を揺さぶるようで、近付いたそれにあっけなく涙腺は崩壊した。


 暖かかった。欠片から受け取るものは何もかもが暖かく、優しく…【朱月の顕現】の時以上に、友歌は心が震えているのがわかった。


 ――本当に、精霊は綺麗すぎる存在なのだと、思わざるをえないほどに。それほどに、美しい印象を受けた。




(…そんなだから、人の感情なんてのに、侵食されちゃうんだ。)




 幼子《おさなご》の駄々のように、友歌は呟く。けれど、それが精霊なのだと、友歌はすでに確信していた。


 この世界の人々が作り上げた妄想ではない。都合の良い想像でもない。


 欠片は本当に、その存在自体が“白”なのだ。この世界の人々は、生まれた時からそういうものに触れていたから、それを本能的に知っていただけのこと。


 友歌が世界への印象に、地球のイメージの方が強かったから、気付かずに過ごしてしまっていたのだ。ここは、エルヴァーナ大陸は――友歌の常識の通じない、“作り”から違う世界だということを忘れて接していたから。




 今なら、わかる。おそらくは、この世界に住む誰よりも、精霊のことをわかっていると思える。


 きっかけは、黒い精霊石だった。そこから感じる真っ黒い闇は、まるで引き込まれそうになるほどに妖しく、怪しく――暗かった。


 禍々しい炎を内で揺らめかせる結晶は、この世のものでないほどの黒を抱えていたのだ。あれほどの悪が存在し続けていたら、それこそ、行き着く先が眠るだけの疫病なんて易しいと思えるほどの何かが起こっていた…そう感じたほどに、それはあり得てはいけない闇だった。


 恐怖が先にくるそれを、観賞用とする人や、目前にしても平然とするレイオス達の気がしれなかった。取り乱さずに済んだのは、それを抑えてくれていた欠片の結晶のおかげに他ならない。


 そして同時に、精霊の、そして精霊石の在り方にふと疑問が湧いた。存在の意味、意義、必要性、人の依存度…。


 一度違和感に気付いたなら、それを当たり前だと思って過ごす人々よりも、友歌の方が感じ取りやすいのは、当然なのかもしれなかった。答えは未だに出ていないが、それでも、この世界に住む人々よりは、真《まこと》に近い精霊を想像していると友歌は思う。




(…もう少し、付き合ってね。)




 あと、二月と少しの舞姫期間。その間は、まだ欠片は友歌の中に居続ける。


 そっと欠片を包み込めば、手の中に収まってしまう光。そっと胸の辺りに近付ければ、欠片は抗うことなく友歌の内に入っていった。


 いつかと同じ光景に、友歌はそっと口元を緩め、瞳を閉じ――膝をつく。




「…疲れたー。」




 はふ、と満足げな息を吐き、友歌は横たわった。どうやって球体の空間に足場が確保されているかはわからないが、精神世界である以上、その問いに答えは出ないだろう。


 ごろんと仰向けになり、上を思わしき天を見上げれば、同じように鎖が縦横無尽に伸びていた。けれど、それでも、友歌には笑みが浮かんでいる。


 ――終わったのだ。自己満足だが、疫病は退けられ、黒い精霊石も欠片によって封印された。


 あとは――すでに疫病かかった者たちだ。これ以上の被害は抑えられたが、症状が出た者にどう影響するかはわからない。




「…レイに謝らないと、な…。」




 眠気に霞む意識を保たせ、友歌は必死に言葉を紡ぐ。それは、自分への約束だった。


 無理をさせてしまったことへの謝罪。無茶をしてしまったことへの謝罪。


 そして、




「……お礼、も…言わな…と、」




 最大の感謝を。


 友歌の意識が闇に落ちていくと、その白い空間から友歌の姿が消えていく。足下から消えていく友歌は、完全に意識を失うと共に、その場所を無人へと変えた。


 ――しばらくすると、一本の鎖が、じゃらりと、何もない空間に叩き付けられた。強く張られていたはずのそれは、他の鎖の上へと落下し、静止した。


 そして、ゆっくりと、無限に思えた鎖の端から、少しずつ鉄色はその姿を消していく。そうして長い時間をかけ、一本が消え去ると、また別の鎖がゆるみ、その端が消えていく。


 ゆっくりと、確実に、鎖はその本数を減らしていった。











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